takaさんの今日もsimple

整体師なtakaのごく、何てことない一日の話です。

奄美fmよ・・・

2011年09月26日 | Weblog
サイマルラジオで
ずっと聴いてるんだが・・・

http://www.npo-d.org/pc/


おおー い

奄美FMの 今夜の若きDJよ・・・


わかるよー

わかる

大変なのはわかるけどさー・・・


「身の危険を感じたら
 速やかに 避難してください」


って おいおい・・


それは


普通・・・ そうじゃろう・・・


※遠く千葉にて、どもりどもりのDJに ハラハラしつつ・・・
 ひたすら ハラハラしつつ・・・ある、
 takaでした・・・

またしても豪雨・・・!!!

2011年09月26日 | Weblog
2011夏の奄美渡航記を のんびりモードで書いていた矢先。
今 現在 なう

再び、奄美を豪雨が襲っています・・

今年の6月からネットで聞けるようになった奄美エフエム→
で、
何とか、情報を聞いています。

はらはらで
どうしようもなく不安で
奄美“しま”の従兄に電話しましたが

とりあえず、現状(夕方18時くらい)、見守ってる感じだね~
と言うことでした。。。。。

「日本全国、
 大変な状況だし、
 東北では大災害の後に更に水害が来てるから・・・」

だから、
われわれは、じっと 見守る。


従兄との短い会話で
「しま」の心と やはり、つながった感じ。。。


やっぱりな・・・


奄美は、、、

きっと


今回も




黙る。。。





悲しいけど。。。。。






黙るだろうなあ・・・・・・・。。。。。。



いや・・
奄美だけでは無いです。
「東日本大震災」のため、
黙っている・・じっとこらえている 地域は、とても多いはずです。
宮崎。
新潟。
和歌山・・・。

ひとつひとつ、
ここ最近の災害をとりあげれば
どれもこれも
本当に、危機せまるものばかり、です。


先月、
奄美を訪れた私は
ある決意をして帰ってきました。
それは
奄美渡航記の最後に書こうと思っていました。
でも
こんなに早く 書くとは思ってなかった・・・。


昨年10月に遭った 奄美豪雨災害の痕は
一年経ったあとでも、色濃く、残っていて
そして
いち早く届くであろうと思った義援金・・・
それは


実は、
あまり・・・




という事実を目の当たりにして
taka息子とも

「次に何か、“しま”に遭ったら
 それは
 遭って欲しくは もちろん 無いけど
 もし 遭うような事があれば
 次回は
 絶対、直接 「しま」に来よう。
 
 思う気持ちがあるのなら
 そのまま
 身体で
 来よう 」



そう、誓い合いました。


ある意味、悔しさと共に、昨年の災害の跡地を観て 確認して、
後悔を持って

帰還して


今がある  takaです。





そしたら

また来た。



サイマルラジオ、 聞きっぱなしです。。。
でも
家に居る 短い時間しか 聞けないけど。。


しまに なにかあれば


今回はすみません



飛ばせていただきます・・・



奄美大島 台風の時の過ごし方・・?

2011年09月21日 | 奄美時間2011
今現在なう、
関東は台風15号の影響で、大変でごわす・・。
takaも今日は
ひさびさに、でんじゃらすな帰り道。
気をつけていたんだけど、
やっぱり大きな木枝、踏んじゃいました~
ただ まあ、
なんていうか、
台風の来る島の血が流れているからか なんか よくわからんけど

たぶん、
例えば雪国の人が、関東地域の雪報道に苦笑するような
そんな
感じに、
近い感じは あるのかなあ・・・ taka的には・・・

でも、交通機関がSTOPな路線が多くて、
今だ帰宅難民になってる方も居られると思うので、
あんまし、言えんです・・。
整体師になる前の私だったら
確実に、テレビニュースの中に映し出される一人になっていたと思うから・・・。


さて。
一ヶ月前の台風9号も凄かったでした。
で、
奄美3日目にして、全然海に入る気は起きないほどのもんでしたから、
こういう時こそ、
いつもなら行かないところに行って見よう

そんな訳で、
鶏飯で 心もお腹も満たした後、
そのまま北上して
北部、笠利地域へ。
そして、奄美十景のひとつである、

「あやまる岬」へ。




うあ!すっごい波!!!!!

