某ブログより、
「靖国を戦争賛美に利用しようとする人」っていったい誰のことだろうね。そんな人たちって本当にいるのだろうか。
靖国を参拝する人たちは、戦争で国のために死地に赴き命を失った人たちの行いに感謝し、その魂を慰めるために参拝しているのだと思います。
そもそも、国の命令で召集に応じ命を落とした人たちを、国のトップが慰霊するのは当然のことで、この辺を疎かにするような国は早晩滅びるしかないでしょう。一部の人たちの「国のために戦うことは悪いこと、あるいは愚かなこと」というような発言は、「国を軽んじなさい」という侮国の勧めでしかありません。
いるかいないかわからないような「靖国を戦争賛美に利用しようとする人」を憎むあまり、国のために命を捨てた人々への感謝を忘れ、「首相の参拝をお玉は認められない」と決めつけるのは、如何なものかと思います。
戦後のさまざまな後遺症によって苦しむ人たちにとって、60年が過ぎてもまだ「戦争」は終わっていない。そして靖国を戦争賛美に利用しようとする人がいる限り、私的であれ、公式であれ、首相の参拝をお玉は認められない。 |
「靖国を戦争賛美に利用しようとする人」っていったい誰のことだろうね。そんな人たちって本当にいるのだろうか。
靖国を参拝する人たちは、戦争で国のために死地に赴き命を失った人たちの行いに感謝し、その魂を慰めるために参拝しているのだと思います。
そもそも、国の命令で召集に応じ命を落とした人たちを、国のトップが慰霊するのは当然のことで、この辺を疎かにするような国は早晩滅びるしかないでしょう。一部の人たちの「国のために戦うことは悪いこと、あるいは愚かなこと」というような発言は、「国を軽んじなさい」という侮国の勧めでしかありません。
いるかいないかわからないような「靖国を戦争賛美に利用しようとする人」を憎むあまり、国のために命を捨てた人々への感謝を忘れ、「首相の参拝をお玉は認められない」と決めつけるのは、如何なものかと思います。