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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

水波の如し~忠臣蔵余話~ 29 春霖(しゅんりん)

2012年09月17日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 まさと呼ばれる老婆は弥七郎を見ると一瞬、はっと目を見開いたが、その場でゆっくりと茶を注ぎながら話を聞こうといった構えで居座っていた。
 「で、新貝様。どのような物を御所望にございましょう」。
 左隣に座る心太に脇腹を突つかれた弥七郎は、咳払いをした後、幾分上ずった声で、
 「国元の妻への土産を」。
 「ほう、奥方様にでございますか。お幾つくらいの方でございましょう」。
 主人は、妻の年齢、風貌、好みの色など、左兵衛との打ち合わせにないことを矢継ぎ早に聞いてくるのだった。これには、弥七郎も冷や汗をかいた。
 弥七郎の答えを聞くと、主人は手代に言い付けて、櫛や簪、紙入れなど、落ち着いた上品な品を幾つか用意させていた。
 それを見て、まさは急いで下がって行く。恐らく律の元だろう。
 半時の後、銀細工の玉簪を懐にした弥七郎が店の暖簾を出ると、まさが先回りし、
 「新貝様」。
 そう声を掛けるのだった。弥七郎は促され、今度は裏に回り田丸屋の住居に案内される。心太も付いて行くがまさに止められ、弥七郎のみが木戸を潜った。
 「何を話してるんだ」。
 心太が裏木戸の外でじれていると四半時後、戻った弥七郎は、安堵の表情を浮かべていた。
 「弥七郎、上手くいったかい」。
 「問題なかろう。だが、これでも聞き入れぬとあらば、手の打ちようがないな」。
 微笑を称える弥七郎の顔をまじまじと見詰めた心太は、「まあ、これだけの男前じゃあ惚れるなって方が無理な話だ」と思ってはいたが、それを口に出して弥七郎を良い気にさせるものかと黙って、左兵衛の待つ茶屋へと急ぐのだった。
 弥七郎の表情を読み取った左兵衛は、
 「春霖もいつかは上がろう」。
 子細を問わずそのまま歩き出すが、後方から心太が、「教えておくれよ」と弥七郎にじゃれついて、「うるさい。歩けぬではないか」と、何やら楽しそうにしていた。
 万事上手くいったであろう律の問題はすっかり脳裏から消え失せた左兵衛は、先刻まで茶屋の床几に腰を下ろしていた、左目の下の黒子が妙に色気もあり、印象的ではあるが、目つき鋭いこと尋常ならなぬ二十歳前後の男のことが気に掛かっていた。
 その男は左兵衛たちのほんの少し前を歩いている。
 「あれっ、福太郎じゃねえかな」。
 前を覗き込んだ心太が親しげに言う。
 「心太、知り合いか」。
 「うーん。随分会っちゃいねもんではっきりとはしねえが、福太郎だったような気がする…」。
 心太は小走りに男を追い越して、行く手をたち塞ぐと、
 「やっぱり福太郎だ」。
 だが、男は目を反らして俯くと、
 「どなたか存じませんが、お人違いでしょう」。
 心太を交わし、足早に去って行った。
 「おかしいな、福太郎だと思ったんだけどな」。
 心太は頻りに頭を捻るのだった。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 28 春霖(しゅんりん)

2012年09月15日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「幾ら若様の御命でも嫌にございます」。
 弥七郎は抵抗している。
 「だけどよ、おいらの兄いの将来が掛かってんだ。兄いだけじゃねえ、お律さんだって寝付くほど、弥七郎に惚れちまったってんだから仕方ねえだろう」。
 「しかし、それがしは、その律という娘子の顔も覚えてはいません」。
 「じゃが、弥七郎がその娘を諦めさせるしかあるまい」。
 弥七郎は先ほどから、左兵衛、心太二人掛かりで律に引導を渡すようにと勧められている。
 救いの手を求めて新八郎を見ても、ただにやにやと薄笑いを浮かべているだけである。
 「なればいっそのこと、弥七郎、そちがその娘を嫁に迎えよ」。
 弥七郎の煮え切らない態度に、業を煮やした左兵衛が立ち上がってそう言うなりまたも座敷を後にする。
 「弥七郎、参るぞ」。
 主君にこうまで言われては、着いて行くしかない哀れな弥七郎に相反して、この日は足取りも軽い新八郎。そして、
 「どうしておいらの兄いより、こんな男の方がいいものかねえ。女ってえのは解せねえものですね。ねっ若様」。
 言いたい放題の心太は、田丸屋へと向かった。
 田丸屋は、呉服橋を出て三本目の日本橋通を南に南に向かった、柳町に店を構える間口四間の小間物屋である。
 「良いか弥七郎、打ち合わせどおりに」。
 「しかし若様、下手な小芝居を打つより、単にそれがしにその気がないことを伝えれば宜しいのではないでしょうか」。
 弥七郎は気乗りがしない。
 「それでは娘が傷付くであろう。女子の気持ちを思いやってこそ、男という者じゃ」。
 「はあ」。
 左兵衛には言われたくない弥七郎だった。
 「では余はここで待つ故、行って参れ」。
 左兵衛は、田丸屋の辻向かいの茶屋の床几に腰を下ろした。 
 「若様は行かれないのでございますか」。
 「余が行っては話がややこしくなるだけじゃ」。
 ではと新八郎を見ると、
 「若様をおひと人にはできまい」。
 とあって弥七郎の気が重いことこの上ない。
 「弥七郎、大丈夫さ。おいらが付いてるって。おいらに任せて大船に乗った気でいてくんな」。
 こうして弥七郎は心太と田丸屋の暖簾を潜った。
 「これは心太じゃないか。そちらのお方は」。
 小さな商いらしく、主人が直々に対応をする。
 「お久し振りで。こちらはおいらのちょっとした知り合いの新貝様ってえんだが、今度お国に戻られることになりなすった。そこで江戸の土産を買いてえってんで、おいらが案内したのさ」。
 「左様でございますか」。
 愛想の良い主人に一礼し、心太の知り合いとあってか案内されるまま座敷に上がると、茶菓子と茶の持てなしを受ける。
 「心太、新貝様の前でなんだが、お前の兄さんは、どうしてあれほど律が気に入らないんだい。聞けば女子の噂もないようだし、律とも仲良くしてたじゃないか」。
 「旦那さん、大丈夫ですよ。直に解決します」。
 「おい心太、それでは答えになっていないではないか」。
 「大丈夫ですって。安心してくだせえ。それよりも新貝様のお見立てが先ですよ」。
 茶を持って来たのは、昌平橋で律の供をしていた老婆のように弥七郎は記憶していた。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 27 春霖(しゅんりん)

