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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

水波の如し~忠臣蔵余話~ 44 空蝉(うつせみ)

2012年10月02日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 この高尾が、奥州の去る大名家に身請けされるが、それを良しとせず、その大名の手に掛かり若い命を散らしたと、風の噂を左兵衛が耳にしたのは程なくしてのことであった。
 「若様、知ってなすかい」。
 「心太、朝っぱらから何事だ。若様は朝餉を召し上がっておる」。
 近習の新八郎、弥七郎が、やれやれと顔を覗かせると、呉服橋御門内吉良家からそう遠くはない、安針町に小さな店を構える豆腐屋の心太が、いつものように右手にくしゃくしゃに読み尽くされた読売を掲げて息を弾ませている。
 「また読売か。お前の読売は実に迷惑千万。若様にお見せする訳にはいかぬ」。
 新八郎にこう言われても、
 「それが、吉原一の三浦屋の高尾太夫が吊るし切りにされたってんでさ」。
 その声に左兵衛は、「聞き捨てならず」とばかりに箸を投げ出した。
 「心太、見せてみよ」。
 言うが早いか、ひったくるように読売に目を走らせる左兵衛の姿に心太は頭を捻る。
 「若様が吉原に興味があったとは知らなかった」。
 「これ、心太。馬鹿を申すな」。
 弥七郎も一応は心太を叱るが、内心は気になって仕方がない。
 「何でもよ、去るお大名の身請け話を断ったところ、船遊びの最中に真っ二つに斬られて、墨田の川に打ち捨てられたってんだ」。
 読売を読み終えた左兵衛は、あの堂々とした誇り高い高尾の笑みを思い浮かべていた。
 「気の毒に」。
 「あれっ、若様、高尾太夫を知ってなさるんですかい」。
 「これ心太、若様がそのような者を見知っておられる訳がないであろう」。
 新八郎がそう取り繕うが、当の左兵衛。
 「これには身請けを断ったと書いてあるが、吉原の女郎は身請けを否めるものなのか」。
 「おっと若様、乗ってきなすった。そりゃあ断ることなんぞできやしません。だけど、そこが高尾太夫の気っ風のいいとことで、何でも言い交わした男がいたらしいです」。
 「好いた男がおれば、その者と添うことができるものなのか」。
 「そりゃあ無理でしょうね。だけど、身体は売っても心は売らねえってのが高尾太夫だもんでさ」。
 心太が続ける話は、屋形船から胴をまっ二つに斬り落とされた高尾の遺骸は、そのまま川に打ち捨てられたということであった。
 件の大名は老臣の勧めで、ことが明るみに出る前に隠居願いを幕府に提出し受諾されたいた。
 「お大名のお殿様とあっちゃ相手が悪いや。三浦屋さんも泣く泣く、高尾太夫の身請け金と見舞金で手を打ったって話だぜ」。
 「遊女といえど、人ひとりを斬り殺しておいて、隠居で済むものなのか」。
 「そりゃあ、お上のお裁きなんてそんなもんさ」。
 「大名と遊女ではそれも致し方ないのでは」。
 新八郎も同調するが、人の命の重さを思いあぐねる左兵衛には納得でき兼ねた。
 「でもよ、荻生先生は違うぜ」。
 心太が幾分自慢そうに名を出したのは、時の将軍・綱吉側近の柳沢吉保に抜擢された儒学者・荻生徂徠である。
 「荻生先生って、お前知り合いか」。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 43 空蝉(うつせみ)

2012年10月01日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 座敷で怯える八橋が、ぎゅっと握り締めた手を左兵衛は自分の袂から引き離すと、
 「その方、命を狙われておるのか」。
 八橋は、
 「わちきの客にありんす」。
 「その客が何故その方の命を狙うのじゃ。訳を話されよ」。
 そこに割って入ったのは、高尾大夫。
 「八橋の色香に迷い、大金を使い果たした故の所行にありんす」。
 「なれば、非は全てあの者にあるのじゃな」。
 「そうではありんせん」。
 「違うとな」。
 「この八橋は、純朴なあの男を騙しておりんした。そうでありんしょう八橋。夫婦になると」。
 「この色里では、そのようなことは当たり前でありんすぇ。 騙される方が間違っていんす」。
 八橋はこれまでとは、打って変わった態度で投げやりに言い放つ。
 「さて、たくさんのお人が迷惑していんす。八橋、出て行きなんし」。
 高尾はおっとりとした郭言葉で八橋を嗜めるが、
 「太夫は、わちきに死ねと言うでありんすか」。
 「はい。主の仕出かしたことは、主がけりをつけなんし。それがこの郭の決まり」。
 美しい顔に似合わぬ高尾の潔い決済に左兵衛も驚くが、それでも己の保身を計ろうとする八橋の頬に、平手打ちをすると高尾は、
 「主、人には心がありんす。心を弄んだ代償はただではありんせん」。
 そうこうするうちに、八橋を探し求める男は左兵衛たちの座敷まで駆け上って来た。
 見れば、顔も身体も血糊を被ったかのように真っ赤。まるで赤鬼である。男は肩で息をしながら、
 「八橋、お前を殺しておいらも死んでやる」。
 そう言うなり八橋を目掛けて足を踏み入れる。八橋が左兵衛の後ろに隠れると、新八郎、弥七郎、一学が一斉に左兵衛の前に立ち塞がるのだった。正に一触即発のその時であった。
 「おっと、お待ちください。ここは手前の座敷。あんたさんが八橋を斬りてえなら止めはしませんが、手前の座敷を血で汚してはもらいたくねえ。どうしてもここで殺るというなら、手前を斬ってからにしておくんな」。
 両の手を広げて立ち塞がったのは、紀伊国屋その人であった。
 左兵衛らは、「この下世話な男のどこに、このような気概があったのか」不思議でならない。 
 男が八橋に視線を動かした寸の間に、一学が男の手の刃を払い落とした。すると、力が抜けたのか男はへなへなと座敷にしゃがみ込み、目に一杯の涙を讃えている。そんな男を見ても八橋は悔い改める様子もなく、さも迷惑そうな顔を見せるのみ。
 程なくして男は、番所の者たちに引き立てられ、岡っ引き渡された。
 「良くて島流し、磔獄門が妥当でしょう」。
 紀伊国屋は、八橋に向かって言ったのか、ひとり言なのか。直ぐに左兵衛に向き直ると、
 「とんだご迷惑をおかけ致しました。無粋なことでありましたな」。
 「いや、余はそちを見損なっておったようじゃ」。
 「左様で。それでは今後ともよろしくお願い申し上げます」。
 こういった抜け目なさが勘に障るが、先ほどの男気には、一目置いた左兵衛である。
 「ささ、何をしておる。今一度」。
 紀伊国屋の一声で、太鼓や三味線の音が座敷に響くが、
 「いや、紀伊国屋、本日は馳走になった」。
 左兵衛は新八郎らを促し帰り支度に入る。
 「では、またお日を改めまして」。
 紀伊国屋の声に左兵衛は一礼し座を辞するのだった。通常太夫が客を見送ることなどない。それどころか大門まで足を運ぶこともないが、この日高尾は左兵衛一行の傍らにいた。
 「若様、あの大門の向こうは、あちきらには幻の町でありんす。そいでこっちはまた一夜の色里。どちらも夢幻。そこを取り違えた者が多ござんす」。
 「左様か。それで、八橋は如何なる処罰を受けるものなのじゃ」。
 「そうでありんすね。八橋は人を斬りまくるくらいに男を狂わせた女郎として、格が上がるでありんしょう」。
 「男は磔獄門で、女は評判になるとな」。
 「そうでありんす。それが色里でありんすよ。女郎は空蝉。その掟を忘れたのでありんしょう。八橋も良くはありんせんが、取り憑かれた者の負けにござんしょう」。
 左兵衛はやり切れない思いでいた。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 42 空蝉(うつせみ)

