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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

ついた餅も心持ち 第十五話

2011年02月25日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 「親方、親方」。
 「なんでえ、騒がしい。また新吉かい」。
 善兵衛が連れて行かれたのは、永富町の表長屋の平造宅である。夜もふけ、寝支度の平造が木戸を開けると、新吉と安治に両脇を抱えられた善兵衛がいた。
 「こりゃあ、善兵衛さんじゃねえかい。どうしたこったい、おい新吉。お前さん、また呑ませすぎたな」。
 「へえ。どうにも」。
 と新吉は頭を掻く。すべてを察した平造は、
 「言い訳は明日だ。今夜は早く寝な。おい安治、布団のを用意しな」。
 「へい」。
 「親方、あっしも、その、こんな時間ですし」。
 新吉も上がり込んだ。

 翌朝、善兵衛がを覚ますと、見慣れない天井が目に入った。
 「どうしたんだ。昨晩は新吉さんに誘われて…縄のれんをくぐり…」。
 記憶をつなげていく善兵衛。重い頭を枕から引き離すようにもたげ、辺りを見渡すと、これまた見慣れない若い衆が寝乱れているではないか。
 すぐ横には、布団からはだけた新吉も。
 「そうだ。すっかり酔ってしまって、縄のれんを出てから、わたしはどうしたのだ」。
 つなげていった記憶も店を出たところで途絶えたが、察するに、酔いつぶれて新吉と安治に連れて来られたのだろう。
 「しかし、ここはいったいどこだ」。
 すると、階下から若い女が、
 「ほら、みんな早く食べちゃっておくれ。お膳が片付かなくていけないや」。
 と朝餉を告げた。正に鶴の一声。威勢のいい声は、二日酔いの善兵衛の頭に響く。今のいままでぐっすり眠っていた若い衆が、寝ぼけ眼でもぞもぞと布団から這い出し、何かに引き付けられるように、階段を下る。
 「ほら、そのまんまで、箸を持つんじゃないよ。顔洗っておいでよ」。
 若い衆の後尾から顔を出した善兵衛に気付くと、その声の主は、一瞬あれっとい顔をしたが、こんな急な客人にも慣れているのだろう。
 「そこのあんたもさ」。
 と善兵衛にも声をかけた。


ついた餅も心持ち 第十四話 

2011年02月24日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 新吉は新吉で、善兵衛を気にかけていた。何せ、兄貴分を自負しているのだ。
 「おい、安治。善兵衛さんを元気づけてやろうじゃねえか」。
 「新吉兄い。余計なことはしない方がいいんじゃないですかい」。
 「冷てえやつだな、おめえは。遠く近江からたった独ぼっちでお江戸まで来てるんだ。助け合ってこそが江戸っ子ってもんだろ」。
 「へえ江戸っ子ですかい」。
 「おうよ、江戸っ子気質を見せてやろうじゃねえかい。で、おめえ、今いくら持ってるんだ」。
 「新吉兄い、金も持ってないんですか」。
 「こちとら江戸っ子よ。宵越しの金はなんとかってね。いいから早く出しな」。
 新吉は、安治の鼻先に右の掌を突きつけた。
 
 その日、仕舞い支度をする善兵衛に歩み寄った新吉。
 「善兵衛さん。どうでい、今夜一杯いかねえかい」。
 急な誘いに戸惑う善兵衛。
 「これは、折角のお誘いですが、わたしは酒は呑めませんで」。
 「いいってことよ。気にすんねえ」。
 そうではないのだが、額面どおりに伝わらないのも江戸っ子気質。
 「こうやって同じ現場にいるんだ。お近づきになりてえじゃねえか。いいって遠慮すんなよ。今夜はおごりだ」。
 「は、はあ」。
 「さあ、行こうぜ」。
 「は、はあ」。
 促されるまま、善兵衛は新吉、安治と共に歩き出す。
 「近くに甘い煮売酒屋があるんで」。
 煮売酒屋とはいわゆる縄のれんの、居酒屋である。飯、魚、野菜などを煮て売ることから総称される。持ち帰りや、店で食事をしたり、酒も飲めるとあって庶民の憩いの場となっていた。
 縄のれんをくぐると新吉馴染みの客も大勢いるようで、威勢のいい声が飛び交う。
 「酒くんねい。肴はそうさな、が飛び交う。酢タコにサトイモ煮でももらおうか」。
 新吉は意気揚々である。親方の平造から固く口止めされているので、善兵衛の父、清兵衛が江戸に来たことは内緒なのだが、いつまでこの男が黙っていられることやら。
 「あっしは、最初っから、善兵衛さんとこうして話したくってねえ」。
 「新吉さん。どうか善兵衛さんは止めてください。わたしの方が年もしたですし、善兵衛と呼んでください」。
 「そうはいかねえ。善兵衛さんは名工の一人。あっしとでは身分が違うってもんよ」。
 「新吉さん、共に働く者同士です。それはお止めください。どうか善兵衛と」。
 「そうかい。そう言うなら…善兵衛でいいかい」。
 「はい。どうかよろしくお願いします」。
 すると横から、看板娘のたつが口を挟む。
 「新吉さん今日はまた男前の連れだねえ。紹介しておくれよ」。
 取り留めのない話をしているうちに呑み慣れない酒のためにすっかり酔いの回った善兵衛であった。
 「おい、善兵衛。でえじょうぶかい。送って行くか」。
 「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」。
 そう言い終わらないうちに、どすんと大きな音を立てて、善兵衛は尻餅をついていた。
 「駄目だな。連れて行くか」。

ついた餅も心持ち 第十三話

2011年02月24日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 根が単純な新吉は、その日からすっかり善兵衛の兄貴分になったつもりでいた。
 「いいかい、安治。善兵衛さんはあっしの弟みてえなもんだ。そうなりゃ、おめえの兄貴みてえなもんでもあらあ。しっかりと手助けするんだぜい」。
 「どうしたんですかい。新吉兄い、昨日までとはえれえ違いじゃないですかい」。
 「なあに、善兵衛さんに惚れ込んだのよ」。
 「惚れ込んだあ。善兵衛さんだあ。昨日までは、善こうとか呼んでたじゃねえですかい」。
 「そんなことあったかねえ」。
 鼻歌まじりの新吉。昨晩のことは「まだ安治には言うまい」と決めていた。何やら自分だけ、秘密を知ったようなそんな気がしていたのだった。
 「おっと、そうなると、善兵衛さんと安治のどっちを応援したものか」。
 「何がです」。
 「おみつちゃんだよ、おみつちゃん」。
 「新吉兄い、それは殺生な」。
 