2012年09月13日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「親が決めた縁組みを、断れるものなのか」。
 屋敷に戻った左兵衛は、新八郎、弥七郎にまたも尋ねていた。
 「町屋ではそれも可能かと」。
 「では、己が好いた者と添えるのであるか」。
 「大抵はそうだよ」。
 どこから沸いてきたのか、心太だ。
 「左様か」。
 ならば致し方ないだろうと、左兵衛は思っていた。
 「だけどよ、お律さんのようにお店の娘ってのは大抵、お店同士とか、跡取りが必要ならやっぱり商売ができる者と一緒になるものさ。好いた惚れたは二の次なんだがね」。
 「ならば、その店を差し置いても好き合った相手がいるということだな」。
 新八郎が言うと、
 「それが、おいらが聞いた話だと、お律さんに男の陰なんかねえんだ。ただ、このひと月ばかりの間にすっかりやつれちまって小町娘の面影もねえらしい」。
 「なんだ、それは。妖にでも見入られたのではないか」。
 弥七郎が、正かそんな訳あるまいとばかりに言うのに対し、新八郎が一言。
 「恋煩いだな」。
 「恋煩い」。
 左兵衛も驚くが、然もありなんと思える。
 「相手の男のことは分からないのか」。
 新八郎の問いに、心太は、
 「それじゃあ、もうひとっ走り調べてくらあ」。
 言うが早いか、駆け出して行った。
 「全く落ち着きのない男だ。兄とは真逆であるな」。
 二、三日後、心太は律の乳母に聞いてきたと張り切って吉良家の屋敷を訪れていた。
 「どうやらお武家様らしいや。下駄の鼻緒が切れて難儀していたところ、通りすがりのお侍が直してくだすったって話だ」。
 「その侍に一目惚れしたって訳か」。
 新八郎は、「そんなことか」と言わんばかり。
 「その侍はどこの誰か分かっているのか」。
 弥七郎が問うと、
 「それが分からねえから、苦しんでるんじゃねえか。今では寝込んじまったって言ってなすった」。
 「それほど思い詰めているのか」。
 新八郎、弥七郎も気の毒に思わなくもないが、通りすがりの侍というだけでは、到底見付けることはできまいと内心そう感じていた。だが左兵衛は違った。
 「心太、その者を見付ける手掛かりはないのか」。
 「若様、もうよろしいでしょう。後は当人同士の問題です」。
 新八郎、弥七郎が制するが、
 「それでは平太の問題の解決にはならないではないか」。
 と頬を膨らませ、ぷいと目を反らした。
 空気がおかしくなったことを感じ取った心太だったが、
 「何でも、ひと月くらい前に、神田明神にお参りした帰り、日本橋通一丁目辺りで出会ったって…」。
 左兵衛は、暫く目を瞑り腕組みをして考え込んでいたが、はたと目を見開いた。同時に、新八郎、弥七郎もあっと口をぱくぱくさせる。
 「その侍は幾人でおった」。
 「三人連れで、ひと人は身分の高そうなお方で、律さんの鼻緒を接いでくれたのは、そのお供の侍だったって話だ」。
 「ひと月前のことであったな」。
 「ああ…。でも若様、何か知って…」。
 左兵衛が、先月に京豆腐屋に出向く折りのことだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 26 春霖(しゅんりん)

