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takaさんの今日もsimple

整体師なtakaのごく、何てことない一日の話です。

2008奄美・・行って良かったです(^^)

2008年09月12日 | 奄美時間2008
 
 最終日、午前中スコールにて、
昼近くまで、チェックアウトしたあともブルーエンゼルさんに居ました。
晴間が見えてから 
オーナーと又再会を誓って・・・ 


帰りの便は奄美空港発19:00。
時間はたっぷりあるので、笠利の岬めぐりへ・・。











ほんと、たっぷりの9日間。
今振り返ると、やっぱり、悔い無し・・といった感があり。
一年ぶりに帰った島なのに
全く違和感が無く車を走り出した自分が居て
いろんなことを考え
いろんなことを感じて
いろんな人に出会って

そして 
ただ 島の気に 抱かれて。

帰る寸前まで 仕事に忙殺されていて
もしかしたら パンク寸前ぐらいの実感があったのに
奄美に戻って
加計呂麻に戻って
ただ 過ごしていたら

(しかも 愉快系ジーさん連れだので
 そんな しみじみ浸る間も あんまり無かったんだけど

なんていうのかな。

別に

別に そんな なんも心配ないさ・・・

なんも・・・

自然体で いんじゃないかな


なんて、すんなり 心が落ち着いてしまった。

そして、島から帰ってからも
昨年、一昨年は 島時差ぼけにて 使い物にならない私だったのに
今年は 驚くほど すっきりと
ほんと!
「さあーてと!」みたいな感じで
いつもの月曜日、いつもの一週間を、
淡々と こなせた。

これから すること したいこと
そして すべき事

わかっていたのに ただ、こんぐらがらしてただけだったのかも?
と、思ってしまう、今では。

だから とても とても 今

心が 穏やか。

良かった。

奄美に帰って。

また 帰る。

そして いつか

きっと ずっと 帰ってる。


皆様に私の我侭を聞いて頂いて(有無を言わさず・・ですが・・
長い休暇を頂きました。
本当に、おかげさまで
私自身、とても 癒されました。
これが「リフレッシュ」って言うものなんだなー・・・・・
なんて
改めて 思ってしまいました。
ありがとうございました
奄美の話は とても書ききれず、
笑えるエピソードもまだまだテンコ盛り沢山と来たもんだですが、
特に、taka父のエピソードは ほんと
全部御紹介しないのが 笑い的に惜しいくらいですが(←悪娘)
今回の奄美2008のお話は一旦この辺で・・・。
      

笠利スナップ2008

2008年09月09日 | 奄美時間2008
2008.8/14
お盆の中日。従姉によると 中日は海入ってもOKとのことだったので
朝から張り切って海へ。
スノーケリングを満喫。
昨年までは
私と手をつないでのスノーケリングだったのに
今年の息子は、島入り前に泳ぎの特訓の成果が出て
一人でどんどん泳いでいった。(驚!)
潮が濃いので ぱかーっと浮かんじゃうから
泳ぎも上達しやすい。
自分で泳ぎまわれるのが楽しくてしょうがないらしくて
何時間でも 浮かんでた



もうお昼だから~ 一回上がろうよー と
浅瀬のあったかいところに浮かんだまま ただよっている息子に声をかけると
なんと、

彼は  スノーケリングをしながら・・・

寝ていた

 つ・つわもの・・・






楽しかった。

それにしても、滞在が一週間も超えると
takaは すっかり 知らぬ間に 何ていうか・・
現住島人な雰囲気を 大いに醸し出しちゃってるらしく

観光客・・さんたちには 色々と 尋ねられ
たまたま 浜で しゃべった現地の人たちにも
ちょいと海に入りにきた近所の親子 
くらいに 思われてた(笑。
おかしー・・・




笠利へ

2008年09月09日 | 奄美時間2008
かけろまフェリーで 去り難き加計呂麻島を後にした。
2008奄美8/13 島入り七日目。
この日は お盆の入りにて
島人は 海には入りません。
みな 幼い頃から そう、教えられてるそうで
島の子供たちですら、遠くに海を眺めるのみ。
我らも したがって 水に入らない一日を過ごす・・。
笠利を目指して 北上しつつ
小湊の伯母の墓参り。
神社参拝。
今回二度目の入院中の伯母見舞い。
伯父の家にて 仏壇参り。
などなど、
ここ数年、お盆だからといって 特に墓参りに行くでも無かった
不謹慎なtakaも 
何だか 今年は 淡々と 務めを果たして行ったような感じで
何だか すっきり。