 父親が江戸に下って来ているとは露も知らない善兵衛。
 「彫り物は手先でするもんじゃねえ。目でしっかりと木を見るんだ。そこに何が浮かび上がる。お前さんの頭の中に描いたもんがあるだろ」。
 甚五郎の言葉を繰り返し思い出していた。言われたまま、目でしっかりと木を見てもそこには木目しかない。甚五郎始め、長野万衛門知保、立川和四郎富棟もちゃくちゃくと細工を施していく。
 焦りと歯痒さが入り交じった面持ちで、境内を歩くと、拝殿の木鼻であろう金獅子を彫る最中の、龍之助がいた。
 まだ、大まかな形だけだが、それでも完成度の高さが分かるくらいに、見事な鑿裁きである。
 足を止め見入る善兵衛に気付いた龍之助が手を止めて顔を上げた。
 「これはお仕事中失礼しました。見事な仕事っぷりに見入ってお邪魔をしました」。
 「これは、善兵衛さん。いやなに、ちょうど休もうかと思っていたところでさ。ささ、こちらへ」。
 龍之助に促されて腰を下ろした善兵衛だが、次の言葉が続かない。すると、龍之助から、
 「わたしも、最初に欄間を彫った時は緊張で手が震えたもんでさ。寛永十六年(1639)の知恩院の御影堂の時なんぞは、まったく腕が動かなくてねぇ。甚五郎親方に向かって、大工としてやっていく自信がないので、暇を欲しいなんて言ったくれえだ」。
 意外な話が飛び出した。まるで自分の心の中を見透かされたようでもあった。
 「それで、どうしたんで」。
 善兵衛は尋ねた。 
 「甚五郎親方から、彫り物は腕で彫るんじゃねえ。目だよ、目で彫るもんだ。それが分かるまでは暇は出せねえ。この意味が分かるまでいくら時間がかかってもいい。彫ることを急ぐんじゃねえって言われてね」。
 「それで」。
 「そうさな、そう言われても、はいそうですかって訳にはいかねえ。来る日も来る日も、木を眺めていたもんだ」。
 「それで」。
 「親方もそれっきり何も言わねえしなあ。何も見えちゃこねえしで、とうとう、これで御仕舞いかと思って空を仰ぐいだら、雲一つねえ、真っ青な空に見えてきたのさ」。
 「見える」。
 「そりゃあ、本当に見えたんじゃないだろうが、そうしたら無性に彫りたくなって不思議なもんで、鑿がまるで指先みたいに動くようになったもんさ」。
 「そうですか」。
 善兵衛は溜め息を漏らした。
 「これは失礼しました。実は…」。
 そう言いかけると、龍之助が言葉を遮るかのように、
 「善兵衛さん、龍の図面はあるのかい」。
 「はい。何度も書き直して、こうやっていつも持ち歩いてます」。
 「そうかい。だがね、それは紙の上の龍だ。木は生きもんだ。紙の上のようにはいかねえ。一度その龍を頭ん中から追い出してみるこったな」。
 「龍を追い出す」。
 「そうさ。真っ白になって木を見てみな。その木が龍を呼び寄せてくれらあ」。
  そうだった。これまでは図面の龍を木の上に目で追っていた。一度、頭を空にしてみようと善兵衛は思った。
 「龍之助さん、ありがとうございます」。
 「役に立ったかい」。
 「はい。お教えの通りにやってみます」。
 「何も教えちゃいねえよ。自分のことを話ただけさ」。
 「はい。お邪魔しました」。
 先ほどとは違い軽やかな足取りで戻って行く善兵衛だった。
 とは言うものの言葉では分かっていてもそう易々とできることではない。しかし、龍之助に言われたとおりに、まずは龍を追い出すことから始めていた。

ついた餅も心持ち 第十二話 

2011年02月24日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 すると、その様子を毎日遠くから眺めているのは、お馴染みの新吉。さっそく平造への御注進である。
 「親方、あの善兵衛っつう若造、いけませんや。すっかり彫れなくなって、毎日「うんうん」唸ってますぜ。こりゃあ、近々近江へ帰えるってもんで。まあ、そうなったらあっしの出番てもんですぜ」。
 満足そうに腕組みをして得意満面である。
 「これ新吉、止めねえか」。
 気まずそうに静止する平造と向かい合う形で奥に座る人物に気付いた新吉は頭を掻いた。
 「あれっ、お客さんでしたか、こりゃあ失礼しやした」。
 新吉は頭を掻いた。
 「おお、これは紹介が遅れました」。
 平造は姿勢を正し、奥の客に向かって、  
「弟子の新吉です。甚五郎親方のご好意で、御普請に加えていただいておりますがね、どうにもこんなやつでして。まあ悪気はねえんですがね。口から先に生まれたとでもいうか、おっちょこちょいとでもいうか」。
 「これはこれは。御普請と」。
 「へい。どうしてもあっしの力が借りてえってんでね」。
 「これ新吉、止めねえか」。
 平造は顔から火が出る思いだ。
 「して、新吉とやら、先ほどの若造の話を聞かせてもらいたのだが」。
 「へい。お歴々の親方衆の中に一人若造が混じってるんですがね。こいつがちっともはかどらねえ。今日も、一日木を前にしてるだけでさ」。
 「そうですか。その若造は、何と言ってますかい」。
 「それが、鑿と一緒で全く口も動かさねえってきてるんでさ。あっしが教えてやろうにも近づくこともできやしねえ」。
  先ほどから顔を真っ赤にしていた平造は、ついに火山の爆発のようにその顔色をさらに赤黒く染め、
 「新吉、いい加減にせい。お前さんごときが適う相手じゃ…」。
 「まあまあ、平造さん。よろしいではないか。職人はこれくらい負けん気が強くなくちゃいい物はできないさ」。
 「お客さん、そうでさ。あっしは、誰にも負けねえ、江戸随一の大工になりてえんで。だからよ…あっしがまだまだなのに、公方様にも認められた若造ってえのが…悔しくて、悔しくてたまんねえんでっさ」。
 先刻までの悪態が、悔しさからきていることは明らかに堪え切れない思いが涙となって言葉に詰まる新吉だった。
 「新吉よ。悔しいのは分かるがな。他人を認めないうちはお前さんもそこまでぜ。いいかい、悔しかったら、彫り物や宮工でなくても精一杯お前さんの力を出し切るんだ。そうすれば見ていてくれる御仁はいるってもんさ」。
 その客は、諭すように新吉に言った。
 「へい。あっしは、大森の善兵衛に嫉妬してやした。なんで、あの年で選ばれたのかって。明日からは、あっしにできる精一杯を尽くして御奉公します」。
 ここが江戸っ子のいいところで、お腹の中には何も溜めずに、しかもさっぱりとしている。
 「お客様、どこのどなたかは存じませんが、あっしの逆恨みを制してくださいまして、ありがとうごぜえます」。
 と、大粒の涙を拭った。
 「そうだ、まだお前さんに紹介してなかったねぇ。こちらは近江国坂田郡宮川からおいでなさった、大森清兵衛さんだ」。
 「大森清兵衛さん。近江…」。
 「そうともさ、善兵衛さんの親父さんだ」。
 腰を抜かさんばかりに驚いた新吉。思わず上半身が後ろにのけぞった。
 「えーっ。こりゃ失礼しました」。
 「いや、気になさらないでください。おっしゃるとおり、倅は若輩者。やはり荷が重かったかと気になり、こうして江戸まで赴いた次第です。新吉さんに倅の様子が聞けて何よりでした」。
 「いや、あれはあっしの妬みでして…実はあっしは善兵衛さんのことはまったく知らねえんで」。
 「いいかい、新吉。この清兵衛親方はなあ、左甚五郎親方や狩野探幽先生と共に、寛永元年(1636)の日光東照宮の寛永の大造替を行った名工のの一人だ。そのご子息が善兵衛さんだ」。
 「いやいや、平造さん。それはもう昔の話でして」。
 「今度の御普請も清兵衛親方に話があったが、親方の名代として善兵衛さんが来たって訳よ。その腕前は宮川藩藩主の堀田正盛様もお認めになられるところさ」。
 「堀田正盛様ってえのは、幕府の御老中の…」。
 「そうさ、善兵衛はお前さんには太刀打ちできねえお人なのよ」。
 「そうでしたかい。…やっぱ(善兵衛)大物は違げえや。どんと落ち着いてやがる。あっしみてえにじたばたしちゃいねえ。こりゃあ、あっしの負けだ」。
 これすべて新吉の一人よがりだったのだが、そんなことすらもすっかり忘れている新吉だった。
 「親の欲目でしょうが、善兵衛はわたし以上の彫り物大工。どうぞ見守っておくんなさい」。
 清兵衛は新吉に深々と頭を下げた。
 「もったいねえ。あっしなんかに」。
 またも大粒の涙を流す新吉。
 「清兵衛親方、御子息のことはあっしに任せて大船に乗った気でいておくんなせえ」。
 「どうにも単純でいけねえ。だからお前さんの、そういうところが」。
 平造が言いかけると、清兵衛は愉快そうに大笑いした。

