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takaさんの今日もsimple

整体師なtakaのごく、何てことない一日の話です。

takaさんの心のセルフケア 全16回~メニュー一覧~

2007年03月30日 | 心のセルフケア
1心のセルフケア(序章)

2心が落ちるのってぎっくり腰に似てる

3落ちるときの図式図・・?

4へこみを直すのは割と簡単・・?

5自己憐憫は深夜のチョコレートの味に似てる

6人のせいにするのが一番楽な道

7人のせいに出来ない時は・・?邪道その2

8環境を変えてみると言う手もある

9"何か”がなければ "何も”始まらない訳では(必ずしも)ない

10泣いちゃいましょう

11上を向いて歩こう~涙はこぼれて構わないから

12道に迷ったら自分の現在地を確認しよう

13出るものは全てよし

14takaさんの座右の銘

15マイナス×マイナス=プラスの法則は素敵な響き 

16・・・エピローグに代えて



・・エピローグに代えて

2007年03月30日 | 心のセルフケア
心のセルフケアシリーズも
いつの間にか二か月に及んでしまいました。
今回で 一旦終章と致します

冬から春に移り変わってゆくこの季節
学生は卒業、入学、社会人は移動、引越し、年度末、、
などなども重なるのか
日本上空だけかもしれないけれど
大気も大きく変動することに影響を受けてしまうのか
なあんとなく・・ふあーっと・・
メンタル的に参ってしまう人が多いもんなのかなあ・・
と、例年職業的に感じておりました。
そんな時に、逆に癒し手の方が
「自分も落ちました」だの「盛大に泣きしました」だの
恥ずかしげも無く 書いちゃってていいのかなー
皆様に色んな不安を感じさせてしまいはしないかなー・・
    
・・・・・・
と、不安になりながら終に迎えたエピローグ。
何となく、ほっとしてます。
途中、実は、何度も書くのが嫌になりました。
自分自身のメンタル的に弱い部分を、振り返って 見つめなおして
言葉を選んで文章にし直すのは
結構、心に厳しい作業でした。
時が経って、いつの間にか 元気になって
それで忘れちゃっていたこと、
出来れば思い出したくなかったこと、
無かった事にしたいこと、
改めて わざわざ掘り返して
そして 自分の心の動きを辿り直すのは
正直言って、、、
きついですね。
やっと塞がったばかりのカサブタを
ベリベリっと剥がしてしまうような・・?
で、またせっかく止血したのに
またもや剥がしてしまうような・・?
そんな心の作業でした。

でも、時には 
過去何気に発していた
自分自身の言葉に、
後になってから
あの時、自分だってそう言っていたじゃない!
と、気づかされる事もあるから・・・。
恥をしのんで、あえて書き続けまてみました。

生きていたら
時には、どう進んでいいのやら 
何を思って歩んでいいのやら
自分の生きる方向を見失ってしまう事も
あるんじゃないか、、、
と、思います。
周囲だけが しっかりと時流に乗って動いていて
自分だけが 静止しているような
水の中でもがいているような
心がきゅーっとしぼめられてしまうような
そんな状態になってしまう事も
あるんじゃないか
と、思います。
taka自身もきっと
生きている限り、
何度となく、あるやもしれません。
そういう時は、
ここで、心のカサブタを剥がしまくって書いた事を振り返って、
で、
ちょっと過去の自分をふっ・・・
と笑ってみたりして、
で、
ちょっと、また、
心の風邪、ひいちゃったかなー・・
と 気がついてみようかと思います。

風邪を引いたら、
それは、ぼちぼちヒト休みましょーよ・・
と言う、自分の身体からの心からのメッセージ。
それこそ、体の風邪や、ぎっくり腰の際の考え方と同じで
養生期間をしっかりとることが重要かな。

素直に休むが一番。
寝ちゃうが一番かな。
ゆっくりでいい。
ゆっくり ゆ~っくりでいいんじゃあない?
全部一度に解決しなくたっていいんじゃあない?
せっかくだから、
休み飽きちゃうまで 休んでから
休む事にも飽きちゃってから
よっこらせーと
起き上がって
う~~~~~~ん と伸びをしてから
気持ちよく、
また 自分を生きればいいのだと
takaは思うであります。
taka流マイペース人生・・。

