母が買ってきた細木数子の本によれば、わたしは今年から3年間「大殺界」に入るらしい。
あの派手な格好のオバチャンにそんな呪いをかけられたことに、すっかりブルーになる
そんなことは聞きたくなかったのに、母はどーしても教えたかったらしく、
本をススメても読まないわたしにわざわざ読んで聞かせた/苦笑
わたしなら、向こう3年間も「なにをしても悪いことばかり」なんて人には言わないし、
そんな本は買わないな。
「呪」とは悪いことを願うばかりじゃなくて、もとはいろんな願いを込めた言葉だったらしい。
つまり、人が放つ
「言葉」には良かれ悪しかれ「念」や「力」が備わるということ。
自分の放った言葉がそのまま現実化するとしたら、みんな話したり、書いたりすることに
もっと気をつけるようになるだろう。
いろいろと変化めまぐるしい現代では、昔ほど「言葉」の持つ本来の効力は失われているだろうけど。
いろんな考え方の
相違を、最近は努めて正直に話すようにしている。
完全安定志向型の親とはもともと性格が真反対なのだが、そこに世代間の違いや
年を重ねるごとにお互いアタマが堅くなってきているせいで、譲らない部分が色濃く出てきて
根本的な考え方の相違が浮き彫りになってきているんだけれども、そのままタブーにしたり、
グレーゾーンにしておくよりもむしろ、腹を割ってそのまま違いを話し合う機会をもったほうがいいような気がして。
気まずさや、溝の深さが残るばかりでまったくの平行線なんだけどね
どのみち、わたしが何をしていても心配ばかりして、
「心配の種」は掘り返してでも
見つけてくるような親なのだが。
それとも日々楽しく暮らそうとしていることが
いつもふらふらと遊んでばかりいると思われているのかな?
わたしの言動が万人向けに信用されてないとしても、
自分の信じている根っこの部分は変わらない。変幻自在の中のそれは変わらない部分。
深夜にものを考えると煮詰まってくるからやめたw