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takaさんの今日もsimple

整体師なtakaのごく、何てことない一日の話です。

奄美大島 台風の時の過ごし方・・?

2011年09月21日 | 奄美時間2011
今現在なう、
関東は台風15号の影響で、大変でごわす・・。
takaも今日は
ひさびさに、でんじゃらすな帰り道。
気をつけていたんだけど、
やっぱり大きな木枝、踏んじゃいました~
ただ まあ、
なんていうか、
台風の来る島の血が流れているからか なんか よくわからんけど

たぶん、
例えば雪国の人が、関東地域の雪報道に苦笑するような
そんな
感じに、
近い感じは あるのかなあ・・・ taka的には・・・

でも、交通機関がSTOPな路線が多くて、
今だ帰宅難民になってる方も居られると思うので、
あんまし、言えんです・・。
整体師になる前の私だったら
確実に、テレビニュースの中に映し出される一人になっていたと思うから・・・。


さて。
一ヶ月前の台風9号も凄かったでした。
で、
奄美3日目にして、全然海に入る気は起きないほどのもんでしたから、
こういう時こそ、
いつもなら行かないところに行って見よう

そんな訳で、
鶏飯で 心もお腹も満たした後、
そのまま北上して
北部、笠利地域へ。
そして、奄美十景のひとつである、

「あやまる岬」へ。




うあ!すっごい波!!!!!

と、騒ぎながら。

(※ 普段、taka親子は、こういう名だたる場所に来ないもので・・
 あー。。
 ここ、
 晴れた日は、ほん  っとうに、素晴らしい景色なのですよ・・。
 地球が丸く 
 
 地球って丸いんだよね。。。

 って、実感できる、そんな場所。)
 

ちなみに、taka息子は
初めてでした。








台風じゃなきゃ、
わざわざ、
一般的 観光名所、こなかったなー。
だから
かえって
良かったかな? とか 思っちゃった


奄美に来たら鶏飯けいはん

2011年09月20日 | 奄美時間2011
博物館のあとは、大島を北上。
ちょっと、
受付のおじさんと つい話しこんでしまって 出遅れてしまって
もしかしたら。。
閉まっちゃった・・?

と心配したけど

開いてました

鶏飯元祖 みなとや!→最近は食べろぐにも載ってるのね



もう・・ ほんとに 

帰ってきた~~~~~~~

って味。。

ごめんなさい。語彙足りなくて・・
ほんとは
超 酷暑の時に食べるとより美味しい。
しかし、
ここ数年、奄美の夏は、涼しくて・・・。
千葉の方が、より死にそうに暑く
奄美には
避暑地に来てる、そんな感じ・・。

でも、

それでも やっぱ、


うまいわ


みなとやさん、独特の、濃厚 かつ あっさり
かつ


濃厚・・・ (・・・どっち・・?)

な スープを飲むと
本当に
おなかから、
しあわせな安堵感が湧いてきます

台風の奄美3日目の過ごし方・・(?)

2011年09月20日 | 奄美時間2011
奄美から帰って一ヶ月以上経って
これを書くのに
何てふさわしい現状。
台風、今も大変・・。
今年の台風って、ほんと、長い期間台風が台風のまま、滞在しますよね・・

さて、先月の台風9号もそうでした。
奄美二日目は、住用のキョンコに行けたは 良いけど
マングローブは強風のためカヌー出ず。。。
※これって 凄いことなんです・・。
 もともと住用エリアは湾になっていて、マングローブに護られてるため、
 だから、台風の強風高波の影響は 殆ど無いエリア・・。
 それが、真水のおだやかな住用川でカヌーが出せない。。
 それだけで、今回の台風の強さがはかれます・・・


おかげで 予定の名瀬市の夏祭りは、延期に次ぐ延期。
花火とか、どんどん順延。
名瀬市最後の夜に何とか「八月踊り」だけは開催される・・かな・・?
という感じの奄美三日目。

