マックパパのお城めぐり

日本全国のお城をめぐり、撮影した写真を紹介していきます。

福山城 御湯殿

2010年02月13日 | 日本の城

本丸南側の石垣上に突き出すように建てられ、物見の間と風呂の間があった。現存する伏見櫓と同様伏見城から移築され国宝に指定されていたが、昭和20年の戦災で焼失したが、昭和41年天守とともに復元された。(写真リンクは二の丸帯曲輪から見下げた御湯殿)

津山城 表鉄門跡

2010年02月12日 | 日本の城

切手門をくぐると行く手を阻む石垣が次々と迫り、右に折れながら石段を登りきるといよいよ本丸の表鉄門跡にたどり着く。表鉄門は桝形を形成し外側の門に渡櫓門を建て玄関とし、桝形を囲む多聞櫓を通って本丸に入った。(写真リンクは包櫓跡から見下ろした表鉄門跡の桝形)

備中松山城 天守

2010年02月11日 | 日本の城

現存する12天守のうち唯一山城の天守で、最も高所にある城だ。本丸奥の岩盤上に建てられた二重二階の小さな天守ながら、西側には天守出入口の櫓を設け三層にも見える。正面一層には大きな唐破風や出格子窓を付け天守の風格を見せる。

東御門脇の石段を登り東に回ると、天守東面の入母屋破風に出くわす。右奥に見えるのは、天守とともに現存する二重櫓だ。

さらに北側に回り込むと、天守北面の一層二層の破風の連なりが美しい。また、天守台石垣の一部を一段高くして城主の居所装束の間とした。

岡山城 不明門

2010年02月08日 | 日本の城

不明門は本丸中の段から本段に通じる石段前に設けられた渡櫓門で、昭和41年に鉄筋コンクリートで復元された。通常は北側に設けられた廊下門の上層の廊下を使って本段に向かったため、不明門はいつも閉じられていた。(写真リンクは本段から見た不明門)

不明門左手前の石垣には、ずうーっと以前建っていた岡山中学校跡の刻印が見える。鳥取城跡には現在鳥取西高校が建っており、移転か、現在地で建替えかの検討されている。マックパパは広々としたグランドの確保できる移転をお願いしたい。

松江城 太鼓櫓

2010年02月07日 | 日本の城

平成13年に二の丸上の段の北東隅に、太鼓櫓(内部に太鼓が置かれ時を知らせた平櫓)が復元された。

黒い下見板張りや大壁造りの外観が、現存する天守とよくマッチしている。東面と南面には石落しや狭間を付け、直下の大手口南総門を守った。

出石城 登城橋

2010年02月03日 | 日本の城

辰鼓楼のある三の丸大手門跡から直進すると、二の丸石垣前に流れる谷山川に架かる登城橋に至る。登城橋を渡ると二の丸下段の石垣が埋まるように登城門が建つ。登城門は高麗門形式で平成6年に、太鼓橋の登城橋とともに復興された。(写真リンクは城内から見た登城門)