小林家長屋門は、篠山城の西外濠に面して建つ入母屋造り茅葺きの武家屋敷長屋門で、文化年間(1804年頃)に、当時の篠山藩第12代藩主青山忠裕が、その老女小林千枝の多年の労に報いるために修復したと伝えられている。篠山城西外堀に面し、当時の面影を伝える篠山城下町を代表する建造物です。長屋門の内部には上段の間や物見などがあり、住居兼用の造りである。
三の丸大手門跡には、櫓台の石垣と堀の一部が残る。大手道をはじめ周辺は市街化され、間近に民家が建ち並ぶ。堀の先には出石そばの店があり、お城巡りの後にお邪魔した。櫓台の上には、明治4年に建てられた時計台「新鼓楼」が時を刻む。
二の丸から本丸へ向かい土橋を渡り、桜門をくぐると桝形になっており、この桝形内に銀明水井戸の井筒がある。銀明水井戸は、元々本丸内の別の場所にあったが、昭和6年に現地へ移動された。今でも井戸水は引かれているという。