私はもともと大学受験予備校講師でして,現役の大学受験生を中心に教えてきました。その中で気付いたことは,「学校が変われば勉強していることはかなり変わる,同じ学校でもできる年とそうでない年がある」ということです。当たり前と言えば,当たり前なのですが。
旧司法試験の時代は,学校という枠は司法試験合格にあたってほとんど意味をなさないものだったでしょうけれど,LS制度導入以降,学校という枠が持つ意味が大きくなってきたように思います。3年間(2年間)は学校に通い,その間の生活の中心は学校になる。現役生と修了生の区別もより明確になり,その意味では,司法試験の仕組みが大学受験の仕組みに近くなったように思います。
大学受験で言うと,試験に強いのは,「相手は全国である」ということを早いうちから意識している受験生です。このあたりは,特に地方の受験生に顕著です。私は静岡県の県立高校の出身で,また,静岡県や山梨県の予備校で教えた経験もあるので,経験からよくわかります。自虐的な表現をするつもりはないのですが,やはり地方の方が井の中の蛙になりやすいものです。それを裏付けるように,大学受験に強いのは首都圏の学校で,また,司法試験も首都圏の学校の方が成績が良い傾向にあります。
今日の記事で言いたいのは,当然ながら,井の中の蛙になってはいけない,ということです。LSに在籍する目的は法曹になるため,司法試験に合格するためであって,学内で良い成績を獲得することはそれに相反することはないけれど,目的ではありません。
かつて,ここで書いたことがありますが,LSの成績と司法試験の合否は,「一定の」相関関係があるという分析が正しいと思います。ただ,「一定の」にとどまるのが,LSと司法試験の間に存在するジレンマというべきでしょうか。よく聞く話ですが,成績優秀者として修了式で表彰された人も,一定以上の割合で司法試験を突破できないものです。
LSで過ごす時間,どのような意識を持つべきか,まずは目的を明確にする必要があります。法曹になるため,司法試験を突破するために勉強するのが目的であり,その中でLS内の成績を高めていく。LS内の成績を高めることが目的で,その結果として司法試験合格が付いてくる,というのは,目的を取り違えてしまっているのではないか,私自身はそう思います。私自身,LSの成績はそれなりに良かった方なのですが,司法試験には苦労しました。考えてみれば当たり前のことで,LSの成績は何十人という小さな母集団の中での相対評価にすぎず,また,1人の先生による評価であり,それが司法試験の評価基準と一致しているとは言い切れないからです。「LSの成績がいいから司法試験も大丈夫だろう」というのは不安な考え方です(かつての自分に言ってやりたいです)。
LSでの過ごし方の総論として,以上のことを理解することが必要だと私は思います。かつての私も,このあたりをちゃんと理解していればよかったな,と。そういう反省からのメッセージです。各論的なことは,追って書いていきます。
旧司法試験の時代は,学校という枠は司法試験合格にあたってほとんど意味をなさないものだったでしょうけれど,LS制度導入以降,学校という枠が持つ意味が大きくなってきたように思います。3年間(2年間)は学校に通い,その間の生活の中心は学校になる。現役生と修了生の区別もより明確になり,その意味では,司法試験の仕組みが大学受験の仕組みに近くなったように思います。
大学受験で言うと,試験に強いのは,「相手は全国である」ということを早いうちから意識している受験生です。このあたりは,特に地方の受験生に顕著です。私は静岡県の県立高校の出身で,また,静岡県や山梨県の予備校で教えた経験もあるので,経験からよくわかります。自虐的な表現をするつもりはないのですが,やはり地方の方が井の中の蛙になりやすいものです。それを裏付けるように,大学受験に強いのは首都圏の学校で,また,司法試験も首都圏の学校の方が成績が良い傾向にあります。
今日の記事で言いたいのは,当然ながら,井の中の蛙になってはいけない,ということです。LSに在籍する目的は法曹になるため,司法試験に合格するためであって,学内で良い成績を獲得することはそれに相反することはないけれど,目的ではありません。
かつて,ここで書いたことがありますが,LSの成績と司法試験の合否は,「一定の」相関関係があるという分析が正しいと思います。ただ,「一定の」にとどまるのが,LSと司法試験の間に存在するジレンマというべきでしょうか。よく聞く話ですが,成績優秀者として修了式で表彰された人も,一定以上の割合で司法試験を突破できないものです。
LSで過ごす時間,どのような意識を持つべきか,まずは目的を明確にする必要があります。法曹になるため,司法試験を突破するために勉強するのが目的であり,その中でLS内の成績を高めていく。LS内の成績を高めることが目的で,その結果として司法試験合格が付いてくる,というのは,目的を取り違えてしまっているのではないか,私自身はそう思います。私自身,LSの成績はそれなりに良かった方なのですが,司法試験には苦労しました。考えてみれば当たり前のことで,LSの成績は何十人という小さな母集団の中での相対評価にすぎず,また,1人の先生による評価であり,それが司法試験の評価基準と一致しているとは言い切れないからです。「LSの成績がいいから司法試験も大丈夫だろう」というのは不安な考え方です(かつての自分に言ってやりたいです)。
LSでの過ごし方の総論として,以上のことを理解することが必要だと私は思います。かつての私も,このあたりをちゃんと理解していればよかったな,と。そういう反省からのメッセージです。各論的なことは,追って書いていきます。
LS時代を振返れば、反省点がいっぱいでてきますね。
私はLS時代、さほど良い成績ではなかったため、井の中の蛙にすらなれませんでしたが。
留年をしないようにと、新司法試験のための勉強よりも、LSの勉強を優先していました。
そのため、ただ闇雲に予習ばかりして、精神をいためてしまいました。
LSの勉強の延長線上に司法試験があることをもっと意識していれば、
予習に過去問を取り入れたり、工夫できたはずなのに・・・。
現在は、あの頃の反省をしつつ、過去問検討に力を注いでいます。
そんな中、刑訴法235条についてお尋ねしたいことが出てきました。
刑訴法235条:「親告罪の告訴は、犯人を知った日から6箇月を経過したときは、これをすることができない。」
質問1:当該条文について論文で記述する場合、「犯人を知った日が告訴期間の起算日となる。」という表現は正しいのでしょうか。
質問2:本日12月12日に犯人を知った場合、「12月12日が起算日」となるのでしょうか。「12月13日が起算日」となるのでしょうか。刑訴法55条が初日不算入の原則をとっていることから、どのように表現すべきか迷っております。
お忙しいところ申し訳ありませんが、お手隙の際にでも教えていただければ幸いです。
答案例を拝見するうちに、論文試験には知識も勿論の事、文章の表現、読みやすさも大切だと気づきました。
しかし、具体的にどうすればわかりやすい文章になるのかは、謎のままです・・・。
時で計算→即時から起算する
日・月・年→初日不算入(初日を起算しない)
そして,この例外は時効期間のみ。
とありますので,起算日は12月13日となります。書き方としては,「12月12日に犯人を知ったので,初日不算入の原則から,12月13日が起算日となる」という表現でよいかと思います。
LS時代というのは,やはりなかなかうまく勉強を進められないものなのですよね。反省点を抱える人は多いのだと思います。しかし,過去を云々しても得るものはありませんから,これから先どうするかです。
文章については,そうですね,やはり大事です。ホントに,ポイントだけ示すと,「メッセージ(言いたいこと・結果結論)を端的に示せるか」が重要だと思います。