2012年09月12日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 平太は心太より三歳年上の二十歳。もう縁談話があってもおかしくない年頃である。
 「手前どもにも、平太があそこまで嫌がる理由が解せないのです。律…律というのが相手の娘なのですが、手前の姪でして、子どもの頃から周知の仲にございますし、平太とは仲も良かったことからこの話を勧めたのでございます」。
 「それは分かった。だが、今度は心太を代わりにしようとはどういったことであろうか」。
 「それは、手前が申し上げたのではございません。平太が勝手に実家に戻ってしまい、手前に会わせる顔がないと、平次から申し出たことにございます」。
 心太の話とは少し違っているが、まあ、責任感人一倍の平次ならそれくらいのことは切り出すだろうと、左兵衛は思っていた。
 「して、心太がその律という娘と一緒になると申せば、心太を養子になさるのか」。
 「とんでもございません。手前どもでは平太を実の子と思い育てて参りました。子を取り替えるなど思いも及ばぬこと。ただ、訳を話して欲しいのです」。
 鈴の屋を後にした左兵衛は、更に分からなくなってしまっていた。
 「新八郎、弥七郎。鈴の屋の主人をいかが見た」。
 「はい。嘘はないかと」。
 「はい。一角の人物かと」。
 「であろうのう。すると、やはり平太の方に問題があるとしか考えられぬの」。
 そして左兵衛はその足で、安針町の心太の店に向かうのだった。
 「上がるぞ」。
 左兵衛が答えも聞かずに店先から奥に入ると、肩をがっくりと落とした平次が上がり框に腰を下ろし、奥の座敷では見慣れぬ若者がふて寝し、その枕元に所在なげに母親の絹が座っている。
 「しばらく見ないうちに、辛気くさい家になったものだ」。
 新八郎と弥七郎は、家の中に滞るどんよりとした空気を一掃しようと、障子を開け放した。
 「さて、その方が平太であるな」。
 左兵衛の問い掛けに、横になったまま顔だけを向けた。
 「これ、平太。こちらは吉良様の若様だよ。そのような恰好で失礼だよ」。
 母親の絹が枕元で嗜めても、平太はのっそりと身を起こしただけだ。どうやら気力が萎えているかのようである。
 「平太、鈴の屋がそなたを。実の子だと思うておると申しておった。何故にそこまでこの縁組みが嫌なのか鈴の屋に話してみてはどうじゃ。先が開けるやも知れぬではないか」。
 鈴の屋の名を小耳に挟んだ父親の平次も、座敷に上がり込む。そうとあっては聞き逃すことはできないと、心太も店先を離れようと、
 「弥七郎、店番を頼む」。
 「おい心太。店番たって、一体幾らだ」。
 「焼き豆腐は一丁五文、油揚げは一毎五文。がんもどきは八文。おっとそれから納豆は四文。豆腐が一丁五十六文だからな。おっと、半丁ならその半分さ。その半分なら…計算しておくれ。釣り銭を間違うなよ」。
 それだけ言うと、奥の座敷に飛び込んで行った。
 「焼き豆腐が五文で豆腐は五十六文か。これは高い」。
 所在なげに店番をする弥七郎以外は、奥で膝を交えていた。
 「それが、頼まれたんです」。
 大勢の目が己に集まる重圧に、耐えられなくなったのか平太が重い口を開き出す。
 「頼まれたって、いってえ誰にさ」。
 「これ心太、お黙り。口を挟むんじゃないよ」。
 「うるせえな。お絹、おめえこそ黙ってろってんだ」。
 平次、その妻の絹、そして心太の、矢継ぎ早に飛び交う言葉に左兵衛は目を丸くするのみ。見兼ねて新八郎が、
 「これ、そのようにてんでに口を開いていては若様が話せないではないか」。
 と、一同の口を噤ませた。
 ようやく一息ついて、
 「頼まれたとは、誰にじゃ」。
 「はい。お律さんにです」。
 またも何か言いたげに身を前にのめらせる家族に、新八郎は鋭い視線を送る。
 「律と申す娘は、その方の縁組みの相手であるな」。
 「はい。伯父に当たる鈴の屋さんの頼みを断ることはできないので、わたしの方から断って欲しいと」。
 当の相手に頼むくらいだ。平太を嫌っている訳でもなさそうである。左兵衛には増々解せない。
 「それで律の申し出を受けたのじゃな」。
 こくりと頷く平太を見て、「平太は律を好いているのではないか」。左兵衛は薄らと感じていた。
 「律という娘が、そのようなことを申した訳は知っておるのか」。
 「いいえ。それは話てはくれませんでしたが、どうやら好いたお人があるようです」。
 平太は蚊の鳴くような声になっていた。





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水波の如し~忠臣蔵余話~ 25 春霖(しゅんりん)

2012年09月11日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「問題はそこからなんだよ」。
 鈴の屋では心太の兄が駄目なら、心太を養子にしその娘と一緒にさせ、店を継いで欲しいと言ってきたといのだ。
 「小町娘なら良いではないか。それに店の主人になれるのだろう。心太、良い話だ」。
 「弥七郎止めとくれよ。鈴の屋なんかに行っちまったら、こうして若様にも会えなくなっちまうだろう」。
 心太は、親近感の現れから弥七郎だけは、「弥七郎」と呼び捨てにしている。
 「それで、心太は断ったのか」。
 左兵衛が聞くと、
 「おいらは嫌だって言ったんだが、おっかさんは泣いちまうし、おとっつあんは鈴の屋さんに顔向けできねえって、商売どころじゃないのさ。おっと、こうしちゃいられねえ。おいらが豆腐売らねえと、誰も使い者にならねえんだ。じゃあ若様またな」。
 一波乱起こして心太は風のように去って行った。
 またまた、腕組みをして目を閉じ、考えをしている左兵衛に向かい新八郎は、
 「若様、首を突っ込まれませぬよう。宜しいですな」。
 と釘を刺すが、すでに左兵衛には届いていない。
 「日本橋なら近いな」。
 そう言うなり、すたすたと部屋に戻り、近習と同様の羽織袴に着替え表玄関に歩み出た。
 「若様、太物問屋になど用はございますまい」。
 「良いではないか。余は世間を知らぬ故、学ぶべきことが沢山あるのじゃ」。
 どうやら、先刻の心太の言葉を逆手に取っているようである。
 鈴の屋は、日本橋から京橋に続く通町に軒を連ねられる大店とは違い、呉服橋を出て三本目の日本橋通を南に向かった南博町の一本東の松川町にある。間口四間ほどの店はこざっぱりとし、それなりに流行っているようだった。
 男連れの侍の客は珍しいのか、一瞬驚いた表情を浮かべた手代だったが、
 「いらっしゃいませ。どのようなお品をお探しでしょう」。
 と、にこやかに応対をする。
 「そうだのう。単衣の夏物を仕立てたい」。
 左兵衛は勧められるまま、反物が並べられた座敷に上がった。だが、新八郎と弥七郎は玄関先の土間で立ったまま腰を下ろそうともしない。その様子に手代は、身分を感じたのだろう、すぐに主人の吉之助が奥から姿を現した。
 「主人の吉之助にございます」。
 五十絡みの中々に温厚そうな人柄に見える。ひととおりの挨拶を済ませると吉之助は、
 「お武家様は初めてでございますが、どこで手前の店をお知りになられましたので」。
 そう聞いてきた。すると、
 「呉服橋近くの豆腐屋を存じておるか」。
 「はい。平次の店にございますか」。
 「左様。平次の店とは馴染みでな。こちらを教えられて参ったのじゃ」。
 吉之助は左兵衛の端々、そして振る舞いから、「御身分のあるお方」と見抜くと、「御贔屓様には奥で見ていただいております」と、次の間に左兵衛を促した。
 そして、同様の身なりにも関わらず、「お供の方もどうぞ」と、新八郎と弥七郎も奥に勧める。
 「さすが店の主人。中々に洞察力があるようだ」。
 新八郎と弥七郎は、感服していた。
 左兵衛を上座に、下座に控えた吉之助は、
 「お武家様のご用は反物ではありますまい。平太のことにございましょう」。
 左兵衛は心太から兄の名を聞きそびれていたが、平次の息子で、心太の兄なれば平太であることをすんなりと理解する。
 「左様。こちらの御養子のことじゃ」。
 新八郎は左兵衛にちらりと視線を送り、左兵衛が頷いたのを見て、
 「吉良家の左兵衛様にございます」。
 「これは吉良様の。失礼いたしました」。
 吉之助は平伏するが、
 「本日は吉良家の者として参ったのではない。心太の友として参ったまでじゃ、お気遣いなく」。
 左兵衛は、対等な立場で話をしたい旨を伝えた。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 24 春霖(しゅんりん)

