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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

ついた餅も心持ち 第三十話 

2011年02月28日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 六月一日は東照大権現(家康)の命日とあって、普請も休みとなった。善兵衛は、共に寝起きをしている甚五郎の弟子の嘉助と平次に誘われて、浅草を訪れていた。
 「やっぱりよ。江戸っ子だったら浅草寺をお参りしなくっちゃ」。
 と嘉助がやけに勧めるのが気にはなったが、ほかにするここともないので、促されるまま着いて来たのだった。
 浅草寺の山門にあたる風雷神門から境内までの参道に役店、平店の仲見世が並び賑わうのは元禄時代に入ってからのことで、この時代には、境内に水茶屋の堺屋があるのみだった。
 本堂を目指す善兵衛が、「見事ですね」と声をかけようと振り返ると、参詣する気があるのかないのか、嘉助と平次は一目散に葭簀張りの小屋掛けで、床机に腰を下ろそうとしているところだ。
 「江戸では、参詣は後なのか、まさかそんな作法はあるまい」。善兵衛は一人で、本堂内の御宮殿で参詣をすまし、床机で菓子売りから買った菓子をほおばる嘉助と平次の元へ行った。
 「嘉助さんも平次も本堂には行かれないのですか」。
 菓子で塞がった口をもぐもぐさせならが、嘉助が、
 「浅草寺に行くといったら、栄屋のことだ。知らなかったのかい。まあ、座んな」。
 善兵衛は、「そんなに菓子が好きなのだろうか」と不思議でならなかった。平次に勧められるまま、ひとつ頬張ったが、あまり高そうでない、普通の菓子である。名物というほどのものでもなさそうだ。
 見れば、栄屋には男性の客が妙に多いようだ。その男たちはにこやかにはしているものの、浮き足立っているようにも見える。
 「嘉助さん。どうして浅草寺に行くといったら、栄屋なのですか。浅草寺は浅草寺でしょう」。
 「ほらあそこ」。
 菓子を食べながら、平次が顎で指したところには茶屋の女が忙しなく茶、麦湯、桜湯を客に運んでいる。
 「おはつ初ちゃんだよ。浅草小町の」。
 そう言うな否や平次は、おはつというその女を呼びお茶のお代わりを頼むが、初の視線は善兵衛に注がれていた。
 「お客さん。浅草寺は初めてですか」。
 善兵衛とて男なので悪い気はしないが、こういった艶やかな女子は苦手である。水茶屋に入ったことはなかったが、およそ一町に一軒はあるそれを通りすがりに見てはいた。そういえば、どの店の人も大層艶やかだったと思い出していた。
 「嘉助さん。こういった店は、器量良しの女子を雇うものなのですか」。
 「おっ、善兵衛さん。気がついたかい。水茶屋は、器量良しの愛想を買うところさ」。
 嘉助、平次によれば、客の目当ては、茶ではなくお初の笑顔なのだそうである。ほかにも、両国広小路瓢屋の誰それ、両国広小路大見屋の誰それ、両国橋、上野山下と、それぞれに贔屓があるようだ。
 後の明和年間の谷中笠森稲荷境内鍵屋のおせん、寛政年間の浅草随身門前難波屋のおきた、両国薬研堀の高島おひさなどは、鈴木春信、喜多川歌麿などの錦絵になるほどの器量を誇っていたくらいなので、水茶屋の女子の器量のほどが分かるというものだ。 
 おはつに話しかけられ這々の体の善兵衛。額にじっとりと汗までかいてきた。どうにも居心地が悪い。

ついた餅も心持ち 第二十九話

2011年02月28日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 みつにとって、普段の善兵衛もそれは男前だが、大工仕事に没頭する善兵衛には凛とした空気が感じられた。
 「惚れ直しちまうねえ」。みつはうっとりと眺めているだけで幸せを感じていたのだ。
 「おみつさん、どうしました。熱でもあるんじゃないですか。顔が赤いですよ」。
 善兵衛が心配そうに声をかける。毛頭あるのは恋の熱。
 「いえ、なに、その」。
 と言葉にならないみつだった。
 普段は無口でも、大工仕事に関しては饒舌になる善兵衛。
 「出過ぎたまねして、平造親方が気を悪くしないですかね」。
 「とんでもない。うちの連中なんか、棚が落ちても直さないくらいなもんで」。
 「ははは。正に紺屋の白袴ですな。外で日がな金槌を握っているから家では握りたくないのでしょう。わたしもそうです。家では、よくおっかさんから役立たずって、叱られてますよ」。
 ようやく二人の間に和やかな空気が流れ出した。
 「善兵衛さん。不躾なお願いですが、もし、きいてくださるなら」。
 「おみつさんの頼みなら何なりと」。
 「この包丁の柄にみつと名前を彫ってもらえないでしょうか。駄目ならそれで、かまいやしまいよ。当代きっての彫り物大工に、彫り物をお願いするんだから。でもね、せっかく知り合った記念に、善兵衛さんが近江に帰ってしまった後でも、それを見て思い出したいんだ」。
 「それは…」。
 「ご免なさい。勝ってなこと」。
 「いえね、わたしは、彫り物大工ではありますが、文字は彫ったことがないもんで、巧く彫れるかどうか分かりません」。
 「構いやしないよ。善兵衛さんとお近づきになった証だもの」。
 「でしたら、お彫りしましょう」。
 みつは、五カ月後には江戸を去ってしまい、再び会うことがないであろう善兵衛の、それでも恋い慕った思いを残したかったのだ。毎日使う包丁なら、いつでも目にすることができる。とみつは咄嗟に名前を彫って欲しいと頼んでいた。
 背を丸めるようして彫る善兵衛の後ろ姿もまた愛しいみつだった。楽しい時とはとかく、光陰矢の如しは大げさだが、みつにとってはそれくらいに早い時の流れだった。
 「善兵衛さん、お江戸では、ここを我が家だと思っていつでも来てくださいね」。
 みつは精一杯の誘い水をかけた。
 「はい。今度は平造親方のおられる時分にまいります」。
 そう、爽やかに帰って行く後ろ姿が見えなくまるまで見送りながら通じない思いを実感したみつだった。