ついた餅も心持ち 第十一話

2011年02月24日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 寺社内の宿坊を宿にする筈だった善兵衛は、「話し相手もいないんじゃ寂しかろう」と甚五郎の好意で居候させてもらう運びとなり、ほかの門下や弟子と共に帰路に着いた。
 「気兼ねはいらねえよ。その変わり、こいつらと寝起きは共にしてもらわなきゃならなねえがね」。
 「ありがとうございます。願ってもないことです」。
 一馬が下屋敷へ戻ると急に寂しさに、郷愁の念を抱いてた善兵衛にとっては涙が出るくらいに嬉しいことだった。いくら二十三歳の大人と言えど、生まれて初めて郷里を離れ、知った人もいない江戸に単身は、さすがに寂しいものだ。増してや昨日まではずっと一馬と行動を共にしていただけに、寂しさは一塩だった。
 甚五郎宅は、東照宮から西に少し行った豊島町の表長屋。九尺二間の裏長屋と違い、二階建で部屋数も多く庭もある。幾人もの弟内子たちが一緒に住まうには十分すぎる広さだ。
 内弟子で一番年少の和一は十五歳。年かさの嘉助でも善兵衛よりは若干年下のようだ。ほかに平次、庄六ら二十歳前後の若者らが五六人同居している。
 早口で捲し立てるような江戸言葉は急かされているようで苦手だったが、ここに同居しているのは元々の江戸っ子ではなきいらしく、江戸言葉を話してはいるが、お国言葉が混ざったりゆったりとした口調が善兵衛をほっとさせてくる。
 若い者同士打ち解けるのは早く、二晩も枕を共にすれば新参者の善兵衛もすっかり甚五郎一家に溶け込んでいた。
 だがひとたび作業に入れば、善兵衛は別格である。「ちょいと距離を置いた方がいいかも知れないな」。そう感じてもいた。

 寺社奉行や、普請に割り当てられた大名家の侍たちが見守る中、ひと月が過ぎようとしていたが、どうにも思うように彫れない善兵衛は苦悶する毎日。
 「鑿が進まねえようだな」。
 声をかけたのは、見守っていた甚五郎だ。
 「はい。親方。どうにも思ったようにこの右手が動いてくれませんで」。
 「善兵衛よ、考え違いしちゃいけねえ。右手が動かねえんじゃねえぜ。目だよ、目。彫り物は手先でするもんじゃねえ。目でしっかりと木を見るんだ。そこに何が浮かび上がる。お前さんの頭の中に描いたもんがあるだろ」。
 「目ですか」。
 「なあに、時間はまだたっぷりあらあな。今一度考えな」。
 「目、目で彫る…」。
 善兵衛は甚五郎の言葉を反芻していた。
 毎日、木材を前に目が彫っていく様を思い描く。これが善兵衛の日課になった。

ついた餅も心持ち 第十話 

2011年02月24日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 そもそもここ東照宮は、初代家康の遺言により寛永二年(1625)に天海僧正と伊勢津藩初代藩主の藤堂高虎が造営されている。寛永年間に造営されたことから通称寛永寺とも呼ばれている。一方の上野東照宮は二年後の寛永四年(1627)、同じく家康の遺言により同人により寛永寺の敷地内に造営されたものだ(※戦後寛永寺から独立する)。
 この藤堂高虎という人物、初陣を飾った姉川の戦いに始まり、羽柴秀吉の毛利攻略、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦いなのでも武将としても活躍しているが、築城の手腕もなかなかのもので、和歌山城、大和郡山城、江戸城本丸ほか多くの城のの造修築を行っていた。日光東照宮造営にも家康の遺命で関与。元和二年(1616)秋から約半年で工事を完成させた人物である。

 このたびは、三代将軍家光公による大改築になる。この時点で両者共に鬼籍に入り、改築は引き継ぎではなく、全く新たに行われるこtになっていた。建築は、社殿、透塀、唐門、鐘楼の三班に分けられ始まった。縄張りから図面は予め、家光の意向を元に、甚五郎らが顔を揃え出来上がっている。
 後は、熟工の腕次第といったところ。建物は飛騨の匠始め加賀や京からの宮大工が振り分けられ、社殿は、甚五郎門下の堀田龍之助。透塀は同じく栗山修太郎が細工を受け持つ。
 そして唐門とそこに龍を彫るのは、その名も高い当代随一の、堂宮大工棟梁・左甚五郎、下野の十一代長野万衛門知保、信州諏訪の初代立川和四郎富棟。加えて、今回が世に出る初仕事となった近江国坂田郡宮川の大森善兵衛である。
 平造配下の新吉らは、唐門に振り分けられた。
 「新吉、あっしは町方の仕事があるんで、今日は帰えるが、棟梁の言いつけを聞いてしっかり励みなよ」。
 平造はしばらく留まりたい思いもあったが、機会はまたあるだろうと、愛弟子に声をかけ、東照宮を後にした。
 
 「親方、あっしはどうにも合点がいかねえや」。
 夕刻、永富町の平造の家に戻った新吉たちである。
 「おやおや、もう愚痴かい」。
 「そうじゃねえ。あの大森善兵衛ってな、何者かって話さ。ありゃあ、二十歳をちょっと出たばかしじゃねえか。そんな若造がなんでまた、甚五郎親方や長野の親方、立川の親方と肩を並べてるんだい」。
 「そりゃあ、いくら若けえったって、それなりの腕があるからだろうよ」。
 「今日聞いたんだよ。おめえさん、今までにどこの何を彫ったのかってね。そしたら、わたしはまだ駆け出しですからって答えやしねえ」。
 「そうかい、誰かと大違いで謙虚なもんだ」。
 「親方、あっしは面白くねえ。十も年上のあっしが下働きで鉋かけたりしてるのに、あいつは、木材とにらめっこときてる」。
 「職人裸足だ」。
 「親方、やけに庇うじゃねえか」。
 「そうかい、そりゃあお前さんのひがみだろうよ」。
 言い合ううちに酒も進む。
 「おい、それくらいにしとかねえと明日もあるんだぜ」。
 「分かってらい」。
 
 西横町裏長屋への帰り道、新吉はどうにもまだ腹に中にもやもやしたものが残り、その憤懣を安治にぶつけていた。
 「安よ、さっきから黙り込んでねえで、おめえはどう思うよ」。
 「あっしは、別に」。
 「別にって、親方妙にあの善兵衛とやらの肩を持つもんだ。こりゃあひょっとして」。
 そう言いかけて、口を閉ざすと今度は気になって仕方ないのが安治。
 「ひょっとして何ですかい」。
 「いや、何でもねえ、何でもねえ」。
 「言いかけて止めるのは気持ちが悪いじゃねえですかい。新吉兄い」。
 もう言いたくて仕方ない口を両手で押さえる新吉だが、だからといって思ったことは口に出さなきゃ気が済まないのが江戸っ子気質。しばらくもぞもぞと口ごもっていたが、
 「やっぱし駄目だ。隠し事はできねえや」。
 「隠し事ですかい」。
 「おうよ、おめえも知ってるだろ、あの噂」。
 「噂ですかい」。
 「なんだ安は何も知らねえんだな。おみつちゃんの話さ」。
 おみつの名を聞いて耳まで赤くなる安治だ。
 「親方はな、今度の御普請で集まった大工の中から、おみつちゃんの婿さん探しをしようってな腹づもりなのさ。それで今日もわざわざ上野まで出向いたって寸法よ」。
 噂を立てたのは言うまでもなく新吉自身なのだが、そんなことはとうに忘れているらい。
 「えっ」。
 と、うめき声を一言発したきり、安治は深く肩を落としてすっかりしょげ返ってしまった。そういことにはやけに気が付く新吉。
 「なあに、あんな若造におみつちゃんを取られてたまるもんかい。安心しなこの新吉が一肌脱ごうってなもんよ」。
 「いえ、あっしは別に…」。
 慌てて否定する安治の声を制するかのように、
 「おめえがおみつちゃんにほの字なのはみんな知ってることよ。気にすんな」。
 「そんな、別にあっしは…」。
 「馬鹿だねぇ、おめえを見てりゃ誰だって分かろうってなもんよ」。
 「はーっ」。
 新吉が七肌脱いだらまとまる話もまとまらないことを安治は身に染みて知っていた。深い溜め息を漏らした。

