みつは、恵美須屋の一人娘のひさが見送りに来ないことに憤っていた。
「おひさちゃん見送りに来なかったわね」。
「照れ臭いんじゃないですか」。
嘉助がそう言うと、善兵衛と平次も「違いない」と頷いて意味ありげに笑い合った。
「何さ、どうしちゃったのさ、三人して。わたしにも教えておくれよ」。
「おみつさんは、あん時のお嬢さんを知らねえ…」。
平次が言いかけると、善兵衛が咳払いをしてそれを制止し、また三人で笑い合った。
「大丈夫。おひささんの気持ちは辰二郎さんに伝わってますよ」。
「どうしてさ、どうして善兵衛さんにそんなことが分かるのさ」。
善兵衛はみつの問いかけに答えなかったが、辰二郎の腰元に下げられた根付けは、ひさの玉簪の瑪瑙を細工したものだと気付いていたのだ。
多分、ひさはずっと前から辰二郎を好いていたのだろう。自分に縁談が持ち込まれても素知らぬ振りの辰二郎が歯がゆくてしかたなかった。だから、辰二郎の関心を引きたくて、あれこれ我がままも押し通していた。辰二郎の気持ちはどうなのだろう。奉公人の立場では身分も違う。いかなる思いがあったとしてもそれは夢のまた夢だ。辰二郎の思いは分からず仕舞いである。
辰二郎は番所の前で待っていたひさに深く頭を下げ通り過ぎようとしていた。すると、ひさが小走りに行く手を塞ぎ、黙って瑪瑙の根付けを辰二郎の手に握らせると背中を向けた。
指先を開きその中を見た辰二郎。
「お嬢様。これは…」。
「いいか、辰二郎。それはお前さんに預けたんだ。いつかひさが受け取りに行くまで大事に持っていておくれ」。
それがひさの精一杯の辰二郎への思いである。
「でもね」。
ひさは、辰二郎の方に向き直って、
「取りにはいけないかも知れないね。なんたって、ひさは、日本橋呉服町の大店、太物問屋の恵美須屋の跡取りだもの。だから、それは、お前さんが困った時に金子に替えておくれな。お前さんの役に立てたらひさは本望」。
どこまでも強がってそう言うと、足早に去ろうとするひさ。辰二郎はその後ろ姿に向かって、
「一生お嬢様と思い大切にさせていただきます」。
ひさと、辰二郎の切ない別れであった。
その後、辰二郎と妹の糸の消息を知る者は江戸にはいない。だが、数年の後、播磨国姫路藩松平家家臣に取り立てられ、勘定方として手腕を振るった若侍は、時折、江戸の方角を向いて手を併せていたという。
その妹は播磨国赤穂藩浅野家家臣に嫁ぎ、幸せに暮らしていたが、嫡子を若くして亡くし、その遺児が元禄十五年(1703)十二月十四日幕府を震撼させる。
しかし、それはまだまだ先のお話。
「おひさちゃん見送りに来なかったわね」。
「照れ臭いんじゃないですか」。
嘉助がそう言うと、善兵衛と平次も「違いない」と頷いて意味ありげに笑い合った。
「何さ、どうしちゃったのさ、三人して。わたしにも教えておくれよ」。
「おみつさんは、あん時のお嬢さんを知らねえ…」。
平次が言いかけると、善兵衛が咳払いをしてそれを制止し、また三人で笑い合った。
「大丈夫。おひささんの気持ちは辰二郎さんに伝わってますよ」。
「どうしてさ、どうして善兵衛さんにそんなことが分かるのさ」。
善兵衛はみつの問いかけに答えなかったが、辰二郎の腰元に下げられた根付けは、ひさの玉簪の瑪瑙を細工したものだと気付いていたのだ。
多分、ひさはずっと前から辰二郎を好いていたのだろう。自分に縁談が持ち込まれても素知らぬ振りの辰二郎が歯がゆくてしかたなかった。だから、辰二郎の関心を引きたくて、あれこれ我がままも押し通していた。辰二郎の気持ちはどうなのだろう。奉公人の立場では身分も違う。いかなる思いがあったとしてもそれは夢のまた夢だ。辰二郎の思いは分からず仕舞いである。
辰二郎は番所の前で待っていたひさに深く頭を下げ通り過ぎようとしていた。すると、ひさが小走りに行く手を塞ぎ、黙って瑪瑙の根付けを辰二郎の手に握らせると背中を向けた。
指先を開きその中を見た辰二郎。
「お嬢様。これは…」。
「いいか、辰二郎。それはお前さんに預けたんだ。いつかひさが受け取りに行くまで大事に持っていておくれ」。
それがひさの精一杯の辰二郎への思いである。
「でもね」。
ひさは、辰二郎の方に向き直って、
「取りにはいけないかも知れないね。なんたって、ひさは、日本橋呉服町の大店、太物問屋の恵美須屋の跡取りだもの。だから、それは、お前さんが困った時に金子に替えておくれな。お前さんの役に立てたらひさは本望」。
どこまでも強がってそう言うと、足早に去ろうとするひさ。辰二郎はその後ろ姿に向かって、
「一生お嬢様と思い大切にさせていただきます」。
ひさと、辰二郎の切ない別れであった。
その後、辰二郎と妹の糸の消息を知る者は江戸にはいない。だが、数年の後、播磨国姫路藩松平家家臣に取り立てられ、勘定方として手腕を振るった若侍は、時折、江戸の方角を向いて手を併せていたという。
その妹は播磨国赤穂藩浅野家家臣に嫁ぎ、幸せに暮らしていたが、嫡子を若くして亡くし、その遺児が元禄十五年(1703)十二月十四日幕府を震撼させる。
しかし、それはまだまだ先のお話。