2012年09月30日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「紀伊国屋、お気遣いありがたくお受け致そう。だが、このような無駄を余は好まぬ故、これきりにしていただきたい」。
 太夫の揚げ代が五十両。格下の遊女であっても、それなりにかかりを思い巡らせると目の回る思いの新八郎、弥七郎、一学だった。もちろん遊女の揚げ代だけではない。芸者や幇間、踊り子はもちろんのこと、揚げ屋、茶屋、引手茶屋、台の物屋への一日分の相場も支払っている筈である。
 「左兵衛様、後ほど太夫が参りますので、お気に召しましたら…」。
 紀伊国屋は左兵衛の耳元で囁くのであった。息の掛かる距離まで迫った紀伊国屋に左兵衛は、増々憎悪の色を濃くする。
 暫しの後、紀伊国屋が選りすぐったのであろう格子や散茶と呼ばれる格の、八橋、喜瀬川、千早、清花、朝霧…といった馴染みの遊女が現れると場は華やいだが、女たちの真っ白な化粧に、左兵衛には誰が誰やら区別も付かず、ただ耳元で呟かれる吉原言葉がもの珍しく、ぽかんと言葉を唄のように聞いていた。
 半時も過ぎた頃である。当代人気の老舗・玉屋の小紫太夫と、同じく三浦屋の高尾太夫、薄雲太夫の三人がそれぞれに振袖新造と禿を従えて現れると、その美しさに一同目を奪われる中、左兵衛は太夫よりも先刻から、目に剣呑な光を讃えた八橋が気になっていた。
 (邪見な瞳をしているのう)。
 座が温まった頃合いを見計らった紀伊国屋は、 「座興にございます」。
 言うなり、座敷から身を乗り出し内にも外にも空から小判を撒き出す。すると座敷の遊女や新造、禿、芸者、幇間、踊り子。外では茶屋下女や遣手、男衆が我先に小判に群がり異様な光景である。
 (このような、人のおぞましさを肴に酒を呑むとは酔狂も過ぎよう)。
 左兵衛が席を立とうとしたその時であった。仲之町から悲鳴のような声、男たちの怒鳴り合う声、走る足音など、これまでの静けさとは打って変わったざわめきが表を覆っていた。
 新八郎は左兵衛の横に付き、弥七郎、一学は階下に預けた大小を取りに下りる。そこには、逃げ惑う遊女や遣手、男衆などの姿があった。
 「すわ一大事」。
 弥七郎がことの次第を知らせに左兵衛の元に戻り、一学は表に飛び出して行く。
 次第に近付く声は、八橋の名を呼んでいるようだった。既に何が起こっているのかを察した八橋は、左兵衛の袂にすがり震えている。
 「何ごとじゃ」。
 「今、一学が見に参っております」。
 程なくして戻った一学は、
 「外で百姓が刃を振るい、既に幾人かが死傷した模様にございます。今、外に出ることは憚られますが、その百姓の目当てはそこの八橋のようにございますれば、直にこちらに参るかと」。
 「百姓に人を殺めるような真似ができるのか」。
 「百姓は身体ができております。力も強い」。
 そう言う一学も、百姓の出であった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 41 空蝉(うつせみ)

2012年09月29日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「それで、如何にしてこのようなことになる」。
 数日後、左兵衛は、気の進まない足取りで紀伊國屋の迎えの駕篭に乗らんとしていた。
 「殿のお言い付けであられますれば、致し方ないかと」。
 新八郎も浮かぬ顔。弥七郎、そして用人の清水一学が鎧の渡しから猪牙船で向かった先は日本堤。そこで舟を下り、五十間道と呼ばれる辺りに差し掛かると、引手茶屋の向こうに大門が見える。
 「吉原ではないか」。
 新八郎は、またも怒りに声が打ち震えるが、
 「まあ、吉原といっても遊郭とは限らぬ。茶屋遊びであろう」。
 世情に長けた一学の分析に新八郎、弥七郎は思わず一学の方を振り向いた。
 大門を潜ると、直ぐ右手には四郎兵衛会所。いわゆる遊女の脱走を監視する番所である。その向かいには岡っ引きが詰める番所と、唯一の出入り口は左右から見張りに固められている。
 そして周囲に、お歯黒溝と呼ばれる幅二間の堀が巡らされ、隔離された世界がそこにあった。
 番書の前では、紀伊国屋と二人の手代風の男、そして用心棒であろう、浪人風の男がこちらも二人。
 「驚いた、旗本の若様よりも供が多いとは」。
 新八郎は皮肉を込めて呟いたが、意に関せずの紀伊国屋は、「こちらに」と左兵衛殿を促す。
 そして番所に挟まれた先、真っ直ぐの通りが仲之町である。ここで格の低い遊女は、張見世と呼ばれる格子越しに並び客を待つのだ。
 更に左右には、茶屋や揚げ屋がひしめいている。
 新八郎が目くじらを立てるが、当の左兵衛は見慣れない光景に興味津々である。女郎の化粧ひとつとってももの珍しさでいっぱいであるのか、右に左に目を走らせる。
 「このような場に若様をお連れ申すとは…。若様、帰りましょう」。
 だが、新八郎の視線の先の若様は、なんと無邪気に張見世に見入っているではないか。
 「若様。お止めくだされ」。
 弥七郎が走り寄り嗜める一幕もあったその絶叫にも近い大声に、きーんとした耳を押さえながら左兵衛は、
 「おかしくはないか。吉原とは二千を越す遊女がおると聞き及ぶが、客の姿を一向に見掛けぬ」。
 張見世の前には、遊女を品定めする男たちが行きつ戻りつ。の筈が、人の気配がしない。
 「妙ではないか」。
 弥七郎は一学に言う。
 「ん。先ほどから気になっておった。この静けさに反し、五十間道の引手茶屋がいたく繁盛しておった」。
 日本堤辺りも不機嫌そうに、擦れ違う男たちがいたことを思い出していた。
 紀伊国屋に勧められるまま左兵衛たちが上がったのは、吉原でも一番といわれる茶屋・千石屋である。
 座敷には既に芸者や幇間、踊り子が控え、膳が並んでいる。
 「ささ、始めておくれ」。 
 紀伊国屋の掛け声で、座敷には三味線や太鼓の音が響き出した。
 そして、紀伊国屋の酌を受ける左兵衛だったが、
 「紀伊国屋、この広い楼内で誰一人としてほかの者に出会わぬが、吉原とはこのように寂れているものなのか」。
 すると紀伊国屋は別段吹聴するでもなく、
 「本日は左兵衛様をお迎えいたしましたので、吉原を総揚げにさせていただきました」。
 聞いた瞬間、新八郎、弥七郎、一学は手にした盃を落としそうなくらいに驚いたものだ。
 「総揚げとな」。
 左兵衛にも見当もつかない話である。
 「二千を超える遊女を、その方ひと人で買ったと申すか」。
 「はい。ほかに無粋な客でもありましたら、左兵衛様に落ち着いて遊んでいただくことができませんので」。
 (これはまた無茶な金子の遣いよう。町屋では食うにこと欠く始末であるというに)。
 左兵衛は呆れること頻り。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 40 空蝉(うつせみ)

