今日も高校講座で勉強しました。今日の教科は;
【物理基礎】 第5回 第1編 物体の運動とエネルギー
速度が変わる運動を表す ~等加速度直線運動~
ボールが斜面を転がる運動とは
改造したテーブルの斜面
斜面のコース上に等間隔に円盤
斜面の下の方が円盤が勢いよく回る
運動の変化をより分かりやすくするために、装置に手を加えます。
斜面の途中に等間隔に円盤を設置し、ボールが通過すると回転する仕組みです。
リコ 「あ、斜面の下に行くほど、円盤が勢いよく回っているね。」
お母さん 「ボールは、下に行くほどだんだん速くなっているということよね。」
このように、速度が変化する運動のことを加速度運動といいます。
直線とカーブで上昇・下降するグラフ
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前回の物理基礎では、ノブナガはみずからバイクに乗って、加速度運動について調べました。
走ったサーキットは、直線だけでなく急なカーブがいくつもある複雑なコースです。
スタートしてからの直線ではどんどん加速しますが、カーブではスピードを落とさなければ曲がりきれません。
最後の直線では一気に加速して、193km/hをマークしました。
バイクの速さをグラフにしてみると、速度が大きく変化していることが分かります。
直線で加速するときはグラフが上昇して山型に、カーブではスピードを落とすのでグラフは下降し谷になります。
複雑なコースを走りきるため、コースに合わせて速さをこまめにコントロールする走りが必要です。
サーキットでの走行は、加速度が大きく変化する運動でした。
0.3秒間隔で見るとボールのスピードが上がっている
では、斜面をボールが転がるのは、どのような運動でしょうか。
ボールの転がる様子を0.3秒間隔で止めてみると、移動したボールの間隔が徐々に長くなっています。
同じ時間あたりに進む距離が長くなっているということです。
上写真の矢印の長さは0.3秒ごとの移動距離で、平均の速さに比例しています。
0.3秒ごとに色を変えて区間を分けたもので、0.3秒間に増える速度は、どの区間を見ても同じだということが分かります。
つまり、一定の割合で速度が変化しているということは、加速度が一定だということです。
このように、一定の加速度でまっすぐ進む運動のことを「等加速度直線運動」といいます。
等加速度直線運動のv-tグラフは直線になります。
等加速度直線運動は速さが変わるため複雑そうに見えますが、加速度が一定というところに着目すると分かりやすい運動です。
急になると単位時間の移動距離が長くなる
ボールを転がる斜面の傾斜がより急になると、ボールの転がり方はどう変わるでしょうか。
先ほどと同じように0.3秒間隔で映像を止めてみると、同じ時間に移動する距離も長くなっていることが分かります。
負の加速度の等加速度直線運動
ボールの運動とv-tグラフの関係
斜面を転がり落ちて勢いのついたボールが、そのまま斜面を上っていったら、どのような運動になるでしょうか。
ボールは上り坂に差しかかると急に遅くなってやがて止まり、今度は反対向きに転がり始めます。
この動きを何度も繰り返します。
このときの時間と速さの関係をv-tグラフに表してみます。
下り坂では速度がどんどん増加し、グラフの傾きは正になります。
一方、上り坂になると速度は減少し、グラフの傾きは負になります。
こうして等加速度直線運動の加速度が、正から負に変化しています。
やがてボールの勢いがなくなって停止するとき、速度は0になります。
加速度が一定の運動をグラフで表す
移動距離=速さ×時間
等加速度直線運動でも面積が移動距離
v-tグラフを使うと、転がったボールの移動距離も分かります。
等速直線運動は、時刻に関係なく速さが一定の運動でした。
等速直線運動のv-tグラフでは、移動距離は縦軸の速さvと横軸の時間tをかけたものでした。
この「移動距離」は、左図のグラフのうち、色のついた長方形の面積にあたります。
坂からボールを転がしたときの時間と速度の関係を上のグラフのように表した場合、スタートから4秒後のボールの移動距離は何mでしょうか。
4秒後のボールの速度は0.8m/sです。
三角形の面積は底辺×高さ÷2で求めることができるので、
4[s]×0.8[m/s]÷2=1.6[m]
と求められます。
最初から速度が0.8m/sで一定の等速直線運動であれば移動距離は長方形の面積で求められますが、等加速度直線運動の場合はその半分である三角形の面積ということになります。
初速度v
0の等加速度直線運動を表すグラフ
等加速度直線運動で時刻tを表す式