ついた餅も心持ち 第九話

2011年02月23日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 西横町の裏長屋のお騒がせ夫婦も朝から大騒ぎ。
 「お前さん忘れ物はないだろうね」。
 「おうよ。何年大工やってると思ってるんだい」。
 「その何年でお前さんの忘れた道具を何度届けたことやら。そうさ、お前さんの道具を届けりゃ、上方の大工にお目に掛かれるかも知れないねぇ。そりゃあいい。忘れてお行きよ」。
 「馬鹿言ってるんじゃねえよ。寺社奉行所の旦那方が見張りんさってるんだ。おめえなんぞが入れる訳ねえだろ」。
 「詰まらないねぇ。折角、上方のいい男のお目にかかれると思ったんだけどねぇ」。
 「おっと、こんなことしちゃいられねえ。遅れたら大変だ」。
 新吉は残りの飯に水をかけて胃に流し込んだ。
 「それじゃ、行ってくらあ」。
 意気揚々である。永富町の平造親方の所で、安治と落ち合い東照宮まで一直線。 
 「親方、なんか、いつもの道でもこうも違うもんですかね」。
 本日は、平造が引率役である。
 「どこがが違うってんだい。いつもの通り慣れた道じゃねえか。あすこで、吠えてるわん公だって一緒じゃねえか」。
 「やだな、親方。だから親方は風情がねえってんだ。今日は、あっしたたちの晴れの舞台なんだぜい。帰りにや、町中の若い娘たちの熱い視線を浴びよってものよ。なあ、安治」。
 「は、はい」。
 「おい、新吉。安治に変な事吹き込まねえで、ちゃんと面倒見るんだぜ」。
 「がってんだ」。
 と浮かれる新吉の尻を叩くように東照宮に着くと、そこには先刻到着した甚五郎、善兵衛、一馬たちがいた。
 「おい、あちらが左甚五郎親方だ」。
 平造はそう言うと、足を早め、甚五郎に近づき、
 「おはようございます。こいつらがうちの若いもんでさぁ。一つよよろしくお頼申します。ほれ、こっちき来て早く挨拶しねえかい」。
 「へい」。
 「あ、ああ、あっしは、新吉です。よよ、よろしくお願げえします」。
 「新吉か、まあ、そう固くなるな。お前さんたちにとっては面白くないこともあるだろが、ひとつ、力になっておくれ」。
 甚五郎が頭を下げる。
 「とんでもねえ。こいつら、親方の足下にも及ばねえが、人並みに仕込んではありますんで、存分に使ってやってください」。
 平造の言葉に、一同も深々と頭を足れた。
 「ところで、こちらはどなたで」。
 平造の視線の先には、若い二人が。
 「近江宮川藩小納戸方の岡崎一馬と申す」。
 「わたしは、近江の大森善兵衛でございます。このたびは父の名代で、『龍』を彫らせていただきます」。
 「じゃあ、善兵衛さんが四人の彫り物大工の一人ですかい」。
 『龍』の彫り師には白髪頭を想像していただけに、平造は驚きの表情を隠せなかった。どう見ても、愛弟子の新吉より十は若い。自分から見ても息子のような年だ。この若さで、国中から選ばれるとは…。平造は是が非でも善兵衛の仕事っぷりを自分の目で見たくなった。
 「若輩者ではありますが、精一杯彫らせていただきます」。
 見た目も、涼やかな。謙虚な好青年である。平造は、「新吉の与太話も満更じゃねえかも知れねえ」と、おみつを思い浮かべていた。

ついた餅も心持ち 第八話

2011年02月23日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 翌、まだ明け切らないうちから上野東照宮を目指す二人。
 「これで一番乗りだな」。
 張り切る二人は、東照宮の境内に入ると、すでに動く人影を目にして思わず顔を見合わせた。
 「おはようございます」。
 声を出したのは、善兵衛が最初だった。
 「おお」。
 その威風堂々とした風格から、大物であることが分かった。
 「わたしは近江から参りました大森善兵衛でございます。このたび、御普請に御呼びいただきまして、精一杯励ませていただきます」。
 「おう、お前さんが大森の。わたしは甲良豊後宗広ってえのが本名さ。だが甚五郎で構わねえよ。人は左甚五郎と呼ぶがな」。
 「これは、これは」。
 思わず、甚五郎の右腕に視線を注ぐ善兵衛と一馬。その意を察した甚五郎は、
 「どうだい。世間じゃ、右腕を斬られたとか噂されているらしが、右腕はちゃーんと付いているぜ。ほら」。
 と右腕をぐるぐるを回して見せ愉快そうに笑う。
 「左腕一本の彫り物大工って方が、泊がつくってもんさな。噂は一人歩きするもんで、実際には左利きってだけのことさ」。
 「甚五郎親方。よろしくお願いします」。
 善兵衛は噂の左甚五郎を前に嬉しさと緊張が入り交じっていた。
 「ところで、清兵衛さんはお元気かい」。
 「はい。実は、今回の御普請はおやじにお声が掛かりましたが、生憎利き腕の骨を痛めておりまして、若輩ながらわたしが代わりに参りました次第です」。
 甚五郎は一瞬遠くを眺めてから、
 「そうかい。それにしちゃ、達筆な文が届いたぜ」。
 「えっ、文ですか」。
 「善兵衛以外は皆名のある名工揃い。門下を率いての江戸入りになるが、善兵衛は一人。どうか、目を掛けて欲しいってな」。
 「おとっつあんからですか」。
 「ああ、お前さんのおやじさんとは十五年前、日光東照宮で一緒になったが、毎晩のようにお前さんの話をしててね。目に入れても痛くないってのはこのことだと思ったもんさ。思うにお前さんに名を挙げる晴れの舞台を与えたかったのだろうよ」。
 思いも掛けない出来事に善兵衛は父の記憶が走馬灯のように回っていた。
 「いいかい。お前さんの親方はこの甚五郎だ。なにか困ったことがあったらすぐに言いねえ。だがな、龍の彫り物に関しちゃ、年も経験も関係ねえ。いいか、これは彫り物大工としての腕の見せどころだ。真っ向から勝負してこい」。
 「はい」。
 善兵衛は、不安も迷いも消え失せた。
 そのやり取りを側で黙ってみていた一馬だったが、自分でも気付かぬまま、涙にむせていたのだった。
 「おい、お侍さん、一体どうしたんだい」。
 甚五郎が水を向ける。
 「素晴らしいです。感動してしまいました。私も是非。甚五郎親方の教えを請いたい」。
 「お侍さん、心得はあるのかい」。
 「甚五郎親方、この人のことは気にしないでください」。
 善兵衛がそう言うと、甚五郎はいかにも愉快そうに笑った。
 そうこうするうちに、続々と集まってくる職人たち。その一人ひとりに声を掛ける甚五郎。
 「やはり大物は違うな。なあ善兵衛」。
 一馬が言うように善兵衛も感服していた。

ついた餅も心持ち 第七話

2011年02月22日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 「てえへんだ。てえへんだ」。
 新吉は息せき切って西横町の長屋に戻ると、まずは桶から柄杓で水を掬うのももどかしそうに、ごくりと喉を潤してから、
 「おい、おい、おい、おい」。
 「なんだね。なにか言いたいならはっきりお言いよ」。
 「御普請だよ。御普請」。
 「えっ、お前さん。御普請ってあの東照宮かね」。
 「そうさ、その東照宮の御普請に是非とも新吉さんのお力が必要だと、あの甚五郎親方自ら頼まれたって案配さ」。
 「甚五郎親方って、左甚五郎かい」。
 「そうともよ。甚五郎親方が、あっしにこうよ。頭を下げてだな」。
 と身振り手振りを交えての独演会が始まった。
 「じゃあ、お前さん。左甚五郎に会ったのかい。どこでだい。どうしてお前さんのことなんか知ってるんだい」。
 「そりゃあ、おめえ…」。
 「どうなんだい」。
 「そ、そりゃあ、平造親方のとこさ」。
 「へー。わざわざ、親方のとこまで来なさったのかい。本当かね。怪しいもんさ」。
 「なに言ってやがる。平造親方と甚五郎親方は旧知の仲なんだ。前に平造親方が甚五郎親方から声が掛かったらあっしを推挙してやるって約束してたんだい」。
 「なんだい。ほーらもうぼろがでた。どうせ、下働きで誰かいないかってな話だろ」。
 「…」。
 「まったくお前さんは千三つ新吉でいけないねぇ」。
 すっかりお見通しのとみに頭の上がらない新吉であった。
 「なんでい。そんでも、左甚五郎と一緒に働けるんだ。国中の大工の中にあっしも加われるんだぜ。目出でえこっちゃねえか」。
 「はいはい。それよりおまんまだ」。
 とみに相手にされなくなると、新吉はいつものように正吉を膝に抱き寄せて独り言のように正吉につぶやくのだった。
 「父ちゃんは、公方様の仕事をするんでい。偉えんだぞ」。
 「くぼうさま」。
 「おっと、おめえにはまだ分からねえな。一番偉い人だ」。
 「一番偉いのは父ちゃんだ」。
 「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。正吉は本当にいい子だ」。
 愛息子の言葉に思わず涙ぐむ新吉だった。
 「まったく馬鹿だね」。
 
