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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

水波の如し~忠臣蔵余話~ 59 待宵(よいまち)

2012年10月17日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 残暑厳しい昼下がり、呉服橋御門内吉良邸の中庭にて所在なげに過ごすのは、吉良家跡取りの左兵衛義周。その傍らには、近習である山吉新八郎盛侍に新貝弥七郎安村。
 「こう暑くては何もする気も起きぬな」。
 「左様でございます。ならば百物語でもするか」。
 「二人でしたとて冬になっても終わらぬは」。
 そんな新八郎と弥七郎には目もくれず、暑さも何のその、左兵衛は好きな絵を描いて過ごしていた。
 そこへ、いつもの顔が揃う。
 「若様、こう暑くちゃ、どうにもならねえや。どうです。隅田で船遊びなんか」。
 一石橋を北に裏河岸を抜けた宝町通り近くの安針町の豆腐屋の倅、心太である。
 「左様ではあるが…」。
 「なんでい若様、今日は歯切れが悪りいや」。
 「これ心太。無理を申すでない。若様は謹慎中だ」。
 弥七郎が言うと、左兵衛は「これ」と目配せをするがもう遅い。
 「どうしてさ、どうして謹慎させられてるんで」。
 先の谷中延命寺事件の折り、寺社奉行の脇坂淡路守安禎が、左兵衛に御礼の品を届けたことからことが露見し、養父の上野介並びのその妻の富子に酷く叱られ、謹慎を申し渡されていたのだった。
 「言いたくねえんならいいや。でもよ殿様と奥方様がそこまでお怒りになるってのは、若様が悪りいんだろうさ」。
 「心太、そう言うな。余も参っておるのじゃ」。
 「じゃあ、一学さんでも誘うか」。
 「一学も同罪じゃ」。
 一学とは用人の清水一学。農民から士分に取り立てられた逸材である。
 がっくりとうな垂れる三人の前に、
 「このようなことであろうと思い参りました」。
 中庭の先には、左兵衛が虚ろに足元から見上げていくと見慣れた男の姿があった。
 「紀伊国屋ではないか。本日は如何した」。
 八丁堀に広大な邸宅を構える、お大尽と呼ばれる豪商・紀伊国屋文左衛門である。
 「本日は、船遊びのお誘いに参りました次第で」。
 「それは有り難いが、聞こえていたであろう。余は屋敷から出ることができぬのじゃ」。
 「はい。聞こえておりました。ですが、若様がお叱りを受け、謹慎なさっていることをお知りになった淡路守様からのお誘いでございます」。
 「それは真であるか」。
 左兵衛は飛び起きた。
 「はい。吉良様も快くご承知くださいました」。
 「待て、紀伊国屋。義父上もご一緒なされるのか」。
 「そのようにございます」。
 「それでは羽が伸ばせぬではないか」。
 左兵衛の呟くような声は、新八郎と弥七郎にしか届かなかった。そんな会話がなされる中、黙って遠ざかろうとする心太の後ろ姿が左兵衛の目に入る。
 「これ、心太。何処へ行くのじゃ」。
 船遊びの言い出しっぺの心太ではあったが、もはや己の出る幕はないと察し、静かに屋敷を出ようとしていたのである。左兵衛の声に振り向いた顔には、わずかに口元に笑みを浮かべているが、ふっと見せた悲しそうな表情に気が付いた弥七郎が、
 「なあにお忍びだ。それに粋な江戸っ子の船遊びだ。淡路守様も無粋なことはおっしゃるまい」。
 そう誘うが、「おいら、そんなに偉れえ御方とばかりじゃ気が休まらねえから行かねえよ」。どうにも色良い返事をしない心太に左兵衛も宥める。
 「そちは余の幼馴染み。案ずることはない」。
 そこに紀伊国屋が、
 「お前さんは、船遊びをしたくないのかい」。
 と、直接的に聞いてきたもので、返答に困った心太は「うん」とうな垂れてしまう。
 「手前もお前さんも同じ商人。何を気に止むことがあるのだ。身分を気にして行けないと言うなら、手前もお供する訳にはいきませぬなあ、左兵衛様」。
 心太の顔が一瞬にして輝きを取り戻した。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 58 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月16日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 怖いくらいに美しい夕日が左兵衛らの顔を朱に染める。誰もが、言葉を発するのを忘れたかのように黙りこくり足取りも重い。そんな沈黙を破ったのは意外なひと言。
 「蕎麦か」。
 新八郎のこの言葉に、一同は足を止めた。
 「どうした新八郎、腹が減ったのか」。
 こんな場面で蕎麦を所望するのかと、弥七郎も驚いてはいたがほかに返す言葉が見付からないのだ。
 「いや、渚殿と一度だけ蕎麦を食したことがあった」。
 それは左兵衛の義母・富子の使いで上杉屋敷へと出向いた帰りのこと。渚が蕎麦屋の香りに誘われて、「このような所で、蕎麦を食したことがありませぬが良い香りにございます。どのような味でありましょう」と言ったことから、二人肩を並べ箸を進めた、新八郎の忘れ得ない思い出だった。
 「あの時の渚殿の、幼女のような笑顔が忘れられぬ」。
 新八郎の目には乾いた筈の涙の粒が溜まる。
 「では、蕎麦を所望いたそう」。
 「若様、若様のような御身分の方がいけません」。
 「これは渚の弔いじゃ。良いな新八郎」。
 その日の蕎麦は、皆の舌に少しだけ塩辛いものだった。
 その後、脇坂淡路守安禎は自ら谷中延命寺に踏み込み、そこにいた奥女中を含め僧侶を拘束したが、大奥に関する罪状に手を着けることを許されず、紀州家、一橋家の奥女中二名を罰するに留まった。
 僧侶は女犯の罪に問われ、日本橋に三日間晒された後、日晃は死罪、日敬は将軍側室の実父ということもあり遠島に留まり、日抄ほかの僧侶は解き放ちが下されたが、刑を前に日晃、日敬は獄死して果てている。
 こうして江戸城大奥を揺るがす事件はことなきを得、脇坂の思いも空しく散ったのだが、そこに命を散らせた渚のことを知る者は少ない。