・・・


と言ったって、
私ら親子、結局奄美に居るだけでALLOK
台風なら台風で、それはそれ。
ここはしまですから。
台風は当然
taka的思考としては
 まあ・・ 海には入れないな・・・

くらいかな。


して、朝から 奄美市博物館に行きました。
宿泊地のニュー奄美から車で2分くらいです。(歩いていけっつ
公立なので ほんとに地味です。
しかしながら、taka的にも、taka息子的にも
非常に興味深いものが沢山有り、
私たち親子以外誰も居ないのを良いことに
くまなく
じっくりと
閲覧、観覧、堪能、できました。

奄美市立博物館HPより展示室

再度1階に戻り、入館から気になっていた蔵書スペースに行くと
そこは本当に
takaにとって 宝の書棚
一般では手に入らない
しま(奄美)の歴史を辿る書物がずらり

しばし、閲覧し、
そのうち、読み切れなくなって
つかつかと・・・

受付へ・・・


初老の受付係り員の男性に、丁重に、コピーを頼んでみました。
ら、
「良いですよ!」
と快い御返事。

「そうですかあ~?では・・・」

この書の○P~○P それから ○p~○p
そして こっちの○p~○p

で!


平素静かな市立博物館。
にわかに あわただしく・・・


「ママ、また かき回したよね・・・」


と息子にいわれつつ。。。

「良いの良いの 刺激は必要よ~

と 相変わらず マイペース発言をしつつ。


大量の、貴重な「しま」奄美の資料を げっつ。


ほくほくで、その方と会話。
ハチガツオドリについて。

「八月踊り」ってつまり何さ?

と思ったので、その関係の資料が多かったから。

「ありがとうございます。
 ところで、今夜、踊るんですか?」

と聞いてみたら、
途端に、
彼の手が踊り

足が ふみ

「うーん。
 別に「あれ」は、準備いらんからね~。
 いつでもね~」


あい

了解


※何となく。

災害の後の 住用を訪れる

2011年09月13日 | 奄美時間2011
遭難??
の危険から脱して、落ち着きを取り戻してから
車を走らせる。
宿泊地の名瀬方向に向かう途中に、住用(すみよう)はある。
昨年、
豪雨災害で、最大の被害を被った地。
そして、
ノロ(日本で言う巫女さんみたいなもんです)taka祖母の
ゆかりの地。

行く道は、
ところどころ、がけ崩れで 片側一方通行になってたりしたけれど
そして、こんな感じで↓

災害後、そのまんま・・???(では無いとは思うのだけど
爪跡を残す地を 見ながら

心の故郷

キョンコ清川 (清い川と書いてキョンコと読みます)

  は・・・?






果たして。。。





とても。。。







きれいでした・・・


そして、

漂う “気”が

元気でした。

澄み渡っていました。。。



良かった・・・・・・

         

タンガ(たなごのこと。海老です。)も
相変わらず さくさく 沢山居て
リュウキュウアユの稚児も 変わらず、びゅんびゅん 泳いでいて

なんかもう。。。



         



ほんとに 嬉しかった・・・・・

ここが、一番 心配だった・・・。

特に 住用地区在住のフタ従姉から聞いた話では
とても悲惨な荒れた話だったので・・・
“ここ”に訪れることが
本当に、緊張する、
でも、必須事項だった・・・。

taka祖母が、この地の最後のノロだった。
ここ、キョンコで、最後のノロへの禊(儀式)を受けた。
そう、伝え聞いているから
東京生まれの千葉育ちである身で居ながら
ここ、
キョンコが、どこより 故郷と 感じてしまう・・・
そんなフシが、私にはあるから・・・
(って。。 どうでもいい話ですが・・
私にとっては、
大切な 大切な

何処よりも大切な


そんな場所なんです・・・・・。

でも、ほんと

良かった・・。

しばし、清い水と戯れる・・。

水と触れた指を 口に運んで見ると

変わらない、 

清らか過ぎる その 味。


         