 宮川藩主の堀田正盛始め、江戸家老の磯貝宜永らお歴々の重鎮を前に、借りてきた猫よりもかしこまって平伏しているのは善兵衛と一馬。
 「表を上げい」。
 「はははーっ」。
 恐る恐る顔を上げてもとても殿様を直視などできたものではなく、虚ろな目つき。
 「そう固くなるな。そちが大森善兵衛か」。
 「はっ」。
 「そちの欄間が気に入ってな、脇坂から取り上げてしもうた。どうじゃな。御普請が終わったら江戸屋敷にも一つ」。
 「光栄にございます。今、わたしは東照宮の龍に命を掛けております。命が長良いた折りには、是非、彫らせていただきとうございます」。
 「ははは。言うな。して、岡崎一馬。脇坂によるとそちは御普請作を学んで、藩の伝承工芸の発展に貢献したいそうな」。
 「はっ、はは」。
 声が上ずっているのが自分でも分かるほど素っ頓狂な声の一馬だった。
 「そちは工芸に興味があるのか」。
 そんなことはまったく分からない一馬。
 「して、そちが好いておる工芸師はだれじゃ」。
 そんなことを聞かれても知る由もない。江戸を見てみたい。それだけで善兵衛に着いて来てしまったのだから。
 「はい。わたしは左甚五郎殿の噂を聞くに連れ、どうしてもこの目で見たくなりました」。
 と咄嗟に口に出るあたりが、一馬の才でもある。
 「まあよい。共に励めよ」。
 
 「はーっ。さすが御殿様だ。身が引き締まった思いだ」。
 大役を果たし終えた善兵衛と一馬は肩の荷を降ろしていた。
 「だからこそ、幕府の老中職までお勤めになられておるのだ。で、どうする」。
 「どうするってなにがですか」。
 「わたしは巣鴨の下屋敷に住まうことになっておるが、どうだ。今夜は共に」。
 「ははは。ご勘弁を。お侍様たちとお屋敷で眠るなんぞ、堅苦しくていけねえ。わたしは、旅籠に泊まって明日一番で東照宮に参ります」。
 「では、わたしも今宵は共に旅籠に参ろう」。  
 「いえ、お気兼ねなく。一馬様はお屋敷に」。
 「そう連れないことを言うでない。これまでずっと一緒だったのに寂しいではないか」。
 「もういい加減お顔を見飽きました」。
 「そう言うな」。
 じゃれ合いながら、二人は旅籠へと向かった。どうにも一馬には人懐っこいところもあるらしい。

ついた餅も心持ち 第六話

2011年02月21日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 さてさて、江戸の下町ではどこもかしこも上野東照宮の御普請が話題に上らない日はないくらいに江戸中の注目を集める中、ついにその日がやってきた。
 近江から東に足を運んだことのない、彫り物大工の大森善兵衛と宮川藩小納戸方の岡崎一馬の二人は東海道を下り、ようやく日本橋を超えた。
 「善兵衛、あれはなんであろう。これはなんであろう」。
 忙しなく動き回り、何でもかんでも口に出さないとすまない一馬。
 「一馬様。わたしだって江戸は初めてです。訳が分かりませんよ」。
 「おうそうであった、そうであった。しかし、それにしても賑やかよのう」。
 初めての江戸は、気後れがする程活気に溢れ、見るもの全てが新鮮だった。見かけは若侍と町人の不釣り合いな組み合わせで、もの静かで控えめな善兵衛と切れ者ではあるが、うっかり者の一馬。性格も全く違っているのだが、十日以上に及ぶ長旅の間に二人は旧知の仲のように打ち解けていた。
 「一馬様、そうきょろきょろしていては、田舎者だとすぐに分かってしまいますよ」。
 「おお。そうであった。父上からもきつく言われておった。江戸はぶっそうだから気をつけろとな」。
 少しは冷静さを取り戻したのだろうか。それからは、控え目になったとはいうものの、大店を覗き込んだり、飯やの前に差しか掛かると鼻をくんくんさせたりと、興味は尽きない様子だ。
 「一馬様。さあ、急ぎましょう」。
 二人は新橋の宮川藩江戸上屋敷に向かった。屋敷の近くまで来ると先ほどまで踊るようにあるいていた一馬が急に無口になり、足取りが急に重くなる。
 「一馬様、いかがいたしました」。
 「いや、どうにも気が重くて」。
 「お城勤めの御侍様が何をおっしゃいます。それはわたしの台詞ですよ。わたしにとっては御殿様なんぞ雲の上の御方です。私の方こそ、身の程知らずでしょう」。
 「いや、城勤めと申しても、殿の御尊顔を拝したことがある程度で、お言葉をいただいたこともなくてな」。
 「何を弱気になっておられます」。
 そうこう言ううちに、上屋敷の門が見えてきた。緊張で右手と右足を同時に前に出しながら門を潜る二人だった。
 
 ちょうどその頃、棟梁を勤める左甚五郎は、老中の堀田正盛始め、勘定奉行、普請奉行、寺社奉行も加えた打ち合わせにも余念がない。
 「たった半年で完成さえろとは。こりゃ、御無体な。社殿から門、塀ほとんどを建築するには時間が短過ぎます」。
 「左甚五郎ともあろう男が何を弱気な。日光東照宮の折りは、あれだけの建造を一半年で仕上げたではないか」。
 「御奉行様、日光の時分は、わたしも若こうございました。それに大層な人数で、徳川の御偉功の随を尽くしております」。
 「なんとしても貴行に御頼みするしか…甚五郎頼む」。
 「頭を上げておくんなさい。でしたらわたしの方からも頼み事があります」。
 「なんなりと申せ」。
 「江戸からも大工を集めておくんなさい」。

 「と言う訳でな」。
 甚五郎は、永富町の平造の元を訪れていた。
 「しばらく年の間、ひとつ力を貸してくんねえかい」。
 「甚五郎親方。恐れ多い。あっしの方こそ、是が非でもお力にならせていただきます」。
 平造は江戸中の大工の棟梁を集め、上野東照宮に出せる大工を直ぐさま手配した。
 「おい新吉、喜びな。甚五郎親方たっての願いで江戸の大工も御普請を手伝えることになったぜ」。
 「親方本当ですかい」。
 「ああ本当だとも、だがな、前にも言ったように、下働きだ。下手すりゃ、よそ者の自分より若いもんの下働きだ。お前さんはそれに耐えられるかね」。
 「もちろんですや。甚五郎親方と仕事ができるなんぞ、大工冥利に尽きるってもんだい。親方、これであっしはいつ死んでも悔いがねえ」。
 「やれやれ、大げさなやつだ」。
 「それにこれで、おみつちゃんの力にもなれるってもんだ」。
 「おみつがどうしたんだい」。
 「あれっ、親方知らねえんですかい。今度の御普請に上方からくる大工をおみつちゃんの婿さんにするって話」。
 「おみつの婿に…、一体誰がそんなことを言ってるんだい」。
 「そりゃあ、おみつちゃんのおとっつあんでしょう」。
 「馬鹿か、おみつのおとっつあんはあっしだ」。
 「そうでやした」。
 「そんな噂があるのかい」。
 「へえ。腕のいい若い大工を親方が婿養子にするって」。
 こうして平造のところからは新吉、安治が手伝いに加わることになった。

