心のセルフケアシリーズも
いつの間にか二か月に及んでしまいました。
今回で 一旦終章と致します。
冬から春に移り変わってゆくこの季節
学生は卒業、入学、社会人は移動、引越し、年度末、、
などなども重なるのか
日本上空だけかもしれないけれど
大気も大きく変動することに影響を受けてしまうのか
なあんとなく・・ふあーっと・・
メンタル的に参ってしまう人が多いもんなのかなあ・・
と、例年職業的に感じておりました。
そんな時に、逆に癒し手の方が
「自分も落ちました」だの「盛大に泣きしました」だの
恥ずかしげも無く 書いちゃってていいのかなー
皆様に色んな不安を感じさせてしまいはしないかなー・・
・・・・・・
と、不安になりながら終に迎えたエピローグ。
何となく、ほっとしてます。
途中、実は、何度も書くのが嫌になりました。
自分自身のメンタル的に弱い部分を、振り返って 見つめなおして
言葉を選んで文章にし直すのは
結構、心に厳しい作業でした。
時が経って、いつの間にか 元気になって
それで忘れちゃっていたこと、
出来れば思い出したくなかったこと、
無かった事にしたいこと、
改めて わざわざ掘り返して
そして 自分の心の動きを辿り直すのは
正直言って、、、
きついですね。
やっと塞がったばかりのカサブタを
ベリベリっと剥がしてしまうような・・?
で、またせっかく止血したのに
またもや剥がしてしまうような・・?
そんな心の作業でした。
でも、時には
過去何気に発していた
自分自身の言葉に、
後になってから
あの時、自分だってそう言っていたじゃない!
と、気づかされる事もあるから・・・。
恥をしのんで、あえて書き続けまてみました。
生きていたら
時には、どう進んでいいのやら
何を思って歩んでいいのやら
自分の生きる方向を見失ってしまう事も
あるんじゃないか、、、
と、思います。
周囲だけが しっかりと時流に乗って動いていて
自分だけが 静止しているような
水の中でもがいているような
心がきゅーっとしぼめられてしまうような
そんな状態になってしまう事も
あるんじゃないか
と、思います。
taka自身もきっと
生きている限り、
何度となく、あるやもしれません。
そういう時は、
ここで、心のカサブタを剥がしまくって書いた事を振り返って、
で、
ちょっと過去の自分をふっ・・・
と笑ってみたりして、
で、
ちょっと、また、
心の風邪、ひいちゃったかなー・・
と 気がついてみようかと思います。
風邪を引いたら、
それは、ぼちぼちヒト休みましょーよ・・
と言う、自分の身体からの心からのメッセージ。
それこそ、体の風邪や、ぎっくり腰の際の考え方と同じで
養生期間をしっかりとることが重要かな。
素直に休むが一番。
寝ちゃうが一番かな。
ゆっくりでいい。
ゆっくり ゆ~っくりでいいんじゃあない?
全部一度に解決しなくたっていいんじゃあない?
せっかくだから、
休み飽きちゃうまで 休んでから
休む事にも飽きちゃってから
よっこらせーと
起き上がって
う~~~~~~ん と伸びをしてから
気持ちよく、
また 自分を生きればいいのだと
takaは思うであります。
taka流マイペース人生・・。
さあ、季節は春ですよー。
takaは桜の花が好きです。
そめいよしのが大好きです。
突き抜けるような青空の下で 眺めるのも好き。
ほんのり淡い月明かりの下で 眺める夜桜も好き。
南風に、散った花びらが
道をころころ ころころ 転がっていくのも可愛くて好き。
仕事へ向かう 道中が
また楽しみになる季節です。
いつの間にか二か月に及んでしまいました。
今回で 一旦終章と致します。
冬から春に移り変わってゆくこの季節
学生は卒業、入学、社会人は移動、引越し、年度末、、
などなども重なるのか
日本上空だけかもしれないけれど
大気も大きく変動することに影響を受けてしまうのか
なあんとなく・・ふあーっと・・
メンタル的に参ってしまう人が多いもんなのかなあ・・
と、例年職業的に感じておりました。
そんな時に、逆に癒し手の方が
「自分も落ちました」だの「盛大に泣きしました」だの
恥ずかしげも無く 書いちゃってていいのかなー
皆様に色んな不安を感じさせてしまいはしないかなー・・
・・・・・・
と、不安になりながら終に迎えたエピローグ。
何となく、ほっとしてます。
途中、実は、何度も書くのが嫌になりました。
自分自身のメンタル的に弱い部分を、振り返って 見つめなおして
言葉を選んで文章にし直すのは
結構、心に厳しい作業でした。
時が経って、いつの間にか 元気になって
それで忘れちゃっていたこと、
出来れば思い出したくなかったこと、
無かった事にしたいこと、
改めて わざわざ掘り返して
そして 自分の心の動きを辿り直すのは
正直言って、、、
きついですね。
やっと塞がったばかりのカサブタを
ベリベリっと剥がしてしまうような・・?