2012年09月10日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 時は元禄十三年に戻り、春は長雨の時節でもある。 
 「それがさ、兄いが戻って来ちまったんだ」。
 ここは呉服橋門内の吉良邸。屋敷からそう遠くはない安針町の豆腐屋の倅の心太が、またも賄い所から入り込み縁側から上がり込んでいた。しとしとと振る雨粒に鬢を濡らしていたが、一向に気に留めてはいない。
 このところ心太絡みの事柄に、吉良左兵衛義周が首を突っ込んでいるのが、気が気でない近習の山吉新八郎盛侍と、新貝弥七郎安村だったが、心太に兄がいるとは初耳だった。
 「心太には兄上がおったのか」。
 左兵衛にとっても知らぬこと。
 「あれ、おいら言わなかったかい。そうか、おいらがお屋敷に通い出す少し前に、鈴の屋に行っちまったからな」。
 「奉公に出ているのか」。
 弥七郎が尋ねると、
 「そうじゃねえ。鈴の屋の旦那様に気に入られて、養子になったんだ」。
 「養子とな。長子を養子に出すとは、平次も思い切ったものだな」。
 新八郎も話に乗ってきた。
 「まあな。折角旦那様がそう言ってくださるなら、しがねえ豆腐屋より出世ってもんだってな」。
 「鈴の屋とは、大店なのか」。
 弥七郎の問いに、
 「大店とまではいかねえけど、十人くらいの奉公人を抱えてる太物問屋さ」。
 腕組みをしながら黙って聞いていた左兵衛だったが、
 「太物問屋とは何じゃ」。
 「これだから若様は世間知らずなんだよな。綿や麻織物の反物を扱う店さ」。
 「これ、心太」。
 心太のいつもながらの不躾な物言いに弥七郎は気が気ではない。だが、左兵衛は一向に気に掛ける風もなく、
 「して、兄上は何故、そこを出て参ったのじゃ」。
 心太が興奮気味に、鈴の屋の親類の娘との縁談が持ち上がり、兄がそれが嫌がって出て来てしまったと話を続ける。
 「おいらには解せねえんだ」。
 「親の決めた縁組みを嫌がるのは、女子だな」。
 弥七郎が言うと、
 「女子とは…」。
 男女のことにはとんと疎い左兵衛である。
 「ほかに好いている女子でもおるのでしょう」。
 「おいらも最初はそうかとも思ったんだけど、兄いはおいらと違って大人しい気質で、親の言い付けに逆らうなんぞ、とんと縁がねえお人なんだよ」。
 「なればその娘子は器量が悪いのか」。
 新八郎も面白くなってきたとばかりだ。
 「いいや。小町娘って言われてるくらいさ」。
 「待て、余にも分かるように話せ」。
 一同は呆気にとられて左兵衛の顔をまじまじと見る。
 「若様、一体何が分からないのでしょう」。
 そう言われても、左兵衛には親が決めた以外の縁組みがあることを知らない。増してや、花嫁の器量の善し悪しがどう関係があるのかも理解できない。更には相手が気に入らないからと断ることができるのかも分からないでいた。「寛永寺にて、逢い引きと口にしたお方とは思えぬな」。横でぷっと頬を膨らませる左兵衛を置いて、話を先に進めるのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 23 清明(せいめい)