さあ、季節は春ですよー。
takaは桜の花が好きです。
そめいよしのが大好きです。
突き抜けるような青空の下で 眺めるのも好き。
ほんのり淡い月明かりの下で 眺める夜桜も好き。
南風に、散った花びらが
道をころころ ころころ 転がっていくのも可愛くて好き。
仕事へ向かう 道中が
また楽しみになる季節です。






マイナス×マイナス=プラスの法則は素敵な響き

2007年03月23日 | 心のセルフケア
私は数字は苦手だったけれど
だから 数学の時間は大変・・ノ
な気分だったけれど
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
と言う定義に出会ったとき、
そのフレーズに ぐっときてしまい
素敵っ
と、惚れてしまいました。
(だからと言って成績が上がったわけじゃないので、片思いでしたが

落ちたな~
へこんだな~
という時も、
この法則をあてはめてみてしまいましょう。
言葉尻をプラスにしてしまうんですよー。
「~ない」「駄目」とか
否定で言葉が終わってしまうとマイナスだけど
そのマイナスな言葉に
「~けど」「でも」などの打ち消し言葉をかけてしまえば、
どうしても、
「~ある」「~みよう」と言う感じで
あら不思議なこと 
ごく自然に、前向きな言葉が
出てきちゃいませんか?
くよくよモード
いじいじモードの時、
「どうせ」で始まった言葉を 「~ない」で終わらせてしまうと
なんだか、本当にどうしようもなくなっちゃうけれど
「どうせ」の後に「なら」と続けてみたら
あら不思議なこと 
「~が良い」とか「~してみよう」とか
ほら!!!自然に
前向きな発言、未来に向かった発言に
変わってきませんか?
taka流練習問題

 に、あなたの好きな言葉を入れて文章を作ってみましょう。

どうせ+ なら・・・?
 が・・? したい?

どうせ+ なら・・・?
 な風に・・?
なりたい・・?or 見られたい?

どうせ+ なら・・?

(「どうせ・・」と言う言葉が うっかり出ちゃった後にでも
 思い出してみてもらえると幸いです

語尾をマイナスで終わらせないこと。
プラスでしめること。
そうすればきっと
もはや抜けられないと思っていたはずの「穴」からも
抜け出せちゃえると、takaさんは思う。
長い長い話も、最後がめでたしめでたしで終われば
安心するもの。
ハッピーエンドで終わる話のほうが、
心にあったかい。

落ち込んでも、へこんでも、くよくよしても、じめじめしても、泣いちゃっても、
でも、
最後には笑えるように
最後には、笑い話に変えられるように
そして最期には、笑顔の自分を思い出してもらえるように
そうやって今を生きたいと
takaは切に思う、今日この頃です。




takaさんの座右の銘

2007年03月19日 | 心のセルフケア
何かしらのアクシデントがあったり
落ち込んだり、悩んだり、迷ったり
立ち止まった時に
した時にいつも思い出す言葉って、
takaの場合、
「塞翁が馬」
高校の漢文の授業で妙に感心してしまい、
以来、何かというと思い出す言葉です。

当時の私といえば 所属していたバレーボール部が自分の中心にあって
バレーやってるか、食べるか、寝るか、
の三本立てで365日が回っていて
肝心(のはず・・)の授業中さえも、
午後の練習に備えて(?)よく寝ていた
そんなお前が良く言うよ!と・・・、当時の先生方の声が聞こえてきそうだけど・・・
(今更ながら失礼致しました~

有名なお話だけど、、、
taka的解釈で先に話しちゃうと、いけないかしらと思いまして
ちょっと検索してみたらきちんと書いている方のサイトがあったので
こちら→故事成語で見る中国史
御参照くださいませ~  

で、改めてtaka的解釈で語ると
むか~し昔、塞という国に居たおじいさんの話。
ある日、おじいさんの馬が逃げていってしまった。
周りの人々は これは気の毒に・・と慰めに来てくれると
「いやいやこれがどんな福をもたらすかわからんよ」
その後逃げた馬が今度は名馬を連れて戻ってきた。
周りの人々は、これはやっぱりおじいさんの言うとおり!
と褒めに集まると
「いやいやこれがどんな災いをもたらすかわからんよ」
すると 今度はおじいさんの息子がその名馬に乗って怪我をした。
また周りの人々は、集まる。
「いやいや、これがどんな福をもたらすかわからんよ」
人々は、本当にあきれはて、
あー言えば こー言う へそ曲がりのじーさんだ
実の息子が怪我をしてる時だっていうのにねーくらいに
受けとりたくもなるんだけど
その後、起こった戦争には
そのおじいさんの息子は怪我を理由に徴兵されず
父子、末長く生きながらえる事が出来た。
とさ。
(あ。あれ?合ってたかしら・・?