リコ 「今までは止まっているボールが転がりだして、速度が0からだんだん速くなっていく場合を考えていたよね。じゃあ、ボールがすでに転がっている場合はどうなるのかな。」
お父さん 「それは良い質問だね。その場合はこんなグラフを考えてみよう。」
左図は、はじめからある速度で運動する場合の等加速度直線運動を表すグラフです。
はじめの速度を初速度といい、初速度はしばしばv0と表されます。
右のグラフは初速度がv0で、加速度がaの等加速度直線運動の速度vと時刻tの関係を表すv-tグラフです。
加速度がa[m/s2]ということは、1秒ごとに速度vがa[m/s]ずつ増えていくことになります。
このことから速度は1秒後にa[m/s]、2秒後には2a[m/s]、t秒後にはat[m/s]だけ増えます。
よって、初速度v0にatを足すことで、時刻tの速度vを求めることができます。
つまり、等加速度直線運動で時刻tの速度を表す式は
v=v0+atとなります。
移動距離xの求め方
次に、時刻tまでに移動した距離xの求め方について、上の図で考えてみます。
移動距離xは、v-tグラフの面積で表されます。
はじめに下の長方形の面積は、縦がv0で横がtなので、v0tとなります。
上の三角形の面積は底辺がtで高さがatなので、
(1/2)×t×at=(1/2)at2となります。
時刻tまでの移動距離xは、長方形の面積v0tと、三角形の面積(1/2)at2を足したものになります。
つまり、t秒間での移動距離xを求める式は
x=v0t+(1/2)at2と表されます。
加速度が一定の運動を式で表す
~お父さんのひと言~
坂を転がるボールの運動を調べて、何か役に立つのでしょうか。
一見複雑そうに見えた運動も、その変化に着目すると、シンプルな特徴が分かり、ボールの未来を計算することができます。
坂を転がるボールの運動を調べてみようと思いついて、変化から特徴を見出すという発想が、知的で面白いと思いませんか。
何よりこのような考え方こそが、あなたの「何が起こるか分からない未来」の問題解決に役立つんです。
【世界史】第5回 東南アジア世界の形成
1.多様で豊かな自然 2.大文明の吸収 3.独自な文化形成
今回のミッション
クローブ
「マジカル・ヒストリー倶楽部」にようこそ!
今回のミッションは「多様な東南アジアの文化を知る旅」です。
スタジオでは、東南アジアというテーマに合わせた衣装に身を包んだ永松さんが、チャイを持って登場しました。
チャイとは、紅茶と香辛料をミルクで煮込んだものです。このチャイに含まれているクローブという香辛料に、東南アジアの多様な文化を知るヒントが隠されていると、永松さんはいいます。
クローブは、かつて世界の中でも、東南アジアの一部の地域でしか採れない大変貴重なものでした。
そして、こうした貴重な香辛料を求めて、世界中からたくさんの人が東南アジアを訪れました。このことと、東南アジアの多様な文化とは、どのような関係があるのでしょうか。
今回のビューポイントは、
1.多様で豊かな自然
2.大文明の吸収
3.独自な文化形成
訪れる場所は、西はインド、東は中国という2つの大国に挟まれた地域。時代は、紀元1世紀〜15世紀です。
まず、8世紀から9世紀に建てられた「ボロブドゥール」を訪れます。ボロブドゥールは、インドの影響を受けた仏教遺跡です。
そして、マレーシアのマラッカを訪れます。15世紀、マラッカは世界中からさまざまな民族、宗教が集まり繁栄していました。
1.多様で豊かな自然
メコン川
オケオ遺跡
今回のマジカル・ヒストリー・ツアーは、インドシナ半島を流れるメコン川支流で発見された、「オケオ遺跡」から始まります。
現在のベトナム南部には、1世紀ごろ、扶南(ふなん)という国が栄えていました。オケオはその港町でした。
1942年から発掘が始まったオケオ遺跡では、倉庫や神殿、浴場の跡と考えられる遺跡が発見されました。
ローマ金貨
さらにローマ帝国の金貨が発掘されるという、世界史上、驚くべき発見もありました。約1万キロも離れたローマから、金貨はどのようにしてオケオにやってきたのでしょうか。
群島部と大陸部
モルッカ諸島
東南アジアは、無数の島々からなる群島部と大陸部とで、気候が異なります。
大陸部は、雨季と乾季を繰り返す気候によって肥沃な土地となり、古くから稲作などが行われていました。
一方、群島部は熱帯雨林気候。一年を通じて雨が多く高温です。
この地域で早くから注目を集めたのが、モルッカ諸島です。世界中でもここでしか採れない貴重な産物がありました。
ナツメグ
銅鏡