2012年09月09日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「今日も、心太は参らぬのか」。
 あまりにも悲しそうな左兵衛に、弥七郎は心太の元を訪ねていた。呉服橋を渡り、一石橋を北に裏河岸を抜けた宝町通りの一本東の安針町。屋敷からはほど近い。
 「だって、若様と遊んでいても面白くないんだもの」。
 心太は悪びれずに言う。
 「どう楽しくないのだ」。
 「二人じゃ鬼ごっこもつまらねえし、転んじゃいけねえ、怪我しちゃいけねえって木にも登れねえ。草子なんか見てもおいらにはちっとも面白くねえ」。
 七歳の男の子にとっては、然もありなんと思う弥七郎だった。
 「どうだ。屋敷に参れば菓子だってあるぞ」。
 手を代えてみたが、心太は乗ってこない。そこで、
 「心太、最初お前は剣術を見ておったな。剣術は好きか」。
 「うん。おいら強くなりたいんだ」。
 急に心太の目が輝いた。
 「ならば、屋敷に参れば剣術を教えてやろう」。
 してやったりと思っ弥七郎たったが、心太は寸の間館上げた後、
 「でも…おいらいいや。だってまた、若様に怪我させちゃならねえんだろ」。
 「剣術なら別さ。若様とて旗本家の跡取り。剣術は修めなくてはならぬのだ。それに若様は上杉家のお血筋、稽古の怪我は否めないものくらい承知しておられる」。
 「上杉って、あの謙信公の上杉様なのかい」。
 心太は、目を見開いた。弥七郎はその小さな頭を優しく撫でると、
 「良く知っているな。正しく上杉謙信公の米沢藩の若様である」。
 「そいつはすげえや、若様ってすげえんだな。ただの泣き虫だと思ってたけど。だけど、その若様がどうして吉良様の跡取りなんだい」。
 弥七郎は、左兵衛が五歳にして実母と別れ単身江戸の吉良家の養子となったことを、大まかに話して聞かせた。
 「若様も可哀想に、お武家の世界ってのも大変なものなんだな」。
 心太は暫く考えたのであろう、間を置いて、
 「分かった。おいら若様と遊んでやるよ。だけど弥七郎、おいらに剣術を教えるって約束は守っておくれよ」。
 「生意気を言うな」。
 「それと、菓子はいらねえや」。
 「どうでしてだ。甘い物は好きではないのか」。
 「好きさ。だけど、菓子に釣られたとあっちゃ、江戸っ子の名折れだからな」。
 心太は右の人差し指で鼻の下を擦る。弥七郎が苦笑しながら、そんな心太の頭を再び撫でた。
 こうして、左兵衛と心太は身分を超えた友情を深めていったのだった。
 清浄明潔。新たな日々が始まろうとしていた。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 22 清明(せいめい)

2012年09月08日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 驚いたのは平次である。
 「心太が何か御無礼を働いたのでしょうか」。
 「いや、奥方様が朝餉を差し上げろと申しておる」。
 弥七郎がありのままを伝えるが、それでも平次は納得できず、「ここで待ちます」と、台所の端に座り込んだまま動かない。
 「ならば連れて参れ」。
 富子のおぼしに平次は座敷に面した縁側に平伏した。
 「平次、久しいのう。面を上げよ」。
 富子の声に平次が顔を上げると、我が息子が座敷に上がり込み、しかも平然と箸を動かしているではないか。
 「心太、お前…」。
 平次の大きな声に驚いた心太は思わず箸を落としたが、それでも親の顔を一目見て安心したのか、
 「おとっつあん、おいらこんなに上手い飯を食ったのは初めてだ」。
 とにこにこしている。己が息子の場違いな態度に、平次は殴り付けたい思いでいっぱいだが、座敷に足を踏み入れることさえ憚られる。
 「心太とやらは中々に利発な子じゃ。平次、どうであろう。心太をここにおる左兵衛殿の遊び相手に貸しはくれぬか」。
 「若様の…奥方様、そのような大それたこと。恐れ多いことにございます」。
 「なに、左兵衛殿が心太を所望なのじゃ。願いを聞き入れてはくれぬか」。
 「しかし、奥方様」。
 富子と平次のやり取りを聞いていた心太は、
 「おいらなら構わないぜ」。
 と、これまた平次の肝を潰す。
 こうして、心太は、左兵衛の遊び相手として連日のように屋敷に足を運んでいたが、次第に一日が開き、二日開き、三日開き、気が付けばさっぱりと姿を見せなくなっていた。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 21 清明(せいめい)

2012年09月07日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「若様、この者は町屋の者。成りませぬ」。
 「嫌じゃ、余は遊びたい」。
 普段決して無理を言わない左兵衛が駄々をこね、涙まで浮かべている。
 「何やら騒がしい。見て参れ」。
 吉良上野介義央の妻・富子は、中臈の藤波に申し付けた。
 「町屋の童が迷い込み、若様が共に遊びたいと申しておられるご様子」。
 「新八郎と弥七郎はいかがいたしておる」。
 「手を焼いておりまする」。
 すると富子は笑いながら、左兵衛のいる中庭に自ら向かう。
 「これ、そなた名を何と申す」。
 富子が直々に、童に声を掛けるのを良しとしない新八郎と弥七郎は、
 「奥方様、直ぐに屋敷から追い出します」。
 と言うが、
 「構わぬ。して名は」。
 再び声を掛けた。
 「しんた。心が太いと書いて心太」。
 「心太か、良い名じゃ」。
 富子はそう言うが、弥七郎は心太と聞いて思わず吹き出していた。
 「お前、それはところてんじゃないか」。
 「これ弥七郎。止めぬか」。
 富子が叱ると、「申し訳ございませぬ」と、詫びるものの、弥七郎も新八郎も、藤波さえも込み上げる笑いを堪えることができないでいた。
 「おいら、ところてんじゃないやい。心が広く大きな男になれって、おとっつあんが付けてくれた名前だい。幾ら御武家だって許せねえ」。
 心太は、泣きながら拳骨を掲げて、弥七郎へと向かって行く。
 「心太、泣くでない。心の大きな男になるのであろう。このような心ない者の笑いなどで泣いてはなりませぬぞ」。
 富子は、弥七郎、新八郎、そして藤波をも睨み付け、
 「そなたは平次の子であろう」。
 「うん。おばさん、おとっつあんを知ってるのかい」。
 心太の口調に、
 「これ、奥方様であられる」。
 藤波が嗜めるが、当の富子は意にも介さず、
 「はっきりとして物怖じしない、良きお子ではないか。目くじらを立てるほどのことでもあるまい。」。
 すると、心太の腹の辺りから、「ぐーっ」という音が漏れてきた。
 「心太、朝餉は食したのか」。
 富子が優しく声をかけると、心太は頭を左右に振り、
 「豆腐の棒手振りが済んでからだから…」。
 「そうか、そうか」。
 と、富子は笑みを称えながら、賄い所で心太を待っているであろう平次に、心太をしばし屋敷に留まらせる旨伝えさせ、朝餉を設えさせた。