 五月蝿いくらいの蝉の鳴き声を耳に、左兵衛は、
 (女子の強かさは後から後から沸いてくる。まるで鳴り止まぬ蝉時雨のようじゃ)。
 そう感じて止まないのであった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 57 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月15日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 そして、言葉を失い、震える手で書き付けを握る脇坂は、
 「渚の調べも見事であったが、これはまた…」。
 渚は一身を投げ打っての調べで、出入りの奥女中の名と、動かぬ証となる奥女中の持ち物を先に脇坂に渡していた。
 「これにて証が揃いました故、渚を当家にお返しいただきたい」。
 「渚をとな」。
 「淡路守様が渚を使い、延命寺をお調べになっておりましたこと承知致しておりまする。もはや、渚をあのような場に向かわせる必要もなかろうかと」。
 左兵衛が頭を上げ脇坂の目を見詰めた時、脇の襖がさっと開き姿を現したのは、
 「左兵衛様。お見事でございますな」。
 左兵衛の苦手な紀伊國屋文左衛門である。
 「紀伊國屋。その方、淡路守様にも取り入っておったのか」。
 「これは手厳しい。それが商人にございますれば」。
 紀伊国屋は、にこやかに笑う。
 「その方、知り合いであったか」。
 脇坂が問うが紀伊國屋はそれには答えず、
 「こちらの左兵衛様は、大変に肝の据わったお方にございますれば、手前は心酔しております」。
 にやりと左兵衛を見る。
 「紀伊國屋、もう良い。本日は時がないのじゃ。淡路守様、渚をお返しいただけますな」。
 「承知致した」。
 汐留の脇坂淡路守の上屋敷を後にした左兵衛らは、渚の住まいのある脇坂家中屋敷近くの四ッ目錦糸掘のへと急いだ。
 まだ肩で息をする一同を迎えたのは、脇坂家の用人を勤める渚の兄・慎之介。
 慎之介は玄関先に正座すると、
 「お通しすることはできませぬ」。
 と、固く口を閉じる。その言葉に左兵衛はただならぬものを感じ、
 「新八郎行け」。
 とだけ言うと、すかさず慎之介の腕を捩じ上げるのだった。
 「渚殿、渚殿」。
 渚を探す新八郎、弥七郎、一学の声が響くがそう広くはない屋敷。すぐに声は嗚咽に変わる。
 「遅かったか」。
 左兵衛が唇を噛み締めると、
 「覚悟の上にございます」。
 慎之介が肩をがくりと落とし、両の手を床に付いて涙を零すのだった。
 奥座敷では、白装束の渚が守り刀で喉を突いたが死に切れず、新八郎に向かい、
 「介錯を」。
 とかすれるような声で小さく小さく呟いている。もはや手当も空しい。後は早く苦しみから解き放つことが残された者にできるのみ。介錯をすべきことは分かっていても、もはや新八郎は涙で前を見ることもままならない。
 「新八郎、何をしておる。渚の最期の頼みにあるぞ」。
 左兵衛の一喝に我に帰った新八郎は、もはや目には何者も写ってはいないだろう渚の肩を優しく抱き起こし、脇差しを胸に立てるのだった。
 そしてそのまま新八郎は、渚の温もりが消えるまで腕の中に抱き続け、左兵衛も時の過ぎるのを気にもせず見守るのであった。
 一時も過ぎたであろうか、ようやく涙も乾き渚を弔う手筈も整うと、慎之介が語り出した。
 身を汚しての奉公である。お役目を終えた折りには、自ら命を絶つことは当初からの渚の望みであったと。そして兄の介錯を由よしなかったのは、脇坂家との関わりなきこととするためだった。
 吉良家を辞したのも脇坂から相談を受けた、慎之介の命によるものであった。
 輿入れの話など最初からない、死への宿下がりだったのだ。





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水波の如し~忠臣蔵余話~ 56 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月14日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 呉服橋御門内の吉良邸では、こと次第に浅尾が怯えている。
 「若様、このようなことを…」。
 「もう二度とせぬ。義父上にも義母上にも申すでないぞ」。
 「あのようなことを申し上げますれば、浅尾が叱られるだけでは済みませぬ」。
 浅尾を下がらせると同時に新八郎が戻って来た。
 「渚殿は寺社奉行・脇坂淡路守安禎様のお屋敷に入りました。どうやら密偵として延命寺に出入りしている様子にございます」。
 事実を知った新八郎の落胆振りは、もはや誰の目にも明らかであった。
 「脇坂淡路守様であられるか。淡路守様は弁舌爽やか、押し出しも良く、将軍家の覚え目出たいお方と聞き及んでおる」。
 寺社奉行所の動きがないことに、左兵衛は将軍家の厳秘として闇に葬られることになるのではと疑念を抱いていたが、その奉行自らが調べを進めているとは意外であった。
 「一学、その方の調べは如何であった」。
 「はい。客殿に運び込まれました長持ちの中からは、奥女中が出て参りました」。
 「なに…なんと」。
 寸の間、誰の口からも溜め息ひとつ溢れなかった。
 「どなたであられた。名は分かったか」。
 「はい。江戸城大奥中臈・新村様にございます。相手は、日晃。ほかにも年寄・瀬山様、数名の僧侶がおり申した」。
 「左様であるか。由々しきことなれど、じゃが証がないのう」。
 左兵衛は、またも目を瞑り腕を組むと、時を忘れて考えに耽る。
 「若様、確かではございませぬが、ふと大堂を見て思うたことがありまする。かの宗派の本尊は法主直筆の曼荼羅にございますれば、その曼荼羅の前に金色の不動明王、藍染明王が置かれ肝心の曼荼羅が隠されていたことが気に掛かります」。
 (よもや寺院の本尊に手を掛ける者はいるまいて。これは、もしやすると)。
 左兵衛が「再度参るとしよう」と告げると、一学が、「それには及びませぬ。なあに相手は生臭坊主、それがし今宵忍び込んで参ります」。
 その言葉どおり、一学は懐に分厚い書き付けを入れていた。