それが、クローブです。薬として用いられたほか、冷蔵庫のない時代、肉の保存や味付けに欠かすことのできないものでした。
ハンバーグなどの肉料理に使われるナツメグも、モルッカ諸島でしか採れない香辛料でした。
こうした産物を求めてインドや中国、さらにはアラブ、ヨーロッパなどから多くの人々が東南アジアを訪れました。
島々から特産品が集まり、さかんに外国との交易が行われた港の一つが、オケオでした。
オケオでは、外国との取引などで持ち込まれたさまざまな品が発見されています。
中国と交易があったことを示す銅鏡、そして、ローマ金貨は取引に使われていました。
また、仏像が発見されたことなどから、ローマとの取引は主にインド商人が仲介していたと考えられています。
ばく大な利益を生んだ
眞鍋さん 「世界中から人が集まるほど、香辛料は魅力的なものだったんだね。」
永松さん 「クローブやナツメグなどの香辛料は、ヨーロッパやインドへ持ち帰るとばく大な利益を生むものだったんです。たとえば、同じ重さの金と交換されることもあったそうなんです。」
眞鍋さん 「それは、一獲千金を狙った人たちが集まってくるだろうね。」
永松さん 「そして、オケオが栄えた時代からさらに下ると、東南アジアでは小さな国家が次々と生まれます。そこでは、インドなど交流のあった国から入ってきた文化と、その土地の固有の文化が融合し、発展していきました。」
2.大文明の吸収
ボロブドゥール寺院遺跡群
インドネシア・ジャワ島の「ボロブドゥール寺院遺跡群」を訪れます。ボロブドゥールは、世界最大級の仏教遺跡です。
9つの層からなる階段ピラミッド状の構造で、仏教の世界観を表しています。最上階は、悟りを得た者の世界を表しています。
このボロブドゥールは、一辺が約120メートルもある巨大な寺院です。これほど大きく作られたのには、この地域ならではの理由があります。
ムラピ山
山の遺跡
仏教が伝わるはるか以前より、ジャワの人々にとって、山は魂の居場所であり信仰の対象でした。
右上の写真は、古代のジャワ島で作られた遺跡です。インドから仏教が伝わる以前に建てられた、石を積み上げただけの巨大なものです。先祖への祈りをささげる場として、このような山を築いていました。
シャイレーンドラ朝
8世紀、ジャワ島の中部にシャイレーンドラ朝という王朝が興ります。
シャイレーンドラ朝の王は、仏教を信仰し、厚く保護しました。
そのシャイレーンドラ朝が作ったのが、ボロブドゥールです。山への信仰心から、巨大な山をかたどって作られました。
ボロブドゥールの巨大さは、仏教とジャワ島古来の山岳信仰とが融合して生まれたものでした。
プランバナン寺院遺跡群
ライオンのレリーフ
インドからジャワ島に伝わったヒンドゥー教の寺院「プランバナン」にも、ジャワ島の山岳信仰の影響が見られます。
ライオンや、鹿などのレリーフは、ヒンドゥー教で「聖なる山」を表すものです。
東南アジアでは、このように外から入ってきた宗教と固有の宗教が融合し、混ざり合っています。
東南アジアでのインドの影響を示す地図
眞鍋さん 「この地域では、新しいものが外から入ってくると、ただ取り入れるだけでなく、もともとあったものとミックスさせて発展するから独自の文化になるわけだね。」
永松さん 「そうですね。今見てきたのは、仏教とヒンドゥー教でした。どちらもインドからジャワ島に入ってきたものです。」
東南アジアでは4世紀ごろからインドの影響がとても大きく、いろいろなものが入ってきました。
まずは、インド起源の仏教やヒンドゥー教などの宗教です。
王が宗教を後ろ盾として国を支配するという考え方も入ってきました。
次に、伝承・神話です。
特徴的なのは、インドに古代から伝わる「ラーマーヤナ」です。ラーマ王子の冒険物語であるラーマーヤナは、現在のインドネシアのジャワ島やバリ島、さらにタイにまで伝わりました。
タイでは、ラーマーヤナの影響を受けて、国王の名前は代々「ラーマ○○世」と名づけられています。
そして、文字です。
仏教の経典などに用いられていた、サンスクリット文字が入ってきました。
眞鍋さん 「インドの影響はかなり大きかったんだね。でも、ほかにも中国の人もいれば、中東やヨーロッパの人もいるよね。そういうところからの影響もあったはずだよね?」
永松さん 「もちろんありました。さらに時代を下っていくと、さまざまな国の影響を受けながら、独自の文化を作っていった王国が現れました。」
▶3.独自な文化形成
マラッカ地図
マラッカ海峡の古都群
南シナ海とインド洋をつなぐ、マレーシアのマラッカ海峡に面した港町が、世界遺産マラッカです。今回のマジカル・ヒストリー・ツアー、最後の見どころです。