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水波の如し~忠臣蔵余話~ 20 清明(せいめい)

2012年09月06日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 時は十年前の元禄三年に遡る。草木が花を咲かせ桜の蕾も花開かんとし、万事に清らかな生命が息吹く頃であった。
 わずか五歳で実母と離され、遠く米沢から江戸の呉服橋御門内の吉良邸に跡取りとして入った吉良左兵衛義周 だったが、言葉では分かっていても寂しさは募るばかり。
 屋敷の外からは威勢のいい子どもたちの声が聞こえ、春先の庭には桜が咲き、嫌が応にも外で遊びたい気候になったにも関わらず、己には屋敷の門が高く超えることはできない。
 そんなある日、庭先で小性の山吉新八郎盛侍、新貝弥七郎安村相手に剣術の真似事をする左兵衛がふと軒下に目をやると、見知らぬ男の子が怯えているかのように身を固くして踞っていた。
 「新八郎、弥七郎」。
 左兵衛は二人の名を呼び、軒下を指差す。
 「これは」。
 そう言うが早いか、軒下に駆け寄り、
 「わっぱ、出て来い」。
 と首根っこを押さえた新八郎である。
 「新八郎、そのように怖い顔をしておっては怯えているではないか」。
 弥七郎が宥めるように、
 「どこの子だ。どうやって屋敷に入ったのだ」。
 と、優しく聞くとようやく、
 「おいら、おとっつあんと来た」。
 そう答えるが、 
 「それでは分からぬではないか」。
 またも新八郎の大きな声が飛ぶ。
 「これ、新八郎。相手はまだ子どもだ」。
 弥七郎が新八郎を押しやり、
 「見れば町屋の子のようであるが、お前のおとっつあんは屋敷に何用で参ったのだ」。
 「豆腐」。
 「豆腐とな。おお、お前は豆腐屋の倅か」。
 「うん。おとっつあんと豆腐を届けに来た」。
 馴染みの豆腐屋だの子だと周知されると、男の子は安心したのか急に威勢が良くなった。
 「しかし豆腐屋が何故、このような奥まで参ったのだ」。
 「おいらと同じくらいの年の子の声がしてたんで、その声の方に歩ってたら、何処か分からなくなったんだ」。
 今度は伏し目がちになる。
 「大方、屋敷が広い故迷ったのであろう」。
 弥七郎は、左兵衛をしっかりと抱き抱える新八郎に向かって言った。
 「なれば、さっさと追い出せ」。
 新八郎が言い放つと、
 「遊びたい」。
 左兵衛が新八郎の顔を見上げて呟くのだった。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 19 花曇(はなぐもり)

2012年09月05日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 左兵衛は、庭先で景色が薄ぼんやりと煙る中、桜の花をぼんやりと眺めていた。
 「若様は、何故豆腐屋の主が武門の出だと分かられたのです」。
 いつものことながら、新八郎、弥七郎は左兵衛の洞察力に驚きを隠せない。
 「最初に店に参った折り、何やら手持ち無沙汰な様子が気になってな」。
 「手持ち無沙汰でございますか」。
 「そうじゃ。理由は分からぬが何か足りないような気がし、よくよく見ると左の腰が少し下がっておった。それに右足が必ず前にある」。
 ここで、新八郎、弥七郎は大きく頷いた。武士は左腰に刀を差しているので、長年の間にどうしても左側に背が傾いてしまうものだ。同じく、左足の方が若干右よりも大きく、そして前に出る。
 「それに店先から余の姿を見付けた折り、無意識であろうが右を前に半身に構えたのを見て、手練であると感じたのじゃ」。
 何も知らない心太は、安泰となった家業に満足していた。
 「若様、京の豆腐屋が急に消えちまったんで」。
 「左様か。それは良かったではないか」。
 「そうですがね。商いも繁盛していたのに、訳が分からねえ」。
 心太は、仕切りに頭を捻っている。
 「江戸っ子は飽きが早い故、京にでも戻られたのではないでしょうか」。
 そこへ村上一馬改め、笠原長右衛門が現れ口を挟んだ。
 「あれ、見掛けねえお人だ。上杉様の後家来ですか」。
 「この度、当家にて召し抱えた笠原じゃ」。
 左兵衛に紹介されると、「笠原長右衛門にございます。お見知りおきくだされ」。心太に向かって一礼する。
 「おいらの方こそ、よろしくお願いします。けど笠原様、どこかでお目に掛かったような…」。
 心太は訝しそうに頭を傾げるが、左兵衛、笠原は、「他人のそら似」と、大笑いするだけだった。
 笠原はこれよりわずか二年後、父を討った山中安兵衛こと堀部安兵衛と相対することになろうとは、巡り合わせの不思議を感じずにはいられないのだが、この時は知る由もないのだった。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 18 花曇(はなぐもり)