 一読した左兵衛は、自分でも血の気が引くのが分かるくらいに、そこには将軍家は元より数多の大名家奥女中の名と寄進物が記されていた。そして、小さな文字で寺を訪れた日にちと、相手をしたであろう僧侶の名も御丁寧に。
 「急ぎ参る」。
 向かった先は、汐留の寺社奉行・脇坂淡路守安禎の上屋敷である。
 「なに、吉良左兵衛殿が当屋敷へ」。
 面識のない左兵衛の訪問は、脇坂にとって意外なことである。
 「御自らか」。
 目を丸くする脇坂の傍らで、
 「ほう、左兵衛様がお出ましですか」。
 こう不敵な笑みを浮かべるのは…。
 「淡路守様にはお初にお目にかかります。吉良左兵衛義周、谷中延命寺の一件の証を携えて参った次第にございます」。
 左兵衛は脇坂に寺への寄進物、出入りの合った奥女中の名前、そして加持祈祷と称した淫行の証拠を差し出し、更には己が証人となって延命寺の手口を話したのだ。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 55 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月13日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 境内には、既に先客ありとばかりに黒塗りの長持ちが奥に運び込まれる。
 (妙じゃな。寺への寄進なれば本尊の前に差し出すものを。やはり僧への金品か)。
 左兵衛に声を掛けてきたのは、先日の日晃とは違う老僧だった。
 「これはお女中、初めてとお見受け致しますが」。
 「はい。こちらの評判を耳にして、こうして御寄進に参った次第にございます」。
 左兵衛は切り餅を差し出した。目を見張る老僧は、大僧正の日敬と名乗り、いかにもうやうやしく受け取ると、「本日は説法などお聞かせしましょう」と、ありきたりの説法を終えた。思った通り、中に通されたのは左兵衛と浅尾のみ。一学は外で待たされた。
 「御坊様、御坊様がお美智の方様のお父上様にございましょうか」。
 「左様。お女中も大奥の方であられようか」。
 「いえ、わたくしは御門内でございまする」。
 御門内と聞いて、「すわ御三家、御三卿か」と解釈をした日敬は僧に似つかわしくない笑みを讃え、左兵衛と浅尾を大堂から客殿にある茶室へと案内するのだった。
 寺は大堂を手前に、左右に羽を広げたように回廊が続き、その奥には客殿、宿坊などがあると思われた。そして大堂奥には本殿、御廟所が北に繋がる。この大きさでは全てを調べるのは難しい。
 一学には予め、外から長持ちを追わせている。
 「御坊様、御祈祷の霊験新たかと耳にしております。御祈祷を受けさせていただくには如何すればよろしいのでしょう」。
 左兵衛は本題を切り出した。
 「そうでございますな。まずは御信心にございます」。
 「御信心でございますか」。
 「はい。あなた様の御信心のほどを、御寄進にて現していただくことでございましょう」。
 (やはり金品か。下衆な)。
 その時、茶室に一人の僧侶が姿を現した。見れば役者と見まごう日晃とはまた違い、こちらは美少年。陰間のようでもある。
 「倅の日抄にございます。お気に召されましたかな」。
 日敬はまたもとうてい僧とは思えない、下品な笑みを口元に讃えていた。
 一方、門前では期待に反して渚を見掛けてしまった新八郎と弥七郎。渚は頬を紅潮させ足早に門を出る。遥か後方にはあの日晃の姿が…全てを理解した二人。
 「これは思うておる以上のことが行われておるようじゃ。渚殿はそれがしが追う故、弥七郎は若様のお側を離れぬように」。
 新八郎はそう言い残すと、陰になり渚の後を追うのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 54 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月12日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 左兵衛一行が帰ろうと踵を返すと、その前をすっと横切る江戸紫のお高祖頭巾の奥女中の姿があった。思えば日晃はその奥女中を出迎えに来ていたところを、左兵衛たちと出くわしたのだろう。
 「お待ちしておりました」と、日晃はそれまでとは違い、にこやかに大堂前でその奥女中を両の手を広げて迎え入れるのだった。
 僧と信者とは思えないくらいに、近しい距離で縺れ合うかのごとく姿を消した二人の背に向かい、
 「渚殿…」。
 新八郎の呟きが、左兵衛、弥七郎を振り向かせた。 
 「将軍家奥向きの者も参っておったが、堂に通されるのは女だけである。どうやらきな臭い寺であることに間違いはないようじゃな」。
 普段、気を荒げることのない左兵衛だったが、日晃を思い浮かべると自ずと剣呑な思いにさせられる。反対に新八郎は、出仕しても心ここに非ずの日が続いていた。
 「新八郎、気に病むな。お高祖頭巾で顔を覆っておったのだぞ。未だ渚殿と決まった訳ではない。考えてもみろ、あの寺にいたのは皆奥女中。見間違えということもあろう。見間違えどころか誰が誰やら分からぬくらいだ」。
 そんな弥七郎の声がどこまで耳に届いているのか、新八郎は小さく「ああ」。と言うのみである。
 「さて下調べは付いた。今度は表から乗り込むとしようかのう」。
 左兵衛は、「渚が関わっているなら尚更のこと」と、早急な調べを要すると感じていたのだ。
 「新八郎…、いや、良い。弥七郎。浅尾と一学をこれへ」。
 浅尾は、左兵衛の養母・富子の侍女。清水一学は三河の農民の出ながら富子が見初め士分に取り立て召し抱えた切れ者である。
 左兵衛はまず、両名に固く口止めを言い渡して後、浅尾に侍女の着物の着付を、同じく一学には供を申し付けた。
 「若様、何をなされようというのでございましょう」。
 浅尾もただごとではないと察するが、
 「何も聞かず、余を奥女中に仕立て上げれば良いのじゃ」。
 「若様、若様は細面のお綺麗なお顔立ち故、女子としても通じましょうが奥女中が必要でしたら、この浅尾がお役に立ちます故、どうかお控えください」。
