Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

music12.05 メリー・ホプキン / 悲しき天使

2007-12-05 | music
■メリー・ホプキン
you tube ♪(音声あり)




■メリー・ホプキン
メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950年5月5日 - )は英国の歌手。ウェールズ出身でウェールズ語を母語に育ち、民謡歌手として音楽活動に入り、地元のインディーズ・レーベルでいくらかの録音を残した後、ツイッギーに見出されて、ビートルズのアップル・レコードと契約。

ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル「悲しき天使 Those Were the Days 」は1968年8月30日にイギリスで発表され、有名なスター、サンディ・ショーと競作する格好となったにもかかわらず、彼女の録音が全英シングル・チャートの首位に輝き、全米シングル・チャートでも第2位を射止めた。

1969年2月21日に、やはりポール・マッカートニーのプロデュースによる処女アルバム「ポストカード」を発表。アルバム・セッションに参加したドノヴァンから3曲をカバーしているほか、ジョージ・マーティンやハリー・ニルソンの作品も1曲ずつカバーしている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


■悲しき天使 (Those Were the Days)
悲しき天使 (Those Were the Days) は、イギリスのヒット・ソング。原題は、直訳すると「あの頃は……の日々だった」という意味であり、歌詞の大意は、壮年期の人間が、青春時代を思い返してロマンティックに美化するというものである。したがって、日本語訳の名称は、英語歌詞の内容とは何の関係もない。

イギリスで活躍したアメリカ合衆国出身の歌手、ジーン・ラスキンの作詞作曲とされているが、正確に言えば、ロシアもしくはウクライナの歌謡曲をラスキンが編曲したものにほかならない。

より厳密に言うならば、コンスタンチン・ポドレフスキー(Konstantin Podrevsky)の詩にボリス・フォーミン(Boris Fomin, 1908年~1948年)が、クレツマーないしはジプシー音楽の様式で曲づけした歌“Дорогой длинною”(この道に沿って、この道を)にほかならない。ソビエト連邦からの亡命者によって欧米に広められるうち、いつしか作者不詳の「ロシア民謡」と呼ばれるようになり、その後1962年にラスキンが自作として発表したために、ラスキンの作品と呼ばれるようになったらしい。

1968年にポール・マッカートニーが、弱冠18歳のフォーク歌手メリー・ホプキンをプロデュースして「悲しき天使」のシングルを発表し、国際的にヒットし、その後さらにスペイン語版、ドイツ語版、ヴィッキーによるフランス語版もリリースされた。なお、シングル「悲しき天使」は、アップル・レコードから発売された最初のレコードである。

日本では発売されて約2ヶ月後に200万枚を超す大ヒットとなったピンキーとキラーズ『恋の季節』を抜いてオリコン・シングルチャートの1位に輝いている。また、漣健児によって訳詞が付けられ、森山良子や広川あけみによってカバーされた。ブラジルでは、この旋律がテレビ番組のオープニング・テーマに利用されたため、曲名を知らぬままにこの旋律に親しんでいる人々が多いといわれる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 日英米のヒットチャートで、第1位を記録し、アメリカ国内では275万枚、日本でも200万枚を超す売上を記録した凄い曲。こんな地味な曲がなぜそんなに売れたのか不思議と言えば不思議です。

 人生の曲がり角を過ぎてしまった人が、自分の若かりし頃を思い出して、ほろ苦い追憶に耽るというような曲を、18歳のメリー・ホプキンが歌っていたというのもちょっとした驚きです。

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