■『ちいさいおうち』(岩波書店)
バージニア・リー・バートン/作・絵 石井桃子/訳
“人間の生活に自然がどんなに大切かを、詩にみちた文章と、
美しい動きのある絵で見事に描き、1942年にアメリカの最優秀絵本として
コルデコット賞を受けました”
【内容抜粋メモ】
昔、田舎の静かなところに小さな家が建てられました
「どんなにたくさんのお金をくれると言っても、この家を売ることはできないぞ
私たちの孫の孫の、そのまた孫の時まで
この家は、きっと立派に建っているだろう」
朝になると、お日さまがのぼり、夕方には、お日さまが沈みます
けれど、昨日と今日とは、いつでも少しずつ違いました・・・
ちいさいおうちは遠い街の灯りを見て
「街ってどんなところだろう」と思いました
春が来ると、日は長くなり、南の国から鳥がかえってきて
リンゴの花がいっせいに咲きだします
小川では子どもたちが遊んでいるのが見えました
夏には、木々は緑になり、子どもたちは池で泳ぎました
それを、ちいさいおうちはじっと座って見ていました
秋には、畑のとりいれが終わり、リンゴ摘みが始まります
冬が来ると、夜は長くなり、あたりは雪で真っ白
リンゴの木は年をとり、新しいのに植え替えられました
夜になると、街の灯りは前より近く、大きく見えました
ある日、馬の引っぱっていないクルマが走ってきて、
ちいさいおうちは驚きました
クルマはどんどん増え、機械を持った人たちがやって来て
ちいさいおうちの前を測量し、スチームシャベルが丘を切り崩して道をつくり
スチームローラーが平らにならすと広い道路ができあがりました
ガソリンスタンド、たくさんのウチができて
クルマも人も、前より忙しそうに行ったり来たりしはじめました
畑にはアパートメント、お店やらがいっぱいできて
ちいさいおうちに今ではもう住む人はいません
ちいさいおうちは、お金で売り買いできず
そこにじっと座っていました
もう夜になっても、あたりは静かになりません
「ここは、もう街になってしまったのだ」
でも、街はあまり好きになれないような気がしました
小さい電車が走り、街の人たちまで、とても忙しそうに
とても大急ぎで駆け回るようになりました
あたりの空気は、ホコリと煙でいっぱい
もう、いつ春がきたのか、夏が来たのか
いつが秋で、いつが冬なのか分かりません
1年中、いつも同じようでした
ちいさいおうちの下に地下鉄が走るようになりました
大勢の人がやって来て、アパートなどを取り壊し
両側に地下室を掘り始めました
片方のビルは28階、もう片方は35階もありました
こうなると、ちいさいおうちにお日さまが見えるのはお昼の時だけ
街の灯りが明るくて、星も見えません
ちいさいおうちは、街はイヤだと思いました
ある日、子どもを連れた夫婦が通りかかり
女の人はちいさいおうちを振り返り、じっと見ました
「あの家は、私のおばあさんが小さい時住んでいた家にソックリです
でも、その家はずっと田舎にあって、丘にはヒナギクが咲いていました」
調べると、ちいさいおうちは、やはりおばあさんが住んで家でした
建築屋さんに引越しを頼むと
「これはしっかりした家だ これなら、どこへでも持っていけます」
ちょうどいい場所を探していると、ちいさな丘が見つかりました・・・
「ここがいいわ」 ちいさいおうちを建てた孫の孫の孫の人が言いました
「ああ、ここがいい」 ちいさいおうちもそう思いました
窓などもキチンと直し、昔と同じピンクに塗られました
ちいさいおうちは、新しい丘に落ち着いて、
またお日さまを見て、春、夏、秋、冬がじゅんぐりに巡るのを眺めることもできるのです
春になり、田舎では、なにもかもがたいへん静かでした
【バージニア・リー・バートン(1909~1968)】
1909年 アメリカ マサチューセッツ州生まれ
カリフォルニアの美術学校で絵の勉強をし
彫刻家のジョージ・ディミトリオスと結婚
海辺の小さな村フォリー・コーヴに住み
画家、デザイナー、絵本作家として活躍しました
1964年には日本にも来ました
***
家が造られた時から心を持っている描写がいい
季節の移り変わり、子どもたちの成長を、“じっと座って”見守っている
「開発」はいつも突然始まるのね
誰が望んで決めるのか?
