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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

水波の如し~忠臣蔵余話~ 74 寒雷(かんらい)

2012年11月01日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「奥女中が今度は、お城の牢の中で心の臓の病いでぽっくり逝っちまったらしい」。
 「心太、いつ参ったのじゃ」。
 呉服橋御門内の吉良邸に本日も沸いて出て来たかのような、裏河岸を抜けた宝町通りにほど近い安針町の豆腐屋の息子・心太である。吉良家の世継ぎである左兵衛義周の問いには答えず、
 「それと、あの中村ってえ御徒衆も乱心したってえんで、蟄居閉門だってことさ」。
 「また読売か」。
 新八郎と弥七郎は些かうんざりしていた。
 「ここんとこ、お城の側で切腹やら髪切りやらの騒動があっただろ。だから大奥や、お侍のおかしな話を書けば、読売が売れるのさ」。
 それだけを伝えると、すでに心太の関心は新たな出来事へと向かっているかのようだった。
 「どうした心太、腰が落ち着かないようだが」。
 「いいや。何でもねえ。じゃあ若様、おいら店があるんで失礼します」。
 「忙しないやつだな」。
 心太は風のように走って行くのだった。
 心太の関心が他所になら、こちら左兵衛の関心も非ぬ所に向いていた。
 日を改め、左兵衛が向かったのは、養父母の吉良上野介義央と富子の元である。
 「義父上、義母上。左兵衛、お願いの義があり参りました」。
 願いの義と聞いて、富子は眉を上げる。後ろに控える新八郎、弥七郎の口元にも力が入る。
 「何じゃ。左兵衛殿が強請るなど珍しいではないか。申してみよ」。
 これまでのことを全く知らされていない上野介だけは、可愛い孫の申し出に目尻を下げるのだった。
 「はい。御領地を一度この目で見とうございます」。
 「何と、三河をとな」。
 「はい。恥ずかしながら左兵衛は当家の領地のこと、民百姓の暮らしぶり、何も知りませぬ故、この目で見とうございます」。
 「左兵衛殿、この義は成りませぬ」。
 富子は立ち上がらんばかりの勢いである。
 「上野や猿若町などとは話が違います。三河など遠過ぎます」。
 普段滅多に声を張り上げることのない富子だけに、上野介も驚きに目を白黒させるが、「上野や猿若町とは何じゃ」。と聞いても誰もが口を噤む。
 「中々のお心掛けではあるが、左兵衛殿が参られるとあれば行列を仕立てなければならぬ故、その支度にしばらくは掛かろうというものじゃ」。
 当主らしい最もな意見である。
 「義父上、行列は要りませぬ。ここに控えます新八郎、弥七郎と参る所存」。
 ここまで言い掛けたが、それを遮ったのは富子であった。
 「新八郎、弥七郎。その方らは左兵衛殿の守役でもあるのじゃ。如何にお宥めできぬのじゃ」。
 矛先が新八郎、弥七郎に及び、二人は平伏したまま微動だにできなくなっていた。
 「義母上様、これは左兵衛ひと人の考えにあれば、この者たちをお叱りくださりますな」。
 平伏の侭胸を撫で下ろす新八郎、弥七郎であった。
 「良いか左兵衛殿。そなたはいずれこの吉良家の当主になる身ですぞ。それが伴二人と三河まで旅をするなど危険極まりない。万が一、そのようなことになれば、この義母は毎夜眠ることすら覚束くまいて。年老いた義母の頼みです」。
 富子にこう言われてしまえば、もう諦めるしかない。そもそも、無茶な話であることは左兵衛自身も重々に心得ているのだ。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 73 霜降(そうこう)