良かった

無事で居てくれて。

良かった・・・・・・・・・・



無沙汰をしていた後、
久しぶりに会う おばあちゃんが、
以前と変わらずに、とっても
元気で居てくれた・・
そんな感じでしたかね・・・

ちなみに

私は 実の「おばあちゃん」の温かみを 知りません。

ここに由来する祖母は
taka父が10歳の時に、既に他界しています。
また、
taka母の祖母もまた、taka母が幼少時に他界。
だから、

おばあちゃん 

の 温かさ は 実際には知らないんだけど。。。
でも、

ここ キョンコに来ると、感じます。

ここが、私の おばあちゃん。。。


おばあちゃん。。。 ただいま。。。
 

「沢に下りずに尾根に登れ」

2011年09月08日 | 奄美時間2011
湯湾岳下山中。
あれ・・?ひょっとしたら・・・?

どんどんと先へ行ってしまう息子にはぐれないよう必死で
足元の険しい岩を滑らないように一個一個と降りていきながら、
でも、
何だか どんどん疑惑が湧いてきた。
しかし、下には降りているのだから、、
間違ってはいないのでは・・・?
と言う思いもあり、尚、降りてしまう。
(遭難者に多いパターンだそうです。
 下ってるから合ってると思ってしまう・・らしい。確かにそうでした。)

でも、何回か、足をすべらせ、
何度もツルにからまって 悲鳴をあげ、
本当に進みづらくなってきて
ペタンと座ってしまう。
なんだか、奄美のケンムンが沢山居て、
どうも、進みにくくされてる気がしてきてしまう。
って事は、何だか、、引き止められてるんじゃないの・・?もしかして・・?

前方で やっと振り向いてくれた息子が、「大丈夫~~~???」
と、声をかけてくれた。
しかし振り返った息子の顔は、既に、緊迫した顔。

やはり・・・。

彼もまた、内心、気がついてるはず・・。


「ねー! 間違ってない? この道。
 違うんじゃない?」

「・・・・・」

「ねー! ママもさ~ 降りてるから合ってるって、思ってたんだけどさー、
 これ、開けてるけど、人の道じゃないんじゃない?
 これ、水が乾いてるけど、これ、きっと沢だよ!
 水の道だよ!」

自分で言いながら、自分の血が 背中からサーっと引いていくのを感じた。

「・・・・・
 そうか・・・
 そう言えば、、、登山道の印の赤いリボンが、どこにも結ばれてない

息子の顔が、声をあげずに 絶叫した。
恐怖を覚えた顔。
まずい・・・。

まずい・・・。

出来れば、この道が合ってると思いたい。
だって、
だって 物凄く大変な思いで やっとここまで降りてきた。
“もし、合ってたら”
“もうちょっとできっと下山できるはず”

※(まあ、これも遭難者によくある心情らしいっすよ・・

現実問題、ヘットへトである。
しかし、ちょっと冷静に考えて、今降りてきた斜面を振り返って見ると
やはり、ここを登ったという記憶は無い・・ように思う。

ふと、思い出し、絶叫顔の息子に、

「ねえ、そう言えば君、さっき登る前に、登山口のところで、方位磁石、見たじゃない?
 あれ、出してみて。
 それで方角観てみよう」

 と言う顔をして、息子が 震える手で、リュックから方位磁石を取り出す。

いやー。。つくづく、方位磁石って、必須だよね・・
と内心思いつつ、今回自分は持って来てなくて
息子が持ってきてくれてて本当に助かった。
山をなめたらいかん。本当にいかん。

して、方位磁石を確かめる。
こっちが北でしょー・・
さっき登山口から山頂を見たときはこう、
で、下山コースは宇検村側だから、この道だと、こっち向きだから・・・
やっぱ、
違うんジャン・・?

