前に、この1月に認知症予防ファシリテーター認定試験2級を受けたと書きました。
その試験は○×式、記入式、論文式の3種で約30問で構成されていました。
それで、論文は400字から600字以内でまとめなくてはならなかったんですが、手書きです。
論文というか課題文を指定文字内で原稿用紙にまとめるなんて本当に久しぶりだったので、結構四苦八苦しました。
大学受験みたいに試験時間内に記述しなくてはならないというわけではなく、提出期限日までにまとめればよかったのですが、普段やってないので言葉選びや文章の構成に手間取りました。
タイトルの「敲くか推すか」って読めますよね?
そう、故事成語の「推敲」。
このとき、役に立ったのがワードの文字カウント機能。
文字数を数えたい部分だけ選択しておけば、文字数を数えてくれる。
600字以内にまとめておいて、それを印刷し、あとは書き写すだけ。
文章の起承転結というか 序論・本論・結論などができてるかどうかも不安ですが、なんとか提出しました。
合格してるといいなぁ(>_<)。。
参考
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-suikou.htm より
賈島は漢詩をつくる際、脂汗(あぶらあせ)をにじませて悩みに悩みぬき、ほとんど命を削るようにして、一字一句を定めていった詩人です。その詩作に対する態度は、まさしく苦吟派というにふさわしいものでした。
その賈島、役人になるべく科挙(かきょ)の試験を受けるために都・長安にやって来たのですが、そんな折りにも詩のことが頭を離れず、あるとき驢馬(ろば)の背にゆられながら、一句をひねります。その中で、次のような一節を思いつきました。
鳥宿池辺樹 鳥は宿る 池辺の樹
僧推月下門 僧は推(お)す 月下の門(※1)
静まりかえって、月明かりだけがあたりを照らす夜、ある僧侶が友人宅を訪れて、その門を開ける、というシーンです。賈島は僧侶だった時期があるので、この詩中の僧侶も自分をイメージしているのかとも思われます。
しかし、この一節を噛みしめてみて、「僧は推(お)す」よりも、「僧は敲(たた)く」の方がよいのではないか、と賈島は迷います。
もし門を「推(お)す」のであれば、その音は「ぎいい~」といった感じであり、屋敷の友人はその僧侶の来訪をすでに知っており、勝手に入ってゆくことになります。一方「敲(たた)く」にすれば、月明かりの下に「ゴンゴン」という音が響くはずで、屋敷の友人は、その音によって僧侶の来訪を知ることになります。
このどちらのイメージで詩を作るか、街なかであるのも忘れて、驢馬(ろば)に揺られながら賈島は悩みに悩みます。そして詩に気を取られるあまり、うかつにも政府の高官・韓愈(かんゆ)の一行にぶつかってしまいます。
もちろん本来ならば、賈島が道をゆずらなければならず、大変な非礼にあたることは言うまでもありません。賈島はあわてて、ぼんやりしていた理由をくわしく韓愈に話しました。
すると、詩人としても名の通った韓愈のこと、賈島の非礼をとがめず、少し考えてから「そこは「敲(たた)く」とした方がよかろう」とアドバイスしたのです。そこから二人は意気投合して、身分の高下もよそに、馬を並べて詩作について語り合う仲になったといいます。賈島のこの故事から、文章を書く際に、じっくり考えて、よりふさわしい字句を選ぶことを「推敲(すいこう)」と言うようになりました。
実際には、まだ賈島が僧侶だった頃、僧侶は午後外出してはならないという法令が出され、それを嘆いて賈島がつくった詩を韓愈が認めて、そこから二人の交友が始まったといいます。(※2) しかし後代、この「推敲」の故事の方が広く知られるようになりました。(※3)
賈島は、墓碑銘(ぼひめい)にも「名は高く、位は低く」と見えるほどで、官吏としては望むような出世を果たすことはできませんでした。(※4)しかし、執着(しゅうちゃく) した詩句にまつわる故事に名を残せたのは、あるいは本望(ほんもう)であったかも知れません。
その試験は○×式、記入式、論文式の3種で約30問で構成されていました。
それで、論文は400字から600字以内でまとめなくてはならなかったんですが、手書きです。
論文というか課題文を指定文字内で原稿用紙にまとめるなんて本当に久しぶりだったので、結構四苦八苦しました。
大学受験みたいに試験時間内に記述しなくてはならないというわけではなく、提出期限日までにまとめればよかったのですが、普段やってないので言葉選びや文章の構成に手間取りました。
タイトルの「敲くか推すか」って読めますよね?