 左兵衛はにんまりと浅尾に優しい笑みを向け、「女子には荷の重いこと。案ずるには及ばず。いざとなれば余が男であることを示せば良いことじゃ。余興だと思い早う」。
 しかし、浅尾は「若様を危ない目に合わせる訳には参りませぬ。どうか浅尾めを」と言って聞かない。
 ここまで言われると、屋敷に残してことの次第を義父母に話されては面倒だ。左兵衛は浅尾の同行も認める代わりに己をも奥女中姿に変装させた。
 「若様、御髪はいかがいたしましょう。前髪はございまするが、若様の御髪では結い上げるのはご無理かと」。
 「頭巾を被れば良かろう。頭巾の上から女子髷に見えるよう細工せよ」。
 これを見ていた一学は、
 「若様、それがしは如何すればよろしいのでしょう」。
 己も女に変身させられるのか、気が気でない一学がついに口を開く。
 「そうじゃっ忘れておった。そなたは余の供をするだけで良い」。
 「供と申しますと…侍女にございますか」。
 一学のいつにないおどおどした仕草に、左兵衛は声を荒げて笑い、
 「その方が女子になどなっても似つかわぬではないか。そのまま供侍として同行するのじゃ」。
 「若様、お待ちくだされ。我らは」。
 弥七郎が口を挟む。
 「新八郎も弥七郎も顔を見られておる故、この度は無用じゃ」。
 すると、ようやく口を開いた新八郎が、
 「この件に関しましては、ただ見ているには辛ろうございます。お供を」。
 それならばと左兵衛は、新八郎、弥七郎を谷中延命寺の総門前に隠れさせ、「渚が通ったなら後を付け、どこぞの屋敷に入るのか確かめよ」。そう命じ、浅尾、一学に伴われ延命寺へと向かったのである。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 53 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月11日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「駄目じゃ駄目じゃ。このような装束では駄目じゃ。もちっと使い込んだ薄汚れたものはないのか」。
 逆ならいざ知らず、おかしなことを言うものだと新八郎も弥七郎も頭を抱えるが、
 「その方らも長屋を探して参れ」。
 吉良家のように高禄の旗本家は、屋敷の周囲を武家長屋が囲み家臣はこちらで寝起きしている。
 「しかし若様、当家にそのような身なりの卑しい者はおりませぬ」。
 浮かぬ顔で、首を捻りながらも立ち上がる新八郎と弥七郎に、
 「その方たちの物もであるぞ」。
 左兵衛の声が飛んだ。
 どうにかこうにか見つけ出した、紺木綿の羽織は紋がくすみ、袴の襞もなくなりかけた草臥れよう。新八郎、弥七郎でさえ袖を通すのを憚られるような代物だったが、左兵衛は、「うむ」とさすがに指先でつまんではいたが、目をぎゅっと瞑って一気に袖を通すのだった。そして、髷を太く結い直させる。
 「若様、我らにも分かるように御説明ください」。
 新八郎、弥七郎は野暮な身なりに承諾し兼ねると顔に書いてあるかのようだ。
 「良いか、これより我らは、去る大名家の家臣じゃ。この度江戸詰めになったばかり故、江戸のことは知らぬのじゃ。分かったな」。
 呉服橋御門内から延命寺のある谷中までは、上野の山を越えて幾分北になるため、隅田川を猪牙船で日本堤まで行き、後は歩いて上野を超えることにした。
 谷中は、上野東叡山寛永寺が建立したことで、次々と寺社仏閣の移転、建立があり一面の畑がいつの間にやら雨後の竹の子のごとく右も左も寺社仏閣という有様である。
 延命寺が近付くに連れ、噂通り奥女中風の一行や、長持ちを担いだ中間などで辺りは一気に華やかになっていった。
 「噂以上であるな」。
 そんな中で、いかにも野暮ったい田舎侍三人は嫌が応にも浮き上がってしまう。
 延命寺境内では、奥女中数人の姿と寄進の品であろうか、大きな長持ちが寺社内に運ばれて行く。その紋章は、
 「将軍家からであるか。御側室の御実家であれば然もありなん」。
 または単身、お高祖頭巾で顔を隠し小走りに去る女の姿もある。
 「妙であるな。女子の姿しかあらぬではないか」。
 左兵衛たちが寺社内に一歩足を踏み入れようとしたその時、
 「お待ちください」。
 仁王門の陰にから、左兵衛たちを見張っていたかのような声がする。
 「自坊に御用でございますかな」。
 振り返れば、年の頃は三十歳前後の男盛り、見目は役者に勝る美男子。剃髪でなければ、それとは思えないばかりの僧だった。
 「こちらの評判を耳にし、御祈祷を授かりたく参りもうした」。
 僧は、その整った顔からは想像難い悪意に満ちた表情で、左兵衛たちを上から下まで舐め回すように見ると、
 「左様でございますか。ですが見ての通り御祈祷、御説法を望まれるお方が多ございますれば、まずは御寄進いただきました上でのこと次第になります」。
 「ほう、これは否。寄進次第とな」。
 「神仏のお力にお縋りするには、その証となる物が必要にございます」。
 「神仏の御加護も金次第とな」。
 左兵衛がこう言うと、僧は更に憎々しい表情に侮蔑の笑みを浮かべ、
 「これは失礼いたしました。拙僧は僧正を務めます日晃にございます。して、あなた様方はどちらの御家中でござましょうか」。
 「それがしは、この度殿の参勤により国表から参った者。用人の畑山にございます」。
 左兵衛は、敢えて大名家の名を出さなかったが、日晃がそれ以上の詮索をしなかったところをみると、家禄の高くない田舎侍であることは十分に伝わったようだった。
 「左様でございますか。今後とも御信心なされますよう」。
 日晃はこれみよがしに胸の前で合掌をすると、軽く頭を足れ大堂へと足を向けるのだった。
 何が起きるのか予想だにしていなかった新八郎、弥七郎がことの次第を知ったのは、全てが終わってからである。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 52 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月10日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「谷中の延命寺って知ってるかい」。