さて、夕方、ようやくにして笠利到着。
一昨年 お世話になったブルーエンゼルさんに 再び訪れた。※下記参照↓※
http://blog.goo.ne.jp/simples-taka/e/80d8789f02c000673b4d08de37ed7517

オーナーの笑顔に再会して 帰ってきたーと言う気持ちが又つのってしまう。
ぶんぶん握手をして 変わらずを喜び合う。
リビングに入って
大きな横長のガラス窓前面に拡がる 笠利の海。
    

そう、この海。
二年前 訪れた この美しい笠利海岸で過ごした あの四日間で
taka親子はすっかりと
奄美人 と なってしまったんだった。



荷物を運び込んだ後、
息子と二人 たまらず 浜へ駆け出した。


加計呂麻島を名残り惜しむ

2008年09月08日 | 奄美時間2008
諸鈍にて フェリーの時間まで
過ごしてみる。



昨年は、
とにかく はっきりした理由は無いのだけど
ただただ 加計呂麻に渡らなくてはならない・・ ような
taka息子と taka父を 連れて
加計呂麻に行かなくては ならない・・・ ような
自分でも よくわからない 使命感・・? のようなものがあって
滞在した。
昨年は加計呂麻に五泊六日の間に
とても 忙しく島中を巡り、
人間魚雷艇の跡が浮き彫りに残るこの島で
戦渦を巡り
追悼レイキを送り
祈り
かつて神々を迎え送ったアシャゲの跡地も
何とかたどり着き
かつてノロの行事をつかさどった宮司さんの奥さんだったかたに
お会いして 筆談したり(耳がご不自由だったため)
忙しかった。
でも
そこまでしたら、妙にすっきりして
そして 訪れたのが 徳浜で・・。

あ、ここかな

私、この浜かな

って 思って。



昨年はそんな感じだったけど
今年は 単に
taka個人が「帰りたく」て 自分の為に加計呂麻に訪れた。

そして 「再会」した 加計呂麻は

徳浜は

やっぱり  ここだ と 確認した 感じだった・・・。

息子が夢中で海に入るのを眺めながら
愛する浜で一人

“再会”に そして “帰郷”に 乾杯。

缶Beer片手に歩いたりしてしまったりした。

歌なんか 口づさんじゃったりした。

・・・ 大空へ・・海へ・・ふるさとへ・・・ 私はもうすぐ帰ってゆく・・♪

By さだまさし  だったかな?

私の短い人生は ♪ 
私の生き方で 生きたから  ♪
もう一度 若い頃に 戻りたいと 思う事も無い  ♪
ただ
あの人に私の 愛が伝えられなかった それが 心残りです・・・♪

って、
これ 確か「老人と海」ってタイトルでは無かったか・・

うーん、、、、、、
これを歌ってよいのは
ちょっと まだまだ 先だったかなー・・・・・。

なんて ぶつぶつ 言いながら

でも、

やっぱり 私、

いずれ ここに この浜に 戻って

そして この歌 歌おう・・・

と、また独り言。

身一つであったなら
すぐにでも 移り戻ってきたいけれど
それは 中々難しい。。。

でも、必ず 戻ろう。
taka息子が
もう少し 大きくなった頃
母と手をつないで歩かなくても
どこへでも いけるようになった頃
takaは ここに 戻ろう。

そんな風に、思いながら
デイゴ並木の諸鈍にて 
過ごしました。
ひととき ひとときが いとおしく・・・。
  


加計呂麻スナップ

2008年09月08日 | 奄美時間2008
HIROさん 
昨年、徳浜を訪れた時、ちょこっとトイレを借りたりして
その爽やかさに そして 素敵さに惚れ、
絶対泊まる!
と決意して、今年はHIROさんが空いてる時に併せた日程取り。
  朝目が覚めるとこの光景。
ここで三泊四日過ごしました。
東京出身のHIROさん 
爽やかな美人の奥さんを奄美で見初めて
そして 今加計呂麻の現役漁師さんでもある HIRO兄さんが作る
お料理・・・ 格別!
至福!
食卓に着くそれぞれが 食べる事に一生懸命になる食事タイムでした。
ふだん 自分に対しては食におざなりなtakaが
本当に美味しいと思って とにかく食べました。
幸せでした。
一生、ここでHIROさんのご飯を食べたいと
心底思いました。
今も思います。
美味しかった・・・。