2012年09月28日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 呉服橋御門内の吉良邸では、足軽表門小頭門番の大河内六郎右衛門が年甲斐もなく慌てふためき、吉良左兵衛義周の用人である、山吉新八郎盛侍の元へ向かっていた。
 「御老体、そのように走られては、お身体に障りましょうほどに」。
 あまりの慌てぶりに新八郎は苦笑する。
 「そ、そ、そ」。
 息が切れて声にならない。しばしの後、六郎右衛門はそれでも肩で息をしながら、
 「若様にお取り次ぎをと参っております」。
 「それだけでは分からぬではないか。どなたが参っておるのだ」。
 「き、紀文。紀伊國屋文左衛門にございます」。
 「なに」。
 紀伊國屋文左衛門の名を、耳にするだけで気が重くなる新八郎だった。左兵衛も同様、
 「余は会わぬ。早々にお引き取り願え」。
 するとまた六郎右衛門が走り、
 「一言だけ、御無礼のお詫びを申し上げたいとのことにございます」。
 息も絶え絶えなの見兼ね、
 「新八郎、そちが話を聞いて参れ」。
 「若様、幾ら若様の御命でも嫌にございます」。
 新八郎は顔を引きつらせ、とんでもないとばかりに首を振る。
 「そうであったな。ならば弥七郎そちが参れ」。
 近習の一人、新貝弥七郎安村に目を向けた。事情は解さないが、左兵衛も新八郎も過剰に嫌っているその御仁に会うのは憚られるとばかりに、弥七郎も断るが、
 「六郎右衛門の心の臓が破れてしまうではないか。一言詫びを聞けば良いのじゃ」。
 こう命じられてしまっては行くよりほかはない。
 「若様におかれましては御気分が優れませぬ故、それがしが代わりお話を伺わせていただきます」。
 弥七郎の前には、上等な設えの縮緬の羽織姿の男が供を二人連れていた。
 男は対座する弥七郎に、
 「手前、紀伊國屋文左衛門と申す商人にございます。先刻、吉良様の若様とは知らず大変な御無礼を働きまして、こうしてお詫びに参った次第にございます」。
 丁寧におじぎをするその姿は、どこから見ても立派なもの。左兵衛、新八郎が嫌う理由が弥七郎には分からないでいた。
 すると、紀伊國屋は、
 「手前の商売物でございますがお納めください」。
 と、檜白木の三宝に乗せた、上等な紀州の蜜柑と蝦夷の鮭をうやうやしく差し出した。
 「これは御丁寧に」。
 普段であれば受け取るのだが、左兵衛の機嫌の悪さを思うと、受け取って良いか否か。弥七郎は取り次ぎの清水団右衛門に左兵衛の伺いを立てに走らせた。
 「主へのご進物。お納めいたして良いやら一存にては判断出来兼ねます故、しばしお時間を」。
 (やれやれ、固いのう)。
 紀伊國屋は苦々しい思いでいた。
 そこへ、紀伊國屋が参上したと耳にした、当主の吉良上野介義央が顔を見せたから話はややこしくなる。
 「ほう、これはまた。ありがたくいただくとしよう。これ、弥七郎、何をしておるのじゃ。早よう左兵衛殿をお呼びせぬか」。
 「若様に於かれましては、御気分が優れませぬようでございます」。
 そう取り繕うが、
 「寸の間じゃ。構わぬであろう。左兵衛殿をお連れもうせ」。
 仏頂面で現れた左兵衛。後方からは同じように顔をしかめた新八郎の姿もあった。
 「左兵衛殿、紀伊國屋から話を聞いておったところじゃ。こうして改めて詫びに参ったのじゃ。御機嫌を治されよ」。
 「義父上、わたしは機嫌を損ねているのではありませぬ。このような礼を尽くされる所以がございませぬ」。
 「これ、左兵衛殿。紀伊國屋は上様は元より、お側用人の柳沢様や勘定奉行の荻原様、御老中の阿部様にも覚え目出たいお方じゃぞ」。
 「いえ、吉良様。非は手前どもにございますれば」。
 ならばと、左兵衛も丁重に進物の礼を述べ下がったのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 39 陽炎(かげろう)

2012年09月27日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「これはこれはお武家様、失礼を申し上げました。点前は紀伊國屋文左衛門と申す商人にございます。今日のところはこれで」。
 そう言いながら慣れた手付きで、新八郎の袂に金子を押し込んだものだから、新八郎の怒りは頂点に達する。左兵衛は侮蔑の表情を浮かべ、新八郎の袂の中の金子を取り出し、投げ捨てると無言で歩き出すのだった。
 心太は、いつにない左兵衛と新八郎の怒りの現場に、成す術無くただ見ているのみであった。
 呉服橋御門を渡り、吉良家屋敷に戻っても気の収まらない新八郎であったが、左兵衛は何事もなかったかのようにひょうひょうと心太と茶を飲みながら話をしていた。
 「そう言えば、ここのところ七福神がぴたりと現れなくなったってさ」。
 「左様か。それは良かったではないか」。
 「若様、そりゃ、お武家様にとっては盗賊でもよ、おいらたちにとっちゃ義族様なんだぜ。なんだか寂しいような…」。
 心太は口を尖らせる。
 「ならば陽炎であったのではないか」。
 「陽炎…幻ってことか」。
 陽炎、陽炎と呟きながら帰る心太を見送ると、すっかり陽は傾き、その赤い陽射しに照らされた左兵衛はしまったとばかりの顔でいた。
 「若様、何か心配事でもございますか」。
 「それがのう新八郎。ひとつ忘れておった」。
 如何にも深刻そうな様子に新八郎は気が気ではない。
 「何故、七福神を名乗ったかを聞き忘れておった」。
 「若様、そのような戯言でしたか」。
 新八郎は胸を撫で下ろす。
 「戯言ではない」。
 左兵衛は頬をぷっと膨れさせ、
 「気になるではないか」。
 「思うに、七五三之助の七と、福太郎の福ではございませんでしょうか」。
 「おお、そうか。それで七福神か」。
 「これなら捕らえられた時に、己一人の仕業と申しても皆信じましょ故」。
 江戸市中から、七福神の噂が消えるまで然程の時は掛からなかった。だが、この年の七月には、活魚の売買禁止令まで加わり、生類憐れみの令が廃止されるまでにはまだ九年の年月を要するのである。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 38 陽炎(かげろう)