池も川もなくなって、空はどんどん黒ずんでいく
どこの国の街も、昔はしずかな自然だったのに
今は端から端までアスファルトで埋め尽くされている
そして、便利になればなるほど、人々は忙しく駆けずり回らなければならなくなる
「空き家」問題は外国にもあることも分かった
これがヒトの歴史でたった数代の間の変化だということに改めて驚く
作者の生きた時代だけでも、相当変化したと思ったことだろう
思い返すと、私自身も、子どもの頃は、近所のリンゴの木にのぼっていたのに
今ではすっかりオリンピック道路になってしまった
そこにポツンと親友の家だけが残っている
深夜もトラックが走ってうるさいだろうな
ヒトの一生なんて長いようで短い
まさに“そんなに急いでどこへ行く”だ
今でも、どんな狭い場所も掘って、いつのまにか駐車場や高いマンションが建ち並び
太陽があたっていた場所を一瞬で1年中影にしてしまう
時代は巡り、すべての管や道路や建物は老朽化して、
毎日、轟音をたてて掘り返し、なんでも取り替えなきゃならなくなった
自然破壊は地球規模で進み、郊外に住んでいてもその影響を受ける
ビルを建てる人も、山村に暮す人も、世の中全体の動きには逆らえないのは同じ
「今」がちょうど岐路に立っている
このまま便利さや経済発展を優先して、忙しく働いて、自然を壊し続けるのか
「共生」の道を選ぶのか
今、この本が私の手元にあるフシギ
すべては偶然じゃない
バージニア・リー・バートン/作・絵 石井桃子/訳
“人間の生活に自然がどんなに大切かを、詩にみちた文章と、
美しい動きのある絵で見事に描き、1942年にアメリカの最優秀絵本として
コルデコット賞を受けました”
【内容抜粋メモ】
昔、田舎の静かなところに小さな家が建てられました
「どんなにたくさんのお金をくれると言っても、この家を売ることはできないぞ
私たちの孫の孫の、そのまた孫の時まで
この家は、きっと立派に建っているだろう」
朝になると、お日さまがのぼり、夕方には、お日さまが沈みます
けれど、昨日と今日とは、いつでも少しずつ違いました・・・
ちいさいおうちは遠い街の灯りを見て
「街ってどんなところだろう」と思いました
春が来ると、日は長くなり、南の国から鳥がかえってきて
リンゴの花がいっせいに咲きだします
小川では子どもたちが遊んでいるのが見えました
夏には、木々は緑になり、子どもたちは池で泳ぎました
それを、ちいさいおうちはじっと座って見ていました
秋には、畑のとりいれが終わり、リンゴ摘みが始まります
冬が来ると、夜は長くなり、あたりは雪で真っ白
リンゴの木は年をとり、新しいのに植え替えられました
夜になると、街の灯りは前より近く、大きく見えました
ある日、馬の引っぱっていないクルマが走ってきて、
ちいさいおうちは驚きました
クルマはどんどん増え、機械を持った人たちがやって来て
ちいさいおうちの前を測量し、スチームシャベルが丘を切り崩して道をつくり
スチームローラーが平らにならすと広い道路ができあがりました
ガソリンスタンド、たくさんのウチができて
クルマも人も、前より忙しそうに行ったり来たりしはじめました
畑にはアパートメント、お店やらがいっぱいできて
ちいさいおうちに今ではもう住む人はいません
ちいさいおうちは、お金で売り買いできず
そこにじっと座っていました
もう夜になっても、あたりは静かになりません
「ここは、もう街になってしまったのだ」
でも、街はあまり好きになれないような気がしました
小さい電車が走り、街の人たちまで、とても忙しそうに