 スノーケリングは 幸せなひととき。

 浜で埋もれる。最高・・・の休息。

泳ぎ疲れて 部屋で小休止する。
住用で買ってきた パッションフルーツを切る。
輪切りにした形が時計の文字盤に見えるので 時計草と言う。
taka息子の好物。
 


ひょんなことから、ここ徳浜にあるサンゴ塩工場の親方に知り合って
滞在中、塩工場に日参することになっていたtaka親子。
いつのまにか 塩作りをしてました。


      

今年は 海亀が産卵のため
浜に訪れる回数が多かったみたいで、
“足”あとが 見られました。
行き のあと
帰り のあと
見つけて 楽しかったし 嬉しかったし 興奮したし・・・

 帰り際の産みこぼれの卵・・と思われる。





そして ようやく・・・ 加計呂麻島

2008年09月02日 | 奄美時間2008
何とかフェリーに間に合って・・・ほっ・・・。
奄美本島から大島海峡を渡って加計呂麻島へ渡るフェリーは
本数が少ない。
http://www.amamicco.net/amami/amami40.html

間に合ってよかった・・・。
車ごと、乗り込んで、しばし海風に癒される。
いよいよ。。。

だ。

この一年、ここに戻りたくて

戻りたくて

ひたすら、、、、、、、

待ちました。

この日を。


さあ、加計呂麻の生間港に入港。


嬉しくて 嬉しくて
でも一年振りなのに、道を忘れてない自分もまた嬉しくて、
迷うことなく
生間から直進。
目指します。
私の 大好きな “あの浜”へ。

※なんちゃって。
 途中、父の同窓生のAさんが居る諸鈍を通るため、
 ちょっと寄り道。田んぼ道にて、
 田植え作業をしていた方々に
 「あのー・・Aさんちは・・?」
 なあんて 道を聞いたらば
 当のご本人でした。(大笑)
 一年ぶりの再会。
 ぶんぶん握手をして、また明日来る約束をして、(また明日!って響きが嬉!)
 それから一路・・・ 
 目指す浜へ!
 
 

着いた!

車を降り立って、

目指す海が望めたとき







泣けました。




チェックインもそこそこに。


浜辺へ・・・。



最高に幸せな時間に

やっと


たどり着いた時でした。





霊峰 湯湾岳

2008年09月01日 | 奄美時間2008
奄美四日目。
すっかり自分ちと化していた(早っ)内海バンガローをあとにして
向かったのは 霊峰 湯湾岳。
奄美大島の島建て伝説によれば
奄美の島をつくったと言われる男女二神が祭られていたりする。
詳しくは→http://www.amamipark.com/islandinfo/oshima/shizen/yuwan.html
昨年も登った。
昨年は、とにかく ここには登らなくてはならない・・
と、理屈無しで 何となく そういう気持ちになっていたので
使命感のようにして 登った・・。
霊峰・・・と言われるだけに
男神と女神が降り立ったというだけに
そして 約400年前に無実の罪を背負って
島民の為 島のため 自ら命を絶った與湾(湯湾)大親の眠る山と言うだけに

とっても ・・・

なんていうか・・・

「霊峰れいほう」って 気がする山。(←表現が乏しくすみません

澄み切った 空気。
しんと 鎮まった ただただ・・・静寂。
立ち込める霧。

 

何しろ、登山口からして 鳥居からですから・・。 

途中の展望台までは車で行けるとは言え、
宇検村側から入る
鳥居をくぐってからの道は 結構な険しさです。
真夏の奄美だけど
長袖長ズボンに靴下に靴(出来れば登山用)でないと、
難しいでしょう。
大和村側から入るコースは木の階段からなので
もしかしたら 軽装でも・・?それは ちょっとわからない・・。
下記はくだりのコースの 平坦になったあたり。
道のほとんどは カメラを構えるどころじゃ ありません・・。
もちろんハブも、いらっしゃいます。
(ちなみに 昨年は バッタリとお会いしちゃいました


ハブさんよけに なるだけ音をたてながら
大声で歌いながら 
そのため ぜいぜい息を切らしながら
それでも 他にも沢山めずらしい命に出会ってきました。

  

今年は途中、私が足を滑らせて斜面をずるっこける騒ぎも
あったけど、(本気でやばかったー・・・
息子の成長により
昨年よりも早いペースで山頂入り。
ちなみに 山頂は、林に囲まれた中にあって、見晴らし・・はないっす。