で、またせっかく止血したのに
またもや剥がしてしまうような・・?
そんな心の作業でした。
でも、時には
過去何気に発していた
自分自身の言葉に、
後になってから
あの時、自分だってそう言っていたじゃない!
と、気づかされる事もあるから・・・。
恥をしのんで、あえて書き続けまてみました。
生きていたら
時には、どう進んでいいのやら
何を思って歩んでいいのやら
自分の生きる方向を見失ってしまう事も
あるんじゃないか、、、
と、思います。
周囲だけが しっかりと時流に乗って動いていて
自分だけが 静止しているような
水の中でもがいているような
心がきゅーっとしぼめられてしまうような
そんな状態になってしまう事も
あるんじゃないか
と、思います。
taka自身もきっと
生きている限り、
何度となく、あるやもしれません。
そういう時は、
ここで、心のカサブタを剥がしまくって書いた事を振り返って、
で、
ちょっと過去の自分をふっ・・・
と笑ってみたりして、
で、
ちょっと、また、
心の風邪、ひいちゃったかなー・・
と 気がついてみようかと思います。
風邪を引いたら、
それは、ぼちぼちヒト休みましょーよ・・
と言う、自分の身体からの心からのメッセージ。
それこそ、体の風邪や、ぎっくり腰の際の考え方と同じで
養生期間をしっかりとることが重要かな。
素直に休むが一番。
寝ちゃうが一番かな。
ゆっくりでいい。
ゆっくり ゆ~っくりでいいんじゃあない?
全部一度に解決しなくたっていいんじゃあない?
せっかくだから、
休み飽きちゃうまで 休んでから
休む事にも飽きちゃってから
よっこらせーと
起き上がって
う~~~~~~ん と伸びをしてから
気持ちよく、
また 自分を生きればいいのだと
takaは思うであります。
taka流マイペース人生・・。
さあ、季節は春ですよー。
takaは桜の花が好きです。
そめいよしのが大好きです。
突き抜けるような青空の下で 眺めるのも好き。
ほんのり淡い月明かりの下で 眺める夜桜も好き。
南風に、散った花びらが
道をころころ ころころ 転がっていくのも可愛くて好き。
仕事へ向かう 道中が
また楽しみになる季節です。
私は数字は苦手だったけれど
だから 数学の時間は大変・・ノ
な気分だったけれど
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
と言う定義に出会ったとき、
そのフレーズに ぐっときてしまい
素敵っ
と、惚れてしまいました。
(だからと言って成績が上がったわけじゃないので、片思いでしたが)
落ちたな~
へこんだな~
という時も、
この法則をあてはめてみてしまいましょう。
言葉尻をプラスにしてしまうんですよー。
「~ない」「駄目」とか
否定で言葉が終わってしまうとマイナスだけど
そのマイナスな言葉に
「~けど」「でも」などの打ち消し言葉をかけてしまえば、
どうしても、
「~ある」「~みよう」と言う感じで
あら不思議なこと
ごく自然に、前向きな言葉が
出てきちゃいませんか?
くよくよモード
いじいじモードの時、
「どうせ」で始まった言葉を 「~ない」で終わらせてしまうと
なんだか、本当にどうしようもなくなっちゃうけれど
「どうせ」の後に「なら」と続けてみたら
あら不思議なこと
「~が良い」とか「~してみよう」とか
ほら!!!自然に
前向きな発言、未来に向かった発言に
変わってきませんか?
taka流練習問題
~ に、あなたの好きな言葉を入れて文章を作ってみましょう。
どうせ+~ なら・・・?
~ が・・? したい?
どうせ+~ なら・・・?
~ な風に・・?
なりたい・・?or 見られたい?
どうせ+~ なら・・?