2012年09月04日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 こうなると、さすがに観念したのか主は、商い用に習ったばかりの京言葉を止め、
 「村上一馬と申します。今から六年前、我が父・村上庄左衛門は伊予国西条藩松平頼純様にお仕えしておりましたが、些細なことから同藩の菅野六郎左衛門と口論となり、高田馬場にて討たれもうした」。
 「おお、覚えておる。なれば菅野殿の助太刀の、中山安兵衛殿に討たれなさったのか」。
 新八郎の問い掛けに、黙って頷く村上は、唇から血が流れんばかりに噛み締めていた。
 「高田馬場決闘は、大分話題にとなったものだ」。
 弥七郎が相づちを打つ。
 「そうなのか」。
 「はい。若様はまだお小さい頃でしたので、御存じないのも当然でございますが、中山と申す助太刀をした男は、あの後、あちこちから仕官の声が掛かったと聞き及んでおります」。
 村上は続けて、
 「その中山安兵衛は、今は赤穂藩士・堀部家の婿に入り浅野様に仕えております。武士の戦い故、遺恨はございませぬが我が家はお家断絶。生きる術がございませぬ。それ故、商いを始めもうした」。
 寸の間、村上の生い立ちに哀れを感じる左兵衛であったが、武士が生きる為とはいえ、そう容易く商人に転身するとは思えない。
 また、父が討たれた上は仇討ちが当然である。単に豆腐屋で糊口を凌ぐのであれば、わざわざ店を構えずとも、棒手振りで済む話である。
 「それだけではあるまい」。
 村上はとぼけた表情で、
 「ほかに何かありましょうか」。
 「その方、折りあらばその中山安兵衛とやらを討つ気であろう」。
 「とんでもございません。そのような大それたことなど恐れ多いことにございます。遺恨はないと申し上げたではございませぬか」。
 村上は懸命に否定するが、 
 「それならば良いが、ここは赤穂藩邸にも近いようじゃ。機会を伺うに商家は打ってつけだと思うてな。余の思い過ごしであれば謝る」。
 左兵衛がそう言うと、村上は目を吊り上げ更に唇を噛み締めてた。眉間には深い皺も刻まれている。どうやら図星のようである。 
 「仇討ちなどして何が生まれると申すのじゃ。また涙を零す者、路頭に迷う者が増えるだけではないのか。死んだ者には気の毒であるが生き返る術もない。仇など忘れて自身の人生を生きられよ」。
 「されど、仕官の道もあり申さぬ。この上は父上の御無念を果たし我が身も果てる覚悟」。
 左兵衛は、村上の言葉を脳裏にしっかりと刻んだ上で、
 「その方が仇を忘れ、武門として生きることを望むなれば、当家にて召し抱えようぞ」。
 その確かな物言いに驚いた村上は、
 「あなた様は…」。
 「こちらは高家吉良家のお世継ぎの左兵衛様にございます」。
 新八郎盛が身分を明かす。
 「されど当家は旗本。大名家とは家格が違う。それでもそなたが良ければ当家に仕えよ」。
 「有り難き幸せ」。
 村上は、左兵衛の前で片膝をつき深い礼をする。
 「なれば教えてくれぬか。何故その方は、豆腐を作ることが出来るのじゃ」。
 「はい。それがしは藩の賄い方吟味役にございました。このお役目に着けたのも、そもそもそれがしが賄いに長けていた故にございます。領内の豆腐屋や饅頭屋にも良く足を運び吟味を兼ね、あれこれ教えを被り覚えたのでございます」。
 村上は、幼き頃より家の勝手場や近くの店にに出入りするのが好きで、「男子たるも情けなや」そう叱られたが、それが今役に立ったとようやく笑みを見せた。
 左兵衛はそんな村上に、やはり幼き時は賄い所に出入りしていた己を重ねるのだった。だが、ひとつだけ聞いておきたいことがあった。
 「その方とこうして話をしておると、到底あのような嫌味な物言いをする男とは思えぬのじゃが」。
 すると村上は鬢に右手を宛てがいながら、如何にも罰が悪そうに、
 「京の都のお人は、嫌味なものだと聞き及んでおりました故にございます。御無礼致しました」。
 照れ臭そうに笑うのだった。
 「これ、京の者が聞いたら気を悪くするではないか」。
 こうして村上は笠原長右衛門と名を改め、吉良家の家臣となったのである。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 17 花曇(はなぐもり)

