西南隅櫓は本丸西南隅に現存する二重三階の巨大な隅櫓で、初層の西側と南側に出窓石落しを設けた。南側出窓石落しの上には千鳥破風と唐破風を重ねた重破風に出窓石落しがある。明治24年の濃尾大地震で石垣とともに崩壊したが、宮内省により修理復旧された。かつては両脇に多聞櫓を接続し本丸防御の一翼を担った。
三の丸跡にある丸の内緑地方向からは、天守の西面を見ることができる。本丸をはじめ、樅の丸、松の丸などの木々に覆われた天守がきれいだ。大きな入母屋破風の下には、西北隅の石落としの間の小さな切妻破風が見える。
本丸南面は高さ22m以上にも及ぶ高石垣であったが、明治の頃上部が取り壊され現在の状態になった。南面は多くの木々に覆われ全容を見渡すことはできないが、南端の辰巳櫓跡では最上段まで見通すことができる。往時は、下から2段目の石垣が直接最上段まで積み上げられた見事な石垣であった。
辰巳櫓跡直下では、城の南西側を囲む外堀のいもり堀や鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)の石垣の復元工事が行われていた。(平成21年11月11日撮影)
本丸には中雀門、汐見坂門、上梅林門、北桔橋門、西桔橋門の5つの門が開かれた。汐見坂門は二の丸と本丸をつなぐ門で、坂を上った正面に冠木門があり、右に折れて渡櫓門が築かれた。門の南側(左)石垣上には汐見二重櫓、北側(右)の石垣上には汐見多聞櫓があった。
門の前からは日比谷の海が眺められたことから汐見坂と言われたが、今は大手町のビジネス街の高層ビルが見える。
二の丸東南隅から空堀越しに北を見ると、本丸石垣上に高さ18.5m三重六階の天守がそびえる。1階と2階にそれぞれ2ヶ所の格子窓を設けているが、1階・2階の窓の位置をずらし死角を少なくする工夫が見られる。天守から右に伸びる東多門櫓、左奥に延びる矢狭間塀はともに現存し、国指定重要文化財に指定されている。
南から内堀越しに見る本丸は、まるで水面に浮かんだ石造りの運搬船のようでもある。幅広い犬走りの内側に大小様々な自然石を積み上げた野面積みは、13mをはるかに超える。手前が南隅櫓、左後方が西隅櫓の跡だが、次々に復元された二の丸の御金櫓や武具櫓のように本丸隅隅櫓や多門櫓の復元も期待したいところだ。
城の西側に回り内堀越しに見上げると、三の丸南西隅に築かれた四方張りと言われる坤櫓跡の石垣が目に飛び込む。これが扇の勾配、石垣の下部では緩い勾配を見せ、上部では垂直になって天に競りあがり、これはすごい。右下は帯曲輪の石垣、左上には本丸の石垣(画面には写っていない)が重なり、多段に重なる石垣が美しい。
三の丸南面の中央部に開かれた搦手から西方を見ると、帯曲輪に高く築かれた石垣が南西隅の坤櫓の跡まで続く。
この庭園は、徳島藩主の居間や表書院の庭として上田宗箇の作庭により作られ、枯山水庭と築山泉水庭の二庭からなる池泉廻遊式と鑑賞式を兼ね具えた名園だ。
(10mを超える自然石橋)
(平成4年に完成した徳島城博物館)