takaさんの今日もsimple

整体師なtakaのごく、何てことない一日の話です。

"何か”がなければ "何も”始まらない訳では(必ずしも)ない

2007年02月26日 | 心のセルフケア
物理的に環境を変えなくとも
同じような効果は得られる、と、taka的には思う。

小学生の頃、何かの折に
「だって~ ○○が無いから出来ないんだもん」
と、母に言ったところ
「何かが無いから何も出来ないように育てた覚えはありませんっ
と、激しく怒られた事がある。
無ければ無いで、今あるもので工夫せよ
という事である。
戦後の焼け野原のなあんにも無かった渋谷で(話に聞くばかりであるが)
少女時代を過ごして来た人に言われると
子供ながらに ぐうの音も出なかった。

「発想の転換」

「観る視点を、角度を、変える」

と、
今目の前にある問題が
また違ったことと、思えてくる。

・・・・・・・

場合も、ある・・・

落ちてる時は、なかなか難しいけれど・・ね、
この技。
でも
何事も
回数をこなせば・・・
「前回」
よりも、きっと早いスパンで、
この「技」が使える。



篠崎輝夫先生

2007年02月24日 | Weblog
篠崎輝夫―悠久のロマンを現代に―

千葉県立美術館にて、平成19年1月27日~3月4日企画展 

篠崎先生は、
私が専門学院時代、油絵の講師をしてくださっていた。

偶然に この個展が開かれている事を知って
懐かしく、お会いしたくて、昨日行ってきた。
同じ千葉県に しかもお隣の成田市にお住まいの篠崎先生。
卒業以来、直接お会いする事はなかったけれど
先生の絵には 様々な施設に展示されているため
たびたび「お会い」していた。

会場に着いて、受付にいらした
先生の奥様とお話して
そして初めて
先生が 既に亡くなられていた事を知った。
回顧展であったのだった・・・。

一緒に写真を撮っていただきたいな
など思って、カメラまで持ってきていた私。

えっ・・・
と、言ったまま
受付カウンターで立ち尽くしてしまい
大人気なく あふれてこぼれてくる涙がとめられなかった。

後悔。
もっと、どうして早く、
先生にお会いしに来なかったのだろう・・。

まだ、整理してうまく文章に出来ない。
浮かんでくるのは
先生の優しい笑顔ばかりである。

素晴らしい内容の個展。
まだ、開催期間中です。
是非、千葉県立美術館へ・・。




環境を変えてみると言う手もある

2007年02月20日 | 心のセルフケア
 し~らな~い 街を 歩いてみたい~
     どーこーかー 遠くへ行きたい   

なんて言う古い歌がありますが
前述したように
 もう私の事なんて、誰も知らない土地へいってしまいたい!」
と、
言うような願望に一時的にでも駆られた人は 結構居ると思う。

環境を変えてみるというのは決して悪い事じゃない。
環境を変えたほうが、
冷静になりやすい
呼吸をしやすい
自分らしさを発揮しやすい
というのなら。

わかりやすい例でいくと「不登校」なんていうのも社会問題ですね。
(私の頃は とーこーきょひ って言ったもんだけど。あ・一緒?)
何らかの事情で 学校へ行く事が出来なくなった子供。
いじめとか、勉強についていけないとか、
不登校になっちゃった子の数だけ、事情は色々あるだろうけれど
こんな時、環境を変えてみるというのも
ひとつの手段だと思います。
もちろん、それもありですとも。
引っ越しちゃうとか、転校とか、
今流行の フリースクールへいくとか。
興味深い話だけれど
都会に住む方は フリースクールというと
南の島とか、日本昔話に出てくるような山村とか、
そういったところを思うでしょうから、
やはり都会の子は、田舎に身を移す。
でも、反対に、そういう南の島とか山村とかで生まれ育っている方は
都会のフリースクールへ身を移す。
(これは実際によくある今の日本の現実です。)
環境を変えると、
これまでの嫌なつながり、嫌な思い出、苦い経験、
全てリセットできて、
新しく生きられる。
ような気がするので、一度は考えることじゃないかと思う。
ただ、同時に今まで築いてきた関係も
全てリセットされちゃうので
その代償は覚悟しなくてはならないけど。