「ごめん・・ママ・・
 ごめん・・・
 ぼくが、、
 ぼくが、、間違えて・・
 間違えたんだ・・・
 どうしよう・・・・・

頭の中に 遭 難 の二文字が浮かんだ。
私たちが今日この山を登ること、
今、登っていることを知る人は、誰も居ない。
恐くて、携帯の電波が入ることを確認する勇気が出ない。
しかも全身泥と水でぐちゃぐちゃで、
こんな手で携帯をいじったらアウトだし。

頭の中で、リュックの中身を点検する。
レインコート、応急グッズ、入ってたな。。
非常食として、飴とか、サラミとか。。
飲み物はそれぞれ500mlずつあるな・・
無意識に、夜明かしを考えて中身を想像してしまってから
慌てて ぶんぶんと考えを打ち消す。

駄目駄目駄目

夜はハブの時間でありんす。。

この山で 夜明かしなんて、とんでもないでござりんす。。

深呼吸して腕時計をみた。
(※私はいつも、考える時に、腕時計を見るくせがあるんです・・)

そしたら、
なんてことない。まだ昼間の2時。
日が落ちるまで、あと5時間以上あるではないか

数秒でそこまで一気に考えをまとめた私は
息子に
「大丈夫だよ!
 来た道を、まっすぐあがろうよ。
 まっすぐ降りたからまっすぐ登れば大丈夫。
 それでわかる道まで 戻ろうよ。
 この道があってるのかもしれないけど、
 あってるって、確信できるところまで戻ってから
 もう一度降りたらよいんだよ。

そして、
「さあ!
 じゃあ、この飴を一個ずつ舐めて
 元気出していこう!」

と、ポケットに入れてあった、熱中症対策の飴を息子に渡し
自分も舐めた。
そういう時の飴って
本当に、元気が出るもんですねー。
何だか、それで 二人とも気持ちが落ち着いてきて、
今度は私が先に上りながら、頑張って登っていきました。 
声を掛け合い、励ましあい、
そしたら、、

なんて事は無く、
ものの15分で、あっさりと、

「ここで間違えたんじゃん

と言う、場所に着いてしまったのでした。

    

半ば、呆然として、親子で今来た道と正しい道との 境に立って振り返ると
その分岐に ちょっとした茂みがあって、
まるで同じ方向、同じ一本の道に見えてしまう・・

なあるほど~・・・ これで間違えちゃったんだねー・・・

ヘナヘナと脱力。
そして 安堵感。

そして 息子と握手。

良かったー。。。

危なかったー・・・。。。

「僕が悪かった。ごめんなさい。」

と再び息子が謝るので それは違うよ。
私の確認が無かったからだよ。と、なした。
それに、、

今登ってくる間に
ものすごく、 不安、恐れ、苛立ち、の感情が 湧いてしまった。
それって、この神聖な山で、今まで感じたことが無かった
マイナス感情だった。

「だからさー
 きっと この谷、この沢って、まだ、何かマイナスが溜まっている処なんじゃないかなー
 そのマイナスの波動に、疲れが共鳴しちゃった気がする。
 きっと、このマイナスの谷を 癒さなくちゃいけないから
 それで、
 ここに入っちゃったんじゃないかなー

そして、
今登ってきた、谷沢を見下ろしながら、レイキをした。

「うん。
 なんか、これで良かったって感じがする
 さ! じゃあ今度こそ、降りようや!」

母の不思議行動に慣れている息子は
何だかとりあえず良かったらしいと言うことで
「うん!!

と再び元気に走り出した。
私も、ものすごく嬉しくて ハイテンションで
作詞作曲takaのありがとうの歌(なんじゃそれ~)
を熱唱しながら 降りた。
前方に赤い鳥居が見えた時には、ほんとうに
ありがとう~~~!!!と絶叫。

降りたら、足元も腕もぐっちゃぐっちゃ。

緊張が一気にほどけたためか
降り出した雨のためか
体がすっかり冷えてきて寒さを覚えてきて、
taka親子 車の中で、ずぶぬれの服を 着替えました。
着替えがあって、良かった・・。



いやー・・・
結果良ければ全てよし・・
ではありますが、
今回、本当に、反省しました。
山をなめたらいけませんね。。
なめてたつもり・・は 無かったのだけど
初めて登る山じゃない という事と
来た道を引き返す下山ルート と言う事で
大きな油断が、ありました・・。
危険な目にあわせてしまった息子に、降りてから、しっかり謝りました・・。
照れ笑いする息子とガッチリ握手して
改めて 山を振り返って見ると
おそらく間違って降りていた方角は
登山口よりも、はるか果てしなく下のほうへと続いていました。
改めて、ぞっとしました。
そして 改めて 親子で無事を喜びあいました。