 「ああ、上様の御側室、お美智の方様の御実家であろう」。
 「さすが、弥七郎。話が早ええや。その延命寺に参拝される奥女中と坊さんの間によからぬ噂があってさ」。
 「読売りが番所に引き立てられたのは、延命寺と関係あるのか」。
 「だからよ、延命寺を調べようと忍び込んだところを見付かっちまったのさ。それでもその場は逃げ帰ったんだが、翌朝に八丁堀の旦那が目明かしと乗り込んで来てよ。寝ぼけたまんまお縄さ」。
 「いや、延命寺であったな。しかも上様御側室の御実家ともなれば、まずは寺社奉行に話がいくであろう」。
 「確かに、そうでございますな。しかし若様、町人長屋の者を縄目に掛けるのは、やはり定町廻りの同心でございましょう」。
 新八郎の言葉に弥七郎も心太も頷くが、左兵衛は如何にも不思議そうに、また腕を組んで目を瞑り考えを始めていた。
 「そうだよ。八丁堀の旦那が木戸が開く前に来なすったのさ。与力様が直々に指揮を取ってなすった」。
 「何、読売りひとりを縄目に掛けるのに、同心のみならず与力まで出ばったのか」。
 新八郎、弥七郎も驚くのだった。
 「随分と念の入ったことよ」。
 その物々しさに左兵衛も呆れる。
 「恐らくは、延命寺の名を公に曝さぬため、同心では心許ないと、言い含められた与力が参ったのであろう」。
 「ちょいと待っておくれよ。若様、おいらにも分かるように話してくださいな」。
 「与力に圧力を掛けられる御仁の差し金ってことさ」。
 新八郎が答える。
 「まあ冤罪だろうな」。
 「弥七郎さん、冤罪って」。
 「偽りの罪を作り上げるということだ。その読売りは叩けば誇りの出る身体か」。
 弥七郎の問いに、一度は首を傾げたが、
 「読売のためならどんなことだってするが、お天道様に見られてまずいことはしちゃいねえ…と思うけどな。何せ売り歩くだけじゃなくて、ねたを木版摺りに彫らせてたくれえだから」。
 「しからば気に止むことなかろう。直に解き放しになるであろう」。
 数日の後、左兵衛が言ったとおりに、読売りは戻されたが、向こう半年の読売発行を禁ずるとの裁きが下され、読売りはすっかり悄気て商売替えを考えていると心太が告げた。
 「罪状は何であったのだ」。
 「それがおいらにも、当の本人にも分からねえんだがよ。寺社仏閣を読売にすることは禁ずとは言われたらしいや」。
 「そもそも、読売はいい加減なことばかりではないか。役人も何を目くじら立てているのやら」。
 弥七郎の言い分は最もである。
 「罪状も定かでないとは…脅しであろう」。
 「若様、脅しって一体何がなんです」。
 「将軍家御側室の御実家が、公になっては拙いことでもあるのやも知れぬ」。
 その言葉が終わるや否や、
 「若様、ことは将軍家にも関わります。今回ばかりはお控えください」。
 新八郎の声は、心太が思わず飛び上がらんばかりの大きさだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 51 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月09日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 弥七郎は、縁組みが流れたのではないかと感じていた。だが、口に出すのも憚られることだけに黙っていたが、そこに新八郎が、
 「渚殿は今何をしておられる」。
 唐突に聞き入ってしまう。
 「新八郎は無骨故」。
 弥七郎は気が気ではないが、実は己も気にはなっているのだ。渚は屋敷でも評判の器量良しで、若い家臣たちの関心を集めるほどだった。渚が嫁ぐと聞いて、やけ酒を煽った者も少なくはない。新八郎もそのひと人であった。
 「はい。去る御大名の奥向きに勤めております」。
 「なれば当家に戻ってはどうじゃ」。
 藤波も、渚の身に良くないことが起きたのだと直感していた。
 「御心配には及びませぬ。許嫁のお家に不幸がございまして、一周忌が開けるまで祝言が伸びただけにございます」。
 だが、その一年の間、大名家に奉公に上がるのも腑に落ちない。そんな藤波や新八郎を察したのであろう、渚は、
 「当家は微禄にございまして、兄上様のお役に立ちますればと思うてのことにございます」。
 「ならば慣れた吉良家に戻れば良かろうものを」と、藤波は頻りに嘆くが、「後少しにございますれば」。渚はにこりと笑顔を見せた。
 別れ難く藤波は何度も、「困ったことがあれば何時、如何なる時も訪ねて参れ」と、渚の手を握り別れを惜しむのだった。
 小走りに去る渚の後ろ姿に、何故か言うに言われぬものを感じていたのは新八郎だけではなかったかも知れない。
 「祝言が間近というに、もの悲しそうな女子じゃのう」。
 「左様にございますな」。
 左兵衛の呟きに頷く藤波であった。
 
 「蝉が五月蝿うなりましたな」。
 降るような蝉の声が、嫌が応にも夏の暑さを運んでくる季節である。
 ひとり黙々と絵を描く左兵衛の傍らで、新八郎、弥七郎が、「暑気払いをしたいものだ」と言い合っていると、またも心太がやって来たが、この日はいつもと様子が違う。
 「どうした心太、今日は読売はないのか」。
 弥七郎がからかうように言っても、反応は鈍い。
 「それがよ、読売は差し止めになっちまったんだ」。
 「差し止めとな」。
 「ああ、読売りは番所に引っ立てられるし、長屋も隅から隅まで調べられたって話さ」。
 「大方御政道を、批判する記事でも書いたのであろう」。
 左兵衛は、「この太平の世なれば、批判されるは生類憐れみの令であろうか」。そう思っていた。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 50 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月08日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「若様、藤波は息が止まる思いにございました」。