takaが まだ若い二十歳前後のころ、
「外国」とか「留学」というものに凄く憧れていた時期
taka兄に そう話したことがある。
外国に行きさえすれば、苦手な英語もペラペラになって
すごーく自分が向上しちゃうような気がするの
なあんて、熱っぽく話した・・ような気がする。
何事も行動を起こす前には事前調査を綿密にしてからでないとならない
という主義の兄は
何事も本能の赴くままに行動し、考えるのは走り出してから
という妹のこの発言に
(足して二で割ると丁度よいかもねえ・・・
そら・・またきた・・とばかりに冷静に答えた。
まあ、そうかもしれない。
海外に憧れる気持ちは理解できる。
だけど、問題は、その目的だね。
俺だったら、「外国」へ行くにしても
その目的を達成するために、この場で日本で出来ることはないか考える。
そして「日本」で出来る事を まずはやる。
それでも やはり「外国」へ行かないと達成できない目的であると
その時に再度感じたのなら、そこで初めて行く意味がある。

・・・てなことをたぶん言われた気がする。(アンちゃん、あってる?
・・・この場で出来ること・・かああ・・・。
そう言われてみてしまうと、
そうかな、と思ってしまった当時の私だった。

別の話で、
それでも海外への思いを消せなかった私が、
ツアコンになるためのスクールへ行っていた時に
海外を何年か放浪してきた、という女性と たまたま席が隣になった。
そりゃあもう興味深々で
いろーーーーーーーーーーーんな話を聞いた。
(しかし、その大半を忘れたが・・ふっ。だから私は
でも、ひとつだけ忘れなかった自分の質問。
「それだけ海外を歩き回って そして、何か変わった?」
それまでは、尋ねられるまま
色々次から次へと話してくれた彼女も、この質問にはすぐ答えず
しばらく考えてから
「そーね・・ 結局のところ、自分は自分で、なにも変わってないかもしれない」
    
そうなんだ・・・。
これは、青臭い頃のtakaにとっては衝撃な生発言だった。
似たような事を言っている著名人の話は雑誌なんかでも載っているけれど
現実、目の前にいる憧れの海外経験帰国者に
直に言われると、それはかなりのショックだった。
そうなんだー・・・。
兄の進言に さらに裏づけされた彼女の言葉。
これは後々、いろんな場面で思い出される。

さらに、そうなると、ツアコン目指す前に居た会社で
辞表を出した時、
引き止めてくれた上司の一人が言った言葉も思い出される。
「あのね、今、君の前には大きな壁がある。
 君は、その壁を越えることよりも、避ける道を選んでいる。
 一時的には、避けた事で また先に進めるかもしれない。
 でも、いつかその壁はまた現れる。
 超えずに避けたはずのその壁は
 今度は、更に大きくなって君の前に現れる。
 又避けることも選べるけれど 次は又更に高い壁だよ。
 結局のところ、先に進めたつもりでも
 実は、同じトラックの中を回っていただけ
 ということに気づいてしまうだけかもしれない」
と、
言うような言葉をくださった。
その時は、その意味が正直、あまりわかってなかった。
だって もうやめたいんだもんっ
という、気持ちのほうが強かったし、若(馬鹿)すぎた。

でも、今では何かあるたびに、思い出される
貴重なひとことだ。

勘違いしないで頂きたいのだけど
だからといって、環境を変えることを否定しているわけじゃないです。
ただ、環境ごと変えてしまう前に
自分自身の精一杯を尽くしておくこと。
人がどうとかじゃありません。
キャパシティーは、人それぞれ、大きさが全然違うので
あくまで、自分自身のもてる範囲の中で、です。
それで、やっぱり駄目だなと認識してから
それから行動を移すのなら、
それは とても前向きな「引越し」だと思います。