ついた餅も心持ち 第二十八話

2011年02月28日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙

 芍薬の花が咲く頃になると、東照宮の職工たちも形として成果を得られるとうになり、そうなると励みも一塩で工事は順調に進んでいた。
 迷いの吹っ切れた善兵衛の龍も形が見えてきていた。そんなある日、善兵衛はかねてより気にかかっていたことがあり、永富町の表長屋の平造の元を訪れた。
 「ご免くださいまし。お留守ですかい」。
 数度の呼びかけに返事がなく、踵を返し変えたその時、みつの元気のいい声が聞こえてきた。
 「誰だい。一度言えば分かるよ。うるさいねぇ」。
 玄関口まで走り出ると、そこには、善兵衛が。大慌てが、姉さんかぶりの手拭いを取り、襷をはずし、鬢を撫でつけるみつ。
 「これは失礼しました」。
 「いえ、お忙しいところ申し訳ない」。
 なぜ急に善兵衛が目の前にいるのか分からないが、それはみつの心を揺さぶる嬉しい出来事だった。
 「おとっつあんは出かけてますよ」。
 「ああ、そうでしたか」。
 照れくさそうに笑う善兵衛の、そんなおっとりとした面も江戸っ子にはない魅力だ。
 「本日は遅ればせながら、いつぞや泊めていただいたお礼に参りました。あの折りは大変お世話になりました」。
 「気になさらないでくださいな。うちには若い衆がごろごろいますから、善兵衛様お一人くらいなら、いつでも来てくださいな。今、お茶を」。
 「どうぞお上がりください」というみつの勧めを善兵衛は「お礼に参りましたので」と丁重に断るが、「それでも」の再三の勧めに断り切れず、座敷ではなく上がりがまちに腰をかけた。
 みつは心の動揺を隠し切れず、どぎまぎしながら台所で茶の用意をするが、こんな時には得てしてそうであるように、いつもなら分かっている上等の茶碗が見当たらなかったり、茶筒の在処が分からなかったりとどうにも勝手が悪い。善兵衛に女性らしいところを見せたいのに気持ちとは裏腹に、家事に不慣れなようにぎこちない。
 ようやく急須から茶碗に茶を注げば、急須の蓋から溢れる始末。慌てて雑巾を取りに行けば、すってんころりん。嫌というほど、尻を打ちつけた。
 みつは逃げ出したい気持ちと涙を堪えるために必死の形相になり、それがまた、怒っているかのようで、どうにも始末が悪い。
 当然善兵衛も居心地がいいものではなく、早々の退散しようと、腰が定まらない。
 ようやく向かい合っても、会話が続かなく手持ち無沙汰だ。それでもみつは「お国はどんなことろですか」。「お国の名物は」。などと話題をふるが、善兵衛からは、「大きな湖があります」。お仕舞い。「鮒ずしです」。お仕舞い。
 内心みつは「嫌われた」と不安でしようがないのだが、当の善兵衛は、元来口数が多い方ではなく、なあんにも考えてはいないのだ。
 「みつさん」。
 唐突に立ち上がる善兵衛にみつは、「もう帰ってしまうのだ」と残念でならないのだが、これ以上引き止めて、恥を晒すのも難だ。今日は仕方ないと、諦めていると、
 「お礼と言っては何ですが、先日泊めていただいた折りに、玄関の引き戸の勝手が悪いようでしたので、お礼の変わりに直させていただけませんか」。
 と切り出した。
 「おかまいもできませんで」。という用意していた言葉を飲み込んで、本当に言葉が喉に詰まったかのように、声の出ないみつだった。
 「そうですよね。大工の棟梁の家で出過ぎたまねでした」。
 これは、いけないと、みつは慌てて首と手を左右に振る。それがまた、振りが一緒の方向なものだから、おかしな仕草になってしまった。
 「とんでもない。こんだけ大工がいながらお恥ずかしい。是非、お願いします」。
 「では」。
 ようやく善兵衛の表情が和らいだ。実は、善兵衛、最初からそのつもりだったのだが、中々切り出すきっかけがなく、そのために、話しかけられても上の空だったのだ。
 玄関先で外した引き戸の寸法を測り、鉋でけづる善兵衛を、上がりがまちに正座して眺める自分。「めおとみたいだ」。と過る思いを頭を振って消し去ろうとするみつだった。

ついた餅も心持ち 第二十七話 

2011年02月28日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 久し振りに上野のお山からはとんかん、とんかんという小気味のいい音と、威勢のいい声が聞こえていた。
 善兵衛は合掌しひと呼吸つくと、龍の絵図を破り、目を閉じて鑿を入れた。頭の中の龍を彫るために。息を止めて入れたひと掘りは、滑らかに指先の感触がそのまま鑿に乗り移ったかのようだった。