(「どうせ・・」と言う言葉が うっかり出ちゃった後にでも
思い出してみてもらえると幸いです)
語尾をマイナスで終わらせないこと。
プラスでしめること。
そうすればきっと
もはや抜けられないと思っていたはずの「穴」からも
抜け出せちゃえると、takaさんは思う。
長い長い話も、最後がめでたしめでたしで終われば
安心するもの。
ハッピーエンドで終わる話のほうが、
心にあったかい。
落ち込んでも、へこんでも、くよくよしても、じめじめしても、泣いちゃっても、
でも、
最後には笑えるように
最後には、笑い話に変えられるように
そして最期には、笑顔の自分を思い出してもらえるように
そうやって今を生きたいと
takaは切に思う、今日この頃です。
だから 数学の時間は大変・・ノ
な気分だったけれど
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
と言う定義に出会ったとき、
そのフレーズに ぐっときてしまい
素敵っ
と、惚れてしまいました。
(だからと言って成績が上がったわけじゃないので、片思いでしたが)
落ちたな~
へこんだな~
という時も、
この法則をあてはめてみてしまいましょう。
言葉尻をプラスにしてしまうんですよー。
「~ない」「駄目」とか
否定で言葉が終わってしまうとマイナスだけど
そのマイナスな言葉に
「~けど」「でも」などの打ち消し言葉をかけてしまえば、
どうしても、
「~ある」「~みよう」と言う感じで
あら不思議なこと
ごく自然に、前向きな言葉が
出てきちゃいませんか?
くよくよモード
いじいじモードの時、
「どうせ」で始まった言葉を 「~ない」で終わらせてしまうと
なんだか、本当にどうしようもなくなっちゃうけれど
「どうせ」の後に「なら」と続けてみたら
あら不思議なこと
「~が良い」とか「~してみよう」とか
ほら!!!自然に
前向きな発言、未来に向かった発言に
変わってきませんか?
taka流練習問題
~ に、あなたの好きな言葉を入れて文章を作ってみましょう。
どうせ+~ なら・・・?
~ が・・? したい?
どうせ+~ なら・・・?
~ な風に・・?
なりたい・・?or 見られたい?
どうせ+~ なら・・?
(「どうせ・・」と言う言葉が うっかり出ちゃった後にでも
思い出してみてもらえると幸いです)
語尾をマイナスで終わらせないこと。
プラスでしめること。
そうすればきっと
もはや抜けられないと思っていたはずの「穴」からも
抜け出せちゃえると、takaさんは思う。
長い長い話も、最後がめでたしめでたしで終われば
安心するもの。
ハッピーエンドで終わる話のほうが、
心にあったかい。
落ち込んでも、へこんでも、くよくよしても、じめじめしても、泣いちゃっても、
でも、
最後には笑えるように
最後には、笑い話に変えられるように
そして最期には、笑顔の自分を思い出してもらえるように
そうやって今を生きたいと
takaは切に思う、今日この頃です。
何かしらのアクシデントがあったり
落ち込んだり、悩んだり、迷ったり
立ち止まった時に
した時にいつも思い出す言葉って、
takaの場合、
「塞翁が馬」
高校の漢文の授業で妙に感心してしまい、
以来、何かというと思い出す言葉です。
当時の私といえば 所属していたバレーボール部が自分の中心にあって
バレーやってるか、食べるか、寝るか、
の三本立てで365日が回っていて
肝心(のはず・・)の授業中さえも、
午後の練習に備えて(?)よく寝ていた
そんなお前が良く言うよ!と・・・、当時の先生方の声が聞こえてきそうだけど・・・
(今更ながら失礼致しました~)
有名なお話だけど、、、
taka的解釈で先に話しちゃうと、いけないかしらと思いまして
ちょっと検索してみたらきちんと書いている方のサイトがあったので
こちら→故事成語で見る中国史
御参照くださいませ~
で、改めてtaka的解釈で語ると
むか~し昔、塞という国に居たおじいさんの話。
ある日、おじいさんの馬が逃げていってしまった。
周りの人々は これは気の毒に・・と慰めに来てくれると
「いやいやこれがどんな福をもたらすかわからんよ」
その後逃げた馬が今度は名馬を連れて戻ってきた。
周りの人々は、これはやっぱりおじいさんの言うとおり!