ついた餅も心持ち 第五話

2011年02月21日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 そしてこちらはご存じ西横町の裏長屋。いよいよ普請が始まるとあって、上へ下への大騒ぎ。
 「おお冷たい。いつになったら水がぬるむ事やら。まったく嫌になるよ」。
 とみたちおかみさん連中は、井戸端にたらいを出して洗濯の真っ最中だが、手を動かすよりもどうにも口の方が達者なのはいつの時代も女の常。
 「水がぬるむ頃には東照宮の普請も始まるんだろ。楽しみなこった」。
 「嫌だよ、おきみさん。何であんたが楽しみなんだい。公方様の御用なんぞ、あたしらには関係ないだろ」。
 「おはなさんも分かっちゃいないねぇ」。
 「おとみさん、なにがだい」。
 「いいかい。良くお聞きよ。お国中の大工がお江戸に来るんだよ。なかにゃ上方の若い者だっているさ。いいねぇ。上方の品のある男。うっとりするよ」。
 「あんたも馬鹿だねぇ。あたしらを相手になんかするもんかい」。
 「見ているだけでこっちも若返るってもんさ」。
 「江戸のがさつな男と違ってさ、物腰も柔らかで品があるんだろうさ」。
 「おとみさん、それは、『伊勢屋』の番頭さんのこと言ってるんじゃないかい。ありゃあ、男までだからねぇ」。
 「嫌だよ」。
 暢気な会話で大笑い。
 「それよりもさ、棟梁はどうなんだい」。
 「親方かい? 親方がどうしたんだい」。
 とみが聞く。
 「だってきみさん。棟梁には一人娘のおみつちゃんがいるじゃないかい。棟梁が年がいってからようやく授かったってんで嫁に出したくなくって今まできたけどさ、おみつちゃんももう年頃だろ。この機会に腕のいい大工を婿養子にしようって腹づもりじゃないかい」。
 「そうさね。お国中から大工が来るんだ。こりゃあいい話じゃないかい」。
 おかみさん連中の取り留めのない話は勝手に独り歩きするもので、いつの間にやら、みつの婿さん探しを買って出る始末。
 とみは、新吉が帰って来ると待ってましたとばかりに昼間の話をし出した。
 「お前さん、知ってるかい」。
 「なんでえ。なんでえ。いきなり」。
 「親方のとこのおみつちゃんのことさ」。
 「おみつちゃんがどうしたんだい」。
 「今度上方から来る大工を婿養子にするって話だよ。お前さん知らないのかい」。
 「そりゃてえへんじゃねえかい。こうしちゃいられねえ。さっそく親方に確かめなくちゃ」。
 言い終わらないうちに、腰を上げる新吉に、
 「まったくお前さんときたら気が早いねえ。親方のとこに行ってどうしようってのさ」。
 「だっておめえ、おみつちゃんの旦那になるなら、ゆくゆくは親方の跡目を継ぐんだ。こいつあ、あっしだって黙っちゃいられねえ」。
 「なんでお前さんが、黙っちゃいられないんだか。お前さんには関わりのない話だよ」。
 「おめえは知らねえのかい」。
 「なにをさ」。
 「安治だよ」。
 「安治がなんだい」。
 「だからおめえはすっとこどっこいってんだよ。安治はずっとめえからおみつちゃんにほの字さ。見てて分からねえもんかねぇ」。
 「お前さん、安治がどんなにおみつちゃんに惚れていたって相手は公方様のお声掛かりだよ。それも上方だよ。相手にならないね」。
 「ふん。上方がなんだってんだい」。
 「上方の男はね、お前さんみたいにがさつじゃなくて上品なのさ」。
 「なーにが上方の男は上品だって。それを言うなら、東男に京女ってくれえだ。男は江戸っ子の方が格上さね。むしろ京のしとやかな女を嫁さんにしたいって男の方が多いってもんさ」。
 「なんだってぇ」。
 根拠のない話でよくもここまで盛り上がれるものだが、噂話とはとかくこんなところからたつもの。特にこの夫婦にかかれば、火のないところに煙が立つどころではなく、火種を熾し兼ねないのだ。

ついた餅も心持ち 第四話

2011年02月20日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 近江でそのような話がされていたちょうど同じ頃、徳川家大工棟甲良・豊後宗広と女婿の左甚五郎が宮川藩江戸藩邸に居た。
 幕府老中職の堀田正盛は宮川藩藩主である。
 「甚五郎には日光東照宮普請の折りの腕前、感服いたしておる。大工としても見事なれど、そなたの彫った猫と牡丹は右に出る者はいない逸品と聞き及ぶ。それがしも是非、この目で見たいものよのう。上野でも負けず劣らずの仕事を期待しておるぞ」。
 これが後々、国宝となる『招き猫』である。
 「恐れ入りやす」。
 「この猫と牡丹は、『牡丹花下眠猫児』であろう」。
 「へい。奥社に鼠一匹通さねえように猫を彫ろうと決めやした。殿様のおっしゃるとおり『牡丹は牡丹花下眠猫児』ですが、もう一つあっしなりの意味がございやして」。
 「ほう」。
 「牡丹と眠る猫で『日の光』。日光ってな訳でして」。
 「さすがじゃ」。
 「ありがとうございます。皆様、『眠り猫』と呼んでくださいますが、裏には雀を彫ってあります。これは、猫の裏では雀も遊べるという安定と平和の意味も込めて彫らせていただきました」。
 「さすがに京仕込みだけはある博学振りじゃ」。
 左甚五郎は、文禄3年、播州明石に生まれ、十三歳で京都伏見禁裏大工棟梁の遊左法橋与平次に弟子入り。その後、元和5年、二十五歳の時に江戸へと下り、豊後宗広に乞われてその女婿となり、堂宮大工棟梁として名を挙げていた。
 その出自は、武家とも伝えられており、父は足利家家臣の伊丹左近尉正利だと伝えられ、播州明石に生を受けた。
 「とんでもありやせん。この度のお役目相努めさせていただきます」。
 「今回は、社殿や唐門、透堀との大増築になるが、して今回はのう、宮大工の中でも彫り物に優れた四人の彫り物大工が一本づつ柱に龍を彫りその腕を競うといった試みを考えておるがいかがかのう」。
 「龍でございますか。あっしにゃ、はなから異存などございませんが、競うってのは誰が一番かじゃなくて、職人同士が持てる力を出し合うってことでございましょうな」。
 「ははは。もちろんじゃ」。
 「ならば、当代随一の『昇り龍』を彫ってご覧にいれましょう」。
 「頼もしい限りじゃ」。
 「ところで殿様。殿様の御領地から、大森清兵衛さんが来られるとか耳にしましたが」。
 「いかにも」。
 「お懐かしい。日光東照宮の御普請以来ですから、十五年になりましょう。これは風の便りでございますが、その清兵衛さんの一人息子もそれはそれは見事な彫り物の腕と聞き及びますが、殿様の耳には入っておられますでしょうか」。
 「善兵衛とな。おうた事はないが、善兵衛の欄間は気に入った」。
 「さすが殿様。清兵衛さんの腕も確かですが、善兵衛さんとも是非、仕事がしたいもんです」。
 
 寛永年間の冬は今よりずっと寒く、江戸でも雪が積もることがしばしばあった。そこで、普請は雪の解ける春を待って始められることになった。
 上野に集められるのは、腕自慢の四人の彫り物大工は、江戸の堂宮大工棟梁・甲良豊後こと左甚五郎、下野の十一代長野万衛門知保、信州諏訪の初代立川和四郎富棟、そして近江の大森善兵衛。善兵衛以外は甚五郎の五十七歳を筆頭に、みな白髪混じりの熟工ばかりだ。
 ほかにも、京はもとより、加賀、飛騨の匠、甚五郎門下の堀田龍之助、栗山修太郎も名を連ね、ほかにも腕に自信のある宮大工が大勢江戸入りする。
 職工の住まいは通常、建物の敷地内に急ごしらえの仮舎が与えられるが、大所帯に加え、それこそ国を代表する名のある者も多数含まれているとあってはそうもいかず、その技量に応じて仮舎や旅籠が割り当てられた。