とても大急ぎで駆け回るようになりました
あたりの空気は、ホコリと煙でいっぱい
もう、いつ春がきたのか、夏が来たのか
いつが秋で、いつが冬なのか分かりません
1年中、いつも同じようでした
ちいさいおうちの下に地下鉄が走るようになりました
大勢の人がやって来て、アパートなどを取り壊し
両側に地下室を掘り始めました
片方のビルは28階、もう片方は35階もありました
こうなると、ちいさいおうちにお日さまが見えるのはお昼の時だけ
街の灯りが明るくて、星も見えません
ちいさいおうちは、街はイヤだと思いました
ある日、子どもを連れた夫婦が通りかかり
女の人はちいさいおうちを振り返り、じっと見ました
「あの家は、私のおばあさんが小さい時住んでいた家にソックリです
でも、その家はずっと田舎にあって、丘にはヒナギクが咲いていました」
調べると、ちいさいおうちは、やはりおばあさんが住んで家でした
建築屋さんに引越しを頼むと
「これはしっかりした家だ これなら、どこへでも持っていけます」
ちょうどいい場所を探していると、ちいさな丘が見つかりました・・・
「ここがいいわ」 ちいさいおうちを建てた孫の孫の孫の人が言いました
「ああ、ここがいい」 ちいさいおうちもそう思いました
窓などもキチンと直し、昔と同じピンクに塗られました
ちいさいおうちは、新しい丘に落ち着いて、
またお日さまを見て、春、夏、秋、冬がじゅんぐりに巡るのを眺めることもできるのです
春になり、田舎では、なにもかもがたいへん静かでした
【バージニア・リー・バートン(1909~1968)】
1909年 アメリカ マサチューセッツ州生まれ
カリフォルニアの美術学校で絵の勉強をし
彫刻家のジョージ・ディミトリオスと結婚
海辺の小さな村フォリー・コーヴに住み
画家、デザイナー、絵本作家として活躍しました
1964年には日本にも来ました
***
家が造られた時から心を持っている描写がいい
季節の移り変わり、子どもたちの成長を、“じっと座って”見守っている
「開発」はいつも突然始まるのね
誰が望んで決めるのか?
池も川もなくなって、空はどんどん黒ずんでいく
どこの国の街も、昔はしずかな自然だったのに
今は端から端までアスファルトで埋め尽くされている
そして、便利になればなるほど、人々は忙しく駆けずり回らなければならなくなる
「空き家」問題は外国にもあることも分かった
これがヒトの歴史でたった数代の間の変化だということに改めて驚く
作者の生きた時代だけでも、相当変化したと思ったことだろう
思い返すと、私自身も、子どもの頃は、近所のリンゴの木にのぼっていたのに
今ではすっかりオリンピック道路になってしまった
そこにポツンと親友の家だけが残っている
深夜もトラックが走ってうるさいだろうな
ヒトの一生なんて長いようで短い
まさに“そんなに急いでどこへ行く”だ
今でも、どんな狭い場所も掘って、いつのまにか駐車場や高いマンションが建ち並び
太陽があたっていた場所を一瞬で1年中影にしてしまう
時代は巡り、すべての管や道路や建物は老朽化して、
毎日、轟音をたてて掘り返し、なんでも取り替えなきゃならなくなった
自然破壊は地球規模で進み、郊外に住んでいてもその影響を受ける
ビルを建てる人も、山村に暮す人も、世の中全体の動きには逆らえないのは同じ
「今」がちょうど岐路に立っている
このまま便利さや経済発展を優先して、忙しく働いて、自然を壊し続けるのか
「共生」の道を選ぶのか
今、この本が私の手元にあるフシギ
すべては偶然じゃない