もし、お子さんの為に思い悩んで環境を変える事を考えている方が
これを読んでいるとしたら、
まずは、お子さんと、話し合ってみてください。
もう、すでにお子さんなりに頑張りつくした後であると
認められたら、
よく頑張った。とまずは是非ほめて、認めてあげてください。
そして、保護者としても、この場で精一杯やれることはやったと
御自分で言えるのなら、頑張った御自分を褒めて認めてください。
それからなら、
新天地へ移った時、もう同じ「壁」は立ち塞がないはずです。
だって、もう、やれることはやったのだから。
頑張ったのだから。
その時、既に、その「壁」は 親子で超えているのだから。

もし今、ストレスに耐えかねて会社を辞めたい・・と悩んで
これを読んでいる方が居るのなら、
じゃ、辞めちゃいましょうと、takaは言います。
でも、まずは辞める事を前提にして
一番辛い時には、まだ辞めない方がいいとも、言わせて頂きます。
一番辛い時に辞めてしまうと、
せっかく辞めたのに、辞めた後、後々までその時の苦痛が甦ります。
にがーい思いだけが、甦ります。
その会社の最寄り駅を見ただけで、避けたくなります。
悪い事してないのに。
それって 何だか嫌じゃない?
やめてまで、嫌な思いを「させられて」しまうなんて。
何事も終わりの見えている苦痛は、耐えやすいものだから
一旦、「よし○○月に辞めるぞ」と密かに決意を固めてしまえば
嫌な上司も嫌な同僚も もういずれ会わない人たちだから
と、許せてしまいやすいし、冷静になりやすい。
ここまでくれば、自分が辞めた後のその職場を現実的に想像することも
可能になってきてますから、
辞めた後に、「○○さんが居ないと困るなあ」
と言われたい意識も湧いてきて
やりたくない!と思っていた仕事も出来てしまうもの。
だって、いつか止めちゃうんですから。
期限付きですから。
そこまで自分を持って持ち上げて 戻していってから
それから「お世話になりました~
と、笑顔で辞める事を、お薦めします。
そうすれば、それは決してドロップアウトではなくなります。
それどころか あなたの大きなステップアップ

(ちなみに過去takaは円満退社も喧嘩退社も両方同じ数だけ経験してます。
 ドロップアウトもステップアップも両方。
 でも、今こうして新たに考えたり、話したり、出来るのだから
 やっぱり、過去のドロップアウトは私にとってステップアップだったのね
 と、やはり何事も自分に都合良く考えるtakaでありました)

人のせいに出来ない時は・・?邪道その2

2007年02月20日 | 心のセルフケア
とにかく早く「今の穴」から抜け出したいけど
でもでもでも・・・
人のせいにするなんて・・・
自分の美意識に反するわ・・

と、思ってしまった方、(あ・そういう方、taka個人的にとても好きです)
そんな方には また別の邪の道があります。
(何か別の言い方はないのか・・?)

世の中のせいよ!

あるいは
生まれ育ったこの環境のせいよ!

はては
運命を呪うわっ!

という感じで
とにかく自分のせいじゃないことを確認して
自分を正当化できて
その上、人(人間)のせいにもしないで
見事に穴から脱出できる・・ケース。
これもありです。
とりあえず、今の穴?どつぼ?
から、手っ取り早く脱出できる方法です。
けど、
これはねー、人のせいにして立ち直るよりも聞こえはいいんだけど
実は、マイナスのパワーであることに変わりないかなー。
だから、あくまで「人のせい」技と同様に一時的に使う技、
とりあえず穴から出ない事には始まらない!という時の
足がかりに留めて置くほうが良いかと思われます。