後に千葉に帰ってから、山登りを良く知る方々にこの話をすると
みなさん、一様に顔をしかめ、
「takaさん、、山をなめたらいかんのよ」
と、静かに、諭してくださいました・・。

そして、「山で道に迷ったら 沢に下りずに、尾根に上る」
これは山登りの鉄則なんだと
教わりました。
知らなかったけど、
あれで、合っていたんだなあ・・・
良かったー・・・
ほんと、、
結果オーライ! と 単純に笑い飛ばせないくらい
今回は ほんと、こわかったです。





2011湯湾岳の話

2011年09月08日 | 奄美時間2011
下山前に
湯湾岳の山頂広場で
目を閉じて、大宇宙とのつながりを感じて 地球に地上に全てに レイキをした。
湯湾父親(ゆわんふうや)の墓で手を合わせ
祈った。

昨年、登山口までは来た湯湾岳。
全体の雰囲気が、昨年は “揺れて”いて、
“今、いそがしいから!”と言われてる感じがして、
何だか、登ってはいけない・・・と 何となく思った。

その2ヵ月後に起こった豪雨災害。
そして、
今年の3.11大地震。
そして、各地で相次ぐ水災害。
とてつもなく大きな事が起こって
どんどん起こって
湯湾岳で早く、祈りたい。
そうしなくてはならない。

実はそんな思いがあった。
こういう思いにとらわれる時の私は、
自分でもよくその理由がわからない。
ただ、駆り立てられるように動く。
理由も理屈もわからないまま行動するから、
どこまでいくとOKなのか、それもわからない。
わからないまま行動して、
とにかく動いて、無意識の中で ここかな
と思うところでレイキをする。
すると、それで合っていたか、どうか、わかったりする。
奄美大島は「神人(かみんちゅ)の島」と呼ばれる島。
時々、
takaは、神様達が はるか上空にて チェスをされているかのように
駒である私をひょいっと つまんで、
動かされてる そんな感じがする。

さて、そんな風に訪れた湯湾岳は、
ところが思いのほか、「元気」だった。
昨年の 山全体が震えるような気に包まれていた様子とは一変していて
台風のさなかでも、すっきりとした、清々とした、「元気」な感じがした。
良い意味で拍子抜けしてしまうくらい。
良かったー・・・
私なんぞ、関係なく、すっかり元気だし~
なんだなんだ 良かった良かった

なので、山頂付近でレイキをしたら
それで気が済むのかな~と思っていた。
でも下山しながら、
あんまり、“済んだ”感じはしないなあ・・と。
間違ってはいないんだろうけど、何か「まだ」という感じが残った。
    
ま、きっと、住用のキョンコも行かないといけないから
そういうことなんだろうなあ
くらいに思いながら、
ひょいひょいと進んでいく息子に追いつこうと必死で下山していた。
しっかし、
彼は本当に山道になると、足が速いなあ~
比べて私は こけない様にしながら でもずるっとこけながら
見失わないよう必死であった・・・。
それにしても・・・

あれ・・?
こんなに険しかったっけ・・?
こんなに・・・さっき岩を登ったんだったっけ・・?