と、騒ぎながら。

(※ 普段、taka親子は、こういう名だたる場所に来ないもので・・
 あー。。
 ここ、
 晴れた日は、ほん  っとうに、素晴らしい景色なのですよ・・。
 地球が丸く 
 
 地球って丸いんだよね。。。

 って、実感できる、そんな場所。)
 

ちなみに、taka息子は
初めてでした。








台風じゃなきゃ、
わざわざ、
一般的 観光名所、こなかったなー。
だから
かえって
良かったかな? とか 思っちゃった


奄美に来たら鶏飯けいはん

2011年09月20日 | 奄美時間2011
博物館のあとは、大島を北上。
ちょっと、
受付のおじさんと つい話しこんでしまって 出遅れてしまって
もしかしたら。。
閉まっちゃった・・?

と心配したけど

開いてました

鶏飯元祖 みなとや!→最近は食べろぐにも載ってるのね



もう・・ ほんとに 

帰ってきた~~~~~~~

って味。。

ごめんなさい。語彙足りなくて・・
ほんとは
超 酷暑の時に食べるとより美味しい。
しかし、
ここ数年、奄美の夏は、涼しくて・・・。
千葉の方が、より死にそうに暑く
奄美には
避暑地に来てる、そんな感じ・・。

でも、

それでも やっぱ、


うまいわ


みなとやさん、独特の、濃厚 かつ あっさり
かつ


濃厚・・・ (・・・どっち・・?)

な スープを飲むと
本当に
おなかから、
しあわせな安堵感が湧いてきます

台風の奄美3日目の過ごし方・・(?)

2011年09月20日 | 奄美時間2011
奄美から帰って一ヶ月以上経って
これを書くのに
何てふさわしい現状。
台風、今も大変・・。
今年の台風って、ほんと、長い期間台風が台風のまま、滞在しますよね・・

さて、先月の台風9号もそうでした。
奄美二日目は、住用のキョンコに行けたは 良いけど
マングローブは強風のためカヌー出ず。。。
※これって 凄いことなんです・・。
 もともと住用エリアは湾になっていて、マングローブに護られてるため、
 だから、台風の強風高波の影響は 殆ど無いエリア・・。
 それが、真水のおだやかな住用川でカヌーが出せない。。
 それだけで、今回の台風の強さがはかれます・・・


おかげで 予定の名瀬市の夏祭りは、延期に次ぐ延期。
花火とか、どんどん順延。
名瀬市最後の夜に何とか「八月踊り」だけは開催される・・かな・・?
という感じの奄美三日目。

・・・


と言ったって、
私ら親子、結局奄美に居るだけでALLOK
台風なら台風で、それはそれ。
ここはしまですから。
台風は当然
taka的思考としては
 まあ・・ 海には入れないな・・・

くらいかな。


して、朝から 奄美市博物館に行きました。
宿泊地のニュー奄美から車で2分くらいです。(歩いていけっつ
公立なので ほんとに地味です。
しかしながら、taka的にも、taka息子的にも
非常に興味深いものが沢山有り、
私たち親子以外誰も居ないのを良いことに
くまなく
じっくりと
閲覧、観覧、堪能、できました。

奄美市立博物館HPより展示室

再度1階に戻り、入館から気になっていた蔵書スペースに行くと
そこは本当に
takaにとって 宝の書棚
一般では手に入らない
しま(奄美)の歴史を辿る書物がずらり

しばし、閲覧し、
そのうち、読み切れなくなって
つかつかと・・・

受付へ・・・


初老の受付係り員の男性に、丁重に、コピーを頼んでみました。
ら、
「良いですよ!」
と快い御返事。

「そうですかあ~?では・・・」

この書の○P~○P それから ○p~○p
そして こっちの○p~○p

で!


平素静かな市立博物館。
にわかに あわただしく・・・


「ママ、また かき回したよね・・・」


と息子にいわれつつ。。。

「良いの良いの 刺激は必要よ~

と 相変わらず マイペース発言をしつつ。


大量の、貴重な「しま」奄美の資料を げっつ。


ほくほくで、その方と会話。
ハチガツオドリについて。

「八月踊り」ってつまり何さ?