だって、
どういう理由にせよ、
もともとは何事も自分で選んだ事だから。
そりゃあ、保護者がいる年代の頃は
親の都合で住む場所や学校やなんかが決まるので
自分が選ぶということは出来ないものもあるけれど
でもさ、
それですら、嫌だと思って小学生のうちに親元から離れて
家出しちゃう子だって居るし
自分は家出しないで 親元に居る
という選択肢をとってるわけでしょ?
普段、そんな意識して選んでるわけじゃないことは幾らでもある。
単純な事で言えば
食べたい お腹が空いた 時に
食べることを「選んで」いるし
眠い・・・時には 眠る事を「選んで」る。(体がね)
このまま眠って居たいけど
起きる方を「選んで」る。
電車で行くより車で行く事を「選んで」る。
職場に対して強い不満があるけど
やめないことを「選んで」る。
親や兄弟や妻や夫や子供や友人や
にものすごくストレスを受けたとしても
かかわることを「選んで」る。
頑張る人がえらいなと思うけど
同じように頑張ることは出来ない方を「選んで」る。
よく、自分じゃ決められない~という方も居るけれど
(可愛いと思います。。)
それは、人に決めてもらう事を「あなた」が選んでる。
まあ何ていうか
「選ぶ」ときに意識してるか、してないかの違いなだけかなと思います。

(「じゃ、落ち込むのも自分で選んでるってこと
 って、聞かれそうだな・・。でも、そうだと思う。
 やっぱりどこかで落ち込みたい方を選んでるんだと思います。)

で、自分で選んだ以上、
傷ついても傷ついても、辛くても辛くても、悲しくても悲しくても
自分以外のせいだけであるわけじゃない。
自分が、「そっち」を選んだんだから。
選んだのは、自分だから。

ってゆうことを、元気になってからきちんと理解できるのならば
邪道1.2で あがっても全然OKと思われます。
元気になってからでも
きちんと考えられるのなら構わないと思います。
その過程がどうあれ、
最終的に帳尻が合えばいいのさ
と、いつも自分に都合よく考えるtakaは思うであります。




人のせいにするのが一番楽な道

2007年02月20日 | 心のセルフケア
「深夜のチョコレート」発言につぎ、
すっげータイトルだなあ・・と書いていて自分で思ってしまった・・

自己嫌悪から自己憐憫にまでいってしまったとき
その原因が 自分にあるのではない
 あいつのせいだ!

と、思って
立ち直れるケースもある。
(ちなみに、何事も即効で人のせいに出来る人は
 はなから 落ち込んで はまりこんだりはしないので
 この心のセルフケア(あくまでtaka流)を
 自分のためでなく
 あなたの身近な落ち込んでいる人の為に読んでいる人がもし居たら
 そう思ってくださいね。
 きっと、あなたのその「あなた」は
 あなたに聞いてもらいたいだけのことだから
 ただ、そのまま右から左に聞いてあげといてください)
 
自分が悪いんじゃない
と、心底思えると、人は急に元気になるし、
例えば、「あいつのせいだ」と思った その「あいつ」を恨むことで
別のパワーが湧いちゃったりして
ちょっと違った方向ではあるけど
(邪道ってゆうのかしらね)
まあともかくも、今落ち込んだ「穴」からは脱せる。
ただし、
怒りや恨みで沸き起こるパワーというのは
マイナスのパワーであることを忘れずに。
前向きなプラスのパワーは あなたの元気をうながすけれど
マイナスのパワーは、激しく燃え上がれば燃え上がるほど
あなたの気力も体力も激しく消耗します。
落ちたところから、這い上がるための足がかりとして
一時的に 使う技としては構わないと思うけど、
いつまでも、それだけでは
結局のところ、いずれ もっと深い穴に落ちると 
taka的には思います。


自己憐憫は深夜のチョコレートの味に似てる

2007年02月19日 | 心のセルフケア
もとのtakaさんに復活して(自分的にね
あんまり時間が経ってしまうと、
落ちている時の心境の記憶が
どんどん薄れていってしまうような気がするので
それでは 意味が無いので
どう上がるか?
は後回しにしてみようかしらと思います。

さてさて、何らかの事情でへこんでしまってから
前述したような解決方法ではとても
無理っ・・・
な場合。

人に話す・・わけにもいかない。
(内容的にとか、社会的にとか、立場的にとか、色々あると思いますが・・)

歌う・・・ような心境にはとてもなれないし・・。
(もはや曲の歌詞にもシンクロできない心理まできてるとか・・)