2012年09月26日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 寸の間の後、現れた上野介用人の清水一学が、張り詰めた空気に戸惑いを見せる中、左兵衛は吉良家の領地三河にて福太郎兄弟の身が立つように手配を申し付けた。
 福太郎はもちろん、新八郎もまん丸に見開いた瞳で左兵衛を見入る。経緯を知らない一学であったが、ただごとでないことは理解したのだろう、すぐに兄に文を出すと約束をするのだった。
 清水一学は、三河国幡豆郡宮迫村の農民の出である。その才が領主・上野介の妻・富子目に止まり、士分に取り立てられ、召し抱えられたのだ。兄の藤兵衛は吉良家所有の岡山陣屋に勤めている。
 「福太郎その方、これよりは百姓となり汗して働くのじゃ。どうじゃ」。
 「若様、有り難き幸せにございます」。
 福太郎は、畳に顔をこすりつけるように深々と頭を垂れた。

 「何で、若様や新八郎さんまで見送りに来たんだい」。
 福太郎兄弟の旅立ちの朝、日本橋には左兵衛、心太と新八郎の姿があった。
 新八郎と福太郎は互いに顔を見合わせ、にやにや笑うだけで心太の問いには答えない。
 「それにしてもさ、折角また会えたのに三河に行っちまうなんておいら寂しいよ」。
 福太郎は、心太の肩に手を置いて、
 「またいつか会えるさ」。
 そう言うと、左兵衛、新八郎に向き直り、
 「若様、新八郎様、ありがとうございました。この御恩は生涯忘れません」。
 固く手を握り合うのを見て、やはり合点がいかない心太だった。
 「いつの間に…」。
 頻りに首を傾ける心太と左兵衛、新八郎は、福太郎兄弟が見えなくなるまで見送ると、呉服橋御門内の吉良家屋敷へと引き揚げるべく歩き出した。
 「じゃまだ、じゃまだ。どけい、どけい」。
 威勢のいい声と共に辻駕篭が左兵衛たちの間を割って駆け抜ける拍子に、思わず駕篭に衣服を擦られた形になった左兵衛。
 左兵衛自身は、何事もなかったかのように直ぐに体制を立て直し汚れを払うが、新八郎にはどうにも納まりがつかない。
 「待たれよ」。
 言うより早く辻駕篭の行く手を塞ぐと、
 「人様にぶつかりおきながら、謝罪もないとは何事だ。許せぬ」。
 言うなり刀の鍔に手を充てがうので、駕篭かきは一瞬怯むが、相手も身体ひとつで稼いでいる気の荒い連中である。
 「天下の大道を、惚けて歩いている方が悪いのさ」。
 と、悪態をつく始末。
 「許せぬ」。
 新八郎が今にも刀を抜かんとするその時、追い付いた左兵衛であった。新八郎の右手を押し込むように抑え、
 「新八郎、構うでない。帰るぞ」。
 「しかし、若様」。
 「良い。揉めごとは好かぬ」。
 内心、「若様は自ら好んで、揉めごとに顔を突っ込んでおられる」と思わなくもない新八郎だったが、仕方なく鍔から手を放すと、ほっとした駕篭かきが、「腰抜け」だのまたも悪態をつき出した。
 「若様、若様のお言い付けでもここは引けませぬ」。
 新八郎の左の腰からはかちゃりと金属の音がする。すると駕篭の中から、
 「おい、駕篭かきよさないか。お武家様に向かって何と言う口の利き方なんだい」。
 下りて来たのは、三十歳を少し出たばかりの恰幅のいい男だった。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 37 陽炎(かげろう)

2012年09月25日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「何も分からず仕舞いです。そこで、そのお大名家を調べましたとろこ、お屋敷の御普請の秘密を守る為の口封じと分かりました。番所の役人にも手が周り取り込まれておりました」。
 「それは、将軍家への謀反であるのか」。
 福太郎は、「分かりません」。と頭を振るが、
 「最初は、親方の仇討ちのつもりでそのお大名家に忍び入り、金子を頂きました。親方の墓を建てる為にございます」。
 福太郎の忍び込んだ先は、普請工事に関わった大名家、その家臣、また役人に限ると言う。
 「仇討ちにございます」。
 「その親方の菩提を弔う故の仇討ちか」。
 「はい。しかし、次第に父上の無念も思い起こされました。父上は、藩の公金に手を出すようなお人ではありませなんだ。思えば譜代でない父を招き入れ、最初から罪を被せるつもりだったのです」。
 「藩主の遠山様はご存じないのか」。
 左兵衛は、家臣の全てを把握している訳ではない自分をもって、藩主の立場を思っていた。
 一方の福太郎は、己を拾ってくれた親方、そして実の父の無念を思う度に、武家に対する押さえ難い憎しみが沸き上がり、無差別に武家屋敷に忍び込むに至ったのである。
 「それに、生類憐みの令もでございます。罰せられるのは身分の低い者ばかり。母上とて生類憐みの令の見せしめでしょう。しかも見せしめは身分卑しい者ばかり」。
 「それならばその方の敵は、法令を発した将軍家となるのではないか。大名家や旗本も犠牲者であると余は考えるが」。
 「若様はこの法令が発せられてから、魚介を口にできなんだことがありますでしょうか。庶民は蚊を叩き潰しただけでも罰せられます。ですが、大名家や旗本は万事に於いて大目に見られておりましょう」。
 そう言われては左兵衛も言葉に詰まる。
 「福太郎、余には耳が痛いことばかりである」。
 福太郎に掛ける言葉が見付からない左兵衛だった。沈黙の後、口を開いたのは福太郎である。
 「若様、こうなりました上は素直にお縄をお受けいたします。お役人にお引き渡しくださいませ。ただ、罪は一身に背負いたいと思います。弟はお見逃しください。武士の情けにございます」。
 「若様」。
 涙にむせぶ新八郎が、何か言おうとするのを左兵衛は右手で制止し、
 「その方、盗んだ金子を貧しい者に施していたというのは真であるか」。
 福太郎は首を大きく横に振る。まるで、義族と崇められていることが迷惑でもあるかのように。
 「とんでもございません。わたしたち兄弟が糊口を塞ぐので精一杯。己が必要な分しか盗んではおりません。金子よりも、武門の面子を潰すことが楽しゅうございました」。
 「だが、火の無いところに煙は立たぬと申すではないか」。
 福太郎の目の前で町屋の男が、生類憐みの令を破ったという罪状で番所に引き立てられたことがあった。後には、若い妻と幼い女の子が泣き崩れていたのが、どうにも人ごとには思えず、それとなく様子を伺っていると、今にも親子心中をしそうなくらいの暮らし向きだった。
 「その親子の元に数度、金子を投げ込んだだけにでございます」。
 「若様、恐れながら、この者を役人に引き渡せば間違いなく獄門でございます。どうぞお見逃しくださいませ」。
 命乞いをするのは新八郎である。福太郎の心は既に定まっているのであろう。目を閉じ微動だにしない。左兵衛が答えないでいるのに業を煮やした新八郎は、
 「なれば、せめてこの者に腹を斬らせてやってはくださいませぬか。それがしが太刀取りをさせていただきます故」。
 福太郎は、新八郎に顔を向け唇を噛み締め、会釈をした。
 「新八郎、早まるでない」。
 左兵衛は続けて、
 「福太郎、まだ盗みを働く気でいるか」。
 「小刀の鞘ひとつで、越後沢海藩まで見破られたとあってはもはや悪運も尽き果てました。思い残すことはございません。どうかお役人にお引き渡しください」。
 「武士として死ねぬことが適わなくとも、悔いはないか」。
 「武士なんぞ、まっぴらにございます」。
 すると何を思ったのか、左兵衛は、「一学を呼べ」と新八郎に命じるのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 36 陽炎(かげろう)