と思ったので、その関係の資料が多かったから。

「ありがとうございます。
 ところで、今夜、踊るんですか?」

と聞いてみたら、
途端に、
彼の手が踊り

足が ふみ

「うーん。
 別に「あれ」は、準備いらんからね~。
 いつでもね~」


あい

了解


※何となく。

敬老奉公、任務の日。

2011年09月18日 | Weblog
奄美の記録を 中断したままですが
本日のtaka。

世間一般的に、シルバーウィークでございますねー。
taka的には、敬老の日って言えば9月15日じゃ、ないのかあああっつ????
と、
未だに もの申したい御年頃ではありますが、
taka家にも、名実共に 老人な二人が居りまして~
・・・・・・


まあ、なんかしないと、
結局 あとで 無言のブーイングが来てしまうので
それは学習済みなので・・・

「じゃあさ、墓参りツアーをして
 その後、八王子のおじさんのとこ、挨拶に行く?」

と、
言ったら、何よりだ~~~
と、喜ぶので、、、
そうしました、、、
一日でございました。。。


taka父82歳。taka母72歳。
どこへ連れて行くよりも
墓参りに行こうか?
と、言えば、本当に喜ぶ・・・
複雑・・・

そろそろ、、自分も「近い」から・・? 

ま、いっか


taka家の墓は、実は奄美には無くて
takaが幼少の頃、
世田谷の二子玉川に、奄美から移送してあるのです。
長男である92歳のおじと、次男である父が、こちら(内地)に居を移しているため・・らしい。

で、
taka母方の墓も 奄美には無くて
10歳のときに単身でっち奉公で内地入りしたtaka祖父が購入したのが
府中市は多磨霊園。


なーもんですから、
「墓参り」 と言ったって
千葉県田舎町から 世田谷と府中に行き、
更に 叔父の住む八王子へ出向くには、相当な労力が要るのでありんすわ・・・


いんや~・・・
しかし、
今日は、takaも久しぶりに経験する、渋滞に次ぐ、渋滞でした・・。
朝7時には出たんだけど・・。
高速は混んでても、休日の都内なんてガラ空き
の 思い込みに反して

げろ混み


二子玉川に到着がまず、30分遅れ、
続いて 多磨霊園への到着が 1時間遅れ・・・。

さらに、
多磨霊園から 八王子まで たかだか20km無いというのに
2時間もかかってしまった・・・


途中、電話を入れると

オバが 「気長に、待ってるわ~」

と言ってくれて ほっとしました。。。
taka父はすやすや寝てしまい
動かない車に 暇をもてあましてしまった私は
ウェットティッシュにて車内清掃を開始。
すると
同じく退屈したtaka息子と taka母が参戦。

いや~~~
おかげで、ガイヤ車内は ほおんと ぴんぴかりんよ~~~


ぐったりでしたが、
2年ぶりの再会で
おじおばも 相当喜んでくれたこと
そのおじおばを一人で観ている 従姉も「久しぶりの刺激だ!」と大喜びしてくれたこと
taka父母も、かなり、喜んでくれたこと、
で、

きっと、まあ、

良い事をしたんだろうなあ と、思います・・・。


大正生まれの叔父は
私の大好きな人。
taka父よりも うんと お洒落で、
うんと、都会的で
うんと、
素敵な人です。

話しながら、
急に寝ちゃったりするけど
でも
やっぱり、
叔父に、
今年の奄美の報告をするときは
とても 嬉しく
とても 誇らしく思ってしまうのでした。


やれやれ。

これにて taka家の「敬老の日」奉公は 終了だね~。
ノルマ終了だ~
そして
明日も休みだ~

明日こそ




滞ってる、2011奄美渡航期の 続き、
書かなくちゃ・・・ 

災害の後の 住用を訪れる

2011年09月13日 | 奄美時間2011
遭難??
の危険から脱して、落ち着きを取り戻してから
車を走らせる。
宿泊地の名瀬方向に向かう途中に、住用(すみよう)はある。
昨年、
豪雨災害で、最大の被害を被った地。
そして、
ノロ(日本で言う巫女さんみたいなもんです)taka祖母の
ゆかりの地。

行く道は、
ところどころ、がけ崩れで 片側一方通行になってたりしたけれど
そして、こんな感じで↓

災害後、そのまんま・・???(では無いとは思うのだけど
爪跡を残す地を 見ながら

心の故郷

キョンコ清川 (清い川と書いてキョンコと読みます)

  は・・・?






