Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

「格差をつけること」こそが、「ネオリベ論理」

2007-08-01 | 構造改革
 ネオリベ論者は、「仕事のできる人もできない人も同じ待遇なのはおかしい。それは悪平等だ。仕事の成果に応じた賃金にすべきだ」というのが持論です。

 彼らは、「人々の『他人より良い待遇』を得ようとする欲望を刺激することによって、人々のやる気を引き出そう」と考えます。そのために、「成果をあげた人」と「そうでない人」の間に「待遇の格差」をつけることを推奨します。

 つまり、ネオリベ論者は、「格差をつけること」で人々のやる気を起こそうとしているわけで、「格差をつけること」こそ「ネオリベ論理」の核心なのです。

 「格差」のないネオリベ政策というのは、「カレー粉」のないカレーのようなもので、形容矛盾なのです。

 そういう意味でいえば、屋山太郎が【正論】の「自民惨敗を演出した「国民の真意」 」で述べている「安倍政治は基本的に正しい方向を向いていると思うが「格差」問題を軽視してきた罪は大きい」という発言はやはりおかしい。

 ネオリベ路線を推進する安倍政治は「格差」の拡大をこそ目指すものであって、それを肯定しておきながら、「「格差」問題を軽視してきた罪は大きい」という言い草はないわけです。

 「「格差」問題を軽視してきた罪は大きい」というのであれば、「安倍政治はけしからん」と言わざるを得ないのです。