登りの風景と下りの風景では 違ったように見えるもんだ・・
とは言え、
なんか・・ おかしいかな・・。
あれ?
もしかして・・・






二日目、湯湾岳を目指す。

2011年09月07日 | 奄美時間2011
さて、2011奄美二日め。
ゆっくりした足取りの台風9号のため、天候は強風。時々豪雨。
ただ、もともと、今回の前半は祭りがメインなので
だからこそ中心街、名瀬宿泊していた私たち。
今日は、南下して、宇検村側から湯湾岳と昨年の災害の後の確認のため住用に寄る予定。

 (・・あ! 奄美を誤解している人のため、一応書いておくけれど
 名瀬はビルも並んでたりして、割と都会です
 そりゃ、、関東の省庁所在地のようには行きませんが・・
 普段私ら親子は敢えて 大自然の真っ只中しか行ってないから、皆に誤解されますが・・
 電車の無い島ですが、もともと船交易で栄えてきましたから、港のある町が 中心街。
 名瀬港は奄美の中でも特に大きいので、栄えてます。)


さてさて・・
湯湾岳は、奄美に来たら、登らなくてはならない。。
と思ってしまう山。
昨年も、天候不良のため、登山口の鳥居で拝んで登らず。
一昨年は、やはり天候不良で飛行機が大幅に遅れたため、日程が狂い、断念。
なので、今年は登らなくては・・
と、使命感がありました。
なんていうんですかねえ・・
登らないと、先祖の墓がそこにあるのに、素通りしていくような
そんな気分になってしまうんです。
だから、レジャー・・って言う感じじゃないですねー私たちは。
つとめ・・?任務・・・?
うーん・・・・・使命感・・・・・かな・・ そんな思いで
いつも、旅支度の中に登山仕度も入れるのです。

湯湾岳については、以前も書きましたね

奄美時間2008参照→http://blog.goo.ne.jp/simples-taka/e/1bfcb4b01202927fd0729ea04bb28e49

奄美パーク本文より抜粋→http://www.amamipark.com/islandinfo/oshima/shizen/yuwan.html
「"奄美大島の最高峰(標高694.4m)。3,000mm近い年間降水量と20度を超す年平均気温。
亜熱帯気候により、スダジイなど常緑広葉樹のうっそうとした原生林が育まれ、直射日光が当たらない森の中は木生シダのヒカゲヘゴやオオタニワタリなどが原始の森を思わせる景観を作り出しています。ここには、アマミノクロウサギ、オーストンオオアカゲラ、オットンガエルなど数多くの貴重な奄美・南西諸島の固有種が生息しており、頂上付近全体が国の天然記念物、国定公園特別保護地区に指定されています。
また、奄美大島の開祖といわれるシニレク、アマミコが降り立ったといわれる霊山でもあります。」


そう、この山は、女神と男神が降り立ち隆起した、そして島が出来た
と言われている伝説の霊峰です。。

さて、今年は登れるのかしら・・
と、宇検村側から五合目の展望台広場まで車で行ってみました。



さすがの悪天候のため、私たち以外、だあれも居ませんでした。
雨でした・・・。
どうしよーかねー・・・
と言いながら、二人でぶらぶら。
険しい山道を知っているから、天候によっては無理なので
すぐは登らず。様子見。
とりあえず、展望台にあがってみたりしてました。



展望台は暴風で、スポーツ刈りの息子は普通に写ってますが
takaの写真は、髪の毛が鬼ババのように乱れまくってるのしかないので割愛・・。

すると、何となく、晴れてきました。
うーん・・・
じゃあ・・
登っちゃおうか!!!

3年ぶりの湯湾岳登頂開始。
やっぱり緊張です。
鳥居で二人、手を合わせて登山の安全を祈り、スタート
三年前とは違う
四年前とはもっと違う
成長した息子の しっかりした軽やかな足取りを
ほれぼれ・・・
と、
見つめる余裕は全く無くて、taka42歳、ぜいぜいで着いていきました
が、
春の鎌倉山の失敗を思えば、
きついながらも、あれを思えば ぜんぜん楽で、
頼もしい息子のサポートを受けながら(ちょっと情けなか・・)
無事、何とか、登頂成功
山頂は、2008でも書いたように、展望はありません。
ので今回は写真割愛。
山頂を確かめて、二人で握手して、
それから、再び 展望ウッドデッキの広場に戻りました。

しかし、強風というか、暴風にて、
デッキの上に立つことは、この写真の後、不可
息子の麦わらも私の麦わらも一瞬で吹き飛び、はるか麓へ・・・
ぶっとぶ強風の中、このはしごを降りるのは、こわかった~~~~~