2012年09月03日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「さてもうひとつじゃ」。
 「若様、何がにございます」。
 心太の豆腐屋も安泰になった今、新八郎、弥七郎が如何にも不思議そうに尋ねる。
 「京豆腐屋じゃ」。
 「京豆腐屋なぞ、気に掛けることもありますまい」。
 だが新八郎、弥七郎の答えに耳を貸さない左兵衛。屋敷を後にした。
 道を急ぐ途中の日本橋通で、商家の娘らしい身なりの娘が下駄の鼻緒が切れ難儀している様子。見れば供の者は老婆で、娘の下駄を膝に乗せて何とかしようとしているが侭ならない。
 左兵衛は、弥七郎に目配せをした。
 「娘さん、鼻緒が切れましたので。よろしければそれがしが直して進ぜましょう」。
 「お武家様に、そのようなとんでもございません」。
 娘は遠慮するが、
 「構いませぬ。その足をそれがしの膝にお乗せくだされ」。
 弥七郎はそう言うと、娘の前に片膝を着いて座り、娘の片足を己の立てた左腿に乗せると、懐の手拭いを歯でぐいと裂き器用に鼻緒を接いだ。弥七郎の涼やかな目は真剣に鼻緒を接ぎ、口角がきりりと上がった口元は、手拭いを裂く。
 「さあ、もう大丈夫です。お履きなされ」。
 娘は町屋の自分の前に侍が跪く、そんな信じられない光景に目を丸くするのだったが、見下ろした先の弥七郎のきりりとした顔に仕切りに見入っていた。
 「ありがとうございます。あの…お武家様、お名前を…」。
 「お気になさりまするな。困った時こそ相身互い。ではこれにて」。
 弥七郎は一刻も早く、左兵衛と新八郎に追い付くべく走り去って行った。
 「またあんたはんでっか」。
 豆腐屋の主は不機嫌そうに左兵衛に嫌みを言う。
 「その方、口を慎まれよ」。
 新八郎、弥七郎は傍若無人な主人の態度に酷く腹を立て、「このような所に長居は無用」と、左兵衛を急き立てるが、
 「その方、武門の出であろう」。
 若き主に問い掛ける左兵衛。
 「お武家はん、何を仰せどす。わては京の商人どす」。
「いや、商人でもなければ京の者でもない。そなたは武門の出だ。豆腐屋なれば、大豆と水だけで商いが成り立つ故始めたのであろう」。
 「おかしなことは言わんといてください」。
 ほかの商いに比べ元金が少なくて済むというのが、左兵衛の考えである。難癖をつけられ、主は飽くまでもしらを切るが、左兵衛が主人の顔を目掛けて不意に投げ付けた扇を、首を横に除け見事にかわすのだった。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 16 花曇(はなぐもり)

2012年09月02日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 半時後、出来上がった豆腐の団子と枇杷と豆腐の寒天寄せを前に左兵衛は満足そうに、新八郎と弥七郎に差し出した。
 「食してみよ」。
 これまで見たこともない団子と寒天に、新八郎と弥七郎は臆するが、左兵衛は引かない。
 「若様がお作りになられました故、若様がお先に」。
 そう抵抗するが、 
 「余に毒味なしで食させる気か」。
 自分で作ったのだから毒味もあるものかと思うが、主君にそこまで言われたら食べるしかない。新八郎と弥七郎は恐る恐る豆腐料理を口に運ぶ。
 「旨い。菓子のようでございます」。
 「左様か。菓子なのじゃ」。
 左兵衛は笑みを浮かべた。
 「どうじゃ」。
 心太は、左兵衛の手作りの豆腐をそうとは知らずに口にしていた。
 「この寒天は、綺麗な色で、腹もいっぱにならあ。団子も柔らかくてもちっとしている」。
 「豆腐じゃ」。
 「豆腐」。
 「そうじゃ、そなたの店の豆腐じゃ」。
 心太は、左兵衛の屋敷でしか口にしたことのない砂糖の甘さに目を白黒させる。
 「だけど若様、砂糖なんぞ容易く手には入らねえ」。
 「されば甘草でも良いのではないか」。
 弥七郎が進言する。高価な砂糖が庶民の口に入ることはなく、庶民は甘草や麦芽糖で甘みを補っていた。
 こうして、心太の店では、豆腐団子と水菓子の寒天を売り出したのだった。同時に左兵衛は、「蜜柑や水瓜などでもできぬものか」。まだ続ける気なのか、本気とも戯れともつかない一人言を呟くのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 15 花曇(はなぐもり)

2012年09月01日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 毎度の膳に箸が進まない左兵衛だった。
 「ほれ見たことか」。
 と、新八郎と弥七郎の声が聞こえるようで、無理をして箸を運ぶが、それでも毎度毎度の豆腐は夢にも見るくらいである。
 「若様、箸が進まないなら膳を代えましょう」。
 弥七郎がそう言うと、やけになったかのように箸を動かす左兵衛。
 膳が下げられた後、左兵衛はまたぼんやりと考えをしているかのようだった。
 「こうなっては、何を話してもお耳に届かぬ」。
 新八郎と弥七郎は、左兵衛の気が戻るのを待っていた。すると突如として立ち上がった左兵衛は、またも賄い所に向かう。
 そして、女中に、
 「豆腐と砂糖を持て」。
 と言い付けるや、水気を切った豆腐を鉢に入れ、己の両の手で潰し出した。
 呆気にとられる新八郎と弥七郎に、
 「この豆腐と粉で団子にせよ」。
 新八郎に促された賄い所の女中が、豆腐と繋ぎの白玉粉をこね合わせる。同時にほかの女中が醤油と砂糖と水飴で甘辛い餡を作るのだった。
 そして左兵衛は、豆腐と枇杷を潰すと煮た寒天に混ぜ合わせ砂糖を加えて煮詰めた後、型に入れると井戸の冷たい水で冷やし出した。
 女中たちは、「若様、腕を上げられましたね」。などと軽口を叩いている。だが、新八郎と弥七郎には合点がいかぬ顔付きである。
 「おお、そうであったな。余は幼き頃より病弱だと言われ、吉良家に参ってからも暫くは、やれ風邪を引く、やれ熱が出るなどと日がな書物を読んだり絵をしたためておった」。
 養父母の上野介と富子は、二男が夭折したたことから、左兵衛に対して過敏な程の気配りをしていたのである。
 「幼き頃は、その方らが剣術の稽古や御用向きでおらなんだ時は、こうして賄い所で遊んでおったのじゃ」。
 だが近習が二人揃って、左兵衛の側を離れるなどある筈もない。実は当初、近習はもう一名いたのだが、左兵衛にはそれが容易に思い出せないでいた。



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