 帰路に着く、乗り物に乗ろうとする瞬間まで藤波は小言を止めない。
 「やれやれ、とんだ芝居見物になりましたな」。
 そう言う新八郎に、心太が、
 「そうかい、おいらは芝居よりも若様の方が面白かったぜ」。
 直ぐに弥七郎に拳骨を食らうのだが、左兵衛たちはすっかりいつもの四人に戻り日本橋通を歩いていた。
 「若様、このまま茶屋にでも寄りましょうよ」。
 心太が言い出す。
 「左様であるな。一息付きたいものよのう」。
 「若様、今回ばかりは大人しく屋敷に戻りませぬと藤波様、高野様が黙っておりますまい」。
 弥七郎が左兵衛と心太を制した時、乗り物の中から藤波が、「止めよ」。と声を掛けるもので、企みが聞かれたかとぎくりとした左兵衛だったが、意に反し藤波は、
 「渚ではないか」。
 横を通り過ぎた、ひと人の武家風の女子に声を掛けたのだ。不意に名を呼ばれた女子は、辺りを見回すと黒塗りの乗り物に中の藤波より先に、
 「これは新八郎様、お久しゅうございます」。
 新八郎に声を返す。そして、直ぐ横の弥七郎とにも同様に懐かしそうに挨拶を交わすと、
 「藤波様、高野様。このような場でお珍しい」。
 「渚、如何しておるのじゃ」。
 藤波が親しそうに声を掛けたのは二十二、三歳の雛菊のように可憐な娘である。どうにも先ほどまでの奥女中とそう変わらぬ風体ではあるが品がある。
 (皆、見知っておるようであるが誰であろう)。
 左兵衛が不思議そうにしているのを、
 「つい先年まで、当家に仕えておりました者にございます。下働きでしたので若様がご存じないのも当然にございましょう」。
 「宿下がりをしたのか」。
 「はい。縁組みが整ったように聞いております」。
 藤波はそう答えるが、左兵衛には不思議であった。嫁いだ女子は歯に鉄漿を塗るのが普通であり、子を産めば眉を剃る。だが、渚はどこから見ても嫁入り前である。
 「じゃが、奥女中のように見えるが」。
 「左様にございますな」。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 49 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月07日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 そこには酔いの回った木島が、更に色香を放ちながら一瞥を送り、そのまままた盃を口元に運んでいた。
 「貴様、武士の頭に酒をかけて許されると思うておるのか」。
 見ればその侍は頭から肩にかけて濡れている。どうやら二階席で溢れた酒をそのまま浴びたようであった。
 「そこへなおれ」。
 侍は刀の鍔に手を充てがい、上桟敷への階段を上らんとする勢い。
 左兵衛は新八郎、弥七郎に目で合図を送るが、先刻から奥女中たちの傍若を好ましく思っていなかった二人は腰を上げようとはしない。
 それならばと左兵衛自らが出向くと、さすがに重い腰を上げた新八郎、弥七郎である。
 「その方、このような場で無粋な真似は止められよ」。
 左兵衛は、侍の行く手を塞ぐように立ちはだかるのだった。
 「武士が頭から、酒を浴びさせられては黙ってはおれぬ。どかれよ」。
 「あの者たちは、江戸城の奥にて奉公し、こうして市中に出ることも侭ならぬと聞いておる。久方ぶりの芝居見物に羽目を外したのであろう。大目に見てはいただけぬか」。
 「庇立てするなら」。 
 侍はそう言うと鞘から鍔を抜くかちりという音がする。左兵衛は、致し方なしとばかりに深く息を吸うと、近くにあった酒を頭上に掲げ、自ら己の頭に零し出した。呆気にとられたのは、侍二人ばかりではない。追い付いた新八郎、弥七郎も「若様」と、思わず声を上げるほどの早急さ。下桟敷では藤波が表情を強張らせ、高野に至っては気を失ってしまった。
 「これでも収まらぬとあれば致し方ない。お相手いたそう」。
 左兵衛が刀の鍔に手を充てがった瞬間、土間から、「よっ、日本一」と威勢の良い声が掛かると、あちらこちらから同様に「日本一」。そして拍手が沸き起こる。舞台上で呆気にとられていた役者も、正座をし三つ指付いて左兵衛に礼をしている。
 その光景の前に件の侍は顔色を変え、「分かり申した」。そうとだけ言うと、山村座を逃げるように去って行くのだった。
 新八郎、弥七郎は慌てて手拭いで左兵衛を拭くが、
 「席に戻れば、藤波にこってり叱られるだろうのう」。
 暢気な左兵衛である。案の定こってり叱られたのは、左兵衛だけではなく、新八郎、弥七郎も同様であった。
 しばらくすると、座元の山村吉右衛門が現れ、
 「お二階の木島様が、先ほどのお礼を申し上げたいそうにございます。どうぞこちらへ」。
 そう促すが、
 「礼には及ばぬ。静かに芝居を観ることができればそれで良い」。 
 左兵衛は断るが、山村も手ぶらで木島の元には戻れないのであろう。再三に渡り、二階へと勧める。
 「ならば木島とやらに申せ。礼を申すに呼び付けるとは言語道断」。





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水波の如し~忠臣蔵余話~ 48 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月06日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「何も申される」。
 新八郎が厳しい口調で、一歩も引かずの態度を見せるのを左兵衛は、「将軍家の御紋じゃ」。と押し止めると、
 「これは失礼つかまつりました。御身分のあるお方とお見受け致すしまするが、寸の間であります故お待ちいただきとうございます」。
 左兵衛が直々に片膝ついての挨拶であるが、女中は、「ならず」と認めないばかりか、「大奥お年寄の木島様にあられる。場を開けよ」と、捲し立てる始末。致し方ないとばかりに左兵衛は藤波、高野の乗り物を脇に寄せさせると、憮然とする家臣たちを控えさせ木島なる者に頭を垂れるのだった。
 「若様、若様があのようなたかが奥女中に頭を下げるとは、藤波は悲しゅうございます」。