と褒めに集まると
「いやいやこれがどんな災いをもたらすかわからんよ」
すると 今度はおじいさんの息子がその名馬に乗って怪我をした。
また周りの人々は、集まる。
「いやいや、これがどんな福をもたらすかわからんよ」
人々は、本当にあきれはて、
あー言えば こー言う へそ曲がりのじーさんだ
実の息子が怪我をしてる時だっていうのにねーくらいに
受けとりたくもなるんだけど
その後、起こった戦争には
そのおじいさんの息子は怪我を理由に徴兵されず
父子、末長く生きながらえる事が出来た。
とさ。
(あ。あれ?合ってたかしら・・?)
と言う話。
何事も、体験してみないとわからないくちのtakaとしては
当時はまだ みょうーに頭に残っただけだったけど。
でも、そのうち、色んな意味で 立ち止まってしまうたびに
どう考えても、こりゃあきつい~
と、その時は人からも自分でも思われた事でも
時が経つと、それが返って役に立ったり
してしまう事もあるんだなーと思う。
ので。
何事も その渦中に居る間は
なかなかわかりませんで
後になって、
それが数分先であったり
数ヵ月後であったり
何年も経ってからであったり
それは その時その出来事によっても違うんだけど
はー・・・そーなんだねー・・・
と、妙に納得してしまうこと
って、ありませんか・・。
落ち込んじゃったなー へこんじゃったなー
っていう、真っ最中に居る時には
「時間と共に解決する」的な事を言われても
アバウトすぎて
かえって ズドン
と、来てしまう事もあるけれど。
私も、そうだった事があるけれど。
振り返れば よくぞこれだけ転んだな~
挫折したな~体も心も「怪我」したな~
と、自分でもあきれてしまうくらいの私でも
今は、その時の痛みの記憶を日々頼りにしながら
たどって整体師を生業にしているわけで・・・。
その時々、「今が一番つらいっ!」って思ってしまったとしても
やっぱり、ある時間が経つと
それが 役に立ってしまったりして。
っはっは~・・・・・
こーゆーのが、「塞翁が馬」って事なんかなー・・
と思わずには居られないことが多々あるのでありました。
で、今も何かあるたびに
「いやいや~そうとも言えんよ~」
と言う、塞翁の声が聴こえてきちゃう(ような気がする)私。
昔の人って、
やっぱり凄いなあ~・・と思ってしまいます。
すると
転んでばかりというフレーズの後に浮かぶ
「転ばぬ先の杖」って言葉にも
先に転んでおいてくれた人が作ってくれたのね・・・私の為に
と、自分に都合よく解釈しちゃう私なのでした。
とは言え、
せっかく用意しておいてくれた先人の「杖」よりも
結局自分で転んでみて初めて感心するという私だけど・・・。
(あー聴こえてくる 先人の溜息~)
落ち込んだり、悩んだり、迷ったり
立ち止まった時に
した時にいつも思い出す言葉って、
takaの場合、
「塞翁が馬」
高校の漢文の授業で妙に感心してしまい、
以来、何かというと思い出す言葉です。
当時の私といえば 所属していたバレーボール部が自分の中心にあって
バレーやってるか、食べるか、寝るか、
の三本立てで365日が回っていて
肝心(のはず・・)の授業中さえも、
午後の練習に備えて(?)よく寝ていた
そんなお前が良く言うよ!と・・・、当時の先生方の声が聞こえてきそうだけど・・・
(今更ながら失礼致しました~)
有名なお話だけど、、、
taka的解釈で先に話しちゃうと、いけないかしらと思いまして
ちょっと検索してみたらきちんと書いている方のサイトがあったので
こちら→故事成語で見る中国史
御参照くださいませ~
で、改めてtaka的解釈で語ると
むか~し昔、塞という国に居たおじいさんの話。
ある日、おじいさんの馬が逃げていってしまった。
周りの人々は これは気の毒に・・と慰めに来てくれると
「いやいやこれがどんな福をもたらすかわからんよ」
その後逃げた馬が今度は名馬を連れて戻ってきた。
周りの人々は、これはやっぱりおじいさんの言うとおり!
と褒めに集まると
「いやいやこれがどんな災いをもたらすかわからんよ」
すると 今度はおじいさんの息子がその名馬に乗って怪我をした。
また周りの人々は、集まる。
「いやいや、これがどんな福をもたらすかわからんよ」
人々は、本当にあきれはて、
あー言えば こー言う へそ曲がりのじーさんだ
実の息子が怪我をしてる時だっていうのにねーくらいに
受けとりたくもなるんだけど
その後、起こった戦争には
そのおじいさんの息子は怪我を理由に徴兵されず
父子、末長く生きながらえる事が出来た。
とさ。
(あ。あれ?合ってたかしら・・?)