と言う話。
何事も、体験してみないとわからないくちのtakaとしては
当時はまだ みょうーに頭に残っただけだったけど。

でも、そのうち、色んな意味で 立ち止まってしまうたびに
どう考えても、こりゃあきつい~
と、その時は人からも自分でも思われた事でも
時が経つと、それが返って役に立ったり
してしまう事もあるんだなーと思う。
ので。

何事も その渦中に居る間は
なかなかわかりませんで
後になって、
それが数分先であったり
数ヵ月後であったり
何年も経ってからであったり
それは その時その出来事によっても違うんだけど
はー・・・そーなんだねー・・・
と、妙に納得してしまうこと
って、ありませんか・・。

落ち込んじゃったなー へこんじゃったなー
っていう、真っ最中に居る時には
「時間と共に解決する」的な事を言われても
アバウトすぎて
かえって ズドン 
と、来てしまう事もあるけれど。
私も、そうだった事があるけれど。

振り返れば よくぞこれだけ転んだな~
挫折したな~体も心も「怪我」したな~
と、自分でもあきれてしまうくらいの私でも
今は、その時の痛みの記憶を日々頼りにしながら
たどって整体師を生業にしているわけで・・・。
その時々、「今が一番つらいっ!」って思ってしまったとしても
やっぱり、ある時間が経つと
それが 役に立ってしまったりして。
っはっは~・・・・・
こーゆーのが、「塞翁が馬」って事なんかなー・・
と思わずには居られないことが多々あるのでありました。

で、今も何かあるたびに
「いやいや~そうとも言えんよ~」
と言う、塞翁の声が聴こえてきちゃう(ような気がする)私。
昔の人って、
やっぱり凄いなあ~・・と思ってしまいます。
すると
転んでばかりというフレーズの後に浮かぶ
「転ばぬ先の杖」って言葉にも
先に転んでおいてくれた人が作ってくれたのね・・・私の為に
と、自分に都合よく解釈しちゃう私なのでした。
とは言え、
せっかく用意しておいてくれた先人の「杖」よりも
結局自分で転んでみて初めて感心するという私だけど・・・
(あー聴こえてくる 先人の溜息~

出るものは全てよし

2007年03月14日 | 心のセルフケア
takaが 東洋医学の教えが好きなところは
ついぞ、良くないと思われがちなところが「よし」
と言ってくれる所。
血が出たり
溜息が出たり
おならが出たり
どっさり宿べ●が出たり
そして 涙が出たり。
大和なでしこならば(誰が・・?
あんまり大きな声で言えるもんじゃないと
包み隠したくなるような事でも、
よ しっ
と考えるところ。
健康になるために 元気を取り戻すために
不必要なものが出てしまうのだから。
人間の体は 本来、自分自身の体の中に
自分を治す力を備えているのだから。

先日、大泣き自慢(?)をここでしたらば
「takaさんでも泣く事あるんだー」
と しみじみ言われてしまいました。(笑)

そーねー 確かに。私自身も、
「あー私でも こんなに泣けるんだー」
と 思ってしまいましたので・・・

自分の中の「自然」に従うと
自分でも知らなかった自分を発見できますね。

泣く 空っぽになるまで泣く
と?
疲れる
と?
眠くなる
と?
起きる
と?
動く
と?
おながが空く
と?
食べる
と?
眠くなる
と?