かつての奄美の王である湯湾父親の墓に、墓参りをすませ、
さあ、
早々に下山した方が良いぞ!という天候。

振り返って書くと、ここまでは、順調だったんですね・・。
事件はその後でした





奄美一泊め

2011年09月06日 | 奄美時間2011
ホテル ニュー奄美にて。



祭りに参加する予定で来たから
中心地の「名瀬」に
初滞在。

奄美にてビジネスホテルに泊まるのも初体験。

ニュー奄美、なかなか良いホテルです。


さて、奄美初日のtaka親子。
奄美パークにて 従兄と再会して夕飯の約束をしたあと
直行で、この部屋へ。
チェックインした後、近所のコンビニに買いだしに行き
部屋にて、おやつ?ともなんとも言えない腹ごしらえをした後、

二人して、

それぞれ、持参した本を読むと証してベッドへ・・・

そして


ものの数分で 夢の中・・・




何しろ、前述したように、ばったばったの前日で
我ら、2時間くらいしか寝てなかったから
ほんと、
眠かったんです~

奄美に着けた。

無事、着いた。

その安堵感で、いっぱいで
この上なく安心して 幸せに、眠っちゃいました。

夕飯時刻に 従兄から
「ご飯食べに行こう!」
の電話があるまで。


その夜は、従兄に 島料理のおいしい店に連れて行ってもらい、
沢山食べて
沢山飲んで
沢山笑って
沢山沢山話して
沢山、沢山

楽しく過ごしました


従兄と再会。

2011年09月05日 | 奄美時間2011
勝手知ったる 奄美レンタカーにて
予約してあった車を借りて 走り出す。
※毎年借りるので、さすがに覚えられてます・・
Kしか借りないのにねー。
必ずナビ付で新車を用意してくれてるのが嬉しいね

一年ぶりだけど 一年のブランクを感じさせない
すっと なじむ、この島の道。

あーーーーー 帰ってきた~~~~~~~

とぞ思ふ。


迷い無く、奄美パークに車を入れる。
奄美パーク10周年記念企画で
画家をやってる従兄が個展を依頼されて開催しているのだ。

駐車場にて従兄の携帯にかけてみる。

「おー。 今、どこね?」


「おー。着いたよ。今、奄美パークさ


「えー    


超、びっくりされた。
“兄さ”に言われたから4日に来いと言われたから 今日来たんじゃんか~
と言っても
何しろ台風9号につき、
とにかく飛行機の発着が無かったから
心底、今日、いま、
奄美にいることに、ものすごく驚かれて、ものすごく、喜ばれてしまった。


従兄は60代。団塊の世代の猪。
とても 年の差があるのだけれど、高校、大学、と、
東京で過ごした彼は、一時taka家に下宿していた時もあったりして
まだ幼かった頃のtakaは、よく遊んでもらっていた。
大好きな“兄さ”である。
美大に通う“兄さ”にまとわりつき
いろんな事を教えてもらった。

今、兄さが描く絵は、また、ものすごい生命力を帯びた
ガジュマル。

今回、6枚組みの鉛筆画を ばばんと 出していた。




そして着いてしまった!

2011年09月04日 | 奄美時間2011
そして、
本当に奄美に着いてしまった。
そして、着いてみたら、
この日、私たちの便以外、
JAL便含め、全て 到着できず。。と言う事実を知って更にびっくり

やった・・・
勝った・・・

      


何だか全身から力が抜けて、ドベーッと してしまった・・・。

良かった・・着いたよ。。ほんとに着いた。。。

       


taka息子いわく

「すげー
 やっぱり、ママの覇王色の覇気の お陰だね

※はい・・ONE PIECE 読みすぎね~



到着した奄美空港付近の海。
雨は無いけれど、強風のため、白波が立ってました。

晴れてるとエメラルドグリーンの海ですが
でも、全然ok。
何しろ着いたんだから。
私たちはとにかく
奄美に来られたら それで満足。
それでHAPPY。
やった~