と言う話。
何事も、体験してみないとわからないくちのtakaとしては
当時はまだ みょうーに頭に残っただけだったけど。
でも、そのうち、色んな意味で 立ち止まってしまうたびに
どう考えても、こりゃあきつい~
と、その時は人からも自分でも思われた事でも
時が経つと、それが返って役に立ったり
してしまう事もあるんだなーと思う。
ので。
何事も その渦中に居る間は
なかなかわかりませんで
後になって、
それが数分先であったり
数ヵ月後であったり
何年も経ってからであったり
それは その時その出来事によっても違うんだけど
はー・・・そーなんだねー・・・
と、妙に納得してしまうこと
って、ありませんか・・。
落ち込んじゃったなー へこんじゃったなー
っていう、真っ最中に居る時には
「時間と共に解決する」的な事を言われても
アバウトすぎて
かえって ズドン
と、来てしまう事もあるけれど。
私も、そうだった事があるけれど。
振り返れば よくぞこれだけ転んだな~
挫折したな~体も心も「怪我」したな~
と、自分でもあきれてしまうくらいの私でも
今は、その時の痛みの記憶を日々頼りにしながら
たどって整体師を生業にしているわけで・・・。
その時々、「今が一番つらいっ!」って思ってしまったとしても
やっぱり、ある時間が経つと
それが 役に立ってしまったりして。
っはっは~・・・・・
こーゆーのが、「塞翁が馬」って事なんかなー・・
と思わずには居られないことが多々あるのでありました。
で、今も何かあるたびに
「いやいや~そうとも言えんよ~」
と言う、塞翁の声が聴こえてきちゃう(ような気がする)私。
昔の人って、
やっぱり凄いなあ~・・と思ってしまいます。
すると
転んでばかりというフレーズの後に浮かぶ
「転ばぬ先の杖」って言葉にも
先に転んでおいてくれた人が作ってくれたのね・・・私の為に
と、自分に都合よく解釈しちゃう私なのでした。
とは言え、
せっかく用意しておいてくれた先人の「杖」よりも
結局自分で転んでみて初めて感心するという私だけど・・・。
(あー聴こえてくる 先人の溜息~)
takaが 東洋医学の教えが好きなところは
ついぞ、良くないと思われがちなところが「よし」
と言ってくれる所。
血が出たり
溜息が出たり
おならが出たり
どっさり宿べ●が出たり
そして 涙が出たり。
大和なでしこならば(誰が・・?)
あんまり大きな声で言えるもんじゃないと
包み隠したくなるような事でも、
よ しっ
と考えるところ。
健康になるために 元気を取り戻すために
不必要なものが出てしまうのだから。
人間の体は 本来、自分自身の体の中に
自分を治す力を備えているのだから。
先日、大泣き自慢(?)をここでしたらば
「takaさんでも泣く事あるんだー」
と しみじみ言われてしまいました。(笑)
そーねー 確かに。私自身も、
「あー私でも こんなに泣けるんだー」
と 思ってしまいましたので・・・
自分の中の「自然」に従うと
自分でも知らなかった自分を発見できますね。
泣く 空っぽになるまで泣く
と?
疲れる
と?
眠くなる
と?
起きる
と?
動く
と?
おながが空く
と?
食べる
と?
眠くなる
と?
人間、すごーくsimpleな生理的欲求にさからわずに動くと
いつのまにか、元気になっているもの。
(やっぱり素直が一番ね。)
例えば 野生動物は
自分の体に不調があれば、じっとして動かない。
本能で、自分の体に良い事を知っているから。
人間だって、
一旦からっぽにしてしまうと
ごくごく自然な欲求が生まれてくるもの。
肉体的にも。
心情的にも。
何がしたかったのか。
どこへ行こうとしていたのか。
何を必要としているのか。
深い霧の中、道に迷ったら、
じっとしてること。
闇雲に動いても
「どこをどう迷ったか・・」
わからなくなるだけかもしれないし。
自分の位置がはっきりしてくるまで
じっとしていると
霧の方から晴れてくれることもある。
でなければ、自分の目が冴えてくる事もある。
どこかのお店のトイレに
「出した分だけ、入れましょう」
なあんて、マメ知識みたいな文章が書かれていたけれど
元気になるために、溜まってしまった何かを出してしまった後は
今度は
元気になるために 本当に必要としているものが
ごんごん入ってくる あるいは見えてくる
ものかなー と、takaは考えてます。
ついぞ、良くないと思われがちなところが「よし」
と言ってくれる所。
血が出たり
溜息が出たり
おならが出たり
どっさり宿べ●が出たり
そして 涙が出たり。
大和なでしこならば(誰が・・?)