人間、すごーくsimpleな生理的欲求にさからわずに動くと
いつのまにか、元気になっているもの。
(やっぱり素直が一番ね。)

例えば 野生動物は
自分の体に不調があれば、じっとして動かない。
本能で、自分の体に良い事を知っているから。
人間だって、
一旦からっぽにしてしまうと
ごくごく自然な欲求が生まれてくるもの。
肉体的にも。
心情的にも。
何がしたかったのか。
どこへ行こうとしていたのか。
何を必要としているのか。

深い霧の中、道に迷ったら、
じっとしてること。
闇雲に動いても
「どこをどう迷ったか・・」
わからなくなるだけかもしれないし。
自分の位置がはっきりしてくるまで
じっとしていると
霧の方から晴れてくれることもある。
でなければ、自分の目が冴えてくる事もある。

どこかのお店のトイレに
「出した分だけ、入れましょう」
なあんて、マメ知識みたいな文章が書かれていたけれど
元気になるために、溜まってしまった何かを出してしまった後は
今度は
元気になるために 本当に必要としているものが
ごんごん入ってくる あるいは見えてくる
ものかなー と、takaは考えてます。



道に迷ったら自分の現在地を確認しよう

2007年03月07日 | 心のセルフケア
車で動くくせに、いまだカーナビを持たない私は
時々、あれれ・・?と道に迷う。
大抵は動物的勘(鼻は効かないけどね)で
たぶんこっちっ・・・・・かなあ~
で、たどり着けるのだけど、
年に2万も3万も走っていると
時には ここはどこ私は誰状態にはなる。
(てゆーか いー加減ナビ買えって・・

思考の中で、ひとり にっちもさっちもいかなくなってしまった時は
この状態の自分を 思い浮かべる。
あー・・『ナビ』ありの人 って、いいなあ・・とか
普段自由気ままに生きてるくせに
『ナビ』無し人生 選んだのは誰でもなく私自身のくせに、
こう~いう時は、
やっぱり思ってしまう・・。

はーさてさて やれやれと
話を戻すとしますと
迷宮にはまりこんでしまった時、
早く抜けるためには
「もとの場所」に軌道修正するためには、
まずは、「地図」で、自分の現在位置を確認する事。
自分が居る「場所」をわかること。
今の自分を、客観的に確認する事・・。
(自分で言って、自分でぐさぐさささるわああ・・・

ちょっと 自分で書いてて、
自分で身につまされてきたので、
続きはまた明日



上を向いて歩こう~涙はこぼれて構わないから

2007年03月05日 | 心のセルフケア
整体師的な文章で書くと
心に大きな悲しみや辛さを抱えている人は
今日はどこが一番辛いですか~というtakaの問いかけに
「肩って言うか・・背中がこってる感じで痛くて・・」
と大多数、答えられます。
内蔵疾患が考えられない場合、
その骨格筋的原因を問われるのなら
前かがみ姿勢、
胸を抱えるような姿勢、
うつむくことが多い姿勢、
で過ごす時間が長いところにあったりします。
お仕事の内容上、仕方ない場合も もちろん多いですが
人というのは、
無意識のうちに、一番辛いところを かばう体勢をとるもの。
お腹が痛い!と思ったら、お腹をおさえるように、
心に強い傷みをもっていたら
自然に心・・ハートをかばう姿勢になってしまうもの。
逆もあります。
いつもうつむいてばかりいると
明るい考えになるのがとても難しい・・。

takaが最初に就職したのは建設会社でしたが
お客様に設計図など、プレゼンテーションボードをお見せする時、
机の上に置いて提案するなと指導されました。
わかりやすく言うと、紙芝居を見せる角度で お見せしろと。
その心は?
机の上に置かれると、お客様は下を向いて考える事になる
すると気持ちも下向きになるものだから
決まる契約も 決まりにくい。
せっかくお見せするのだから
同じものを見るにしても
より良く感じていただくためには
お顔をあげて、気持ちを上向きにして
ご覧になっていただくようにしなさい。
・・・と。
にゃるほど・・・深い・・・
と、今でも感心する道理でした。

下向きでも
後ろ向きでも
歩きにくいものです。
だって 人間の目は もともと前向きについているんですもの。

心に抱える問題が原因で うつむいてしまうのは仕方の無い事。
でも、とりあえず、
物理的に顔だけでも 上げてみましょう。
あなたを悩ませるその事は、
だからと言って解決するわけではないけれど
でも 一度に何もかも解決しなくたっていいんじゃないですかね。
ならば同じ事を考えるにしても
考えてしまうにしても
落ち込んでしまうにしても
姿勢だけでも、前向きに、上向きに、してみましょうか。
だって、顔を上げて
暗い気持ちになるのは 中々難しい・・でしょう?
だから・・ね