 数日後、近江宮川藩小納戸方の岡崎一馬が、旅姿で上野東照宮を御訪れていた。
 「善兵衛。わたしは国元に帰ることになった」。
 一馬の顔には心労が刻まれていた。何を話していいのか、善兵衛の頭の中には、一馬が大森の家に訪ねて来てから、江戸への道中、そして一緒に宮川藩上屋敷までのできごとが走馬灯のように巡っていた。
 「善兵衛。国家老の脇坂帯刀様より、お主にお言葉がある」。
 脇坂帯刀の名を聞いて、善兵衛はひざまずく。
 「殿はお命果てて後も三代様に御奉公をなさっておる。その三代様の命によるこのたびの御用。殿の名にかけて励むようにとのことじゃ」。
 一馬の声は震えているようだった。
 「承知いたしました。この善兵衛。命にかけて」。
 そう言いかけて、殉死した堀田正盛を思い、言葉だけで軽々しく言った自分がとても卑屈に思えた。
 「御家はいかがなるのでしょう」。
 「それなら心配は無用。御嫡子の正信様がお継ぎあそばされて、中屋敷から上屋敷にお入りになられた」。
 藩主交代による人事で一馬たちは帰国を命じられたのだった。
 「一馬様、お伺いしたいのです。御武家様には、命より大切な御奉公があるものなのでしょうか」。
 「殿のことか…。武士には武士の一分があるのだ」。
 そう言った一馬が、少し遠くに感じた善兵衛だった。
 「では、わたしはこれで。善兵衛、国元で待っておるぞ」。
 一馬は右手を上げて手を振り踵を返した。
 「一馬様。わたしもじきに帰ります。待っていてくださいまし」。
 振り向いた一馬は、泣き笑いのような顔に見えた。
 だが、これが二人の今生の別れとなるのだった。

 堀田家の家督は嫡子・正信が継いだが、この正信、万治三年(1660)に老中・松平信綱と対立し無断帰城したために御家は改易となる。その正信の嫡子・正休は幼少であり、祖父の正盛が幕府創設期の功臣であることから米一俵の捨て扶を与えられ、成人に達して後の延宝五年(1677)になって、父・正信に連座する形で閉門処分に処せられる。蟄居が許されるのは天和元年(1681)になってからで、正信が自自害一年の後である。その後、祖父・正盛の十一万石には遥か及ばないながらも、一万石の所領を与えられて宮川藩主となり堀田家は明治まで続く。

ついた餅も心持ち 第二十六話

2011年02月27日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 西横町の裏長屋に戻った新吉を待ち構えていたのは、随分よ見回したのだろう折れ曲がった一枚の読売を握り締めた棟梁の平造とその娘のみつ。    
 「おう、新吉。いいとこに帰って来た。お前さん、ちょっとこれ読んどくれ」。
 「なんですかい、親方。字が読めねえんですかい」。
 「馬鹿お言いじゃないよ。まあ読んでみねえかい」。
 新吉が渋々手にしたのは、四日も前の読売だ。
 「こんな昔の読売がなんだってんだい」。
 後ろから覗き込んだとみが一文を指で追いながら、
 「ここ、ここだよ」。
 「何だい。御老中・堀田正盛様…宮川藩主…。って、これは善兵衛さんのお国元の殿様じゃねえか。殉死…親方、殉死ってのは何ですかい」。
 「なんだい殉死も知らねえのかい。だからお前さんは…。おっとそんなことはどうでもいいや。御老中・堀田正盛様始め五人の御忠臣の方々が、三代様を追ってお腹を召されたんだよ」。
 「お腹を召されたって、これですかい」。
 新吉は、両手で腹を斬る真似をする。
 「そうだよ。そこでだ、善兵衛さんの様子が気になってねえ、お前さんを待っていたって寸法よ」。 
 「親方、あっしたちはたった今、帰って来たばかりですぜ。この読売が出た頃は、高尾山に向かってらあ」。
 「じゃあ、善兵衛さんも知らなかったのかい。で善兵衛さんはどこに行きなすった」。
 「甚五郎親方んとこに帰りなさった」。
 平造は、甚五郎も今頃訃報を知った頃だろうと思い、みつは、甚五郎が急遽国元に帰ってしまうのではないかとそれぞれに思案し裏長屋を後にした。
 
 「で、お前さん。高尾山はどうだったんだい」。
 とみが新吉を待ち構えて尋ねる。この時代、旅に出るということは生涯あるかないかの大事業なのだ。新吉も三十四歳のこんにち、初めて江戸市中以外の土を踏んで来たのである。
 「高尾山ってどんなお山だい。大きいのかい、高いのかい。街道筋の宿場は賑わっているのかい」。
  矢継ぎ早のとみの問いかけにも、生返事の新吉。それもその筈、新吉自身も、「目で彫る」という言葉の意味と向かい合っていたのだから。

ついた餅も心持ち 第二十五話 

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 一行が旅を終えて江戸に戻ると、草鞋も脱がないうちに左甚五郎から「宮川藩上屋敷へ向かうように」告げられた善兵衛。甚五郎の表情から良いことでないことは明らかだった。
 旅支度のまま大慌てで西新橋の上屋敷まで走ると、屋敷は異様な空気に包まれて、周囲には香の香りが一町先まで漂っていた。
 善兵衛は恐る恐る裏木戸から入ると、そこにいた小者の男に何が合ったのかを尋ねた。口ごもる男に善兵衛は名を告げる。すると、しばし待たされた後、岡崎一馬が蒼白の顔色で現れた。
 「一馬様、いったいどうなさいました」。
 「善兵衛。殿が…殿が、殉死なされた」。
 一馬はそう言ったきり、固く唇を噛み締め、再び口を開くことはなかった。
 堀田家宗家初代・正盛は家光逝去の訃報を受けるや、即日腹を斬ったのだった。善兵衛の元へも直ぐさま知らせが入ったが、高尾山へ向かったため、すでに四日が過ぎていた。
 善兵衛は言葉を失った。町人の身分では焼香もままならないことは知っている。善兵衛はその場で手を合わせ深くお辞儀をした。
 どこをどうして豊島町まで戻ったのか、気がつけば辺りは漆黒の闇の中。たった一度しかお目通りしていない殿様でも、その人柄や自分の欄間を気に入ってくれたことから親しみを抱いていただけに善兵衛の悲しみもまた大きかった。