  

山頂付近に、與湾大親の碑があったりして
火の見やぐらみたいな、小さな展望台があります。
このはしごをよじ登って 一坪ぐらいのスペースに来ると
あー・・登ったな・・って達成感が初めて湧くかな。
雲なのか 霧なのか・・わからないものが
目下に、そして 奄美の山々が ぐるりと 望めます・・。



  
笑ってるけど・・・全身汗だくです。バケツの水をかぶったみたいに汗だけでびしょ濡れ状態。

  ここで羊羹を食べる・・至福(takaだけ?)


しばし、たたずんだあと、フラフラで、再び険しい道のりを下山。
taka父が 退屈しきって 待ちくたびれてました(笑)。
二時間、一人で ぼーっとしてるのは かわいそうだったな・・。
しかし、
あの道は、ちょっと(いやダイブ)無理だったから ま、仕方ないかー。。。

ということで、底力を振り絞って、
taka父のため、そこから、展望台まで 階段を昇った。
ここからでも、結構景色は楽しめるので
大抵の人は ここまでかな。

  

※この後、加計呂麻に渡るフェリーの時間が迫っていたため
かなりの勢いで くねくね山道島道を古仁屋までぶっちぎり走行
さー!とばすわよ~~~~~っ
と振り返ったけれど、
taka息子もtaka父も 即効爆睡・・・。(←自己防衛本能か・・・?



屋鈍をめざして珍道中

2008年08月30日 | 奄美時間2008
8月9日。奄美入り三日目のこの日、嘉徳を後にして
目指すは 奄美大島本島の西端にある 屋鈍(やどん)浜。
とてもとても美しい湾 焼内湾をぐるりと囲む 宇検村(うけんそん)
にあるという・・・。

taka的には、自分の目指す浜は 旅の中盤に行く予定の加計呂麻にある
けれど、
まあ、それでも 他に 美しくて有名である浜も
念のため 行っておこう・・・

taka息子的には ぼちぼち 海に入りたい・・のみ。

taka父的には、嘉徳をまわってくれるなら あとはどこでもいいや。

という 感じのドライブ。
それにしても、
嘉徳からまわるとなると 結構距離があった。
素直に大和村から入れば良かったんだけど
翌日にその道を通って湯湾岳入りをするつもりだったので
出来れば 違う道も通ってみたかった・・・・

ため、、、、、、

得意の 脇道に 入り、、、、、、、


いつのまにか


真昼間から 薄暗い 林道を走っていた。。。。。。。
(やっぱりねえ・・・私らしい・・・ふふっ

うねうね クネクネ あ~んど急勾配のアップダウンの繰り返し。
舗装はされているものの
両サイドに深く垂れ下がる木々の枝の感じからして
あー・・・こりゃ、、、久しく誰も走ってませんね・・・
(※後に聞いた話によると、その道は 観光マイクロバスが立ち往生して大変な事になってしまって以来、あんまり走る人は。。居ないらしい・・・)

借りてる車は日産の軽オッティー君。
軽にしては馬力があって花丸だけど 所詮は軽。
こんな道ではせいぜい出ても20km/時。
いつ終わるとも知れない うねうねアップダウンに
自分で可笑しくなってゲタゲタ笑ってしまった。
息子は普段から母のこういうのに慣れてるので冷静。
taka父は げんなり・・・。

そんな時でした。

前方に 二つの・・・・・・影・・。

きゃあああああああっ!
あまみのくろうさぎいいいいいいいいっ!!!


           

見た? ねえねえええ?見た見た見たあああ?????


二つの影は まさしく 奄美のくろうさぎ
特別天然記念物に第一号に指定された 生物でありました。
冬場の方が 比較的活発に行動すると言われているけれど
うっわー・・・・・ほんもの・・・・・。
島人でも 出会えた人は珍しいと言われる・・・。
つがいだったのかな。
大興奮のドライバーが息を止めて見守る中、
のっそり ゆっくり 林に消えてゆきました。
 はあああああ・・・・・ 嬉しい・・・・・・

良かったね~~~~~!