あんまり大きな声で言えるもんじゃないと
包み隠したくなるような事でも、
よ しっ
と考えるところ。
健康になるために 元気を取り戻すために
不必要なものが出てしまうのだから。
人間の体は 本来、自分自身の体の中に
自分を治す力を備えているのだから。
先日、大泣き自慢(?)をここでしたらば
「takaさんでも泣く事あるんだー」
と しみじみ言われてしまいました。(笑)
そーねー 確かに。私自身も、
「あー私でも こんなに泣けるんだー」
と 思ってしまいましたので・・・
自分の中の「自然」に従うと
自分でも知らなかった自分を発見できますね。
泣く 空っぽになるまで泣く
と?
疲れる
と?
眠くなる
と?
起きる
と?
動く
と?
おながが空く
と?
食べる
と?
眠くなる
と?
人間、すごーくsimpleな生理的欲求にさからわずに動くと
いつのまにか、元気になっているもの。
(やっぱり素直が一番ね。)
例えば 野生動物は
自分の体に不調があれば、じっとして動かない。
本能で、自分の体に良い事を知っているから。
人間だって、
一旦からっぽにしてしまうと
ごくごく自然な欲求が生まれてくるもの。
肉体的にも。
心情的にも。
何がしたかったのか。
どこへ行こうとしていたのか。
何を必要としているのか。
深い霧の中、道に迷ったら、
じっとしてること。
闇雲に動いても
「どこをどう迷ったか・・」
わからなくなるだけかもしれないし。
自分の位置がはっきりしてくるまで
じっとしていると
霧の方から晴れてくれることもある。
でなければ、自分の目が冴えてくる事もある。
どこかのお店のトイレに
「出した分だけ、入れましょう」
なあんて、マメ知識みたいな文章が書かれていたけれど
元気になるために、溜まってしまった何かを出してしまった後は
今度は
元気になるために 本当に必要としているものが
ごんごん入ってくる あるいは見えてくる
ものかなー と、takaは考えてます。
確定申告書、昨日、ようやく提出して来ましたとです。
相変わらずのギリギリ女であります。
いつもいつも、何かって言えば
確定申告が終わってから、確定申告が終わってから
と、騒いでる割に、
むわあったく
去年と変わらない結末を迎えているので・・・。
いつまでも進歩しない自分を反省し
ここにまた、記録しておきますー。
クリック→去年の私の確定申告時の記録
だから今年は言わない・・
来年こそ早く出そう・・・
なんて・・・。
(言えない の間違いだろっ とつっこむとこです)
さあてええ~溜まっていた事が出来るわああ~~
(全く懲りてない・・)
相変わらずのギリギリ女であります。
いつもいつも、何かって言えば
確定申告が終わってから、確定申告が終わってから
と、騒いでる割に、
むわあったく
去年と変わらない結末を迎えているので・・・。
いつまでも進歩しない自分を反省し
ここにまた、記録しておきますー。
クリック→去年の私の確定申告時の記録
だから今年は言わない・・
来年こそ早く出そう・・・
なんて・・・。
(言えない の間違いだろっ とつっこむとこです)
さあてええ~溜まっていた事が出来るわああ~~
(全く懲りてない・・)
車で動くくせに、いまだカーナビを持たない私は
時々、あれれ・・?と道に迷う。
大抵は動物的勘(鼻は効かないけどね)で
たぶんこっちっ・・・・・かなあ~
で、たどり着けるのだけど、
年に2万も3万も走っていると
時には ここはどこ私は誰状態にはなる。
(てゆーか いー加減ナビ買えって・・)
思考の中で、ひとり にっちもさっちもいかなくなってしまった時は
この状態の自分を 思い浮かべる。
あー・・『ナビ』ありの人 って、いいなあ・・とか
普段自由気ままに生きてるくせに
『ナビ』無し人生 選んだのは誰でもなく私自身のくせに、