 「藤波、泣くでない。大奥の年寄と申せば表の老中にも匹敵するお役目と聞き及ぶ。致仕方あるまいに。それよりも折角の芝居見物じゃ。楽しまれよ」。
 すると、乗り物から現れた木島が左兵衛たちの前に歩み出て、
 「女中の無礼は、主人の我が身を思うてのこと。御無礼をお許しくださいませ。吉良殿」。
 そううやうやしく頭を下げるではないか。
 「これは、如何に」。
 「丸に二つ引の御家紋。してこの御立派な設えは吉良殿にございましょう」。
 (やはり、江戸城を取り仕切るほどの女子は洞察力もある)。
 そう感じた左兵衛だった。
 「恐れ入ります」。
 見上げた木島は柔らかな笑みを讃え、白百合のように清楚に見えた。
 大奥では将軍御台所、側室に代わり奥女中が徳川家菩提寺である芝増上寺、上野東叡山寛永寺への代参が広く行われている。そして日頃、城外へ出ることも侭ならない奥女中の、こうした芝居見物も公然の許しを得ていたのだ。
 だが、上席とされる二階の上桟敷は木島一行の貸し切りとあり、左兵衛たちは一階の下桟敷に案内された。こちらも気に入らない新八郎、弥七郎。藤波、高野に至っては口をぎゅっと固く締め、悔し涙を堪えているようでもある。
 (やれやれ、面倒なことになった)。
 左兵衛は困惑の面持ちだった。対照的なのは心太である。庶民の土間よりずっと上席の桟敷に興奮を隠し切れず、また、大奥女中たちの艶やかさに目を奪われていた。
 「新八郎さん、弥七郎。大奥のお女中ってのは綺麗なもんだ。いい匂いまでする」。
 そう言われると、新八郎、弥七郎の鼻の下も伸びるというもの。
 幕が上がっても奥女中たちの騒ぎは一向に収まらないどころか、酒も入り芝居見物などどこへやら。宴を催しているかのようである。
 「これでは役者も気の毒な」。
 先ほどから嫌でも耳に入る奥女中の笑い声や大きな声に藤波、高野は眉をしかめる一方。
 「左様であるな。では日を改めるとして我らは屋敷に戻るとしよう」。
 左兵衛がそう言い出した時、騒ぎが起きたのだった。
 芝居の途中にも関わらず、土間席から二人の侍が、「無礼者」と言うや否や立ち上がり、上桟敷の木島に目を向ける。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 47 蝉時雨(せみしぐれ)

2012年10月05日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「若様、知ってますかい。山村座でかかってる助六。市川団十郎の芝居が面白れえってもっぱらの評判でさ」。
 いつものように読売片手に、呉服橋御門内の吉良邸に入り込んでいるのは、一石橋を北に裏河岸を抜けた宝町通りの一本東、安針町の豆腐屋の倅・心太である。
 「確か曾我物の花館愛護櫻であったな」。
 こう答えるのは、吉良家の跡継ぎの左兵衛義周。
 「なんでえ若様、もう観ちまったのかい」。
 「いや、観てはおらぬが評判は聞き及んでおる」。
 「だったらさ…」。
 心太が言い掛けたところを、後ろから羽交い締めにして左兵衛から離したのは、左兵衛の実家である米沢藩上杉家から従って来た近習の山吉新八郎盛侍。
 「これ、若様にまた良からぬことを申すでない」。
 叱るのは、同じく上杉家からの近習の新貝弥七郎安村である。
 「芝居か…一度観てみたいものよのう。のう新八郎、弥七郎」。
 左兵衛は、二人を促すが、面持ちは、「またも面倒に巻き込まれては適わない」とばかりに双方目を下に反らす。
 その様子に業を煮やした左兵衛。
 「その方らは芝居に興味がないと見える。供をさせるのも気の毒である故、心太と参るとしよう」。
 「若様、何もお供をしたくないと申してはおりませぬ。ただ、殿や奥方様が何と申しますやら」。
 「若様、行かれるなら殿のお許しを得てからにしてくださませ」。
 まさか警護もなしに左兵衛を市中に出す訳にもいかず、新八郎、弥七郎はやや機嫌の悪くなった左兵衛に食い下がった。
 「ならば」と左兵衛が義母の富子にことの次第を告げると、富子の中臈・藤波、高野も「同行したい」と申し出る。
 こちらの二名も富子の輿入れの際、上杉から付き従った者たちである。
 左兵衛、新八郎、弥七郎、心太、そして藤波、高野が供をするとなれば、中臈付きの女中も加わっての大所帯にもなる。それでは市中での自由は味わえないと左兵衛は渋い顔になるが、「奥勤めの身では、そう自由に芝居も見物できませぬ故」。富子とほぼ同じ年頃の藤波に、こう言われては断ることもできず、左兵衛は山村座へと向かうのだった。それでも左兵衛は己は乗り物に乗るのを良しとせず、三つ紋の綿の羽織に袴姿で、供侍を装っていた。
 気ままな町歩きではなく、中臈二人の乗り物を設えての仰々しさになった一行が、木挽町の山村座の前に着いた時に一悶着が起きたのだった。
 吉良家の中臈二人が乗り物から下りようとした正にその時、同じように塗りの乗り物が一挺、百人にも及ぶ供を従え山村座に着けられると、女中の一人が左兵衛たちに向かい、「この場を早々に去るように」と厳しい口調で申し付けたのだった。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 46 空蝉(うつせみ)

2012年10月04日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「何でも紀伊国屋さんが、高尾太夫の遺骸を引き取って供養なすったってそうでさあ」。
 数日後、心太は、江戸っ子の心意気と胸を張っていたが、
 (あの紀伊国屋が、増々見損なっていたということか)。
 左兵衛は改めてそう思うのだった。 
 「新八郎、弥七郎、参るぞ」。
 「若様どちらへ」。
 「決まっておる。心太の話を聞いたではないか。高尾の墓前じゃ」。
 「若様、そのような酔狂はお止めください」。
 新八郎、弥七郎の制止空しく、左兵衛は、
 「女子の身で大名家に一歩も引かなかった。その心意気をそちたちは分からぬのか。遊女になるにはそれ相応の訳があったであろう。だが、遊女だからと格下に据えるのは驕りというものじゃ」。
 いつになく左兵衛は厳しい口調で新八郎、弥七郎に向かった。