2012年09月24日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 すると福太郎は見る間に剣呑な表情になり、懐に右手を入れ身構える。その右手が合口を掴んでいることは確かである。新八郎がすかさず、福太郎の右手を押さえ込んだ。
 「分かりました。お話しましょう。わたしの名は大山七五三之助にございます。この鞘は御主君の政親様より母が賜ったものにございます。今となっては母の形見」。
 観念したのか福太郎は重い口を開く。
 福太郎の父親は越後沢海藩の江戸留守居方だったが、貞享四年八月、藩主・溝口政親乱心によりお家は断絶。父は浪人となって江戸の裏長屋で、内職などをしながら生計を立てていた。だが縁あって三年後の元禄三年に、陸奥の湯長谷藩内藤家に仕官が決まり、陸奥へ向かったということだった。ここまでは心太から聞いていた内容と同じである。
 しかし、湯長谷藩に仕官が叶ったのも束の間、わずか二年後に父は藩の公金を横領したとして切腹。家禄と住まいを召し上げられた一家は、縁者を頼るもいずこでも門前払いにされ、前主君であった溝口政親の兄である水口藩加藤家の加藤明英を頼って近江まで足を伸ばしても同様であった。
 そのため江戸に戻り、裏長屋での慎ましい生活を再び始めたが、長兄である福太郎で十一歳。下に三人の弟妹がいたため家族は困窮を極めた。
 「それで盗みを働くようになったのか」。
 福太郎の壮絶な半生に、左兵衛も同情を寄せるが、貧しさからといえど盗みは許されることではない。
 「違います。ことの起こりは、生類憐みの令にございます」。
 「生類憐みの令とな」。
 「一番下の四つになる妹が病いに倒れ、精をつけさせたく、わたしは川で鰻を捕まえました。それを、心ない者に密告されたのでございます」。
 番所からの礼金目当てにそのような悪しき輩が横行していたのである。
 「わたしがお役人に引き立てられる折り、母上が…」。
 福太郎は、堪え切れずに大粒の涙を零した。
 福太郎を庇い母親は、己が鰻を捕まえたと身代わりとなり入牢。元来病弱だったこともあり、間もなく牢内にて死亡。物言わぬ姿となり兄弟の元に返されたのだった。
 末の妹も後を追うように亡くなると、福太郎と弟二人は、裏長屋の大家の手づるでそれぞれに丁稚奉公に出されたのだが、まだ七歳の弟が奉公に耐え切れず逃げ出したのを機に、兄弟三人で寄り添うようになったと言う。
 「しかし、十二歳のわたしを筆頭に、十歳、七歳の子どもだけで生きていくことはできませなんだ。優しく声を掛けてくださったのが親方でした。皮肉なもので、わたしら兄弟は、ここで初めて腹一杯に飯を食うことができたのです」。
 福太郎の涙は、留まるところを知らないかのように、後から後から湧きいでる。左兵衛がふと見ると、新八郎も厳つい顔を涙でくしゃくしゃにし、慌てて手拭いで拭いているではないか。
 「親方は。わたしらを本当の子どものように育ててくださいました」。
 「その親方とやらの生業は何なのじゃ」。
 「鳶にございます」。
 (福太郎の身軽さは鳶故であったか)。
 左兵衛は納得する。
 「その鳶が何故、盗賊になったのじゃ」。
 福太郎はひと呼吸置いてから、口に出すのが今でも憚られるのか、ぽつり、ぽつりと話し出した。
 「親方が、去るお大名家の御普請工事に駆り出されたまま戻って来ませなんだ」。
 「戻って来ぬとは」。
 「はい。江戸屋敷の改築にございましたが、無事仕事を終えた後、祝いの宴に招かれそのまま戻って来なかったのです」。
 福太郎は当時を思い起こしたのか、唇が切れるくらいに噛み締めている。
 「どういうことじゃ。解り易く話せ」。
 福太郎の話によれば、鳶の親方のみならず、その日の宴に招かれた大工の棟梁、左官の親方など主立った者全てが忽然と姿を消したと言う。
 「して、番所には届けを出したのであろう。如何であった」。
 「それが、有耶無耶にされました」。
 淡々と話を進める左兵衛の左眉がぴくりと動く。
 「有耶無耶とな」。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 35 陽炎(かげろう)

2012年09月23日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 福太郎はさも愛おしそうに鞘を手にこう言った。
 「余は、鐺が気になっての」。
 「鐺でございますか。確かに凝った作りで」。と恍ける福太郎に左兵衛は追い打ちを掛ける。
 「その方の父は武家であったと、心太より聞き及んでおるが、いずこの藩であられたのじゃ」。
 すると福太郎は顔色を変えるが、心太から聞いたとあれば仕方ない。
 「越後沢海藩にございます」。
 「左様か。鐺の文様の松皮に井桁は、越後沢海藩元藩主であられた溝口様の御家紋とお見受けしたが」。
 福太郎は冷静を装いながらも、嫌な汗をかいていることを自覚していた。顔を伏せる福太郎に左兵衛は質疑を緩めることなく続けるのだった。
 「後に父は再び仕官されたと聞くが、何処の藩じゃ」。
 「それは心太の思い違いでございましょう。長屋を出ましたのは遠縁の者を頼ったまでにございます」。
 「では大名家へ出仕したのではないと申すか」。
 「はい。わたしは扇屋さんに丁稚奉公に出ました」。
 鞘との繋がりを、越後沢海藩で見破られると予想だにしていなかった福太郎は、左兵衛にはこれ以上の物言いは危ういと感じ、敢えて湯長谷藩内藤家の名を伏せるのだった。
 (こやつ気付きおった)。
 左兵衛にも福太郎の意図は読めている。
 「そなた名は何と申すのじゃ」。
 「若様、何をおっしゃいます。福太郎と申し上げておりますが」。
 「そうではない。元服後の名じゃ」。
 「元服と申されましても、わたしは扇屋さんの奉公人でございますれば、お武家様のような習わしはありません」。
 「左様か。じゃが、商人にしては無骨な手をしておるのう」。
 福太郎は、左兵衛の視線の先の己が両の手を軽く握り、指先が見えないようにと配慮するが、時既に遅し。
 「肩から腕に掛けても、到底商人とは思えぬが」。
 「商人と申しましても、荷が着きますれば蔵まで運んだり、棚卸しなどの力仕事もございます」。
 福太郎も強かに切り抜けようとする。
 (こやつ中々に頭も切れる)。
 左兵衛を持ってしても、福太郎を落とし切れ倦んでいた。この上は、駆け引きは無駄と判断した左兵衛。
 「そうかのう。その左手にあるのは竹刀の握りたこに見えるが」。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 34 陽炎(かげろう)