自分より大変な人の話を聞くとか読むとか・・
は、かえって、逆効果に感じられてしまう・・

映画でも観たら良いのかなあ・・
と、思いつつ、それを選ぶ気力も湧かない・・

そのあたりまでくると
もう、「へこみ」は「落ち込み」へと移行して行っている。
・・・そして、何もする気が起きず
とっぷりと落ち込んでいると
いつのまにか、
そんな自分がとても不憫になってきてしまう。
自己憐憫の世界突入だ。
私って・・・私って・・・
つらいかも・・かわいそうかも・・さみしいかも・・・とっても弱いかも・・・
    

そうして、どんどんはまってゆく。
 もう私の事なんて誰も知らない土地へ行ってしまいたい。
 でなければ二度とこの部屋から一歩も外へ出ないでいたい。

しかしtakaさんの場合、
職業病だと思うんだけど、常に自己観察もしちゃうため
この心理状況に陥りながらも
ほほー・・なるほど・・・
今なら 今社会問題の「引きこもり」について
非常によく理解できてしまう!
気持ちよいから、「引きこも」ったままなんだ・・。
と落ち込みながらも 観察している頭の方で
妙に納得してしまった。

自己憐憫って、はまってみたら心地よいんですわ・・。
私が一番不幸・・
って やっていると、これって心地よいんですよ・・。
でも、
決して それは 健康な考え方ではない
きっと絶対それは間違っている
と自分でわかっているから 余計?
まるで、今これ食べたら絶対ヤバイ!ってわかっているけど
どうしても手が出てしまう
深夜のチョコレートのように。
ぬるくなった湯船に とっぷり浸かって、眠ってしまう時のように。
コタツに入ってて、背中が寒いからと言って
どんどん潜ってしまって、そのうち眠くなってきてしまった時のように。
あれって
とっても甘く危険な心地よさがあった・・・のは否めない・・。
なるほどねー・・
と、今では思っています。
何事も体験してみなくては、その真理はわからないものだと
改めて思ってしまっているのでした。

はあ~?
わっかんないねー 全然。
と、思った方。
よかった。
それなら今、あなたはとっても健康で元気。



へこみを直すのは割と簡単・・?

2007年02月18日 | 心のセルフケア
落ちるまでいってなければ
へこみを ぽいんと跳ね返して
もとの形の「ボール」に戻すのは、そう難しい事ではないと思う。
そーねー・・・。
人に話すこと。
 聞いて聞いて~
と親しい人、家族とか友人とか恋人とか
に話せれば それは一番簡単。
でも、普段話せる人に話せないような事が
そもそもの へこみ原因だとしたら 
そういう時は
例えばtakaみたいな仕事の人に話すでも良いし
美容院に行って髪いじってもらいながら話すでも良いし
ペットに話すでも良いし
ぬいぐるみとかに話し出しちゃうと
それは何か、あとで別な切なさが湧いてきそうだけどね。
まー、とにかく「話す」ことで
へこみの原因を言葉に変えて
自分の内部から 外に出してしまう事。
小さな凹みはこれで大抵「修理」可能。
外に放出してしまった事で
すきっと軽くなれます。
それに大抵個人の悩みというものは
そりゃあ自分にとってはかなりのショックだったりするんだけど、
本人以外の人には、
え? そんなん そこまで悩む事じゃナインジャン?
と、
感じられることの方が多かったりするものなので
(落ち込むポイントは人それぞれ全然違うものですから)
人から、別に気にする事ないよー大丈夫だよー
と熱心に言われてしまうと
それで そ~なんだ~よかった~
と、あっさり元気になっちゃったりするものですのでね。
また、
人に自分を打ち明ける機会がない
または人には話したくないor話せない
ペットもいない
ぬいぐるみも持ってない(あ・これはあんまり関係ないか
という方なんかは、
taka流で行くと
あなたの「今」に ぴったりしたような
まるで自分の事を歌われてるかのような
歌詞の入った曲を聞いて歌ってしまうことなんかもいいです。
これって、まるで私のことみたい・・・

