「わっちの生まれた家はそりゃあ貧しくてねえ。わっちら子どもは、金屑や紙屑を拾ったり、蜆を採ったりして小銭を稼いだもんさ。そして未だ年派もいかないうちに、口減らしのために奉公に出されたのさ。でもね、奉公なら未だ良い。作太郎兄さんが奉公に出て暫くして姉さんがどこかに売られていっちまってそのまんま。生きているのか死んでしまったのかも分かりゃしない。わっちは幸い、貰われた先が芸妓だったからねえ」。
幸い芸妓として中井に貰われたと言う梅華の言葉の裏には、幸いでなければ女郎であろうといったいんが含まれていた。
「それでも、わっちが仕舞いっ子だったから、兄弟は皆、奉公先に落ち着いて、おまんまには事欠かずに済むとほっとしていたんだよ。それが…わっちが中井に貰われて暫く経った頃、また赤子が生まれていたのさ。わっちも一度だけ見たけどね、紅葉のような手が可愛くってねえ」。
梅華はしゅんと鼻を啜り上げる。
「その子がおえんさんなのですね」。
「生まれて間もなく、葛西の大百姓の家に養女に貰われたって聞いたねえ」。
「なら、それっきり会ってはいないのですか」。
「ああ。それっきり十五年は会わなかったかねえ」。
寸の間梅華の目は遠くの宙を追っていたが、お紺に向き直り、居住まいを正すと帯をぽんと叩いて、すっと息を吸った。
生まれたのは女の子だった。生まれて名も付けられることもなく、赤貧の実の親の元にいては育つ命も育たないだろうと、差配の手配りで葛西の大百姓に養女に貰われていったのだが、両親は裏でその養家から大枚をせしめていたらしい。
だが、養女となって三年の後、貰いっ子が呼び水となって実子が授かるといった話はよくあるもので、養父母に実の子が宿ったのだ。生まれたのは跡取り息子だった。そうなると、貰いっ子の女の子など邪魔者以外の何者でもない。養父母は直ぐさま差配に申し入れて養子縁組を解消しようとしたが、それを差配に否められ、仕方なく働き手として家に置くことにしたのだった。
子どもながらに朝から晩まで田畑でこき使われ、暗くなってからは家の仕事をさせられていたおえんは、十六になるとまるで邪魔者を追い出す形で、分限者の妾にされるのを嫌って養家を飛び出した。
だが身寄りも見知った者もいない江戸府中で、十六の小娘がまともに暮らせようもない。おえんは養父母から聞いていた実父母を頼ったが、父は酒毒で鬼籍に入り、母は既に出奔していた。その長屋で長兄・作太郎のことを耳にし、日本橋の小間物問屋の三國屋を訪ったのだった。
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「それでも、わっちが仕舞いっ子だったから、兄弟は皆、奉公先に落ち着いて、おまんまには事欠かずに済むとほっとしていたんだよ。それが…わっちが中井に貰われて暫く経った頃、また赤子が生まれていたのさ。わっちも一度だけ見たけどね、紅葉のような手が可愛くってねえ」。
梅華はしゅんと鼻を啜り上げる。
「その子がおえんさんなのですね」。
「生まれて間もなく、葛西の大百姓の家に養女に貰われたって聞いたねえ」。
「なら、それっきり会ってはいないのですか」。
「ああ。それっきり十五年は会わなかったかねえ」。
寸の間梅華の目は遠くの宙を追っていたが、お紺に向き直り、居住まいを正すと帯をぽんと叩いて、すっと息を吸った。
生まれたのは女の子だった。生まれて名も付けられることもなく、赤貧の実の親の元にいては育つ命も育たないだろうと、差配の手配りで葛西の大百姓に養女に貰われていったのだが、両親は裏でその養家から大枚をせしめていたらしい。
だが、養女となって三年の後、貰いっ子が呼び水となって実子が授かるといった話はよくあるもので、養父母に実の子が宿ったのだ。生まれたのは跡取り息子だった。そうなると、貰いっ子の女の子など邪魔者以外の何者でもない。養父母は直ぐさま差配に申し入れて養子縁組を解消しようとしたが、それを差配に否められ、仕方なく働き手として家に置くことにしたのだった。
子どもながらに朝から晩まで田畑でこき使われ、暗くなってからは家の仕事をさせられていたおえんは、十六になるとまるで邪魔者を追い出す形で、分限者の妾にされるのを嫌って養家を飛び出した。
だが身寄りも見知った者もいない江戸府中で、十六の小娘がまともに暮らせようもない。おえんは養父母から聞いていた実父母を頼ったが、父は酒毒で鬼籍に入り、母は既に出奔していた。その長屋で長兄・作太郎のことを耳にし、日本橋の小間物問屋の三國屋を訪ったのだった。
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