2012年09月22日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 (さて、どのような手立てで、取り戻しに参るものであろう)。
 左兵衛は、福太郎の出方を心待ちにしていた。
 そんな左兵衛の様子に、新八郎、弥七郎両名は、武家長屋に下がることなく、昼夜を問わず屋敷で左兵衛の側から離れないでいる。
 数日の後、心太が珍しくうやうやしく挨拶などしながら現れ、
 「若様、今日は若様に是非会いてえって者を連れてまして…」。
 恐縮しているのか小さな声である。
 「駄目だ、駄目だ。得体の知れぬ輩を屋敷に通すことはまかりならぬ」。
 新八郎が一喝すると、心太は更に身体を小さくする。
 「新八郎、そのように頭ごなしでは心太も先が話せまい。それは誰じゃ」。
 左兵衛が新八郎を宥めたのを見て安心した心太は、いつものように不躾に話し出した。
 「前にも話したおいらの、がきの時分の知り合いの福太郎さ」。
 「その福太郎が何故、余に会いたいのじゃ」。
 「おいらが良くしてもらってるって話して聞かせたら、それなら自分も挨拶してえって言うのさ。若様、駄目かい。実は今、裏門の外で待たせてあるんで」。
 「これ、心太」。
 新八郎の声は、屋敷の外まで届くくらいに大きなものであった。
 「若様、賄い所か門番小屋で待たせましょう」。
 屋敷の奥にまで来させるのは憚られると、弥七郎が進言したのであったが…。
 (来よったな)。
 左兵衛は、ひとりにんまりとするのだった。
 「その方が、福太郎か。心太より聞き及んでおる」。
 「はい。お初にお目にかかります。日本橋の扇屋で手代を務めております福太郎にございます」。
 「ほう手代とな」。
 福太郎は、庭先の砂利の上に片膝ついての目通りである。その横には心太が所在なげに立っていた。
 「おい心太、久し振りに手合わせをしてやろう」。
 弥七郎は、左兵衛に軽く会釈をすると、心太に向かって竹刀を放り投げた。心太はその竹刀を受け止め、
 「何言ってるんだい弥七郎は。今日は、福太郎を連れて来てるんだぜ」。
 「なんだ心太。自信がないのであろう」。
 弥七郎の嘲笑に腹を立てた心太は、まんまと挑発に乗り二人は庭の中程に進み睨み合う。
 そんな二人を眺めていた福太郎を、左兵衛は座敷へと促すが、福太郎は座敷に歩を進めようとはせず、開け放たれた障子の外の廊下に正座で控える。
 「構わぬ、近う」。
 「若様もおっしゃっておられる。こちらへ」。
 新八郎の勧めで、ようやく座敷へと上がった福太郎。
 「その方に見せたい物があってな」。
 左兵衛は、福太郎の前に件の鞘を差し出した。一瞬たじろいだ福太郎であったが、
 「この鞘が何か」。
 「何やら屋敷に紛れ込んでおっての。その方、見覚えがないものかと思うたまでじゃ」。
 「若様、お戯れを。わたしがお屋敷にお邪魔するのは初めてでございます。見覚えなんぞある訳ありません」。
 「左様か。だが扇屋の手代なれば、塗りの善し悪しは分かろう」。
 扇屋は日本橋の大店。廻船問屋を手広く商っている。西国から蝦夷まで、取り扱う品は多く、それらの善し悪しを見る目も確かでなくてはならない。
 福太郎は唇を固く噛み締め、苦々しい表情になったが、直ぐににこやかな表情に作り直すと、
 「左様でございますか。これは上等なお品で」。
 「どのように上等なのじゃ」。
 「紺堆朱。紺塗に金、黒をかけて研ぎだした三層塗りでございますね。鐺も丁寧な彫りでございます」。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 33 陽炎(かげろう)

2012年09月21日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「谷中、小石川、下谷、亀戸、深川、荏原、隅田川を全部回って絵札を貰えば縁起がいいってね」。
 心太は何処の物なのか、七福神の絵札を一枚手にしている。
 「しかしな心太、盗賊から金子を貰ったって人はおるのか。また寛永寺の龍と同じで、人伝に話だけが一人歩きしているのではないのか」。
 弥七郎にこう言われ、心太は折角の浮かれた気分に水を注され一瞬膨れっ面になったが、直ぐさま気を取り直し、
 「そうだ。おいら福太郎に会ったんだよ」。
 「誰だ。その福太郎ってのは」。
 「ほら先の月、律さんが弥七郎に迷った時さ。田丸屋さんに行った時だよ」。
 「迷ったとはなんだ」。
 弥七郎は未だに、律の名を出されると痛痒い思いになる。
 「田丸屋でか」。
 左兵衛も笑いを押し殺せずにいた。
 「いいや、若様が待ってた茶店の所でさ。おいらが声を掛けても気付かねえで行っちまったが、今度はちゃんとおいらに気が付いたんだ」。
 「心太。だからその福太郎というのは何者かを尋ねておるのだ」。
 からかわれて、少し苛つき気味の弥七郎である。
 「ああ、福太郎は小せえ時分に近くに住んでた浪人の子さ。一緒に寺子屋に通った仲なんだ」。
 「待て心太。過日見掛けた男は町人であったぞ」
 左兵衛は、目の下に黒子のある男の、鋭い目付きを思い出していた。
 心太から聞いた福太郎の話はこうである。
 福太郎の父親は、陸奥の方のどこぞの藩の江戸藩邸勤めだったが、藩主の乱心によりお家が除封となったため、浪人となり江戸の裏長屋で内職などをしながら生計を立てていた。
 だが、三年後に去る大名家への仕官が決まり、一家はその国元へ向かったということだった。
 「おいらが六つか七つの時に行っちまって、それ切りさ」。
 「何処の藩士であったのか」。
 「そんなことは分からねえよ。おいら未だ小さかったし、第一お武家様のことなんぞ分かりゃしねえ」。
 然もありなん。
 「その者が何故、町人となって江戸におるのじゃ」。
 「そう言えば、仕官先のお国元に行って直ぐに、おとっつあんが死んだって言ってたな」。
 左兵衛が興味を抱いていることは、明らかだった。
 (沢海藩藩主であられた溝口様の御家紋は確か、松皮に井桁であったな)。
 左兵衛の頭の中では、散らばる点が繋がりを見せ始めていた。
 数日後、鞘職人・右衛門は呉服橋門内の吉良の屋敷を訪れていた。予め左兵衛から右衛門のことは聞いていた門番であったがそれでも時節柄、新八郎が出迎えに門まで向かったほどの物々しさである。
 「それがおかしな注文でしてね」。
 右衛門が言うには、見せられた柄は左兵衛が持参した鞘と全く同じ物であった。ただ、柄と同様の鞘を作るのではなく刀身が収まればいい。簡単な設えで構わないということだった。
 これを聞いた左兵衛は、
 (取り戻しに参る気であるな)。
 そう感じ取っていた。似せた物を作るのではないとあれば、余程大切な品の筈である。
 「して右衛門。その者は如何なる風体であった」。
 「へい。若い、そう二十歳前後でしょうか、何やら遊び人風な…薮睨みの目に…そうそう、こう左目の下に黒子がひとつ」。
 右衛門は己の顔の左目の下を指差す。
 「若様、どうしますか。注文の鞘を受け取りに現れた時、ふん縛ってしょっ引いて参りましょうか」。
 どうやら右衛門は、その男が屋敷から盗み出したと思っているようだ。
 「いや、それには及ばぬ。大義であった」。
 左兵衛には思い当たる顔であった。新八郎に目配せをし、また右衛門の袖に小判を落とさせるのだった。
 「もうよろしいんで」。
 右衛門は、納得のでき兼ねる表情ではあったが、金子の重みを確かめると、さも嬉しそうに、「また何なりとお申し付けくだせえ」と帰って行った。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 32 陽炎(かげろう)

