しばらくの後、鶴二のことなぞすっかりと忘れていた由造は、妹・理世の夫である同心・境川小一郎の訪問を受けていた。
由造の父・伝八郎は但馬出石藩の五万八千石に仕える武士であった。だが天保六年(1835)七代藩主・仙石久利の時に起きた御家騒動後、浪々となり流れ着いた江戸は川瀬石町裏長屋で由造も理世も産まれている。
よって己が武家だと自覚したのは物心がついてからだ。聡明な店子の由造に目をつけた大家の近江屋紀左衛門が九つの時から小僧として育てたのである。
浪々の両親の暮らしはそれは厳しいものだった。由造は名乗ったこともないが、本名を芦田由之新という。だが、当の由造は名を取るよりも生きて行く術として商人になることを選んだのだった。
妹の理世が同心の境川小一郎に見初められ、恋われて嫁入りまでには、紆余曲折あったが、由造の父・伝八郎も母の佳代も、娘が武家に嫁ぐことに歓喜したものだった。
だが、今は商人である己の身分を思い、理世とは距離を置いていた由造である。理世の祝言にも出席を拒んでいた。その夫の突然の来訪に驚いたが、小一郎は己の方が年長にも関わらず、由造を「兄上」。と呼ぶのだった。
「柳橋彼岸で首を絞められた松菊の遺体が上がり、松菊に言い寄っていた鶴二という男が浮かびました。岡っ引きの双六の調べでは、このところ鶴二はこの川瀬石町にも出入りしていたらしく、この近江屋の妾の美代とも拠んどころない仲だったと聞き、兄上にお伺いしたく参った次第です」。
双六とはここ川瀬石町辺りを縄張りとする岡っ引きで、通称川瀬石町の親分と呼ばれている四十絡みの強面である。柳橋で起きた人殺しだが、下手人としてお縄になっている鶴二の足取りから川瀬石町が出たため、小一郎と双六も関わることになった。
由造が鶴二と美代のあらましを話すと、小一郎は、
「なれば鶴二が一人よがりで松菊に思いを寄せ、松菊に袖にされて殺めたということもありますな」。
「いや、それはないでしょう」。
由造は鶴二という男に人を殺める気概があるとは思えないでいた。
「それで鶴二は今は、番所ですかい」。
小一郎は番所の前で、気が触れたかのように昼夜騒ぎ立てる鶴二の母親に難儀していると言う。
「なれば境川様。一度柳橋に行ってみましょうや」。
由造が小一郎を境川様と呼ぶのを小一郎は良しとしないが、いくら言っても、「御武家様でございますから」。そう言って由造は受け入れない。
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由造の父・伝八郎は但馬出石藩の五万八千石に仕える武士であった。だが天保六年(1835)七代藩主・仙石久利の時に起きた御家騒動後、浪々となり流れ着いた江戸は川瀬石町裏長屋で由造も理世も産まれている。
よって己が武家だと自覚したのは物心がついてからだ。聡明な店子の由造に目をつけた大家の近江屋紀左衛門が九つの時から小僧として育てたのである。
浪々の両親の暮らしはそれは厳しいものだった。由造は名乗ったこともないが、本名を芦田由之新という。だが、当の由造は名を取るよりも生きて行く術として商人になることを選んだのだった。
妹の理世が同心の境川小一郎に見初められ、恋われて嫁入りまでには、紆余曲折あったが、由造の父・伝八郎も母の佳代も、娘が武家に嫁ぐことに歓喜したものだった。
だが、今は商人である己の身分を思い、理世とは距離を置いていた由造である。理世の祝言にも出席を拒んでいた。その夫の突然の来訪に驚いたが、小一郎は己の方が年長にも関わらず、由造を「兄上」。と呼ぶのだった。
「柳橋彼岸で首を絞められた松菊の遺体が上がり、松菊に言い寄っていた鶴二という男が浮かびました。岡っ引きの双六の調べでは、このところ鶴二はこの川瀬石町にも出入りしていたらしく、この近江屋の妾の美代とも拠んどころない仲だったと聞き、兄上にお伺いしたく参った次第です」。
双六とはここ川瀬石町辺りを縄張りとする岡っ引きで、通称川瀬石町の親分と呼ばれている四十絡みの強面である。柳橋で起きた人殺しだが、下手人としてお縄になっている鶴二の足取りから川瀬石町が出たため、小一郎と双六も関わることになった。
由造が鶴二と美代のあらましを話すと、小一郎は、
「なれば鶴二が一人よがりで松菊に思いを寄せ、松菊に袖にされて殺めたということもありますな」。
「いや、それはないでしょう」。
由造は鶴二という男に人を殺める気概があるとは思えないでいた。
「それで鶴二は今は、番所ですかい」。
小一郎は番所の前で、気が触れたかのように昼夜騒ぎ立てる鶴二の母親に難儀していると言う。
「なれば境川様。一度柳橋に行ってみましょうや」。
由造が小一郎を境川様と呼ぶのを小一郎は良しとしないが、いくら言っても、「御武家様でございますから」。そう言って由造は受け入れない。
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