新学期が始まると、何となくあらたまった気分になる。今年度は、私のゼミに、ドクターの学生が4名(外から来た者が3名、マスターからあがった者が1名)、マスターの学生が3名(全部外部から)入学してきた。そして、明日から本格的に授業が始めるが、学生はそれぞれの個性を活かして、初心を貫徹してほしいと願っている。
私は、岡村重夫先生と柴田善守先生(社会福祉学講座の初代と第二代の教授)という素晴らしい師に恵まれて、若い時代を送ることが出来た。この2人の先生から、研究者としての生き方だけでなく、教育者としてのあり方を教えていただいた。そのことが、私の現在の教育姿勢を作っており、困った時は、両先生ならどのように考えたかを自問することにしている。両先生から受け継いだ教育観を披露し、今年度もこの思いで、一年間教育に励みたいと思っている。
岡村重夫先生は優れた研究者であることに加えて、またげば子どもが生まれるの喩えに近く、またげば弟子が生まれるといった先生であった。先生は、全く出身大学等の意識はなく、近畿一円で実践家・研究者を育てられ、多くの弟子が、現在社会福祉領域でのリーダー的役割を果たしておれれる。岡村先生からは、よく永平寺の和尚さんの話を聞かされた。
「永平寺の和尚さんは、寺に詣った人に月の絵を描いてくれるが、書く前に話をし、もっと広くとらえた方がよい人には大きな月を、もっと狭くとらえた方がよい人には小さな月を、書いてくれるという。白澤君、教育とはそうゆうものだよ」と諭された。
柴田良守先生は、社会福祉の人物史研究の第一人者であったが、私は先生の助手を勤めさせていただいた。十分なお世話も出来なかったが、この先生ほど、自分の枠にはめ込めないで、自由に研究をさせてくれた先生はいないであろう。そのため、先生の弟子の多くは、自由な発想で、もの怖じしない研究者・実践家として育っている。
先生からは、「論文はゆっくり書けばよい。決して焦る必要はない」と言ってもらって、いつもほっとしていた。それは、「円を回るのに、先達は円心近くを回れるが、若い者は円心から遠いところで回るのだから、時間がかかって当たり前」と勇気や慰めを与えられた。
新年度、新たな気持ちで、二人の師から教わったことを大切にして、一人一人の力を信じ、個性を大事にした教育を行っていきたい。
私は、岡村重夫先生と柴田善守先生(社会福祉学講座の初代と第二代の教授)という素晴らしい師に恵まれて、若い時代を送ることが出来た。この2人の先生から、研究者としての生き方だけでなく、教育者としてのあり方を教えていただいた。そのことが、私の現在の教育姿勢を作っており、困った時は、両先生ならどのように考えたかを自問することにしている。両先生から受け継いだ教育観を披露し、今年度もこの思いで、一年間教育に励みたいと思っている。
岡村重夫先生は優れた研究者であることに加えて、またげば子どもが生まれるの喩えに近く、またげば弟子が生まれるといった先生であった。先生は、全く出身大学等の意識はなく、近畿一円で実践家・研究者を育てられ、多くの弟子が、現在社会福祉領域でのリーダー的役割を果たしておれれる。岡村先生からは、よく永平寺の和尚さんの話を聞かされた。
「永平寺の和尚さんは、寺に詣った人に月の絵を描いてくれるが、書く前に話をし、もっと広くとらえた方がよい人には大きな月を、もっと狭くとらえた方がよい人には小さな月を、書いてくれるという。白澤君、教育とはそうゆうものだよ」と諭された。
柴田良守先生は、社会福祉の人物史研究の第一人者であったが、私は先生の助手を勤めさせていただいた。十分なお世話も出来なかったが、この先生ほど、自分の枠にはめ込めないで、自由に研究をさせてくれた先生はいないであろう。そのため、先生の弟子の多くは、自由な発想で、もの怖じしない研究者・実践家として育っている。
先生からは、「論文はゆっくり書けばよい。決して焦る必要はない」と言ってもらって、いつもほっとしていた。それは、「円を回るのに、先達は円心近くを回れるが、若い者は円心から遠いところで回るのだから、時間がかかって当たり前」と勇気や慰めを与えられた。
新年度、新たな気持ちで、二人の師から教わったことを大切にして、一人一人の力を信じ、個性を大事にした教育を行っていきたい。