ついた餅も心持ち 第三話

2011年02月18日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 「さて、清兵衛。この度は足労であった。で、いかがなものか、善兵衛を江戸にやるのは」。
 「それは御家老様、倅には荷が重いお役目にございますれば、ご辞退さえていただきとうございます」。
 「ん。確かに、荷が重いのう。じゃがな、江戸では左甚五郎にお声が掛かっていると聞く。ここは、甚五郎の技を学ぶためにも、若い善兵衛を行かせてみないか」。
 「しかし、御家老様。もし、善兵衛に失態がありましたら、私事では済みませぬ。御殿様にも藩にもご迷惑が掛かろうと言うもの」。
 「なあ、清兵衛よ。そちの心配はそれだけか」。
 「それだけかと申しておる」。
 「はっ。それだけにございます」。
 すっかり恐縮する清兵衛、善兵衛親子。方や帯刀の口調が、身分を乗り越えているように感じ、訝しく思っていた一馬だった。
 すると、帯刀は大声で笑い、
 「天下の名工。大森清兵衛ほどの男が何を気の弱いことを申す。万が一将軍家のお怒りを買うような事になれば、この脇坂帯刀が皺腹かっ捌けば事が済む。それよりも、あの甚五郎と肩を並べた仕事を成し遂げた折りには、吾が藩の誉れとなろうぞ」。
 すっかり恐縮する清兵衛、善兵衛親子。そして一馬も帯刀の大きさに改めて感服していた。
 「しかし、御家老様。御殿様のご決断を仰がなければ、倅を代わりに立てる訳にはいきますまい」。
 「はてさて、殿の御目利きにも困ったものでのう」。
 そう言いながら、帯刀は奥の間の襖を開けた。すると、清兵衛、善兵衛親子の顔色が一瞬にして変わったのに一馬は気が付いたが、それがなぜなのかは帯刀の説明を待つしかなかった。
 「殿が吾が屋敷に御超しになられた折り、真っ先に目を付けられてのう。たってのご所望で取り上げてしまわれたわい」。
 わっはっはっと愉快に笑う帯刀。皆の視線の先には、見事な彫刻を施した欄間があった。
 「これは、これは」。
 一瞬にして、頑だった清兵衛を一転させた理由も分からないまま、遅れを取るまいと一緒に欄間を見上げる一馬だった。
 「どうじゃな善兵衛」。
 帯刀は善兵衛の前にかがみ込んでささやいた。
 「若輩ながら、この度のお役目、御受けさせていただきとうございます」。
 清兵衛に付き従ったまま、無言だった善兵衛が顔を上げ、キッパリと言う。
 「わしはそなたの腕ならば、甚五郎に引けを取らないと信じておる」。
 「これで決まりだ」。
 一馬は心の中でそう叫んでいた。すると帯刀は、
 「清兵衛、善兵衛、して一馬もじゃ。良く聞け。これはわしの決めた事。いかなる責任もわしただ一人(いちにん)ぞ」。
 「はは」。
 一斉に深く頭を足れる三人の目には感涙が溢れ出んばかりだった。
 「さて、御用の話はここまでじゃ。清兵衛、そちも共に江戸に参ってくれるな」。
 「いや、脇坂様。倅は独り立ちしております。そんじょそこいらの大工には負けやしませんさ」。
 「ははは。こやつ。それが本音か」。
 帯刀と清兵衛は愉快そうに笑い合った。
 「あっしの御用に倅を差し向けたのでは、御殿様のお顔が立ちますまいと辞退しておりましたが、脇坂様の肝いりでしたら安心して善兵衛を行かせましょう。なあ、善兵衛」。
 「はい。おとっつあん。あっしもこんな嬉しいお役目はありません。それにあの左甚五郎の仕事をこの目で見る事ができるなど、滅多にない機会です。おとっつあんが反対しなさって、歯がゆい思いでおりました。脇坂様。ご安心ください。脇坂様の御腹は、この善兵衛がお預かり申し上げます」。
 「こやつ。言いおったな」。
 声を挙げて笑い合う愉快そうな帯刀、清兵衛、善兵衛の三人。何がなんだか分からないまま、一馬も笑ってみた。
 そして清兵衛は善兵衛に向かってこう言った。
 「善兵衛。おめえはまだ十にもなっていなかったから覚えちゃおるまいが、日光東照宮の御普請の折りにはあっしにもお召しがあってな。左甚五郎の仕事っぷりは、この目で見たが、そりゃあ、大したもんだった。大工としてはもちろんだが、彫刻の腕も天下一さ。いいかしっかりとその目に焼き付けて来るんだぜ」。
 「はい。おとっつあん」。
 実は脇坂帯刀。清兵衛、善兵衛親子とは旧知の仲。脇坂家出入りの職工で善兵衛などは、帯刀の子息とは竹馬の友でもあるほどだ。
 公正な立場から人前では見知らぬ振りをしていたが、修行のためにと、自宅の欄間を善兵衛に彫らせたその欄間が、今、目の前にあるそれだった。帯刀は善兵衛の腕前は知り尽くしている。
 帯刀の口からいっさいを聞き安堵した一馬だった。
 すると、帯刀のから思いも寄らぬ提案が…。
 「どうじゃ、一馬。そちも江戸に参ってみないか」。
 「ご御家老様」。
 「善兵衛を推挙したのはそちじゃ。そなたも見届けたいであろう」。
 「はい。しかし、わたくしのような者にそのような」。
 「よいよい。若い者は江戸も見てみたいじゃろうて。殿にはわしから文でお知らせ申そう」。
 思いも掛けない朗報に、一馬は飛び上がりたい気分だった。

ついた餅も心持ち 第二話

2011年02月18日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 所は変わってこちらは近江の国坂田郡宮川。宮川陣営では江戸屋敷におわす藩主の堀田正盛不在と合って藩の重鎮が集まり一悶着。
 「吾が藩から、大工の大森清兵衛を上野東照宮の御普請にとの直々のお声掛かり。早々に、清兵衛に使いを遣わしたところ、腕の骨を折っており、とうてい御普請までには間に合わぬとのことじゃ。これは幕府からのお声掛かり。辞退では相済まぬが」。
 家老の脇坂帯刀が渋い顔で、そう告げる。
 「御家老。御普請には国中の彫り物大工の中から四名が指名されたと聞いております。これは吾が藩の誉れ。なにがあろうと清兵衛には江戸にい行ってもらわないことにはなりますまい」。
 そう言い出したのは普請奉行の佐々木平右衛門。
 「そう申されても、腕が使えないとあってはどうにもなるまい」。
 「ならば、直ぐに選りすぐりの名医を清兵衛の元に遣わしましょう」。
 このような愚にもつかない話し合いが延々と続き、結論など出る術もない。すると、最後尾の下座から、一人の若侍が声を挙げた。 
 「恐れながら、御家老様に申し上げます」。
 「そちの名はなんと申す」。
 「はい。小納戸方の岡崎一馬でございまする」。
 「小納戸方とな、そちに妙案があるのか」。
 小納戸方の下っ端がなにを申すとばかりに、ちゃちゃを入れたのは佐々木平右衛門。
 「まあまあ、良いではないか。申してみよ」。
 さすが、家老。脇坂帯刀は中々に懐の深い男のようだ。
 「はい。大森清兵衛には、子息がおりまする。息子も親に負けず劣らずの腕前とのもっぱらの評判。清兵衛の手足として共に江戸に参らせてはいかがでしょう」。
 「息子も大工とな」。
 「いかにも」。
 「しかるにその息子は幾つになられる」。
 「確かそれがしと同じくらいでございますので、二十三(歳)かと」。
  すると、一馬を制するよう、声を挙げたのが平右衛門。
 「一馬。そのような若造に任せたのでは将軍家の御意向にも関わろうかと」。
 「まあ、待て佐々木殿」。
 平右衛門に一括されて、小さくなっている一馬に助け舟を出したのは帯刀。
 「一馬、そちが申す事に偽りはないな」。
 「はい。若輩ながら、清兵衛の子息善兵衛の腕前は、父をも凌ぐとの城下ではもっぱらの評判にございます」。
 「ならば、一馬。万が一、善兵衛がお役目をしくじった折りにはそなた腹を斬る覚悟はできておろうな」。
 「これこれ、佐々木殿。一馬も藩の一大事をおもうての発言じゃ。そのような意地の悪い言葉は慎まれよ」。
 いつにない帯刀の戒めに平右衛門も、
 「これは相済まぬ事」。
 と引き下がるしか術がなくなった。
 「では、一馬、一両日中に清兵衛、善兵衛親子を連れて参れ」。
 「はは」。
 帯刀の鶴の一声で事は決したのだった。