2012年09月20日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「これは珍しい。どこで手に入れなすった」。
 「当家の納戸を片付けておった折り、家中の者が見付けたのじゃ」。
 左兵衛の答えを聞いていたのかいないのか、右衛門はすでに鞘を手に取り、逆さまにしたり裏にしたりと四方から食い入るように見入っている。
 「この鞘からすれば刃は内反りですな」。
 「左様であるか。されど刃は見付からなんだのじゃ」。
 「それで、あっしに何の御用なんですかい」。
 「この鞘のことを知りたくて参ったまで」。
 「なるほど」といった表情を浮かべた右衛門は、それからも暫く鞘を見てから、
 「材は朴の木。これは当たりめえだが、奥州産と見ました。拵は紺堆朱。紺塗に金、黒を掛けて研ぎだした三層塗りだ。奥州で塗りといったら会津か越前。鐺の松皮に井桁も丁寧な彫りだ。抜き身で一尺一寸、刃渡り七寸一分の刃が収まるだろうよ。どなたか身分のある女子の守り刀ってところかい。だが大抵は一尺なんだがな」。
 きっぱりと言う。
 「何故、奥州の朴の木と言い切れるのじゃ」。
 「あっしのように長年、朴の木を触ってりゃあ、嫌でも分かるってもんさ。この詰まった感じの質は奥州かそれより北さ」。
 「すると、奥州、羽州、越州辺りの物となるか」。
 「お侍さん、早まっちゃいけねえ。それがそうとも限らねえ。刀鍛冶が気に入りの鞘職人を抱えてるってこともあるんで。江戸の屋敷で見付かったなら、江戸の刀鍛冶が刃を打ち、鞘の木材のみを奥州辺りから取り寄せたって考えるのが妥当なところですな」。
 結局、鞘だけではよほどの名工作でなければ出自は分からないということのようだ。
 がっかりする左兵衛だったが、
 「なればその方にひとつ頼みがあるのだ。ここ数日の内に、鞘を作りに来るものがあれば知らせてはもらえぬか」。
 「やはり訳ありですかい」。
 右衛門は、寸の間黙るが下賎な目付きで、
 「お引き受けしましょう。ただね、あっしの方にも頼みがあるんで」。
 左兵衛は新八郎に命じ、右衛門の袖に小判を忍ばせた。右衛門はその重さから、万事を納得したとみえ満面の笑顔で承知するのだった。
 「若様、あの右衛門という男、抜け目がないようですな。持ち主が現れたら、更に金子を要求するでしょう」。
 「この鞘が高価な物と見抜いてのことでしょう」。
  新八郎、弥七郎は、「うさん臭い」と、右衛門に近付くことを好まない口ぶりである。
 「さりとて、ほかに盗賊を見付ける手立てもなし」。
 そんな左兵衛に向かい、
 「ですから、もう盗賊探しはお止めください」。
  陽も暮れ掛けた頃屋敷に戻った左兵衛は、警備の物物しさに驚くのだった。
 「また盗賊に入られたのか。義父上、義母上は御無事か」。
 足軽表門小頭門番の大河内六郎右衛門に問い質すと、
 「いえ、今宵より屋敷の警護を厳重にとの殿からの仰せでございます」。
 「義父上からか」。
 養父の吉良上野介義央の命であれば購えないが、「これでは盗賊が鞘を取り戻しに来れないではないか」。左兵衛は、小さな声で呟いていた。
 相変わらず、市中を騒がす七福神なる盗賊に関する手掛かりはないまま、読売だけが面白おかしく書き立て、盗賊の投げ込む金子に肖りたいと、本物の七福神を祀る神社までが賑わうようになっていた。
 左兵衛は、「盗賊の持ち物から合口と判断したが、守り刀のだったか」。としみじみと鞘を眺めるのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 31 陽炎(かげろう)