 堀田正盛の遺骸は、同じく家光の死に殉じた稲葉正成、安藤直次、阿部重次、内田正信らと共に、家光の眠る輪王寺のある、日光釈迦堂に葬られた。

 眠れぬ夜が開け、翌日甚五郎から、家光の初七日が開けたら普請事業が開始されるという知らせがもたらされた。だが、家光の初七日が明けるということは、堀田正盛のそれも同じである。一介の町人が藩主の家督問題を知る由もなく、その時はすでに幕府に承認されていた嫡子・正信の相続を知らぬまま、善兵衛は国元がどうなっているのか気がかりでいたたまれない面持ちだった。
 「善兵衛さん。随分と暗い顔しているが、お前さんは御武家じゃねえぜ。そこを履き違えんなよ」。
 甚五郎が、惚けた善兵衛を一括した。
 「しかし、親方、わたしは…あんなお優しい殿様がご自分で命を絶たれたなんぞ、信じたくありません。わたしは、今回の御用も、殿様がお喜びくださると思いまして…」。
 善兵衛は宮川藩上屋敷での正盛の姿を思い浮かべていた。
 「御武家には御武家の役割はあり、大工には大工の役目ってもんがあらあな」。
 「御武家の役目ってのは自ら死ななくてはならないのでしょうか。そんな役割なんぞこの世にあるものか」。
 「善兵衛いい加減にしろい」。
 大粒の涙が一筋頬を伝うと、堪え切れなくなり、子どものように泣き出す善兵衛だった。
 「いいかい。幕府の御老中の立場もありながら、お前さんのおとっつあんでなく、敢えてお前さんに機会を与えてくだすった殿様に報いるには、どうしたらいいのか頭冷やして良く考えな」。

ついた餅も心持ち 第二十四話

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 このような出会いがあるとは思ってもいなかった一行。狩野探幽の名を耳にすると、腰を抜かさんばかりの驚きだった。
 「はい。堂宮大工・左甚五郎門下の堀田龍之助と申します。わたしは駆け出しの小僧でございましたが、探幽様は日光東照宮の建立の際、お姿を拝見させていただいております」。
 「おお、あの甚五郎さんのお弟子さんたちでしたか。して、甚五郎さんはご壮健か」。 
 「はい。今回は上の東照宮の御普請を賜っております」。
 「そうでしたか。それはそれは」。
 「して探幽様はなぜこちらにお出ででございましょう」。
 「お恥ずかしながら、見えなくなりましてな。小手先では描けても、心が見えない。それでは本物は描けませんので、こうして心の目を開いておるのです」。
 狩野探幽ほどの人物を持ってしても「見えなくなる」とは如何に。善兵衛は、甚五郎の、「目で彫る」の言葉を思い出していた。
 「狩野様、ご無礼とは存じますが、お教えいただきとうございます」。
 「はて、宮工大工が絵師のわたしに何を」。
 「狩野様は、絵とは目で描くものなのでしょうか」。
 「ほう。あなた方、彫り物大工もわたしら絵師の同じでございましょう。小手先で仕上げたものには、魂は宿りません」。
 この一言で、善兵衛一行がここ高尾山に詣でた訳を一瞬にして理解した狩野探幽だった。そして、
 「お若いの。年寄りの世迷いごとではございますが、あなた様には迷いがあるとお見受けしました。迷いなされ、迷いなされ。迷うということは向かい合っておることじゃ。向かい合えば、相手は語りかけてくださるものじゃ」。
 狩野探幽は、飯縄大権現を「神に見える」と言った善兵衛の資質を見抜いていた。
 「最後に、今一度、お名前をお聞かせ願がえませんかな」。
 という狩野探幽に善兵衛は、
 「それだけはお許しください。いずれ、胸を張って名乗れる時が参りますれば、その折りに」。
 深々と頭を下げた。
 「そう遠い日ではあるまい」。狩野探幽は確信したのだった。

ついた餅も心持ち 第二十三話

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 一方、東照宮改築に際しての幕府の意向は、家光の信任厚い会津藩主の保科改め松平正之の、「三代様の御意思なれば全うすべし。またこのたびの改築は徳川の御偉功を世に知らしめるためにも必要なり」。の一声で続行が決まった。
 再開の時期に関しては、「三代様の初七日後すみやかに続行のこと構いなし」と定められた。幕閣の中には「中止」を叫ぶ反対意見もあったが、「三代様の御葬儀は寛永寺にて執り行う故、東照宮はこれに非ず」。
 これは、職人たちの予定も考慮の上、下された沙汰だった。
 左甚五郎始め、関係各位が胸を撫で下ろしたことは言うまでもない。