と、熱く 息子と父に振り返ったが 二人とも
 そーだねー・・・・・」 うっすーい反応。。。

そんなこと(?)より悪路ドライブに げろげろらしい。
やーねー・・・ かわいそうな人たち

その後 再びうねうね走る事しばしで
ぽーんと 大き目の道に出た。
やーっと 明るい道に出たねーとほっとした三人。
そこはちょうど カンツメの碑がある場所だった。
悲恋の話が伝わるカンツメは しまうたにても語り継がれる。詳しくは

どこを走っていたのか ようやく見当が着いて 落ち着いた所で
ついでの様で 申し訳ないけれど
カンツメの碑を参った。
しばし合掌。
しばし哀悼のレイキ。
もしかしたら、カンツメさん、来て欲しかったのかもしれないね
なんて 言いながら。


そんな こんなで ようやくたどり着いた屋鈍海水浴場でした。



雨が降ったり止んだり という天候の中であったけど
やはり 美しい浜でした。
砂が、加計呂麻の砂と 似ていました。
集落では 全島内中学生による 相撲大会が行なわれていたらしく
その実況アナウンスが スピーカーから 遠く流れる中
ほのぼのムードで 夕方まで シュノーケルを楽しみました。

(無料の公共トイレと公共シャワーが使えます。
 びっくりするほど 綺麗です。
 びっくり。。する自分が、汚れてるな・・と思う時、かな)
 
 

住用までの帰り道は ジジも息子も爆睡。
ひとり、焼内湾の夕暮れの風景を楽しみながらドライブ。
あまりにも美しくて 
途中降りて パチリ。

茜色の夕暮れも見たかったけれど
水墨画のなかに 入り込んでしまったような
この光景は
ぞくっと するほど 幻想的で とても 美しかった・・・・・。


ルーツをたどりながら・・・

2008年08月28日 | 奄美時間2008
三日目は住用(すみよう)から山間(やんま)を抜けながら
海沿いを走り
嘉徳(かとく)を 目指してみる。



嘉徳・・・。
ここは 今はすっかり“おとぼけじーさん”となっている taka父の
亡父の生まれ村。

※奄美では 各地域を集落(しゅうらく)と呼びます。
 村と言う字は 「そん」と読みます。
 集落は「しま」を意味します。
 歌い継がれる「しまうた」は それぞれの「村」の歌なのでありました・・。



サーファー向きと言われるだけに、波の荒い浜であった。
島に着いて 三日目にして初めて 砂浜に降りた。
それが
顔も知らない taka祖父の 生まれ村の 嘉徳の浜であった。
taka父は
takaよりももっと、感じ入るものがあったのだろう。
唐突に 
子供の頃の話や 青年時の話などを 語り始めた。
昔のことは 同じ話を何度も何度も聞かされてきているが
この時 父が 唐突に話し出した話は
takaも 生まれて初めて 聞いた 
若きtaka父の話だった・・・。

ちなみに ここは元ちとせさんの出身村でもありました。

マングローブ原生林にて 

2008年08月27日 | 奄美時間2008
奄美2日目。
予定通り、朝からマングローブ原生林へGO!
昨年の体験では、マングローブの奥まで入っていけなかった為
今年は事前に潮見表をしっかりチェックして
満潮時をねらって 予定取りしたのです
そして更に今年はガイドさんもついてくれる
マングローブ茶屋さんにてお世話になりましたー!



マングローブとは・・・?
(下記↓資料丸写しです参考まで)

 亜熱帯から熱帯にかけて分布するヒルギなどの総称で
 主に海水と淡水が混じりあう河口域に発達する。
 ヒルギは陸地から海に進出した植物で
 根や葉に脱塩機能をもつ。
 最近では上流から土砂と共に流れてくる有機物を
 河口に溜めて浄化する役割や
 防波堤の役割が注目されている。


奄美しまの生物(もちろん人間も)は皆
このマングローブに護られて 
生命を育んでいます。



理屈は抜きにして
マングローブを渡る カヌーの旅は
ただ ただ とても気持ちよいです。

ガイドのおじさんが 珍しい植物や木々を
ポツポツと紹介してくれたりします。

「あー!ぼく!あれ見える?ウルトラマンの実だよ!」

は・・? う? ウルトラマン・・の実? と、は?

それは→サキシマスオウノキ

のこと。
実の形がウルトラマンの顔立ちに似てる事と
ウルトラマンの生みの親が沖縄出身だということで
この実の形をモデルにウルトラマンは誕生した!

・・・と、伝わっているそうな。

それが まことか否かは わからないけれど
でも 確かに 実の形はウルトラマンだった。

たのしーね。こういうの