今回 泣き疲れて眠るほど泣いた時、
私は、実は顔を上向きにして泣いていました。
(座椅子の背もたれに身体をあずけていたから
 正確に言うと 斜め上向きか
誰に見られている訳でもないから
涙を隠す必要もなかったので
一番身体が楽な体勢で、居ただけなんだけど。
(整体師な習性で、どうせ体を休めるなら あとで起きた時に、
 自分の体重で自然と体がほぐれるような体勢を選んでしまうので

この体勢で 泣きに泣いて
涙は涙の好きにして、溢れ出るまま、こぼれ落ちるままにして、
そして いつのまにか眠ってしまった私は
覚醒した後、
あれれ というほど自然に、
元気を取り戻せてました。
「問題」事態が 何か変化したわけでもなく
何も変わっていないのにもかかわらず。

実験結果?体験報告?をまとめれば
同じ泣くにしても
物理的に顔を上げてから
心に溜まったものを全て出しちゃうくらい
涙として 外に出してしまえば
びっくりするほど
後で軽くなるものだなー という事です。
「上を向いて歩こう」
という有名な歌がありますが
歌詞では、涙がこぼれないように・・と続くけれど
taka流でいくと
涙は気にしないでどんどんこぼしちゃっていいから
(当たり前よ~重力あるんだから~位の勢いで)
その代わり!
顔は上向きでねー
という感じかしら・・。(九ちゃん・・






泣いちゃいましょう

2007年03月03日 | 心のセルフケア
何らかの出来事で、
落ちて、へこんで、自己嫌悪になって、
そして、もはやどうにもならない状態にはまりこんでる気分なのに
それでも 泣けないあなたへ。

泣いちゃいましょう。
いいじゃないですか。
しょうがないじゃないですか。
だって、そんなに辛いんだから。
頑張ってるからこそ、落ち込むのだから。
頑張ってるからこそ、どうにもならないと抱え込んでしまうんですから。

頑張った自分と
それでもどうにもならなかった自分と
こらえてる自分と
こらえきれない自分と
それも これも どれもこれも
全部、自分です。
今の自分を素直に認めてしまえると
胸の中にどんと落とされている大きなものが
涙となって 外に出てくるでしょう。

だから いいんです。
それで。
今のあなたで。
泣いちゃいましょう。
どんどんどんどん。
今、あなたの中にあるものを 全て出し切るくらい
大泣きしてしまいましょう。


以前、私はこんな記事を書いたころ

大人は そんなに泣けない
仕事で伺った先のお宅で、記事の内容と同じ話をした。
(その女性は、もっか初めての子育て中の女性なのだが
初めてとは思えないほど、
実にゆったりと、ほがらかに、お子さんと接していていつも感心している。)
私の話を 最後まで聞いてくれた後、
「あら私は時々思い切り泣きますよ。
 出るものは全て良いっていうんでしょう。
 あと、すっきりするもの。
 デトックスデトックス♪
 と思って、思いっ切り泣いちゃいますよ」
と、にっこり答えられた。
その笑顔がとても素敵で、
清々しい 潔さがあって 
なんというか、心が浄われた。