そう、故事成語の「推敲」。
このとき、役に立ったのがワードの文字カウント機能。
文字数を数えたい部分だけ選択しておけば、文字数を数えてくれる。
600字以内にまとめておいて、それを印刷し、あとは書き写すだけ。
文章の起承転結というか 序論・本論・結論などができてるかどうかも不安ですが、なんとか提出しました。
合格してるといいなぁ(>_<)。。
参考
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-suikou.htm より
賈島は漢詩をつくる際、脂汗(あぶらあせ)をにじませて悩みに悩みぬき、ほとんど命を削るようにして、一字一句を定めていった詩人です。その詩作に対する態度は、まさしく苦吟派というにふさわしいものでした。
その賈島、役人になるべく科挙(かきょ)の試験を受けるために都・長安にやって来たのですが、そんな折りにも詩のことが頭を離れず、あるとき驢馬(ろば)の背にゆられながら、一句をひねります。その中で、次のような一節を思いつきました。
鳥宿池辺樹 鳥は宿る 池辺の樹
僧推月下門 僧は推(お)す 月下の門(※1)
静まりかえって、月明かりだけがあたりを照らす夜、ある僧侶が友人宅を訪れて、その門を開ける、というシーンです。賈島は僧侶だった時期があるので、この詩中の僧侶も自分をイメージしているのかとも思われます。
しかし、この一節を噛みしめてみて、「僧は推(お)す」よりも、「僧は敲(たた)く」の方がよいのではないか、と賈島は迷います。
もし門を「推(お)す」のであれば、その音は「ぎいい~」といった感じであり、屋敷の友人はその僧侶の来訪をすでに知っており、勝手に入ってゆくことになります。一方「敲(たた)く」にすれば、月明かりの下に「ゴンゴン」という音が響くはずで、屋敷の友人は、その音によって僧侶の来訪を知ることになります。
このどちらのイメージで詩を作るか、街なかであるのも忘れて、驢馬(ろば)に揺られながら賈島は悩みに悩みます。そして詩に気を取られるあまり、うかつにも政府の高官・韓愈(かんゆ)の一行にぶつかってしまいます。
もちろん本来ならば、賈島が道をゆずらなければならず、大変な非礼にあたることは言うまでもありません。賈島はあわてて、ぼんやりしていた理由をくわしく韓愈に話しました。
すると、詩人としても名の通った韓愈のこと、賈島の非礼をとがめず、少し考えてから「そこは「敲(たた)く」とした方がよかろう」とアドバイスしたのです。そこから二人は意気投合して、身分の高下もよそに、馬を並べて詩作について語り合う仲になったといいます。賈島のこの故事から、文章を書く際に、じっくり考えて、よりふさわしい字句を選ぶことを「推敲(すいこう)」と言うようになりました。
実際には、まだ賈島が僧侶だった頃、僧侶は午後外出してはならないという法令が出され、それを嘆いて賈島がつくった詩を韓愈が認めて、そこから二人の交友が始まったといいます。(※2) しかし後代、この「推敲」の故事の方が広く知られるようになりました。(※3)
賈島は、墓碑銘(ぼひめい)にも「名は高く、位は低く」と見えるほどで、官吏としては望むような出世を果たすことはできませんでした。(※4)しかし、執着(しゅうちゃく) した詩句にまつわる故事に名を残せたのは、あるいは本望(ほんもう)であったかも知れません。