大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎~ 相惚れ自惚れ方惚れ岡惚れ八 

2011年07月31日 | 縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎
 「それでお節は納得したのかい」。
 煮売酒屋・豊金では、千吉が、店主の金治に節の件の子細を話していた。
 「しかしねえ。これからどんな顔をしてお節さんに会ったらいいのやら」。
 千吉はもう一つすっきりとしない思いだった。
 「しかし濱部様もなあ。あのお年で思慮がない」。
 川瀬石町裏長屋に住む濱部主善のことである。毎度毎度わざとではないかと疑うくらいに、災いの種を撒いて歩いているかのようだった。
 「そう言えば、このところ濱部様を見かけないねえ」。
 万が一にも濱部を顔を合わせたなら、散々飲み食いされた挙げ句に切合で金を支払わされるのが常だ。しかもこの度は、その思慮のなさから千吉は母親のような年の節に惚れられ、大層な難儀をしたのだった。濱部がいなければそれに越したことはない。
 「そうだな。このところ店に顔を出さねえが、どうも柳橋通いらしい」。
 「例の芸者ですか」。
 「娶ると言い触れているのはいいが、年期が開ける前に請け出す銭が必要とかで、金策に走っているって聞いているがね。どうなんだか」。
 「あのお方も常に惚れた腫れたでお忙しい」。
 千吉は内心、濱部にしても節にしても、四十を過ぎてまで未だ惚れたの好いたのに一喜一憂していることが信じられない思いでいるのだった。
 「そう言えば、千吉。今日はお前さん一人かい」。
 「いや、由造も加助も遅いようだ」。
 (なにかあったかしら)。
 そうこうするうちに、眉間に深い皺を刻み、強張った顔の由造が怒っているかの様に荒々しく縄のれんをかき分けた。
 「あれ、由造。どうしなすった」。
 近くに座った由造の左の頬には薄らと赤い指の跡があるではないか。
 「いいのかい、大店の手代ともあろう者が、女子と揉めたみてえな跡を顔に残してさ」。
 呉服屋近江屋の手代の由造は、その真面目な仕事ぶりの物腰の柔らかさから、主人の紀左衛門始め番頭にも大層気に入られ、加えて端正な面立ちで女からも放っておかれない。そんな由造の頬を引っ叩くのは女子しかいないと千吉は決め付けているのだった。
 由造は座敷に座るや否や珍しく冷や酒を頼むと、一気に煽り、ようやく落ち着いたのか子細を話し出した。
 「ああ、女には違わねえが、色っぽい話じゃねえんだ」。
 よほど腹が立っているのか、この日の由造はとても大店の手代とは思えぬ口ぶりである。
 由造は、呉服屋近江屋の妾である美代と、加助の親方である大工の平五郎の女房・志津が些細なことから喧嘩になり大騒ぎだったと言う。



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