六月一日は東照大権現(家康)の命日とあって、普請も休みとなった。善兵衛は、共に寝起きをしている甚五郎の弟子の嘉助と平次に誘われて、浅草を訪れていた。
「やっぱりよ。江戸っ子だったら浅草寺をお参りしなくっちゃ」。
と嘉助がやけに勧めるのが気にはなったが、ほかにするここともないので、促されるまま着いて来たのだった。
浅草寺の山門にあたる風雷神門から境内までの参道に役店、平店の仲見世が並び賑わうのは元禄時代に入ってからのことで、この時代には、境内に水茶屋の堺屋があるのみだった。
本堂を目指す善兵衛が、「見事ですね」と声をかけようと振り返ると、参詣する気があるのかないのか、嘉助と平次は一目散に葭簀張りの小屋掛けで、床机に腰を下ろそうとしているところだ。
「江戸では、参詣は後なのか、まさかそんな作法はあるまい」。善兵衛は一人で、本堂内の御宮殿で参詣をすまし、床机で菓子売りから買った菓子をほおばる嘉助と平次の元へ行った。
「嘉助さんも平次も本堂には行かれないのですか」。
菓子で塞がった口をもぐもぐさせならが、嘉助が、
「浅草寺に行くといったら、栄屋のことだ。知らなかったのかい。まあ、座んな」。
善兵衛は、「そんなに菓子が好きなのだろうか」と不思議でならなかった。平次に勧められるまま、ひとつ頬張ったが、あまり高そうでない、普通の菓子である。名物というほどのものでもなさそうだ。
見れば、栄屋には男性の客が妙に多いようだ。その男たちはにこやかにはしているものの、浮き足立っているようにも見える。
「嘉助さん。どうして浅草寺に行くといったら、栄屋なのですか。浅草寺は浅草寺でしょう」。
「ほらあそこ」。
菓子を食べながら、平次が顎で指したところには茶屋の女が忙しなく茶、麦湯、桜湯を客に運んでいる。
「おはつ初ちゃんだよ。浅草小町の」。
そう言うな否や平次は、おはつというその女を呼びお茶のお代わりを頼むが、初の視線は善兵衛に注がれていた。
「お客さん。浅草寺は初めてですか」。
善兵衛とて男なので悪い気はしないが、こういった艶やかな女子は苦手である。水茶屋に入ったことはなかったが、およそ一町に一軒はあるそれを通りすがりに見てはいた。そういえば、どの店の人も大層艶やかだったと思い出していた。
「嘉助さん。こういった店は、器量良しの女子を雇うものなのですか」。
「おっ、善兵衛さん。気がついたかい。水茶屋は、器量良しの愛想を買うところさ」。
嘉助、平次によれば、客の目当ては、茶ではなくお初の笑顔なのだそうである。ほかにも、両国広小路瓢屋の誰それ、両国広小路大見屋の誰それ、両国橋、上野山下と、それぞれに贔屓があるようだ。
後の明和年間の谷中笠森稲荷境内鍵屋のおせん、寛政年間の浅草随身門前難波屋のおきた、両国薬研堀の高島おひさなどは、鈴木春信、喜多川歌麿などの錦絵になるほどの器量を誇っていたくらいなので、水茶屋の女子の器量のほどが分かるというものだ。
おはつに話しかけられ這々の体の善兵衛。額にじっとりと汗までかいてきた。どうにも居心地が悪い。
「やっぱりよ。江戸っ子だったら浅草寺をお参りしなくっちゃ」。
と嘉助がやけに勧めるのが気にはなったが、ほかにするここともないので、促されるまま着いて来たのだった。
浅草寺の山門にあたる風雷神門から境内までの参道に役店、平店の仲見世が並び賑わうのは元禄時代に入ってからのことで、この時代には、境内に水茶屋の堺屋があるのみだった。
本堂を目指す善兵衛が、「見事ですね」と声をかけようと振り返ると、参詣する気があるのかないのか、嘉助と平次は一目散に葭簀張りの小屋掛けで、床机に腰を下ろそうとしているところだ。
「江戸では、参詣は後なのか、まさかそんな作法はあるまい」。善兵衛は一人で、本堂内の御宮殿で参詣をすまし、床机で菓子売りから買った菓子をほおばる嘉助と平次の元へ行った。
「嘉助さんも平次も本堂には行かれないのですか」。
菓子で塞がった口をもぐもぐさせならが、嘉助が、
「浅草寺に行くといったら、栄屋のことだ。知らなかったのかい。まあ、座んな」。
善兵衛は、「そんなに菓子が好きなのだろうか」と不思議でならなかった。平次に勧められるまま、ひとつ頬張ったが、あまり高そうでない、普通の菓子である。名物というほどのものでもなさそうだ。
見れば、栄屋には男性の客が妙に多いようだ。その男たちはにこやかにはしているものの、浮き足立っているようにも見える。
「嘉助さん。どうして浅草寺に行くといったら、栄屋なのですか。浅草寺は浅草寺でしょう」。
「ほらあそこ」。
菓子を食べながら、平次が顎で指したところには茶屋の女が忙しなく茶、麦湯、桜湯を客に運んでいる。
「おはつ初ちゃんだよ。浅草小町の」。
そう言うな否や平次は、おはつというその女を呼びお茶のお代わりを頼むが、初の視線は善兵衛に注がれていた。
「お客さん。浅草寺は初めてですか」。
善兵衛とて男なので悪い気はしないが、こういった艶やかな女子は苦手である。水茶屋に入ったことはなかったが、およそ一町に一軒はあるそれを通りすがりに見てはいた。そういえば、どの店の人も大層艶やかだったと思い出していた。
「嘉助さん。こういった店は、器量良しの女子を雇うものなのですか」。
「おっ、善兵衛さん。気がついたかい。水茶屋は、器量良しの愛想を買うところさ」。
嘉助、平次によれば、客の目当ては、茶ではなくお初の笑顔なのだそうである。ほかにも、両国広小路瓢屋の誰それ、両国広小路大見屋の誰それ、両国橋、上野山下と、それぞれに贔屓があるようだ。
後の明和年間の谷中笠森稲荷境内鍵屋のおせん、寛政年間の浅草随身門前難波屋のおきた、両国薬研堀の高島おひさなどは、鈴木春信、喜多川歌麿などの錦絵になるほどの器量を誇っていたくらいなので、水茶屋の女子の器量のほどが分かるというものだ。
おはつに話しかけられ這々の体の善兵衛。額にじっとりと汗までかいてきた。どうにも居心地が悪い。