さて、中々泣けるもんじゃないと言っていたtakaは
今回、相当 泣きました。
よくぞ まあ こんなに涙が出てくるものかしらと思うくらい
泣けました。
ただ、そこはそれ 大人の事情はあるから
一人きりの時。
でも 私が一人きりで居る時間なんて、限られているから
運転中が多かったですねー。
あとから あとから あふれて こぼれて・・・
ハンドル握ってるので
拭うこともせず
前が見えないと危ないので (てゆーかほんと危ないさ・・
必死で目を開けると
どんどんこぼれてこぼれて止まらない・・・。
けど、そこはそれ、
現実問題、泣きはらして、仕事先に訪問するわけにはならないので
きちんと、到着前には泣き止んでいるという。。
そんな小出し涙を繰り返したあとのある日
久しぶりに、午前中がぱっかり空いたtakaさん。
時間が出来たらやろうと棚上げしている事務処理やら何やら、
やるべき事は山ほどあったのだけど
さしあたって、今日中に何とかしなくちゃいけないわけでもない・・。
出動しなくちゃならない時刻まで、あと三時間もある。
買ったまま読んでない本をチラッと見たが読む気がおきず
テレビをつけてみたけど
すごくうるさく感じてすぐ消してしまい
と、思った途端、油断したのか
どんどん涙が出て止まらなくなった。
ああ、、でも家事くらいしなくちゃ・・
と、
泣きながら洗濯をして
泣きながら掃除をして
そして ついには座椅子に座り込んでしまった。
鼻をかんで、、、
ちょっと落ち着いてから
そうだー・・こうゆうときこそ
久しぶりにゆっくり自分にレイキをしよう・・・。
と思いついて、レイキCDをかけてから
もう一度座椅子にもたれかかってみた。
しかし、一旦開いてしまった「ふた」。
壊れたダム?
止め忘れて入れすぎてる風呂?
もう~あふれてあふれてこみ上げて止まらない。
更に 流れてきた癒しの音楽が相乗効果をあげてしまい
よりいっそう涙がとまらなくなってしまった。
    
最初は、
今回のその問題について 思いながら泣き始めたのだったと思うんだけど
そのうち、ただただ泣いていた。
泣きたいから泣く
というよりも
自分の意思とは関係無しに
勝手に涙があふれて止まらなくなっているだけの状態
もはや 仮に今 人に「何で泣いてるの?」
と聞かれても、自分でもわからないと
言うしかないくらい、
とにかく ただ 泣いていた。
さめざめ わんわん おいおい
とあんまり泣きすぎて 
ぼわーんとなって来た頭で
以前に書いた記事↓
なみだのおちゃ
の ふくろうくんを思い出し
ああ。。今なら お茶が沸かせるかもしれない・・
でも、やかんを持ってくる力が無い・・・
なんて、馬鹿な事は考えていた。

で、その後どうしたかというと
気がついた時には 出なくてはいけない時刻の30分前だった。
時計を見て 飛び起きた。
・・・・・飛び起きた・・・?
そう、何と驚いた事に
さんざん泣いて、泣き疲れて、いつのまにか眠ってしまっていたのだった。
「泣き疲れて眠る」
なんて、、、
    
ええええええ~~~?
まじ~~~~~~~?
と、
自分でびっくりして、文字通りにあいた口が塞がらなかった。
へええ・・・・・・
大の大人が そんなこともあるんだ・・・。
しかし泣き疲れて眠って起きると
イメージでは、とてもスッキリした状態かと思っていたけど
実際は、ものすごーく だるかった。
思考も 動きも ノロノロな感じだった。
でも、さすがに もう涙は出てこない事だけはわかった。
ので、シャワーをあびて 顔を洗って 
着替えて
お化粧して
ドライヤーをかけて
思い悩んでいたはずの問題を考える力は既に無くて
単純に、現実しなくちゃいけないというか
いつもしている動きのみ、しかできない感じ。
よくある励まし文句に
「余計な事は考えない」
ってあるけれど
泣き尽くした後は、「余計な事」を考える「余裕」自体がもう無かった。
とことん身体を動かして疲れ切った後のヘロヘロ状態によく似ている。
あとはもう
いつもどおり車にエンジンかけて
いつもどおり運転して
いつもどおり 仕事に集中して
いつもどおり 帰宅して 息子と話して
いつもより 早く、眠ってしまった。
どろのように。

翌朝。
 
何だか すごーく すっきりした目覚め
良く泣いて 良く食べて 良く眠って
そして 起きた朝って
なんて、気分がいいんでしょう
気持ちよい
元気がもどったって
こういうことを言うんだなあと、体感して実感してしまった出来事でした。


"何か”がなければ "何も”始まらない訳では(必ずしも)ない

2007年02月26日 | 心のセルフケア
物理的に環境を変えなくとも
同じような効果は得られる、と、taka的には思う。

小学生の頃、何かの折に
「だって~ ○○が無いから出来ないんだもん」
と、母に言ったところ
「何かが無いから何も出来ないように育てた覚えはありませんっ
と、激しく怒られた事がある。
無ければ無いで、今あるもので工夫せよ
という事である。
戦後の焼け野原のなあんにも無かった渋谷で(話に聞くばかりであるが)
少女時代を過ごして来た人に言われると
子供ながらに ぐうの音も出なかった。

