拡大 | 小泉首相の靖国参拝
小泉首相が平成13年4月の自民党総裁選で明言した「8月15日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」という公約を5年ぶりに実現しました。
初詣に便乗したり、一般参拝客にまぎれてとかといった小手先のごまかしをいくらやっても、中国などの批判を避ける事は出来ないと5年目にしてようやく悟ったようです。気づくのが遅いんじゃないのかと思いますけどね。
私としては、終戦記念日に首相が靖国参拝した事について、特に感慨は有りません。公約を果たせて良かったねという程度の事ですわ。
問題は、マスコミの騒ぎ過ぎです。マスコミは、何処まで馬鹿騒ぎするんだろう。「わが道を行く」テレビ東京以外は、全て靖国参拝報道一色↓。(TBSに出演した加藤紘一さん、いつに変わらぬ中国への忠勤ご苦労さんでした)
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「小泉首相は、静謐であるべき終戦記念日に、あえて靖国参拝を行って世間を騒がした」というようなコメントをしているアナウンサーがいましたが、「世間を騒がしたのはお前らだろうが!」と反論しておきます。
以前も述べましたが、年に一度だから、マスコミが騒ぐのですよ。靖国参拝の空騒ぎを終わらせようと思うのだったら、マスコミが騒がなくなるまで、毎日でも、靖国参拝を行うべきでしょう。多分、三日で飽きるんじゃないですか、マスコミは。
(追記)
私の父が、昨日、他界しました。9日から、ずっと、危篤状態だったんですが・・・。父がテレビのこの騒ぎを見ていたら、私と同じように嘆いていたかも知れません。
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国家神道と「自然」神道との関係には、大きく二説あると思われます。
①両者は断絶したものであるというもの
②両者は連続したものであるというもの
いわゆる保守を称する人間は、圧倒的に2の説を支持しているものと思われます。
しかし、私は、①を支持しています。
「やおよろず」という名前も、山海に宿る神を蔑ろにしてはならないという意味でつけたものです。
つまるところ、山の木影に石を積んだだけの祠を大事に出来ないものに、神道を云々する資格があるのかどうか?と問いかけたいわけです。
靖国神社は、このような神道を形式を、西洋的な追悼施設に当てはめたもので、また、国家神道は、神道の形式をキリスト教に当てはめただけのものと見ています。
だからといって、靖国神社を軽んじているわけでは決してありません。
小泉保守ともなると、靖国神社が神道の総本山であるかのような話しぶりになっているので、困ったもんです。
しかしながら、神道は靖国神社に集約され、また、日本の山海が「日の丸」に集約される。
都市化において、具体的なものは遠ざけられ、抽象概念に集約されてしまう。
教条的に国旗・国家に反対するつもりも、靖国参拝に反対するつもりもありません。
ましてや「アジアの人々・・・」てきな発想は毛頭ありません。
ただ、都市化の度を深める日本で、果たして、「やおよろず」の神を祀ることは、いつまで出来るのかなと思います。
旧軍の戦死者には、靖国で戦友と語り合い、また、千の風になって郷里に帰っていることを願うばかりです。
>都市化において、具体的なものは遠ざけられ、抽象概念に集約されてしまう。
「靖国」・「日の丸」といった抽象概念ばかりに心を奪われて、その背後にある具体的なものが軽視されている・・・というご意見でしょうか。
非常に参考になりました。