果たして。。。





とても。。。







きれいでした・・・


そして、

漂う “気”が

元気でした。

澄み渡っていました。。。



良かった・・・・・・

         

タンガ(たなごのこと。海老です。)も
相変わらず さくさく 沢山居て
リュウキュウアユの稚児も 変わらず、びゅんびゅん 泳いでいて

なんかもう。。。



         



ほんとに 嬉しかった・・・・・

ここが、一番 心配だった・・・。

特に 住用地区在住のフタ従姉から聞いた話では
とても悲惨な荒れた話だったので・・・
“ここ”に訪れることが
本当に、緊張する、
でも、必須事項だった・・・。

taka祖母が、この地の最後のノロだった。
ここ、キョンコで、最後のノロへの禊(儀式)を受けた。
そう、伝え聞いているから
東京生まれの千葉育ちである身で居ながら
ここ、
キョンコが、どこより 故郷と 感じてしまう・・・
そんなフシが、私にはあるから・・・
(って。。 どうでもいい話ですが・・
私にとっては、
大切な 大切な

何処よりも大切な


そんな場所なんです・・・・・。

でも、ほんと

良かった・・。

しばし、清い水と戯れる・・。

水と触れた指を 口に運んで見ると

変わらない、 

清らか過ぎる その 味。


         

良かった

無事で居てくれて。

良かった・・・・・・・・・・



無沙汰をしていた後、
久しぶりに会う おばあちゃんが、
以前と変わらずに、とっても
元気で居てくれた・・
そんな感じでしたかね・・・

ちなみに

私は 実の「おばあちゃん」の温かみを 知りません。

ここに由来する祖母は
taka父が10歳の時に、既に他界しています。
また、
taka母の祖母もまた、taka母が幼少時に他界。
だから、

おばあちゃん 

の 温かさ は 実際には知らないんだけど。。。
でも、

ここ キョンコに来ると、感じます。

ここが、私の おばあちゃん。。。


おばあちゃん。。。 ただいま。。。
 

中学の体育祭

2011年09月11日 | Weblog
昨日、息子の中学の体育祭でしたので~
ちょこっと、奄美渡航記の合間に
親馬鹿あっぷ



よく晴れました
息子の運動会は、幼稚園から数えると実に10回目になるのだけど
今年ほど、予定日の開催を疑わずに済んだ事はありませんでした~。
そのくらい、
明らかに晴れ。
誰も疑うことなく、晴れ! 無事開催!
ありがたい!




taka息子は、小学校のときから
保健委員で運動会関係は必ず救護役員。
「母、手伝おうか???」
と、言っては、そのたびに、静かに断られる・・・(爆









まあ、とにかく、暑くて、熱気も、熱くて、
でも、とても楽しかったです。
昨年まで、
早朝から場所取りレースに並んだり、
(6時に鳴る開催の花火と同時に開門されて、猛奪取で場所を取ると言う・・・
場所とったあと、
テーブルセットや、何やらを運び込んだり
その後、
自宅に戻って朝食を食べさせて学校に行かせ
その後、
多人数分の弁当を仕上げ、
それから、
大量の弁当と飲み物と、カメラと、持って
再び学校に向かう・・。

去年まで、そんなこと、繰り返してました。

ところが、
中学校になると、まあ~ 何て楽っ
お弁当は、子供らだけで教室で食べるから
お弁当は本人の分だけで良いわけです
で、あとは 自分の子供の出る時間に合わせて行けば
全然OKなわけです

いや~ ほんとに 楽っ

毎年毎年、この日は、異常に体力気力を使い果たしてしまう私でしたが、
今年は、
夕方から 3名さまの予約まで受けてしまえる位
余裕がありました~。
昨年までだったら、運動会後に仕事なんて、絶対ありえなかった~~~

そして何より、
純粋に楽しんで観覧できました~
いいね。
成長してくれるって。
ほんと、ありがたいです

「沢に下りずに尾根に登れ」

2011年09月08日 | 奄美時間2011
湯湾岳下山中。
あれ・・?ひょっとしたら・・・?