 一夜明けて善兵衛たちは、八王子宿から甲州街道を外れ、一路高尾山を目指している。街道を外れると辺りもがらり変わり、田畑も消え、山林の中に人が通れるくらいの山道があるだけになった。空気もひんやりとして四月後半にも関わらず肌寒いくらいである。
 目指すは、高尾山薬王院有喜寺。その歴史は古く、天平十六年(744)に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山され、以後修験道を修める道場としての役割も担っている。
 御本尊の飯縄大権現は、戦国期には武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護を受け、江戸期に入ると徳川家、特に紀州家との仏縁により隆盛を迎えていた。
 特別の計らいによって、御本尊を拝観し、その勇猛果敢な御姿にあって、慈悲の眼差しを目の当たりにし、稲妻が走るような衝撃を受けた善兵衛。
 「こちらの御本尊様は天狗なんですかい」。
 新吉は、天狗が御本尊として祀られている寺が不思議でならないようだ。
 「これ、新吉、天狗様だ。天狗様は神の随身として、古来より神通力をもつとされているのだ。各地に天狗伝説や天狗信仰があるだろう。ここ高尾山は天狗信仰の霊山としても知られておる」。
  「さすが龍之助さん。さすが龍之助さん、この天狗様妙じゃないですか。わたしには、ほかのものにも見えます」。
 善兵衛には、厳めしいはずのその顔がどうにも優しい表情に写っていた。
 「善兵衛さんには何に見えますか」。
 「はい。神に見えます」。
 「ほう。お若いの、神に見えますか」。
 と、先ほどから院殿の隅で筆を動かしていた五十絡みの初老の男性が善兵衛に話しかけてきた。善兵衛は訝しがりながらも、なぜかその男と話をしたい衝動を押さえ切れなかった。
 「わたしのような修行もしていない者が、神に見えると言いましたら穿っているようですが、お優しい眼差しと拝見しました」。
 「みな、不動明王は、そのお姿から怖がられますが、元来、大日如来の化身です。あなた様には、不動明王の外面を通して内証が見えたのでございましょう」。
 「内証ですか」。
 「はい。お心です。あなた様には心を見る目がおありだ。して、僧籍には見受けられませんが、ご信仰はおありで」。
 「いえ、私は宮工大工でして、彫りいたしております」。
 「ほう。彫り物大工とな。して、お名前を伺えますかな」。
 「まだ修行の身です。名などございません。ご勘弁を」。
 そのやり取りを黙って聞いていた龍之助が口を挟んだ。
 「失礼ではございますが、もしや、あなた様は狩野探幽様ではございませんか」。
 「これは、失礼いたしました。名乗りを忘れておりました。して、わたしをご存じのあなた様は」。
 狩野探幽。江戸幕府の御用絵師でもあり、江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わっている。また、大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作。山水、人物、花鳥など幅広い作域でもある。

ついた餅も心持ち 第二十二話

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 時はさかのぼり、善兵衛たちが経った時分、西横町の裏長屋、平造の元へ新吉の女房のとみがやって来た。
 「親方、おはようござます」。
 「あら、おとみさん。こんなに早くどうなさいました」。
 朝餉の支度に忙しいみつは台所から声を返した。すると、その声に引き寄せられるかのように、台所に入り込むとみ。
 「今しがた、うちの人を送り出したんだけどね、良かったんだろうかね、うちの人も一緒でと思ったらいてもたってもいられなくなっちまってね」。
 「ああ、今日でしたね。おとみさん、お見送りなさったの」。
 そ知らぬふりだが、善兵衛が高尾山に行くとあってこちらも気が気じゃないみつだった。
 「しかも、大森善兵衛さんと、堀田龍之助と言う、名人級の宮大工とご一緒だというじゃないかい。なんでまたそんところにうちの人がさあ」。
 「そうねえ。新吉さんは何て」。
 「そりゃあ、あの人のことだもの、あっしがいないと不案内でいけねえって、そりゃあ、頼まれたのさ。とか言ってたけどねえ」。
 「でも善兵衛さん、どうして急に高尾山にいったんだろうね」。
 とみは新吉が出過ぎたまねをしていないか、足手まといになっていないだろうかを心配し、みつは善兵衛のことを知りたくて、とみが新吉から聞いていないか。話が噛み合っていないのだが、とみもみつも気にならないらしく、会話にならない言葉の一方通行が続いている。
 そうこうするうちに、とみ。
 「おみつちゃん。さっきから善兵衛さん、善兵衛さんって。善兵衛さんのことばっかり口にしてるけど、惚れてるのかい」。
 歯に衣着せられないのも江戸っ子。
 「何言ってるのよ、おとみさん。いやねー」。
 と顔を赤らめ身をよじる。
 「なんだい。図星かい」。
 「そんなことないわよ。だって一度きりしかお会いしていないし」。
 「お会いねえ」。
 訝しげなとみ。
 「で、どうなんだい。そのお会いした時、どんな男なんだい」。
 身を乗り出すように時分の顔を光野鼻先まで近づけるとみ。いつもなら煩わしいそんなとみの癖も、みつにとってこの時ばかりは、待ってましたの反応だった。
 「それがね。もの静かで」。
 「そうさね、男は無口でなくちゃいけないね」。
 「腰が低くてね」。
 「そうさね。男の空威張りはみっともないからね」。
 「礼儀正しくてね」。
 「育ちがいいんだね。なんだかうちの人と正反対じゃないかい。で、そんなことより、どうなんだい。男前かい」。
 「朝っぱらから騒がしい。さっきから黙って聞いてりゃ、勝手なことぬかしやがって。おい、おみつ。おめえ、善兵衛さんに惚れてるのかい」。
 「そんなことないわよ。嫌なおとっつあん」。
 「ならいいがね。釘を刺しとくが善兵衛さんにいくら惚れたってだけだぜ」。
 「おとっつあん、どうしてさ」。
 「善兵衛さんは大森の大事な跡取りだ。おめえも一人娘、嫁にやる訳にはいかねえ」。
 そんな話はどこにもないどころか当の善兵衛さえも知る由もない、みつの淡い思いなのだ。