「発想の転換」

「観る視点を、角度を、変える」

と、
今目の前にある問題が
また違ったことと、思えてくる。

・・・・・・・

場合も、ある・・・

落ちてる時は、なかなか難しいけれど・・ね、
この技。
でも
何事も
回数をこなせば・・・
「前回」
よりも、きっと早いスパンで、
この「技」が使える。



環境を変えてみると言う手もある

2007年02月20日 | 心のセルフケア
 し~らな~い 街を 歩いてみたい~
     どーこーかー 遠くへ行きたい   

なんて言う古い歌がありますが
前述したように
 もう私の事なんて、誰も知らない土地へいってしまいたい!」
と、
言うような願望に一時的にでも駆られた人は 結構居ると思う。

環境を変えてみるというのは決して悪い事じゃない。
環境を変えたほうが、
冷静になりやすい
呼吸をしやすい
自分らしさを発揮しやすい
というのなら。

わかりやすい例でいくと「不登校」なんていうのも社会問題ですね。
(私の頃は とーこーきょひ って言ったもんだけど。あ・一緒?)
何らかの事情で 学校へ行く事が出来なくなった子供。
いじめとか、勉強についていけないとか、
不登校になっちゃった子の数だけ、事情は色々あるだろうけれど
こんな時、環境を変えてみるというのも
ひとつの手段だと思います。
もちろん、それもありですとも。
引っ越しちゃうとか、転校とか、
今流行の フリースクールへいくとか。
興味深い話だけれど
都会に住む方は フリースクールというと
南の島とか、日本昔話に出てくるような山村とか、
そういったところを思うでしょうから、
やはり都会の子は、田舎に身を移す。
でも、反対に、そういう南の島とか山村とかで生まれ育っている方は
都会のフリースクールへ身を移す。
(これは実際によくある今の日本の現実です。)
環境を変えると、
これまでの嫌なつながり、嫌な思い出、苦い経験、
全てリセットできて、
新しく生きられる。
ような気がするので、一度は考えることじゃないかと思う。
ただ、同時に今まで築いてきた関係も
全てリセットされちゃうので
その代償は覚悟しなくてはならないけど。

takaが まだ若い二十歳前後のころ、
「外国」とか「留学」というものに凄く憧れていた時期
taka兄に そう話したことがある。
外国に行きさえすれば、苦手な英語もペラペラになって
すごーく自分が向上しちゃうような気がするの
なあんて、熱っぽく話した・・ような気がする。
何事も行動を起こす前には事前調査を綿密にしてからでないとならない
という主義の兄は
何事も本能の赴くままに行動し、考えるのは走り出してから
という妹のこの発言に
(足して二で割ると丁度よいかもねえ・・・
そら・・またきた・・とばかりに冷静に答えた。
まあ、そうかもしれない。
海外に憧れる気持ちは理解できる。
だけど、問題は、その目的だね。
俺だったら、「外国」へ行くにしても
その目的を達成するために、この場で日本で出来ることはないか考える。
そして「日本」で出来る事を まずはやる。
それでも やはり「外国」へ行かないと達成できない目的であると
その時に再度感じたのなら、そこで初めて行く意味がある。

・・・てなことをたぶん言われた気がする。(アンちゃん、あってる?
・・・この場で出来ること・・かああ・・・。
そう言われてみてしまうと、
そうかな、と思ってしまった当時の私だった。

別の話で、
それでも海外への思いを消せなかった私が、
ツアコンになるためのスクールへ行っていた時に
海外を何年か放浪してきた、という女性と たまたま席が隣になった。
そりゃあもう興味深々で
いろーーーーーーーーーーーんな話を聞いた。
(しかし、その大半を忘れたが・・ふっ。だから私は
でも、ひとつだけ忘れなかった自分の質問。
「それだけ海外を歩き回って そして、何か変わった?」
それまでは、尋ねられるまま
色々次から次へと話してくれた彼女も、この質問にはすぐ答えず
しばらく考えてから
「そーね・・ 結局のところ、自分は自分で、なにも変わってないかもしれない」
    