どんどんと先へ行ってしまう息子にはぐれないよう必死で
足元の険しい岩を滑らないように一個一個と降りていきながら、
でも、
何だか どんどん疑惑が湧いてきた。
しかし、下には降りているのだから、、
間違ってはいないのでは・・・?
と言う思いもあり、尚、降りてしまう。
(遭難者に多いパターンだそうです。
 下ってるから合ってると思ってしまう・・らしい。確かにそうでした。)

でも、何回か、足をすべらせ、
何度もツルにからまって 悲鳴をあげ、
本当に進みづらくなってきて
ペタンと座ってしまう。
なんだか、奄美のケンムンが沢山居て、
どうも、進みにくくされてる気がしてきてしまう。
って事は、何だか、、引き止められてるんじゃないの・・?もしかして・・?

前方で やっと振り向いてくれた息子が、「大丈夫~~~???」
と、声をかけてくれた。
しかし振り返った息子の顔は、既に、緊迫した顔。

やはり・・・。

彼もまた、内心、気がついてるはず・・。


「ねー! 間違ってない? この道。
 違うんじゃない?」

「・・・・・」

「ねー! ママもさ~ 降りてるから合ってるって、思ってたんだけどさー、
 これ、開けてるけど、人の道じゃないんじゃない?
 これ、水が乾いてるけど、これ、きっと沢だよ!
 水の道だよ!」

自分で言いながら、自分の血が 背中からサーっと引いていくのを感じた。

「・・・・・
 そうか・・・
 そう言えば、、、登山道の印の赤いリボンが、どこにも結ばれてない

息子の顔が、声をあげずに 絶叫した。
恐怖を覚えた顔。
まずい・・・。

まずい・・・。

出来れば、この道が合ってると思いたい。
だって、
だって 物凄く大変な思いで やっとここまで降りてきた。
“もし、合ってたら”
“もうちょっとできっと下山できるはず”

※(まあ、これも遭難者によくある心情らしいっすよ・・

現実問題、ヘットへトである。
しかし、ちょっと冷静に考えて、今降りてきた斜面を振り返って見ると
やはり、ここを登ったという記憶は無い・・ように思う。

ふと、思い出し、絶叫顔の息子に、

「ねえ、そう言えば君、さっき登る前に、登山口のところで、方位磁石、見たじゃない?
 あれ、出してみて。
 それで方角観てみよう」

 と言う顔をして、息子が 震える手で、リュックから方位磁石を取り出す。

いやー。。つくづく、方位磁石って、必須だよね・・
と内心思いつつ、今回自分は持って来てなくて
息子が持ってきてくれてて本当に助かった。
山をなめたらいかん。本当にいかん。

して、方位磁石を確かめる。
こっちが北でしょー・・
さっき登山口から山頂を見たときはこう、
で、下山コースは宇検村側だから、この道だと、こっち向きだから・・・
やっぱ、
違うんジャン・・?

「ごめん・・ママ・・
 ごめん・・・
 ぼくが、、
 ぼくが、、間違えて・・
 間違えたんだ・・・
 どうしよう・・・・・

頭の中に 遭 難 の二文字が浮かんだ。
私たちが今日この山を登ること、
今、登っていることを知る人は、誰も居ない。
恐くて、携帯の電波が入ることを確認する勇気が出ない。
しかも全身泥と水でぐちゃぐちゃで、
こんな手で携帯をいじったらアウトだし。

頭の中で、リュックの中身を点検する。
レインコート、応急グッズ、入ってたな。。
非常食として、飴とか、サラミとか。。
飲み物はそれぞれ500mlずつあるな・・
無意識に、夜明かしを考えて中身を想像してしまってから
慌てて ぶんぶんと考えを打ち消す。

駄目駄目駄目

夜はハブの時間でありんす。。

この山で 夜明かしなんて、とんでもないでござりんす。。

深呼吸して腕時計をみた。
(※私はいつも、考える時に、腕時計を見るくせがあるんです・・)