ついた餅も心持ち 第二十一話

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 高井戸宿を出て武蔵野の大地を過ぎると、府中宿までの間には布田五宿と呼ばれる五つの小さな宿場が連なるようにある。
 先刻よりずっと黙りこくってもくもくと歩く新吉の脳裏には、善兵衛の彫った龍の目がこびりついて離れない。「あれが一流の職工の仕事か」。
 府中宿で宿を取っても、相変わらず黙りこくる新吉。部屋の隅で肩を落とししょんぼりとする様子に、善兵衛が声をかけた。
 「新吉さん、どうですか一緒に風呂に入りませんか」。
 そう呼び水を差し向けるが、
 「あっしは、まだ後で」。
 と首をうなだれたままだ。
 「一体どうしたのです。飯もあまり食べていなかったではないですか。何か気に障ったことでもありましたか」。
 「善兵衛さんには、分かりゃしませんさ」。
 「何ですか。それは。わたしでは役立たずですか」。
 「ああ、そうでい」。
 「これは聞き捨てなりませんね。わたしは、新吉さんの舎弟ではなかったのですか」。
 連られえ声が大きくなる善兵衛だったが一声発した後、向き直った新吉と目が合うとどちらともなく笑みがこぼれた。
 「ご心配ありがとうごぜえやす。ですがね、あっしは、今日と言う日は嫌と言うほど、自分の力のなさに気付かされたんで」。
 「昼間のことですか」。
 「へい。あっしはね、頭じゃあ分かっちゃいるつもりでしたがね、心のどこかにまだ二十歳そこそこの若造じゃねえか。どこまでできるんだい。ってな奢りがあった。それが、見事に打ちのめされやした。年じゃねえ。あっしはこれまで何を修行してたんだって。そうしたら、自分がとてつもなく小さく思えて情けねえ。善兵衛さんに合わす顔がねえ」。
 「なんだ。そんなことですか」。
 「そんなことたあなんでい」。
 「わたしは国元では、父の元で修行の身。未だ寺社仏閣の采配を任されたことはありません。そこへいくと新吉さんは、一人で家を建てるることができるじゃありませんか。わたしにはそんな大きな仕事はできません。たまたまわたしは彫り物も仕込まれただけで、畑違いのことだけです」。
 「本当ですかい」。
 「わたしは自分にできることをやっていけばいい。そう思うようになりました。自分が精一杯妥協せずに進めばよいとね」。
 新吉、ぐいと手で涙を拭いながら、
 「おっしゃるとおりだ。さすが、善兵衛さんだ」。
 「おお、やっと笑みが戻りましたね。ではどうです。風呂に入りましょう」。
 「それよりもまず一杯いきましょうや」。
 と人差し指と親指を丸めて杯を作り、煽るまねをする。
 「だめですよ。明日は、高尾山薬王院有喜寺に参詣です」。
 「違いねえ」。
 ようやく明るい笑い声が戻った新吉である。

ついた餅も心持ち 第二十話 

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 田畑にまた家並みが増え出すと次の宿場町である高井戸宿。江戸市中には及ばないが、それでも近郊の宿場町としての賑わいを見せる。
 賑わいとはまた別の怒号が響いた。
 「これ。待たんか。これ」。
 互いの顔を見合わせながら声のする方に走り寄ると、そこには、頭から湯気を出さんばかりの年老いた僧が、木造を片手に門の外まで出て来ているではないか。
 「御坊、いかがなされました」。
 ただならぬ様子に龍之助が声をかけた。
 「どうにも、悪がきが細工に悪戯をしまして、この有様です」。
 見ると、門柱龍の顔の部分の細工の一部がこそげ落ちている。
 「これは、酷い」。
 思わず手を合わせる龍之助と善兵衛。それを見て慌てて手を合わせる新吉。
 「旅のお方、随分と信心深いようですな」。
 御坊の顔が幾分緩んできたようだ。
 「どうだい、善兵衛さん」。
 龍之助が水を向ける。
 「はい。接げばどうにかなりましょう」。
 すると龍之助。僧に向かって、
 「御坊、寺に大工道具はあるかい」。
 「どうなさるのでしょう」。
 「いやなに、ここにいる者が多少の心得があってな。お力になろうじゃないか」。
 「それはありがたいことではありますが、京の知恩院の流れを汲む由緒ある寺。独礼の寺格でもあります。いくら外門といえど、どこの誰とも分からぬお方に託す訳には参りませぬ」。
 「まあ、良いではないか。ものは試し、やらせてみてくださいませ。どうか道具を貸してください」。
 「龍之助さん。大丈夫です」。
 善兵衛は懐から一本の鑿を取り出した。
 「おや、持ち歩いてるとは殊勝な心がけ」。
 「はい。この鑿はおとっつあんから譲り受けた、お侍さんでいうなら守り刀みたいなもんでして、片時も手放したことはありません」。
  僧の問いには答えず、また了承も得ぬまま、善兵衛は欠けた龍の鼻から目にかけてを掘り出した。一心不乱の作業は何人たりとも近寄り難く、一時後、まるで水を弾いているかのようないきいきとした龍が蘇った。元より、元来の龍の顔を知る由もない。
 心臓が止まる思いで見ていた僧ではあったが、善兵衛の彫り裁きをを見るに連れ、「ただ者ではない」と感じ入っていた。
 「これは見事な。当寺はそもそもは三河から江戸に下り、そして寛永十六年(1639)に当地へ移って参りました。先ほども述べましたように、京の知恩院の流れを汲むことから、建立にあたっては、それはそれは名のある宮大工や彫物大工を京から呼び寄せたのです。しかし、その職工に勝るとも劣らないその腕前。さぞや名のあるお方とお見受けします。どうぞ、お名前を」。
 「わたしは、未だ修行の身です。承諾もなく勝手なことをいたしました。申し訳ございません」。
 「江戸の方ではありませんね。ではお国だけでも」。
 「いえ、本当に申し訳ありません。師匠の許しもなくこのようなことをいたしては、師匠の顔を潰すことに成り兼ねます。御坊に気に入っていただければそれでよろしいので」。
 「では、茶を一服いかがかな」。
 「ありがたくございますが、先を急ぎますので、これにて失礼いたします」。
 この栖岸院の住職が、大森善兵衛の名を知るのは、もう少し先の話になる。
 「どうでい。見えたんだろ」。
 龍之助が尋ねた。
 「はい。最初は、悲しそうなお顔でしたので、手を合わせたのですが、目を瞑っておりましたが、勇ましい龍がわたしに呼びかけているかのようで、思わず鑿を握っておりました」。
 「そうかい。そうかい」。