こう~いう時は、
やっぱり思ってしまう・・。
はーさてさて やれやれと
話を戻すとしますと
迷宮にはまりこんでしまった時、
早く抜けるためには
「もとの場所」に軌道修正するためには、
まずは、「地図」で、自分の現在位置を確認する事。
自分が居る「場所」をわかること。
今の自分を、客観的に確認する事・・。
(自分で言って、自分でぐさぐさささるわああ・・・)
ちょっと 自分で書いてて、
自分で身につまされてきたので、
続きはまた明日
時々、あれれ・・?と道に迷う。
大抵は動物的勘(鼻は効かないけどね)で
たぶんこっちっ・・・・・かなあ~
で、たどり着けるのだけど、
年に2万も3万も走っていると
時には ここはどこ私は誰状態にはなる。
(てゆーか いー加減ナビ買えって・・)
思考の中で、ひとり にっちもさっちもいかなくなってしまった時は
この状態の自分を 思い浮かべる。
あー・・『ナビ』ありの人 って、いいなあ・・とか
普段自由気ままに生きてるくせに
『ナビ』無し人生 選んだのは誰でもなく私自身のくせに、
こう~いう時は、
やっぱり思ってしまう・・。
はーさてさて やれやれと
話を戻すとしますと
迷宮にはまりこんでしまった時、
早く抜けるためには
「もとの場所」に軌道修正するためには、
まずは、「地図」で、自分の現在位置を確認する事。
自分が居る「場所」をわかること。
今の自分を、客観的に確認する事・・。
(自分で言って、自分でぐさぐさささるわああ・・・)
ちょっと 自分で書いてて、
自分で身につまされてきたので、
続きはまた明日
整体師的な文章で書くと
心に大きな悲しみや辛さを抱えている人は
今日はどこが一番辛いですか~というtakaの問いかけに
「肩って言うか・・背中がこってる感じで痛くて・・」
と大多数、答えられます。
内蔵疾患が考えられない場合、
その骨格筋的原因を問われるのなら
前かがみ姿勢、
胸を抱えるような姿勢、
うつむくことが多い姿勢、
で過ごす時間が長いところにあったりします。
お仕事の内容上、仕方ない場合も もちろん多いですが
人というのは、
無意識のうちに、一番辛いところを かばう体勢をとるもの。
お腹が痛い!と思ったら、お腹をおさえるように、
心に強い傷みをもっていたら
自然に心・・ハートをかばう姿勢になってしまうもの。
逆もあります。
いつもうつむいてばかりいると
明るい考えになるのがとても難しい・・。
takaが最初に就職したのは建設会社でしたが
お客様に設計図など、プレゼンテーションボードをお見せする時、
机の上に置いて提案するなと指導されました。
わかりやすく言うと、紙芝居を見せる角度で お見せしろと。
その心は?
机の上に置かれると、お客様は下を向いて考える事になる
すると気持ちも下向きになるものだから
決まる契約も 決まりにくい。
せっかくお見せするのだから
同じものを見るにしても
より良く感じていただくためには
お顔をあげて、気持ちを上向きにして
ご覧になっていただくようにしなさい。
・・・と。
にゃるほど・・・深い・・・
と、今でも感心する道理でした。
下向きでも
後ろ向きでも
歩きにくいものです。
だって 人間の目は もともと前向きについているんですもの。
心に抱える問題が原因で うつむいてしまうのは仕方の無い事。
でも、とりあえず、
物理的に顔だけでも 上げてみましょう。
あなたを悩ませるその事は、
だからと言って解決するわけではないけれど
でも 一度に何もかも解決しなくたっていいんじゃないですかね。
ならば同じ事を考えるにしても
考えてしまうにしても
落ち込んでしまうにしても
姿勢だけでも、前向きに、上向きに、してみましょうか。
だって、顔を上げて
暗い気持ちになるのは 中々難しい・・でしょう?
だから・・ね?