そうなんだ・・・。
これは、青臭い頃のtakaにとっては衝撃な生発言だった。
似たような事を言っている著名人の話は雑誌なんかでも載っているけれど
現実、目の前にいる憧れの海外経験帰国者に
直に言われると、それはかなりのショックだった。
そうなんだー・・・。
兄の進言に さらに裏づけされた彼女の言葉。
これは後々、いろんな場面で思い出される。

さらに、そうなると、ツアコン目指す前に居た会社で
辞表を出した時、
引き止めてくれた上司の一人が言った言葉も思い出される。
「あのね、今、君の前には大きな壁がある。
 君は、その壁を越えることよりも、避ける道を選んでいる。
 一時的には、避けた事で また先に進めるかもしれない。
 でも、いつかその壁はまた現れる。
 超えずに避けたはずのその壁は
 今度は、更に大きくなって君の前に現れる。
 又避けることも選べるけれど 次は又更に高い壁だよ。
 結局のところ、先に進めたつもりでも
 実は、同じトラックの中を回っていただけ
 ということに気づいてしまうだけかもしれない」
と、
言うような言葉をくださった。
その時は、その意味が正直、あまりわかってなかった。
だって もうやめたいんだもんっ
という、気持ちのほうが強かったし、若(馬鹿)すぎた。

でも、今では何かあるたびに、思い出される
貴重なひとことだ。

勘違いしないで頂きたいのだけど
だからといって、環境を変えることを否定しているわけじゃないです。
ただ、環境ごと変えてしまう前に
自分自身の精一杯を尽くしておくこと。
人がどうとかじゃありません。
キャパシティーは、人それぞれ、大きさが全然違うので
あくまで、自分自身のもてる範囲の中で、です。
それで、やっぱり駄目だなと認識してから
それから行動を移すのなら、
それは とても前向きな「引越し」だと思います。

もし、お子さんの為に思い悩んで環境を変える事を考えている方が
これを読んでいるとしたら、
まずは、お子さんと、話し合ってみてください。
もう、すでにお子さんなりに頑張りつくした後であると
認められたら、
よく頑張った。とまずは是非ほめて、認めてあげてください。
そして、保護者としても、この場で精一杯やれることはやったと
御自分で言えるのなら、頑張った御自分を褒めて認めてください。
それからなら、
新天地へ移った時、もう同じ「壁」は立ち塞がないはずです。
だって、もう、やれることはやったのだから。
頑張ったのだから。
その時、既に、その「壁」は 親子で超えているのだから。

もし今、ストレスに耐えかねて会社を辞めたい・・と悩んで
これを読んでいる方が居るのなら、
じゃ、辞めちゃいましょうと、takaは言います。
でも、まずは辞める事を前提にして
一番辛い時には、まだ辞めない方がいいとも、言わせて頂きます。
一番辛い時に辞めてしまうと、
せっかく辞めたのに、辞めた後、後々までその時の苦痛が甦ります。
にがーい思いだけが、甦ります。
その会社の最寄り駅を見ただけで、避けたくなります。
悪い事してないのに。
それって 何だか嫌じゃない?
やめてまで、嫌な思いを「させられて」しまうなんて。
何事も終わりの見えている苦痛は、耐えやすいものだから
一旦、「よし○○月に辞めるぞ」と密かに決意を固めてしまえば
嫌な上司も嫌な同僚も もういずれ会わない人たちだから
と、許せてしまいやすいし、冷静になりやすい。
ここまでくれば、自分が辞めた後のその職場を現実的に想像することも
可能になってきてますから、
辞めた後に、「○○さんが居ないと困るなあ」
と言われたい意識も湧いてきて
やりたくない!と思っていた仕事も出来てしまうもの。
だって、いつか止めちゃうんですから。
期限付きですから。
そこまで自分を持って持ち上げて 戻していってから
それから「お世話になりました~
と、笑顔で辞める事を、お薦めします。
そうすれば、それは決してドロップアウトではなくなります。
それどころか あなたの大きなステップアップ

(ちなみに過去takaは円満退社も喧嘩退社も両方同じ数だけ経験してます。
 ドロップアウトもステップアップも両方。
 でも、今こうして新たに考えたり、話したり、出来るのだから
 やっぱり、過去のドロップアウトは私にとってステップアップだったのね
 と、やはり何事も自分に都合良く考えるtakaでありました)