ついた餅も心持ち 第十九話 

2011年02月26日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 一行が目指すは高尾山。甲州街道を内藤新宿から府中宿、日野宿を通り八王子宿まで進み、西へ折れ蛇滝口から登山道に入る。
 「初日で日野宿辺りまで行けれ四日ほどで江戸に戻れる。いささか厳しいかも知れないが、日頃体を使っている連中だ問題ないだろう」。
 龍之助の目算ではそうなっていた。
 旅立ちの日。日が昇るのを待ち、早朝から上野を経った一行は、日本橋から数えて最初の宿場となる内藤新宿を出ると、徐々に町家が姿を消し街道の両脇には、田畑が広がるだけの大地へと変わる。例え屈強な男であっても夜道は怖いが昼は、遮るもののないのどかな風景だ。
 善兵衛の育った近江国坂田郡宮川もちょうどこんな風景。善兵衛は国元を思い出し郷愁の念を抱いていた。
 東国は野蛮な所だと国元で聞かされてきたが、江戸の人間はうっとうしいくらいに親切だし、その賑わいは近江国を遥かに凌ぐものであった。しかも、半里もあるけば、心安らぐ四季がある。「聞くと見るとは大違いとはこのことだ」と実感していた。
 気になって目をやると、一馬も遠い目で田畑を眺めているではないか。よくよく見ると目が潤んでいるようでもある。
 「善兵衛さん、いかがなさいいました」。
 「いやなに。国元を思い出して、帰りたくなってしまいました。江戸は人が多く、一応に急がしそうで、わたしなど、目が回ります」。 「そうですねえ。わたしも江戸に下った時分は今の善兵衛さんと同じことを思っていたもんです」。
 龍之助はお伊勢参りで有名な伊勢国(勢州)の出である。
 「それはそれは風光明媚なところですよ。気候もおだやかで人もおっとりそいている」。
 龍之助もまた遠い故郷に思いを馳せていた。

ついた餅も心持ち 第十八話 

2011年02月25日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
「てえへんだ。てえへんだ」。
 読売を売る声がお江戸の町を駆け回る。当時江戸では瓦版は読売と言われ、御政道の目を盗むように売られていたが、今回はそうもいっちゃいられないとばかりに、大店の前辺りで大っぴらに撒かれていた。
 「公方様が身罷られなすった」。
 慶安四年(1651)四月二十日のことである。当然、訃報は、東照宮にももたらされた。このまま作業が続行されるのか否かで、職工たちは上へ下への大騒ぎである。
 左甚五郎は、近江宮川藩上屋敷に召されている。一応に甚五郎が戻るのを待つしかない。
 その頃、甚五郎は宮川藩江戸家老の磯貝宜永から幕府の御意向を聞かされていた。
 磯貝宜永によtれば、藩主•堀田正盛が江戸城から戻らないことには正確なことは分からないが、ひとまず、三代様(家光)の初七日までは作業は控えるようにと。
 そこへ、城からの伝令があった。
 「お伝え申します。三代様の御遺骸は、遺言により寛永寺に移され、その後、日光の輪王寺に葬られることに相成りましたそうでございます」。
 東照宮は、寛永寺とも呼ばれているが、そもそもは藤堂高虎ら大名の敷地を幕府が押収し、寛永二年(1625)に、天海僧正によって徳川家の菩提寺として造営したことに始まり、徳川家霊廟、寛永寺根本中堂、寛永寺清水観音堂など幾つかの仏閣から成っている。
 一方の上野東照宮は寛永四年(1627)に、徳川家康の遺言で、天海僧正と藤堂高虎が寛永寺の敷地内に造営したもので、正式には別の仏閣である。
 戦後になって総称して寛永寺と呼ばれるようになったがこの時代は、まだ別物としての考えの方がまかり通っていた。とは言うものの、徳川家霊廟とはそう距離もない。
 幕府では、そのような場で、工事を行うのも憚られると言うもの。だが、これは亡き家光の意向行われていた。
 いずれにしても、職工たちにとっては思わぬ休日となった。だが、一週間も作業を休んでしまうと、気力が途切れ調子が狂ってしまい、これまでの制作と同じようにはいかなくなることを彼らは知っていた。
 甚五郎から初七日までの休止を告げられると、職工たちの顔には一応に無念の表情が浮かんだ。
 それでなくても遅れを取っている善兵衛にとっては、またも不安の要素が増すまかりである。
 浮かない顔の善兵衛に甚五郎はこう進言した。
 「どうでい。高尾山に登ってみちゃ」。
 「高尾山ですか。それは一体どこにあるのでしょう」。
 「ああ、ちいとばかり遠いがね。なあに五日もありゃあ戻って来れるさ。ここいらで一番高けえ山だ。そのこには天平16年(744)には見事な薬師如来や不動明王の化身である、飯縄権現が祀られた薬王院有喜寺もある。心を鎮めるには一番だ。どうでい、行ってみねえかい」。
 江戸で遊んでいてもどうなるものではない。藁をもつかむ思いで、善兵衛は出かけることにした。
 だが、如何せん初めての江戸、ましてや高尾山など地理に不案内の善兵衛にはどこをどう行けばいいのか皆目見当もつかない。
 「安心しな。うちの若いもんを一緒に行かせよう」。
 甚五郎は、善兵衛を察してそう申し出てくれた。
 その話を横から黙って聞いていた社殿の彫り物を担当していいる甚五郎門下の堀田龍之助。
 「親方、でしたら、この龍之助がお供いたしましょう」。
 「おうそうかい。お前さんが行ってくれるなら安心だ」。
 この子弟は大乗り気で話を進めているが、それでは善兵衛の立つ瀬がない。
 「そんなとんでないことで。わたしごときのために龍之助さんにまでご迷惑をおかけする訳にはいきません。わたし一人で大丈夫です」。
 そう強がってみせた。
 「なあに、おめえさんのためだけじゃねえぜ。七日も休んだら、こちとらの勘も狂っちまう。だったらよ、いい景色や、いい彫り物を見た方が生きた時間って訳よ」。
 すると、どこから現れたのか、新吉までが、
 「あっしもお供いたしやす。いや、連れて行ってくだせえ」。
 「おや、どなただい」。
 龍之助は面識が薄い。
 「へえ、この善兵衛さんとは親しくさせてもらってる新吉と申します。あっしも大工の端くれ、是が非でも、皆さんとご一緒したい次第で」。
 「しかし、こんな折り、通行手形が出るだろうか」。
 龍之助が言った。
 甚五郎が掛け合い、宮川藩江戸家老の磯貝の骨折りで通行手形は難なく手に入った。
 この時代、各地に関所や口留番所が設置され、人の移動には手形を所持しないことには身動きが取れない。武士の場合は藩に、庶民の場合は居住する町・村役人に発行を依頼するのが常だ。
 その理由には、引っ越しや公用・商用、参詣や湯治などの遊行があったが、自由ではなかった。ほとんど無条件に発行されたのは、伊勢参り、日光東照宮参拝、善光寺参拝など、有名寺社の参詣旅などだけだった。