 渋々供をする新八郎、弥七郎。先刻、あまりにも熱を帯びた言葉を発したことを恥じた左兵衛は、
 「余は、高尾に遊郭での心意気を教えて貰うた。肝の据わった女子であった故、焼香のひとつでもしたいと思うたまでじゃ。そなたたちが案ずるようなことではない」。
 恥ずかしそうに、そう言うのである。
 左兵衛たちが高尾が葬られているといわれる、日本橋箱崎町の稲荷神社の鳥居を潜ると、そこには見慣れぬ無骨な町人が涙ながらに墓前に香を供えている。ふと左兵衛たちの気配に振り向くと、そこには一筋の涙の後があった。
 左兵衛は直感で、「この男だ」。そう感じていた。
 「その方が高尾と言い交わした御仁であるか」。
 男は一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが、
 「あなた様も高尾太夫の縁の方でございますか。わたしには、高尾太夫を身請けできるだけの財力もなく、成す術もございませんでした」。
 男は、私財を投げ打って高尾の元に通ったが、それも数度で金子が尽き、今は店も手放し明日からは生きる術もないと言う。それでもその数度が人生の全てであったと。悔いはないと。
 「して、そなたはこれから如何されるのじゃ」。
 「高尾太夫亡き今、生きる意味もございません。この身はここで終わらせ、来世で高尾太夫にお会いしとうございます」。
 「馬鹿な」。左兵衛がそう言おうとしたその時、見知らぬ声が場を切諌する。
 「高尾は遊び目。己が人生を分かっておる。そこにその方のような、堅気の者を巻き込みたくなかったとは思わぬのか。大名家の囲われ者になれば、郭の病いで命を落とすこともなかろう。嫌な客を取ることもない。それでも、いつかまたそなたと会える。いや、会えんでも添える日があれば幸いと郭で生きていくことを望んだ遊女の心意気を汲み取れ」。
 最もな意見に左兵衛は、名乗りを挙げた。
 「これは吉良様。荻生徂徠にございます。失礼ながら先ほどより伺わせていただいており、思わず口を挟んでしまった次第。お許しくだされ」。
 「あなた様が荻生先生でございましたか」。
 左兵衛はこの出会いに嬉しさを隠せなかった。だが、 
荻生は左兵衛よりもかの男に関心があるようで、
 「良いか、御政道が全て正しい訳ではない。それでも甘んじて受けねばならぬことはある。見ればその方はまだ若い。やり直すのじゃ。大名だ町屋だと言うても如何にもし難いことを恨むより、己が与えられた生を全うすることである。高尾も屈するを好まず己を通したのである。仇を討とうなどとは考えるでないぞ」。
 左兵衛は、
 「荻生先生、空蝉とは如何介錯なされまするか」。
 問答のような言葉を荻生に投げ掛けた。
 「そうよのう。抜け殻と取るにはちと空しい。人の生涯に例えるなら、はかなきものではないであろうか」。
 そう言い残して去る荻生に左兵衛は頭を足れていた。この荻生徂徠とは、後に赤穂浪士の討ち入りによる幕府の裁定に、多くの幕臣が浪士の助命を進言する中、「浅野内匠頭長矩は殿中での法度を破り刃傷沙汰に及んだ故の切腹。吉良上野介義央に遺恨を抱き仇討ちなどはなはだおかしなこと。これは夜襲にあって仇討ちに非ず」と、赤穂浪士の切腹を断行したその人である。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 45 空蝉(うつせみ)

2012年10月03日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 将軍家に仕える学者を町屋風情がといった幾分自嘲した面持ちで新八郎が言うと、それに気付いた心太は、
 「ああ。荻生先生はほんのちっと前まで、増上寺の側で学問を教えてなすったが、貧しくてな。おいらの叔父さんが売れ残りの豆腐を持って行ってたんだ。だからおいらもこれでも荻生先生の学問所で学んだんだぜ」。
 これには左兵衛始め、新八郎も弥七郎も驚いた。
 「荻生徂徠は如何申されたのじゃ」。
 「無礼討ちならいざ知らず、己の意にそぐわないとだけの殺生にて世間を騒がすは正義に非ず。庶民の手本になるべき大名家がこのような失態を於かすとは言語道断。厳罰をもってしかるべきってね」。
 左兵衛は感慨に身を震わせる思いだった。
 「お見事」。
 「だがよ、所詮は公正ではないのさ。隠居でことは終わっちまったよ」。
 心太は如何にも残念そうだが、
 (されど、そのような御仁がおれば幕府も満更でない)。
 そう思って止まない左兵衛だった。
 「それにしても、つい先達ても百人斬りがあったばかりだってえのに、色里で遊ぶのも怖えもんだ」。
 心太が口にした百人斬りとは、左兵衛が紀伊国屋に招かれて吉原の茶屋でいた時に起きた事件のことらしかった。
 「その百人斬りとは一体どういうことだ」。
 新八郎が聞くと、遊女の八橋の元に足繁く通っていた下野国佐野の百姓・小松原次郎左衛門が、八橋のすげない態度に逆上し、六十人を殺傷した事件であることを心太は語り出す。
 「まあ六十人ではあっても、百人斬りの方が華やかなんで百人斬りって言われてるのさ」。
 「左様か。だが、百姓が六十人もを殺められるのもか」。
 「分からねえが、その日は、何でも紀伊国屋の旦那が吉原を総揚げにしてて、番所の男衆は大門で客を追い返すことに手を焼いてたんで、忍び込んだ次郎左衛門が遣手や遊女や下働きの爺さんなんかを斬ったって話で」。
 (見たところ、殺傷されたのは四、五人のようであったが、話はこうして膨らむものなのか)。
 左兵衛は幾分、噂の怖さを感じていた。
 「して、その次郎左衛門にはどのような裁きが下されたのじゃ」。
 「小塚原で磔獄門になったって聞いてるけどな」。
 「相手の遊女は如何した」。
 「それが、六十人もを斬るくれえに男を惚れさせるってんでもう大人気でさあ。そのうちに、太夫になるんじゃないかい」。
 高尾の言ったとおりだった。
 「しかし、哀れな話よのう。男とは、色里の魔物に見入られる者なのか」。
 「若様、なに言ってるんで」。



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