2012年09月19日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「誰かおらぬか。新八郎」。
 この夜の用番だった山吉新八郎盛侍は控えの間から、
 「ここに」。
 と、答える。
 「書院から何やら音が聞こえぬか」。
 耳を澄ました新八郎は黙って頷くと、枕元の掛け台から大刀を取る左兵衛を左手で制し、単身物音のする書院の間に足を忍ばせようとするが、左兵衛の方が先に前を歩き出していた。
 中庭に面した障子の隙間から書院の間を覗き込んだ二人は、目で合図を送り合うと新八郎は西に回り込み、一斉に障子を開ける。
 不意打ちに、ぎくりと振り向く賊の数は闇夜のこととて確かではないが二人や三人でありそうだ。
 「何者。吉良の屋敷と知ってのことか」。
 左兵衛は、刀を鞘から抜き賊に向かった。
 賊の手向かう気配を感じた新八郎の、「出あえい、出あえい。賊にござる」の呼び声で、家中に灯りを持った番兵が書院の間に集まり出す。
 南に左兵衛、西に新八郎、東からは手勢が走り寄る音が聞こえ、賊は北の賄い所から裏門へと逃げ延び、そこからは侵入に使ったものか、または逃亡に用意したものか、予め掛けてあった縄梯子で門外へと逃げ果した。
 騒ぎで目を覚ました家臣たちが、屋敷周囲の武家長屋から飛び出し、門外へ賊を追おうとするのを制した左兵衛は、真夜中にも関わらずあちこちに明かりが灯された屋敷敷地内で、賊の侵入経路を確認していた。
 裏門の北側の塀の内外に掛けられた縄梯子。書院の間には、左兵衛はとひと太刀合わせた時に慌てた賊が残して行ったと思われる合口の鞘が。
 「なるほど、武家屋敷に忍び込むのは容易なものらしい」。
 武家屋敷の警備は門のみである。塀からなれば縄梯子ひとつで簡単に、忍び込めることに左兵衛は関心していた。
 「新八郎、見よこの鞘」。
 「内反りにございますな。紺塗り鞘に鐺には松皮に井桁、家紋ですかな。凝った作りでございます。とても賊の持ち物とは思えませぬな」。
 短刀には反りのない無反りの歯が用いられることが多く、内側に反ったものは珍しかった。
 「いずれにせよ、鞘がなければ持ち歩くこともできまい。どこかで鞘を作ろう。鞘職人を当たるとするか」。
 「若様、それは役人に任せればよろしいかと」。
 「新八郎、何を弱気な。忍び込まれたのは当家であるぞ」。
 そのまま寝ずに朝を迎えた左兵衛は新八郎、弥七郎を伴い、南鞘町に住む鞘職人の元を訪ねることにした。
 「鞘の注文か手直しか」と、鞘職人・右衛門が尋ねる中、
 「これを見ていただきたい」。
 左兵衛は、新八郎が懐に入れていた袱紗の中から、昨晩賊が落として行った鞘を取り出す。
 「注文じゃねえんだったら帰ってくんな」。
 と、無愛想この上なかった右衛門が、一目見るなり目の輝きを代えた代物だった。





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水波の如し~忠臣蔵余話~ 30 陽炎(かげろう)

2012年09月18日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「だから、お律さんとどんな話をしたんだい」。
 呉服橋御門内の吉良邸からそう遠くない、安針町に店を構える豆腐屋の倅・心太はどうにも未だ気になって仕方ないらしく、弥七郎に食い下がっている。
 「ところで心太。そちの兄上はあれからいかがしたのじゃ」。
 高家肝煎の吉良家の跡取り、吉良左兵衛義周が尋ねる。
 「ああ。あれから幾日も経たねえうちに、鈴の屋さんが兄いを迎えに来たんだ」。
 「左様か。それは良かった」。
 「それがよ、そんなに律さんが気に入らねえなら、この縁組みはなかったことにするって言うと、兄いは、嫁にするなら律さんしかいねえってね」。
 左兵衛の近習の山吉新八郎盛侍、新貝弥七郎安村は顔を見合わせ、
 「お前の兄も思い切ったな」。
 「そうなんだ。鈴の屋さんも訳が分かなくなっちまったようで、まあゆっく話そうってことで兄いを連れて帰えったけどな」。
 「では、律の方は片付いていないのか」。
 弥七郎が、再度芝居を打たされては適わないとばかりに聞くと、
 「ああ、お律さんか。こっちも、病いのための気の迷いだったって、田丸屋さんが丁寧に詫びを入れてきなすって、万事目出たし目出たし」。
 「では、お前の兄と律の縁組みは整ったのか」。
 新八郎の問いに、
 「ああ。何せ気の迷いだってさ。気の迷い」。
 と心太はにやにやしながら、弥七郎を覗き込むのだった。
 「何が気の迷いだ」。
 「弥七郎、良いではないか。そうとでも申さぬことには面子が立たぬのであろう」。
 左兵衛もほっとし、茶を一服。
 「若様、また若様に借りができちまったな。ありがとうよ」。
 一安心したところで、心太がまたも読売を懐から出し、「市中を騒がせている盗賊のことを知っているか」と言い出したものだから、新八郎、弥七郎はたまらない。盗賊のことは、何とか左兵衛の耳に入れないようにと計らっていた矢先だった。
 直ぐさま、その読売を取り上げたのだが、心太は内容を暗記しているくらいにすらすらと話し出す。
 「何でもよ、お大名やお旗本といった御武家屋敷にしか忍び込まねえんだそうだ。そして、盗みに入っても決して人は殺めねえ。その上、翌朝には裏長屋に盗んだ金子がばらまいてあるっていうもんだから、みんな義賊様って呼んでるぜ」。
 左兵衛の眉がぴくりと動いた。
 「どういうことじゃ。もっと詳しく話せ。いや、新八郎、その読売を見せよ」。
 「若様、龍の時と同じで、噂にございます」。
 新八郎は抗うが、再度「見せよ」と、凄まれたのでは渡さない訳にはいかない。またも左兵衛が関わらなければ良いがと祈るだけである。
 「何とも。しかし何故、この盗賊は折角盗んだ金子をほかの者に分け与えておるのじゃ」。
 左兵衛の「何故」が始まると、「何故」が解けるまで深ることを周知している新八郎、弥七郎は心太を睨みつける。二人の鋭い表情にようやくことの次第に気が付いた心太は、「あっ」と、開いた口元に手を当てがったが時すでに遅し。
 またも左兵衛は目を瞑り、腕組みをした姿で考えを始めていた。
 「盗賊というものは、金子が欲しいがため押し入るのであろう。じゃが、大名や武家屋敷しか襲わないのは何故じゃ。この時勢、商家の方がよほど蓄えがあるのではないのか」。
 「それはよ、お武家屋敷ってのは案外守りが甘いって話だぜ」。
 「守りが甘い…当家とて門番や番兵は一晩中配しておる。何より家中の者は武人ではないか」。
 「若様、門から堂々と入って来る盗人なんてえのはいねえ。それによ、商人は大事なもんは土蔵に仕舞っちまう。土蔵を破るよりも、お武家様のお屋敷なら簡単に金子が手に入るのさ」。
 「そうなのか…」。
 左兵衛は、武家屋敷の警護が甘いと指摘され、町屋の目も侮れないと関心頻り。
 「それで、その盗賊の目星はついているのか」。
 新八郎が尋ねると、待ってましたとばかりに心太は、
 「七福神って名乗ってるからには、七人組の神様みてえなお人だろうってね」。
 「だろうって…ということは分かっていないのだな」。
 「当たり前よ。分かっていたらお縄になっちまう」。
 この言い方に、左兵衛は、
 「その申しようでは、町屋の者は盗賊の味方なのだな。これでは役人も手こずりそうよのう。だが、七福神と名乗るとはなんと罰当たりな」。
 「そうだ。盗みに入った屋敷には金子をいただく代わりに、七福神の絵を置いていくっていうから粋じゃねえか」。
 何やら愉快そうな心太に反し、左兵衛は義族など本当に存在するものなのか半信半疑でいた。



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