ついた餅も心持ち 第十七話

2011年02月25日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 方や、おみつ。善兵衛たちを送り出した後も、どうにも気になって仕方ない。茶碗を洗っていても、座敷を掃き出していても、善兵衛の顔が頭から離れないのだ。
 こんな時には決まって顔を突っ込んでくるのが、新吉の女房のとみである。
 「ちょいと、ちょいと」。
 大声で、上がり框から声をかける。その大きな声は半町先からもすぐにとみだと分かるくらいだ。
 「ちょいと、おみつちゃん。うちの宿六は夕んべは、こっちに泊まったのかい」。
 「ええ。大分遅くなって来たようで、わたしも知らなかったんですがね。朝餉を食べて出かけましたよ」。
 「そりゃすまなかったね。まったく」。
 「それが、お客さん連れでね」。
 「客。いったい誰だい」。
 「えーっと、確か。善兵衛さんとかいう名で」。
 善兵衛の名前はしっかりと覚えているが口に出すのも恥ずかしいくらいに思い入れのあるみつはわざとそらじらしく言ってみた。
 「善兵衛さん。知らないねぇ」。
 「そうそう、おとっつあんが言うには、近江の大工で何でも」。
 そう言いかけると、
 「あーあ。御普請の」。
 「そうそう」。
 「そういやうちの人から聞いたことがあるけど、妙だねー。いつの間にそんな親しくなったんだか」。 
 「そりゃあ、親しそうで。おとみさんは知ってるの」。
 善兵衛のことがどうにも気になって仕方のないみつだった。

ついた餅も心持ち 第十六話

2011年02月25日 | ついた餅も心持ち~寛永寺普請のお江戸草紙
 おみつは、内心どぎまぎしていた。それは、善兵衛の端正な顔立ち、すらりと伸びた肢体。若娘でなくても女なら誰もが思うであろう感情である。
 すぐさま、手を止め、奥の間に駆け込むおみつ。襖を開けながら、
 「おとっつあん。おとっつあん」。
 「なんでえ、おみつ。若い娘みっともねえ。少しは落ち着いたらどうでい」。
 ひと呼吸置いて、襖を後ろ手に閉めると、
 「あの方は、どこのどなたです」。
 そう尋ねた。
 「おう、会ったかい。ちゃんとお前には紹介しようと思っていたが話は早ええや。善兵衛さんだよ。近江の」。
 「善兵衛さん」。
 「そうさ、東照宮の御普請にやって来た大工よ。あの若さで、四本の指に入る名工さ」。
 「ああ。先日見えてた、大森清兵衛さんの」。
 「そうさ、息子だ」。
  おみつは、名工というからにはもう少し年重の男を想像していたが、あまりの若さに驚いていた。
 ちょうどその時、顔を洗い終わった若い衆が膳に着き始め、台所がざわざわし始めた。
 「さあ、話はおまんまの後だ。早く、食わせてやりな」。
 「はい」。
 台所に戻ると、新吉までいるではないか。しかも、善兵衛の横にどんと座って、善兵衛に飯をよそわせている。
 「ちょっと、新吉さん。何してるんだい。お客さんにお給仕なんかさせてさ」。
 「何って、こいつあ、あっしの舎弟みてえなもんで」。
 「何が舎弟だよ。馬鹿お言いじゃないよ」。
 そう言うと、善兵衛の手から杓文字をもぎ取るようにして奪ったおみつ。触れたその手はいかにも職工らしく、固くごわごわしていたが、」温かい血潮が伝わっり、思わず顔が赤らんだ。
 「あれ、おみつちゃん。何を赤くなってるんでい」。
 こういったところに直ぐに気が付くのはいいが、それをまた口に出さずにはいられないのが新吉。
 「赤くなんかなっていないわよ」。
 
 「どうでい。可愛いだろ。おみつちゃん」。
 東照宮へ向かう道のり、新吉は善兵衛に聞いてみた。
 「はい。あの娘さんはいったい…」。
 「平造親方の一人娘でおみつちゃんって言うのさ。多少気は強ええが、気だてのいい娘だぜ。どうでい」。
 「どうでいって何がです」。
 「気に入ったかい」。
 「気に入ったも何も、今朝会ったばかりですから」。
 「そうですよ。新吉兄い。会ったばかりですから」。
 必死になるのは安治だ。おみつを慕う安治は誰よりも敏感におみつの反応が気になっていた。そして、善兵衛と張り合っても勝ち目がないことは分かっている。ならば、善兵衛の気をおみつに向けなければいいと。
 「だったらよ。ちょくちょく、平造親方のとこに顔を出せばいいさ」。
 「どうしてです」。
 新吉のおかしな発言に頭を捻る善兵衛である。

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