津山城 八番門跡 2010年06月30日 | 日本の城 本丸と天守曲輪とを仕切る八番門は天守曲輪の北東にあり、南東には五番門があった。8番門の北隣には長櫓があり、直接二の丸に続く七番門を守った。 八番門跡からは天守曲輪を仕切る屏風状の石垣が南に向かって伸び、途中には石垣上に駆け登る合坂がある。その奥には本丸の備中櫓が見える。
くちなしの花 2010年06月30日 | 我が家の庭歳時記 くちなしの白い花が咲き始めました。近づくと甘い香りが漂っています。我が家のくちなしは樹高150cm程もあり、くちなしの1本立ちで珍しいそうです。
松江城 南櫓 2010年06月28日 | 日本の城 南櫓は中櫓、太鼓櫓、櫓を結ぶ土塀とともに平成13年、古写真や発掘調査結果をもとに復元された。二の丸の櫓のうち、唯一つの二重櫓で、城内側の1階部分は柱を見せる真壁造り、その他は柱を白壁で塗り込んだ大壁造りだ。 三の丸前からは内堀越しに高石垣上の南櫓、平櫓(一重)の中櫓、両櫓を結ぶ土塀を見ることができる。
小学生の通学路 2010年06月25日 | ペット 今日は出勤前にマックと散歩しました。ウィークデイですから小学生の登校時間と重なりにぎやかです。40年以上前になりますが、思い出すのは下校時のことばかりです。
米子城 本丸石垣 2010年06月24日 | 日本の城 本丸はいくつかの曲輪に分かれていたが、仕切りの門跡から南側の本丸石垣を見ると、積み石をほとんど整形しない野面積みで、本丸表門跡周辺の切込接ぎ、打込接ぎに比べ荒々しい。
マックのくつろぎタイム 2010年06月24日 | ペット 灯油ポリタンクの収納庫を日曜大工で作ったのですが、その上はマックの指定席になっています。横になったり、ちょこんと座ってお隣さんを眺めています。
鳥取城 御三階櫓跡 2010年06月22日 | 日本の城 二の丸の南西端には破風を一切持たない三重三階層塔型の御三階櫓が築かれ、山頂の二重天守が落雷により焼失した後は代用天守となった。昭和30年代から石垣の修復、復元が進められ、内堀端からも美しいラインを見せている。 二の丸の下の丸の内には、明治40年皇太子の山陰行啓の宿舎として建てられた洋館『仁風閣』が建つ。
雑草も庭の一部 2010年06月21日 | 我が家の庭歳時記 クレマチスの根元に雑草が黄色の花を咲かせています。これまでこの雑草も草取りしていましたが、小さな花が咲くことが分かったので、今年はこの場所だけこの雑草を残したところです。肝心のクレマチスの方は切り戻しの失敗でしょうか、今春の花は見られませんでした。
竹田城 見付跡 2010年06月18日 | 日本の城 大手門前の北千畳と呼ばれる曲輪の南側には、城へ近づくものを監視する見付跡の石垣が残る。急な坂道を登ると、眼前には高い石垣が迫り見下ろされているようだ。標高353mを超える山頂にこれだけの数と大きさの石をよくぞ持ち上げたことに驚かされる。(写真リンクは見付跡から見た二の丸の石垣)
赤穂城 三の丸大手門 2010年06月17日 | 日本の城 三の丸の東北には桝形の大手門があり、外堀に架けられた太鼓橋の先に高麗門が昭和30年に復元された。 桝形の石垣はよく整備され、古絵図に描かれた渡櫓門の早い整備が待たれる。
姫路城 ほの門 2010年06月15日 | 日本の城 にの門を通り過ぎると、埋門(狭い石垣の間に門扉を設けその上に土塀を渡した門)のほの門に至る。門は頭を打ちつけるほど低く、門扉には鉄板が張られ、守りを固めている。(写真リンクはほの門の城内側) ほの門の前から望む天守群は左から乾小天守、大天守、西小天守、手前のにの渡櫓の様々な破風が重なり美しい。