と、浸って
歌って
また浸って
歌って 歌いマクって 
もしかしたら今の私の方が 
この歌手より上手いかも~くらいまで
酔いしいれるまで歌い上げて

で、気づく。
あれ?ちょっと待てよ・・。
でもさー これって かなりヒットしたよねー・・
って ことはさー
共感した人が多かったってことだよねー・・・
って ことはさー・・・
自分と似たような体験して
自分と似たような落ち込み方をして
それでもって、
 この曲ってまるで自分のことを歌ってくれてるみたい
って 感じた人が
わんさか わんさか いるってこと・・?
私と同じ気持ちの人が不特定多数・・・居てる・・?
    

な~んだ・・・
結局のところ
よくある話なんだってことかー・・。

と、気づいてしまうと
とるに足らないことであったと言う気分になり
またもとのtakaに戻る。

で、以上のことでは
とても とても 無理そう
とても とーてーもー 
じゃないけど
そんなんじゃ立ち直れないところまで来てる・・
無理・・
人に話すなんて・・
無理・・
音楽なんて、、かける気力も湧かない・・・
となったら
それは、次の段にすすむであります。 



落ちるときの図式図・・?

2007年02月17日 | 心のセルフケア
へこむだけで終わる場合 
 何らかの出来事→自己嫌悪→反省元気 

へこんで そしてそのまま落ちてしまう場合
 何らかの出来事→自己嫌悪  自己憐憫・・

「元気」とは 元の気と書くように
その人本来の状態のパワー。
それが強く、健康であれば 
何らかのアクシデントがあっても また跳ね返す事ができる。
そう、
ゴムボールを思い浮かべてみるとわかりやすいかもしれない。
何事もなければ
ぽんぽんと跳ね回る。
けれど、使いすぎたりして 空気が抜け気味のときに
硬いものに当たったりとかして
ぺこんと、内側にへこむこともあるじゃないですか。
でも、小さなへこみぐらいだったら
ちょいっと周囲を押せば
中の気に押されて へこみなんて跳ね返してしまい
また ぽんぽん♪ と、弾む事ができる。
でも、
あまりに大きくへこんだり、いくつもいくつも一度にへこんだりすると
中の空気が抜けてしまい
しゅううううう・・・・・・・・・・

ぱしゃん ・・・

・・・落ちる


心が落ちるのって ぎっくり腰に似てる。

2007年02月16日 | 心のセルフケア
心が落ちるのって ぎっくり腰や五十肩に似てる。
(あー・・なんて整体師的な比喩なのかしら・・

重症なぎっくり腰になると
当たり前に出来ていた事ができない。
例えば、寝ている体勢から 
・・あれ・・?「起きる」ってどうやるんだっけ・・?
寝返り・・?
・・って 言われても・・?
立つ?立つ・・・とは・・

靴下って・・はて、どうやって脱ぐんだったっけ・・?

靴って・・ どうやって履くっけ?

顔って・・洗うとき、手って上げなくちゃいけないんだ・・

運転時、
カーブにハンドル切るって、、、、、痛いんだ・・
腕って、案外、重いんだ・・・

その醤油 とって~
・・って、言われても? どうやって・・・

え゛っ 咳って、くしゃみって、笑うって、、、、、
こんなに腰使うんだ・・・

どれもこれも
特に考えて動かしてきた事ではないことが
いきなり出来なくなるので
いざ、考えると どうやって身体を動かしていいものやらわからない。
でも、

あら不思議・・
良くなっちゃった・・

と、なると、今度は逆に
傷んでる間、自分がどうして動けなかったのかが
理解不能となる。
もともと、出来て当たり前というか
意識して動かしていた事ではなかったことだからと思われる。 
よく、
ぎっくり腰や五十肩って
一度なったら 癖になるもの?