マラッカは、かつて、東南アジアの交易の中心地として栄えた町です。
ヒンドゥー教の寺院
イスラームのモスク
中国の寺院
現在のマレーシアは、ムスリム(=イスラームを信じる人々)を中心とする国です。しかし、中国系やインド系などの人も多く、多民族の社会です。
そんな多民族国家・マレーシアの縮図を見ることができる“通り”が、マラッカにあります。
一つの通り沿いに、ヒンドゥー教の寺院やイスラームのモスク、そして中国の寺院が建っています。
マラッカでは、多様な文化や民族が共存し、調和しています。
鄭和の大艦隊来航
マラッカ周辺の海路図
15世紀、マラッカが東南アジアの中心として栄えるきっかけとなった事件が起こります。
中国の明から、鄭和(ていわ)という使者が大艦隊を引き連れてやってきました。
鄭和は、明の皇帝の命を受け、世界各地で交易の足がかりを開こうとしていました。そして、インド洋へ向かう補給基地として、マラッカに目をつけます。
マラッカ倉庫群の模型
ムスリム商人が訪れマラッカは繁栄
マラッカは明の庇護(ひご)を受け、近隣の国々に対し優位な地位に立つとともに、国内は安定しました。
食料や品物を保管するため、数多くの倉庫が建てられました。倉庫の周辺には、にぎやかなマーケットが生まれ、マラッカは次第に貿易の拠点に成長していきます。
中国からは陶磁器、モルッカ諸島からは香辛料、ジャワやスマトラから香料が持ち込まれ、インドなどに売られるようになりました。
また、イスラームの教えを信じていた鄭和やムスリム商人の影響で、マラッカの国王はイスラームに改宗します。
すると、当時インド洋の交易の中心を担っていたムスリム商人たちがさらに訪れるようになり、マラッカはますます繁栄しました。
こうしてマラッカは、東南アジア全体の中で最も重要な交易拠点となり、16世紀まで繁栄しました。
イスラームとマレー語が群島部に広まった
眞鍋さん 「あの時代から既に国際都市だったんだね。あと、東南アジアの群島部はイスラームの影響を強く受けたんだね。」
永松さん 「マラッカの勢力が強くなるにつれ、イスラームの教えと、マラッカの言葉であるマレー語も、群島部に広がっていきました。現在のマレーシアからインドネシアに至る文化の共通性は、マラッカ王国を中心に生まれたんです。」
眞鍋さん 「なるほどね。今まで、東南アジアに行くと一気にいろんな文化を味わえて楽しいなって思っていたんだけど、マラッカの存在を知っていたらもっと楽しめたかもしれない! 」
▶Deep in 世界史
歴史アドバイザーの水島 司先生(東京大学 教授)から、歴史の深いお話をうかがいます。
今回は、古い時代に東南アジアがインドの影響を強く受けたことや、その後、マラッカではイスラームや中国との関係の中で、マラッカ王国が栄えたという歴史を見てきました。
それよりも1~2世紀さかのぼった13世紀ごろ、日本にも2度訪れた「元寇(げんこう)」が、東南アジアと非常に深い関係があったと先生はいいます。
東南アジアへの元寇
水島先生 「まず最初に、元(モンゴル帝国)は朝鮮半島に進出します。その次は、日本ではなく、元の南にあるベトナムに何度も侵攻していきます。そして、日本にも有名な元寇が来ますが、それに前後して現在のミャンマーにも入っていきます。さらには、ジャワにも入っていくんですね。」
しかし、元のこの試みは、ことごとく失敗します。
水島先生 「日本でも、風が吹いたり嵐が起きたりして失敗していますが、東南アジアへ行ったときも、そういうことがありました。それから、東南アジアの人々が非常に激しく抵抗しました。」
話は、そもそも元寇がなぜ起きたのかということに移ります。
水島先生 「軍事遠征というのは、何らかの富をさらに増やしたいということと関係しています。今日お話ししたように、元は東南アジアの非常に豊かな物産に目をつけていました。また、(元より前の)中国と東南アジアでの古くからの交易関係という背景があって、元もそれに預かろうと。そういう動きも一つですね。」
【保健体育】第5回 体育 理論 スポーツの技術、戦術、 ルールの変化とメディアの影響
* 今回の学習内容
スポーツの技術や戦術、ルールは用具や用品、施設などの改良によって変わり続けています。また、テレビやインターネットなどメディアの影響でも変わってきました。そして、用具等の改良やメディアの発達は、記録などを向上させたり、私たちにスポーツを身近なものに感じさせる一方で、ルールの変更がスポーツそのものに影響を与える可能性があることを解説します.
明日も勉強します。
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