Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

一つの権力(派閥)が弱体化すれば、新たな権力が台頭する

2007-09-26 | 自民党
SAFETY JAPAN [森永 卓郎氏] / 日経BP社より、
 派閥というのは、もともとは政策を共有する集団であり、いわば自民党内のミニ政党だ。かつては、こうしたミニ政党の主張をまとめた上で、自民党の政策がつくられてきた。具体的に言うと、主流派を構成している派閥同士が、それぞれの言い分を取り入れて、折衷案としての政策が出来上がったのである。これが、よくも悪くも自民党の派閥政治であった。

 しかし、現在はまったく状況が違っている。小選挙区制の下では、選挙区で一人しか候補者を立てられない。そのため、執行部に嫌われたら公認が得られず、政治生命を失ってしまうことになる。そのいい例が郵政選挙だ。小泉前総理が刺客を送って仲間を粛清した恐怖が、みなの頭にこびりついているに違いない。

 だから、誰が主流派になるかというメドがたつと、みな主流派に乗ろうとドミノ現象が生ずるのである。要するに、勝ち馬に乗らないと生き延びられないのだ。安倍総裁が誕生したときも、同じ状況が出現した。

 だからこそ、福田氏が立候補したという情報が流れた瞬間に、みんなが安倍・麻生路線から寝返った。驚くことに小泉チルドレンも寝返ったのである。唯一正論を吐いたのが杉村太蔵議員だったというのは、それだけ彼が純粋である証明かもしれない。

 そして、こうした状況の変化によって、政策立案はどう変化したのか。かつては派閥間の話し合いで決められたものが、今では町村派という自民党内の一派閥が政策立案のすべてを牛耳るようになったのである。


 派閥の弊害というものが、以前から取りざたされていますが、これは、派閥の領袖たちの談合で自民党の政務が決められてしまう、それにより、議員一人ひとりの考え方というようなものが軽視されているということに対する批判であったように思います。

 小選挙区制になり、執行部の与える「公認」の重みが以前より格段に重くなった結果、執行部の権限が強化され、派閥が弱体化してきました。

 で、派閥が弱体化した結果、それまで、派閥に縛られていた一人ひとりの議員が自由に発言できるようになったかというとそうではなく、今度は執行部に縛られるようになりました。

 郵政選挙で見られたように、下手に執行部に逆らうと「公認」を取り消され、刺客を送られるという事態になったわけで、今や、執行部の側に立つこと、主流派になることによって、自らの生き残りを図ろうという動きが顕著になってきています。

 派閥という怪物を退治して弱体化させたのはいいが、その結果、執行部という存在がより大きな怪物と化して、以前より強く、一人ひとりの議員を支配するようになったのは、示唆に富む話だと思います。

 社会主義革命も、ブルジュア階級という支配層を打倒した結果、人々は、よりたちの悪い共産党による絶対支配下で呻吟するようになりました。

 一つの権力が弱体化すれば、新たな権力が台頭するのです。現在、「官僚=悪」とする風潮が強く、官僚支配の打破が叫ばれていますが、首尾よく官僚を無力化して、官僚支配の終焉を迎えたとき、ふと気づけば、国際金融資本や巨大企業によって支配されて雁字搦めになっていた・・・などというようなことにならないようにしたいものです。

 まあ、それはともかくとして、自民党に話題を戻します。自民党における総裁の支配力には、直接的な支配力としての「閣僚と党役員の任免権」と、自分の息のかかった幹事長と執行部に委ねる「公認権」の二つがあります。党内基盤の弱かった小泉政権が、あれだけ強力な政権になったのは、この二つの力を十二分に活用することができたからでしょう。

 9月24日に行われた役員人事では、当初、総務会長を打診された古賀誠氏は、それを渋り、新設の選挙対策委員長に就きました。この出来事は、古賀氏が、以前は幹事長と執行部の持っていた「公認権」を一手に握ったということなのかもしれません。

 もしそうだとすれば、今後、全ての議員は古賀氏に生殺与奪の権を握られたことになり、今後の古賀氏の党内における発言力は相当なものになるのではないか・・・とふと思いました。


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