そしたら、
なんてことない。まだ昼間の2時。
日が落ちるまで、あと5時間以上あるではないか

数秒でそこまで一気に考えをまとめた私は
息子に
「大丈夫だよ!
 来た道を、まっすぐあがろうよ。
 まっすぐ降りたからまっすぐ登れば大丈夫。
 それでわかる道まで 戻ろうよ。
 この道があってるのかもしれないけど、
 あってるって、確信できるところまで戻ってから
 もう一度降りたらよいんだよ。

そして、
「さあ!
 じゃあ、この飴を一個ずつ舐めて
 元気出していこう!」

と、ポケットに入れてあった、熱中症対策の飴を息子に渡し
自分も舐めた。
そういう時の飴って
本当に、元気が出るもんですねー。
何だか、それで 二人とも気持ちが落ち着いてきて、
今度は私が先に上りながら、頑張って登っていきました。 
声を掛け合い、励ましあい、
そしたら、、

なんて事は無く、
ものの15分で、あっさりと、

「ここで間違えたんじゃん

と言う、場所に着いてしまったのでした。

    

半ば、呆然として、親子で今来た道と正しい道との 境に立って振り返ると
その分岐に ちょっとした茂みがあって、
まるで同じ方向、同じ一本の道に見えてしまう・・

なあるほど~・・・ これで間違えちゃったんだねー・・・

ヘナヘナと脱力。
そして 安堵感。

そして 息子と握手。

良かったー。。。

危なかったー・・・。。。

「僕が悪かった。ごめんなさい。」

と再び息子が謝るので それは違うよ。
私の確認が無かったからだよ。と、なした。
それに、、

今登ってくる間に
ものすごく、 不安、恐れ、苛立ち、の感情が 湧いてしまった。
それって、この神聖な山で、今まで感じたことが無かった
マイナス感情だった。

「だからさー
 きっと この谷、この沢って、まだ、何かマイナスが溜まっている処なんじゃないかなー
 そのマイナスの波動に、疲れが共鳴しちゃった気がする。
 きっと、このマイナスの谷を 癒さなくちゃいけないから
 それで、
 ここに入っちゃったんじゃないかなー

そして、
今登ってきた、谷沢を見下ろしながら、レイキをした。

「うん。
 なんか、これで良かったって感じがする
 さ! じゃあ今度こそ、降りようや!」

母の不思議行動に慣れている息子は
何だかとりあえず良かったらしいと言うことで
「うん!!

と再び元気に走り出した。
私も、ものすごく嬉しくて ハイテンションで
作詞作曲takaのありがとうの歌(なんじゃそれ~)
を熱唱しながら 降りた。
前方に赤い鳥居が見えた時には、ほんとうに
ありがとう~~~!!!と絶叫。

降りたら、足元も腕もぐっちゃぐっちゃ。

緊張が一気にほどけたためか
降り出した雨のためか
体がすっかり冷えてきて寒さを覚えてきて、
taka親子 車の中で、ずぶぬれの服を 着替えました。
着替えがあって、良かった・・。



いやー・・・
結果良ければ全てよし・・
ではありますが、
今回、本当に、反省しました。
山をなめたらいけませんね。。
なめてたつもり・・は 無かったのだけど
初めて登る山じゃない という事と
来た道を引き返す下山ルート と言う事で
大きな油断が、ありました・・。
危険な目にあわせてしまった息子に、降りてから、しっかり謝りました・・。
照れ笑いする息子とガッチリ握手して
改めて 山を振り返って見ると
おそらく間違って降りていた方角は
登山口よりも、はるか果てしなく下のほうへと続いていました。
改めて、ぞっとしました。
そして 改めて 親子で無事を喜びあいました。

後に千葉に帰ってから、山登りを良く知る方々にこの話をすると
みなさん、一様に顔をしかめ、
「takaさん、、山をなめたらいかんのよ」
と、静かに、諭してくださいました・・。

そして、「山で道に迷ったら 沢に下りずに、尾根に上る」
これは山登りの鉄則なんだと
教わりました。
知らなかったけど、
あれで、合っていたんだなあ・・・
良かったー・・・
ほんと、、
結果オーライ! と 単純に笑い飛ばせないくらい
今回は ほんと、こわかったです。