 一馬は初めての大役に、大いに意気込んで直ぐさま城下の清兵衛宅へと向かった。
 清兵衛は、一介の大工と言えど、名字帯刀を許された家柄。豪商のごとく立派な佇まいの家には大森の名字が刻まれている。
 「ご免くだされ」。
 一馬は早々に、清兵衛にお城での決議を伝えた。すると、思った通りに、
 「倅では役不足にございます。どうして、国中の名工と倅が肩を並べられましょう」。
 「それゆえ、貴候が共に参り支持を与えられよ」。
 「お侍さん、口で言うのと、腕を動かすのは違いますよ」。
  取り敢えずこの親子を城に連れて行かないことには切腹とは言わないまでも、小納戸方のお役目にも響きそうだ。一馬は必死の説得で、家老の脇坂帯刀に会うだけでもと清兵衛、善兵衛親子を伴った。

ついた餅も心持ち 第一話

2011年02月18日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
  お江戸の朝は早い。ここ鍛冶町近くの西横町の裏長屋でも明け六つ時にもなれば、シジミ売りや納豆売りの威勢のいい声が朝を告げると、家々から手に手に笊や丼持ったおかみさんたちが、後れ毛を直そうともせずに「シジミおくれ」と、駆け寄るのが日課だ。
 お釜がシュンシュン湯気を上げたら、今買ったばかりのシジミや納豆で味噌汁を作って、漬け物を添えれば朝餉の出来上がり。
 「お前さん、そろそろ起きな」と、旦那や子どもを起こして一日の始まりだ。
 冬場の朝は凍てつくような井戸水を汲んでの炊事はそりゃあ辛いものだが、江戸のおかみさんはへいっちゃら。今日も、どこぞの誰それの噂話に花が咲く。
 「とみさん聞いたかい。なんでも公方様のお召しで、国中から腕のいい宮大工が集められるってさ」。
 「国中からかい。なんでまた」。
 「上野の東照宮の御普請だって話だよ」。
 「だったら親方のとこにも話がきてるかね」。
 「馬鹿お言いじゃないよ。国中だよ。こんな長屋の大工に用はないさね」。
 あはは、と笑い合うおかみさんたち。
 とみの亭主の新吉は、大工の棟梁・又造に雇われた大工である。十五(歳)で住み込みで弟子入りし、三十前に平造の仲人でとみと一緒になってこの裏長屋に居を構えて五年が経つ。
 一人息子の正吉にも恵まれそれ相応の幸せな生活を送っている。
 「お前さん、お前さん」。
 下駄が抜けんばかりに部屋へと飛び込んだとみ。新吉は、寒さのためにまだ、布団から抜け出せなずにもぞもぞ。
 「何だい。朝っぱらから騒がしい」。
 「だってお前さん、上野の東照宮の御普請があるって話じゃないかい。じっとしてられるもんかね。お前さん、親方から話はないのかい」。
 「おめえは馬鹿か。国中だぜ。国中から選ばれた宮大工にあっしが入る訳ねえじゃねえか。第一こちとりゃ宮大工じゃねえじゃねえか。まったくそそっかしいやつだ」。
 「だって、御上の仕事だったら、賃金もたんと貰えるんだろう」。
 「だからおめえはおっちょこちょいなんだよ。賃金貰えるどころか、失敗なんかしたら首が飛ばあ。そんなことより、おまんまにしておくれ」。
 「なんだい。なんだい。折角この貧乏長屋を抜け出せると思ったのによ」。
 とみはいかにも残念そうに新吉に言い放って、出来たばかりの味噌汁の鍋を置いた。
 「分相応が一番さ。なあ、正吉」。
 目ぼけ眼の正吉を膝に乗せて、たくあんを一切れポリポリと小気味いい音を立てて食べた。

 「親方、親方」。
 新吉は先ほどの落ち着きとは裏腹に永富町の表長屋の親方の下へ飛び込んだ。
 「なんでえ、新吉。騒がしい。毎度毎度おめえさんの声は大きくていけねや」。
 親方の平造は、面倒くさそうに茶をすすった。
 「親方、聞いてますかい。上野の東照宮の御普請の話でさ。そりゃあ、長屋は持ち切りでさあ」。
 今さっき、女房のとみから聞いただけだが、この新吉という男、やや話を大きくする癖がある。
 「ああ、聞いてるよ」。
 「じゃあ、親方にも話があったんですかい」。
 「ほれ、またお前さんの早とちり。人の話は最後まで聞きなと何度言ったら分かるんだい」。
 どうやらおっちょこちょいでもあるらしい。
 「ですがね、親方。こんないい話はそんじょそこらにあるもんじゃねえ」。
 「だからだ。だからこそ、国中の腕っ利きの宮大工が集められて中でも、彫り物大工の四人は龍を彫るってな話さ」。
 「おっと、たった四人ですかい。四人ぽっちで上野の東照宮さんは建っちまうのかい」。
 「最後まで聞きねえ。四人は彫り物の腕もいい大工ってことでい。ほかにも多くの宮大工が集められって訳さね」。
 新吉は唾を飲み込みながら、
 「だったら親方、あっしらにも出番があるってことですかい」。
 「いやあ、ないだろうねえ」。
 「ないねって親方。親方は、ここいら上野はおいらたちの縄張りですぜ。あっしらが東照宮さんに手を貸さねえって法はねえや」。
 「おまえ、分かってるのかい。公方様のお声掛かりだ。こんな長屋の大工に話があるけえ。ささ、お仕舞いだ。仕事に行くぜ」。
 道具箱を抱えて平造は玄関を出た。振り向くと、上がりがまちにしょんぼりとうな垂れている新吉。
 あまりにも哀れなので、平造は、こう言った。
 「お前さんは早とちりで、おまけに口も軽いときてるんで、こりゃあ、話すまいと思っていたが、そんな様子じゃ仕事になんねえ。一つだけ教えておいてやるがね。噂によると、左甚五郎親方が、棟梁の総帥で士気を取るって話だ。左甚五郎親方とは知らねえ間柄じねえ。万が一、人が足らねえなんてことになるかも知れねえが、そうなったとしても、下っ端の下っ端。材木担ぎや鉋がいいところさ。おめえだっていっぱしの大工だ。そんな下働きじゃ満足しねえだろ」。
 「親方。それでも、当代一の大工の腕をこの目で見られるじゃねえですかい。使いっ走りだって何だって構いやしねえ」。
 新吉の目が急に輝き出した。 
 「本当に分かりやすい奴だよ。お前さんは。こんな下町の大工でも寺の修復もしてるし、腕は申し分ねえ。甚五郎親方から話があればの話だ」。
 「親方、ありがとうごぜえやす」。
 新吉はうっすらと涙を浮かべている。
 「本当に早とちりでいけねえ。万が一だと今言ったばかりじゃねえか。いつまでもお前さん一人に構っちゃいられねえ。おい、出掛けるぜ」。
 平造は住み込みの若い衆に声を掛けた。

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