先週土曜日は江戸城に出掛け内堀1周のジョギングコースを走っていました。上は北桔橋門前、下は半蔵門辺りの写真です。老若男女、外国人のジョガー、自転車にウォーキングにと多くの人が朝早くから汗を流していました。両国のホテルから総武線でお茶の水駅まで移動、御茶ノ水駅からコースまで約1.5Km、コース1周約5Km、ホテルまで約4Kmを走り、マックパパも皇居ランナーの一員になりました。
本丸の北側には、本丸搦手門に通じる犬走りが細く伸びる。雑草に覆われているが、犬走りの石垣は本丸石垣の高さにも匹敵し、合わせると相当の高石垣となっている。
鳥取県庁第2庁舎最上階から北に位置する鳥取城跡を望むと、久松山頂には山上の丸の本丸石垣がわずかに見え、山麓には二の丸、天球丸の高石垣が連なる。本丸には穴蔵を設けた天守台の石垣が西北隅に残り、天球丸から約30分の道のりだ。天球丸石垣の下段には三の丸が広がり、現在地での校舎建替えか、城跡外移転か議論中の県立高校が建つ。マックパパとしては、後者を支持したい。
二の丸大手門は、10m余りの二の丸高石垣の中程に張り出した二重の外桝形組み合わせ右に左に進路を折り曲げて厳重に守りを固めた。また、二の丸大手門前の三の丸は土塁で囲まれた馬出しを設けた。外堀から二の丸に至るまでに間に、馬出しを2つ、桝形を2つ備えた防衛ラインとなっていた。三の丸広場から見る二の丸大手門跡は、内堀に架かる土橋が外桝形に向かって急な坂になっており、高石垣が高い壁になって迫る。現在の三の丸広場は、篠山ABCマラソン大会の会場だ。
お隣との境の植え込み内にゆりの花が咲きました。お隣に聞いても「植えた覚えがない」とのことで、自然に生え、花を付けたもののようです。歩道の植え込みにも同じ花が咲いており、風で飛んできたものと思います。
北の曲輪に築かれた二の丸の石垣は、野面積みで東に向かって延び、さらに本丸石垣、稲荷台石垣が段上に積み上げられている。写真は平成18年のもので、西の曲輪から稲荷台まで工事材料の搬入路が設けれていた。
北千畳からは三の丸、二の丸の石垣の先に本丸の高石垣を見渡すことができる。最も高いところが天守台で、その右が本丸高見段、奥段と続く。周辺や曲輪の木々が取り払われ、石垣の様子がよく分かる。
水手門は二の丸の南側に築かれ、城外の水面に向けて石段を設けた船着場から直接、川へさらに海へ漕ぎ出すことができた。水手門跡の石垣後方は、二の丸米蔵が復元されている。
ほの門をくぐると石段があり、上りきったところが腰曲輪であり、まっすぐ進むとへの門を経由して、左にとの一門(搦手)、右にちの門(下道)へ至り、天守へは行くことができない。天守へ向かうためには、右斜め後方の水一門を目指さなければいけない。ほの門と水一門の間に高く築かれた油壁は、米のとぎ汁で固めた土塀だ。(写真リンクは乾小天守から見た水一門)
水一門をくぐると緩やかな下り勾配となり、攻め入った敵兵は天守へ向かっているのか心配になる仕掛けだ。下りの途中にある水二門は乾小天守の石垣とニの櫓の石垣との間に設けられた棟門た。
水二門の先に見える水三門は土塀の下に築かれた埋門で、わずかな区間に多くの門を連続させ、守りを厳重にした。(写真リンクは水三門の城内側)
二の丸には東西南北の仕切門があったが、北仕切門は本丸の西側にあり、二の丸と西の丸を仕切る。西外堀から伸ばした石垣(右側)と内堀から伸ばした石垣(左側)の間に高麗門を設け、門扉の全面に鉄板を張りつけている。
本丸から北仕切門辺りを見下ろすと、西の丸側には北仕切門の石垣上に駆け上るための雁木(石段)があり、門前に攻め寄せた敵を石垣上から迎え撃つ。
本丸の西側には内堀を隔てて二の丸新宅郭があり、新屋敷が建てられた。新宅郭のさらに西側は三の丸の麒麟郭があり、その間にも堀が掘られた。(写真は新宅郭の石垣と堀、左は麒麟郭)