と、聞かれることは多い。
答えは NO。
じゃあなぜ 繰り返すの?と、聞かれる。
ぎっくり腰も五十肩も
症状が出た時は、いきなりっ!
と言う印象が強いかもしれないけれど
実は、そうではなくて
様々な要因があって、積み重ねがあって、
で、結果、最終的に出た症状。
だから、良くなった、動けるようになった、
と なってからの生活で
その要因となった事に注意していけば
もうならない。
(この手の話を語らせ始めるとtakaさん長く熱くなるのでこの辺でカット

かくいう私も、整体師になる以前には数知れぬくらいの不定愁訴があった。
でも、今はない。
と、
いう話は、本HPママの整体.com
長々と書いてあるので そちらも御参照・・・(あ・宣伝しちゃった

と、言いつつ、
実は整体師になってから一度 ぎっくり腰状態になったことがある。
合氣道の受身をとり損ねて強打した結果なので正しく言えば違うかも
でもまあ、状態はまさにぎっくり腰。
でも、素人だった時には ただつら~いだけだったぎっくり腰も
ひとたび職業としてしまっていると
こんないいネタはない。
せっかくだから、一番はやい回復方法を人体実験するいいチャンス
と、ばかりに色々試して 記録した。
痛みの変化に合わせて 変えるケア方法など
よく、患者さん宅で 熱く語ってますが
あれはですねー、リアルな体験をもとにしてるんざました

そして、腕が上がらなくなった事もあり、
それはまさに五十肩状態。
あれは、本当に困った・・。不便だった。。。
でも、当時ちょうど五十肩の患者さんが増えてきていた折だったので
普通の施療ではなぜ上がらないのか、
どこが原因なのか、
効果的なツボはどこか、
これまた、またとない良いチャンス
と思い、色々実験しました。
だから、五十肩(四十肩)みたいで・・
という相談を受けた時、takaさんの目はキラりんと輝きを増す。

で、今度は久しぶりに 落ちたtakaさん。
整体師でもあって、レイキヒーラー(あ。今はマスターでした(照)でもある
ので、メンタル的な 御相談も多々受ける。
昨年は、特に多かった。
鬱の方、パニック障害の方、栄養障害の方、、、、、、、

20代の頃、私も鬱に落ちた経験があるので
その当時の記憶をたどりながら
何とか、私なりのアドバイスを探すのだけど
これってねー・・・。
超がつくほど元気に見える人から 何か言われると
心が傷んでいる人にとっては
それだけで 話の内容なんて関係なく 逆効果になってしまう事もあるので
とっても難しい。
「takaさんは、強くて、いいね・・・」
なんて、遠い疲れた眼差しで言われてしまうと
言葉が見つからなくなり、
私の存在自体がプレッシャーになってしまわないように
気を配りながら、はてさて、、、と、
途方にくれてしまう場面が何度もあった。。
で、当の自分も
そりゃあ、昔は鬱で沈んだ事があったけど
それも元気になってしまうと、
その苦しんでいた時の自分の記憶が飛んでいて
当時の心境を思い出すことが、非常に困難で・・・。

で、そんな折、久しぶりに落ちた私。
落ちてるときは、こんな事ネタにしようとは
つゆとも思わなかった。
ただただ、どんどん落ちて
とことん落ちて 
はまっていたのだけど、
(あ、その間ももちろん仕事もママもちゃんと稼動してましたよ)
自分でも、あれだけ落ちて、よく一気に上がったなーと思うほど
おおおおおっ
と 上がる時は一気に いつものtakaに戻ったので
あー よかったー やれやれと
思うと同時に、あらこれ もったいないから
セルフケアコーナーに使いましょー
と、思いついてしまったのでした。
ぎっくり腰にしても 五十肩にしても
実際になった人が、自分で治した話の方が
聞いてて楽しいでしょ?
心も一緒。
落ちる理由は、人それぞれあると思うので
それについては書かないけれど
どんなきっかけにしろ
一旦落ちてしまった・・
で、そして、どうやって 上がると又元気に戻るのか?
というところで 苦しむのは みんな一緒。
だからtakaさん書きます。
最近元気になったばかりで
まだ落ちていたときの記憶がハッキリしてるうちに
書いてしまわなくちゃ。
なにしろtakaさん
三歩あるくと忘れるニワトリなので