今回 泣き疲れて眠るほど泣いた時、
私は、実は顔を上向きにして泣いていました。
(座椅子の背もたれに身体をあずけていたから
正確に言うと 斜め上向きか)
誰に見られている訳でもないから
涙を隠す必要もなかったので
一番身体が楽な体勢で、居ただけなんだけど。
(整体師な習性で、どうせ体を休めるなら あとで起きた時に、
自分の体重で自然と体がほぐれるような体勢を選んでしまうので)
この体勢で 泣きに泣いて
涙は涙の好きにして、溢れ出るまま、こぼれ落ちるままにして、
そして いつのまにか眠ってしまった私は
覚醒した後、
あれれ というほど自然に、
元気を取り戻せてました。
「問題」事態が 何か変化したわけでもなく
何も変わっていないのにもかかわらず。
実験結果?体験報告?をまとめれば
同じ泣くにしても
物理的に顔を上げてから
心に溜まったものを全て出しちゃうくらい
涙として 外に出してしまえば
びっくりするほど
後で軽くなるものだなー という事です。
「上を向いて歩こう」
という有名な歌がありますが
歌詞では、涙がこぼれないように・・と続くけれど
taka流でいくと
涙は気にしないでどんどんこぼしちゃっていいから
(当たり前よ~重力あるんだから~位の勢いで)
その代わり!
顔は上向きでねー
という感じかしら・・。(九ちゃん・・)
心に大きな悲しみや辛さを抱えている人は
今日はどこが一番辛いですか~というtakaの問いかけに
「肩って言うか・・背中がこってる感じで痛くて・・」
と大多数、答えられます。
内蔵疾患が考えられない場合、
その骨格筋的原因を問われるのなら
前かがみ姿勢、
胸を抱えるような姿勢、
うつむくことが多い姿勢、
で過ごす時間が長いところにあったりします。
お仕事の内容上、仕方ない場合も もちろん多いですが
人というのは、
無意識のうちに、一番辛いところを かばう体勢をとるもの。
お腹が痛い!と思ったら、お腹をおさえるように、
心に強い傷みをもっていたら
自然に心・・ハートをかばう姿勢になってしまうもの。
逆もあります。
いつもうつむいてばかりいると
明るい考えになるのがとても難しい・・。
takaが最初に就職したのは建設会社でしたが
お客様に設計図など、プレゼンテーションボードをお見せする時、
机の上に置いて提案するなと指導されました。
わかりやすく言うと、紙芝居を見せる角度で お見せしろと。
その心は?
机の上に置かれると、お客様は下を向いて考える事になる
すると気持ちも下向きになるものだから
決まる契約も 決まりにくい。
せっかくお見せするのだから
同じものを見るにしても
より良く感じていただくためには
お顔をあげて、気持ちを上向きにして
ご覧になっていただくようにしなさい。
・・・と。
にゃるほど・・・深い・・・
と、今でも感心する道理でした。
下向きでも
後ろ向きでも
歩きにくいものです。
だって 人間の目は もともと前向きについているんですもの。
心に抱える問題が原因で うつむいてしまうのは仕方の無い事。
でも、とりあえず、
物理的に顔だけでも 上げてみましょう。
あなたを悩ませるその事は、
だからと言って解決するわけではないけれど
でも 一度に何もかも解決しなくたっていいんじゃないですかね。
ならば同じ事を考えるにしても
考えてしまうにしても
落ち込んでしまうにしても
姿勢だけでも、前向きに、上向きに、してみましょうか。
だって、顔を上げて
暗い気持ちになるのは 中々難しい・・でしょう?
だから・・ね?
今回 泣き疲れて眠るほど泣いた時、
私は、実は顔を上向きにして泣いていました。
(座椅子の背もたれに身体をあずけていたから
正確に言うと 斜め上向きか)
誰に見られている訳でもないから
涙を隠す必要もなかったので
一番身体が楽な体勢で、居ただけなんだけど。
(整体師な習性で、どうせ体を休めるなら あとで起きた時に、
自分の体重で自然と体がほぐれるような体勢を選んでしまうので)
この体勢で 泣きに泣いて
涙は涙の好きにして、溢れ出るまま、こぼれ落ちるままにして、
そして いつのまにか眠ってしまった私は
覚醒した後、
あれれ というほど自然に、
元気を取り戻せてました。
「問題」事態が 何か変化したわけでもなく
何も変わっていないのにもかかわらず。
実験結果?体験報告?をまとめれば
同じ泣くにしても
物理的に顔を上げてから
心に溜まったものを全て出しちゃうくらい
涙として 外に出してしまえば
びっくりするほど
後で軽くなるものだなー という事です。
「上を向いて歩こう」
という有名な歌がありますが
歌詞では、涙がこぼれないように・・と続くけれど
taka流でいくと
涙は気にしないでどんどんこぼしちゃっていいから
(当たり前よ~重力あるんだから~位の勢いで)
その代わり!
顔は上向きでねー
という感じかしら・・。(九ちゃん・・)