大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎~ 有為転変は世の習い十 最終話

2011年09月25日 | 縁と浮き世の通り雨~お気楽ひってん弥太郎
 「もちろんさ。そもそも番頭だった旦那を入り婿にしたのさ。店を持たせりゃあ御の字だ」。
 「そんなもんですかね。これまでその旦那さんが商いをしてこられたのでしょう」。
 「千吉も、加助のわしが金持ちになるので、焼いておるのだな。気に止むな、お主らにもそのうち馳走をしてやる」。
 千吉と加助は顔を見合わせ、言葉がない。
 「いいんじゃないか千吉。放っておいてさ。お縄になるならなればいいのさ」。
 「しかしね加助、濱部様も女と銭にはだらしないが、そう気質が悪い訳じゃないんだ」。
 得意満面の濱部が言うだけ言って、また銭を置かずに帰った後、千吉と加助はやれやれといった面持ちである。
 「千吉、加助。これで濱部様が長屋から出て行ってくれりゃあ、災いがひとつ去ろうってもんさ。少しはお前らの身の回りも静かになろうってもんだ。黙って見てなよ」。
 金治に言われるまでもなく、色恋沙汰に思い込みが先走り、決して己の財布の紐を緩めはしないが、飲み食いは大好きな始末屋の濱部が片付けば、先立ってこちらも筋金入りの始末屋・三太も上方へと消えていた。東西の人の褌で相撲を取る横綱は消える。瓢箪の川流れのような、皮相浅薄の自称飛騨匠の小頭・富次も直に居なくなるだろう。
 そうなれば、色惚けの大年増の傘張り・節と、こちらも色惚けの人の牛蒡で法事するのが心情の傘張り・節。女同士の揉めごとを引き起こす、人の鼻息を仰ぐような女髪結い・友だけだ。
 このところすっかりなりを潜めているところを見ると、どこぞの男にでも熱を上げているのだろう。煮売酒屋・豊金に顔を出すことはないので、一安心だ。
 加助も今は通いの大工になり、引かれ者の小唄を地でいく親方の女房の志津とも顔を合わせずに済んでいる。
 これまた新たに現れた札差佐那岡屋の女房の雅とは、決して関わらなければ良い。
 「あたしらも、人こそ人の鏡。ああはならないようにしなくちゃね」。
 千吉は、加助とこの宵、最後の一杯を引っ掛けて千屋へと引き揚げるのだった。
 「由造、早く帰って来ないもんかね」。
 「早くは帰って来て欲しいのは山々だが、由造に気がある女子が皆嫁いじまってからの方が、面倒がなくて良いさ」。
 「違いない」。
 明るい笑い声が、川瀬石町を行く。

  第一部完了

 ※人の褌で相撲を取る(ひとのふんどしですもうをとる) 
  他人のものを利用して自分の利益をはかる「ずるさ」を言う。
 ※瓢箪の川流れ(ひょうたんのかわながれ)
 浮き浮きして落ち着きのないようのたとえ。軽薄な男を冷やかして言う。
 ※皮相浅薄(ひそうせんぱく) 
 表面的で底が浅いこと。
 ※人の牛蒡で法事する(ひとのごぼうでほうじする) 
 他人のものを利用して、自分の義理を済ませることのたとえ。 
 ※人の鼻息を仰ぐ(ひとのはないきをあおぐ) 
 人の意向を気にして、依存しようとすること。
 ※引かれ者の小唄(ひかれもののこうた) 
 追い詰められた者が言ってもかいのない強がりを言うこと。
 ※人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ) 
 他人の言動は、自分の至らなさを直すよい手本になることを言う。

 ご愛読ありがとうございました。


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