2012年10月31日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 一方、土屋直々の取り調べを受けた相撲取りは、これといったことも知らず、また、ことを荒立てたくない幕閣の進言で放免されたのだった。その相撲取りを哀れんだ左兵衛が内々に預かり受けたのである。
 「しかし、こうも飯を食われては、幾ら焚いても追い付かぬと賄い方が嘆いております」。
 「そうようの。だが新八郎、当家でこの者を召し抱える訳にもいくまい。早う、奉公先を見付けねば」。
 「若様、如何でしょう。ここは紀伊国屋に一肌脱いでいただくというのは」。
 弥七郎の言い出しに、
 「これは妙案。紀伊国屋であれば顔も広うこざいますれば、こやつを抱えてくださる大名家も見付かるかと」。
 新八郎のぽんと膝を叩いて、大飯ぐらいを追い出せると喜ぶが、左兵衛の表情は浮かない。
 「されど、この者の身は不憫ではあるが、罪を侵した者が大名家で禄を食むというのはいかがなものであろう」。
 これには、新八郎、弥七郎共に感服し言葉がない。
 「その方、国元へ戻る気はないのか」。
 弥七郎が未だ飯を食べ続ける相撲取りに問い掛けると、寸の間箸を止めると、身体が大きい割には役に立たずで、飯ばかり食うので嫌われていると言う。親兄弟も、相撲取りとして家から出て行ったくれたことで厄介払いが出来たと、国に戻っても会おうともしないと言う。
 「左様であろうのう」。
 一同納得するしかない。
 意を決したのか左兵衛は突如立ち上がると、
 「やはり紀伊国屋じゃ」。
 そう言い、八丁堀の邸宅に紀伊国屋文左衛門を訪ね、伴った相撲取りの仕事先を面倒見て欲しいと頼むのだった。
 「でしたらどこぞのお大名に推挙いたしましょう」。
 そう言う紀伊国屋に、
 「いや、そうではない。その方であれば、荷担ぎやらの力仕事を存じているかと思うて参った。できれば江戸から離れた所をお世話いただけぬであろうか」。
 深々と頭を下げる左兵衛に、訳ありを感じた紀伊国屋は黙って、
 「でしたら手前どもの国元に木を切り出す仕事がありますので、そちらはいかがでしょう」。
 こうして相撲取りは紀州へと旅立って行った。
 「若様、あやつがいなくなってほっとはしておりますが、しかしあやつの放免が随分早かったように思われます」。
 「余もそう思うておった。その後、大奥女中が罰せられた話も聞かぬ。相模守様を持ってしても大奥には手が出せなんだということであろう。何事も都合の悪いことはいつの間にやらあやふやになってしまうものよ」。
 左兵衛は深い溜め息を洩らす。殺された奥女中も、見てはならぬものを見たことからその命を散らすことになったのだろうが、その場で殺めず、宿下がりをさせ、一度命を救ったと見せ掛け、愛する男に因果を含めて殺めさせるといった手口に、左兵衛は女の残忍さを見せ付けられた思いでいた。
 「延命寺の件といい、この度のことといい、瀬山、新村とはしぶとい女子のようですな」。
 「大奥とは怖い所にありますな」。
 新八郎、弥七郎も身震いするような思いは同様である。
 「大奥とは、凍った露か、または冷たい霜のような心を持たぬと生きては行けぬようじゃ」。
 秋も一段と深まり朝霜を見る日もある季節。
 (大奥という所は、心に霜降を降らせた者の何と多きことか)。
 左兵衛は、人の闇を嘆くのだった。
 この大掛かりな木島失脚の筋書きを描いた瀬山、新村の思惑通りにことは進み、年寄・木島は、山村座の看板役者・初島新三郎の密会をでっち上げられ、山村座は廃座の上、座長の山村吉右衛門、初島新三郎らは遠島、木島は信濃高遠藩内藤家へのお預け、その兄の薄井又右衛門は斬首、弟の飯島総慶は重追放という厳しい処置が下されるのだった。
 だが処分はこれだけには留まらず、大奥御殿医、幕府呉服師、材木商やその身内なども遠島になるなど、千五百にも及ぶ者が罰せられる幕府始まって以来の大事件となる。
 側室・お美智の方とお喜久の方の勢力争いが生んだ悲劇であった。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 72 霜降(そうこう)

2012年10月30日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 吉良家用人の清水一学が、ひとりの男の腕を背に捩じ上げるように己の前を歩かせていた。
 「中村半蔵にございます。こやつが奥女中殺しを吐きましてございます」。
 「いずれは旗本に取り上げる」と出世を餌に、奥女中の口封じを申し出たのは目の前の桔梗。その折り、「後ろ盾には大奥お年寄の瀬山様がおられる故、安堵せい」とも語ったと言う。
 「ではその女中が、命を奪われるほどの大事を見たのか話してもらおうか」。
 左兵衛が詰め寄るが、桔梗は逆に左兵衛を睨むのみ。
 「ならばそこの相撲取り。その方に問うが、その方が見知っているのはこの桔梗と申す者だけか」。
 「桔梗様じゃか。それも知らねがった」。
 相撲取りはそれこそ、何も知らされずに使われていたらしい。
 「したばって、こいだげは大事さ取ってあるのすう。良い匂いがしたもはんで」。
 相撲取りが懐から出したのは紫の袱紗だった。桔梗がつい袱紗の侭、金子を繰るんで渡したそれを後生大事に取って置いたのだと言う。
 「ほう。袱紗の持ち主を探り当てるに大して手間はかかりますまい。ここに焚かれた香の主を探れば良いまで。これは大した証拠になりますな」。
 左兵衛は桔梗の目の前に袱紗を突き出すと、直ぐに、「証拠の品にございます」と、男に袱紗を手渡した。
 「してこの者三名は如何致しまするか」。
 「老中主席の土屋相模守政直様にお渡し致しお裁きを」。
 「相模守様にございますか」。
 岡っ引き、同心、与力、代官、目付をひとっ飛びにして老中とは無茶な話であると、左兵衛はもちろん新八郎、弥七郎も驚くが、男は、
 「番所などに渡せば裏から手が回り、不問に処されるか、この者たちの口を封じるかが関の山でございますれば、直接御老中にお届け致す。ですが何故それがしのお力添えを」。
 「当家の者がここで髪を切られました故。ただそれだけにございます」。
 左兵衛はそう言うと、弥七郎に桔梗の引き渡しを促した。
  
 「若様、それでこの男をどうするおつもりですか」。
 目の前で丼飯を山盛りかき込む相撲取りに、新八郎が呆れ顔でいる。
 「そうようの。気の毒であった故、余が預かったのはいいが、如何したものかと思案しておるところじゃ」。
 桔梗を引き渡した後、三人組の男のひと人が、
 「木島の兄・薄井又右衛門にございます」。
 と名乗りを挙げていた。そもそもは下級陪臣だったところ、木島の出世に伴い旗本に取り上げられたのだった。妹の失脚がすなわち己の身を滅ぼすことを重々心得、自ら妹の汚名を晴らすべくの行動だった。
 薄井は桔梗と相撲取りを生き証人に、更には動かぬ証拠の品として袱紗を土屋に差し出した。だが、桔梗はその晩のうちに、江戸城内の牢にて何者かに毒殺されて果てる。
 御徒衆の中村は、痴情の縺れによる町娘殺害と、髪切り事件とは切り離され、小伝馬町に繋がれた後、沙汰が下されるらしい。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 71 霜降(そうこう)

2012年10月29日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 男が言うには、己は、陸奥南部藩御抱えの力士だったが、領地が飢饉に見舞われたがため、藩の財政難で相撲どころではくなり江戸参勤中に暇を出されてしまったと言う。
 暇を出されたものの、右も左も分からぬ江戸では直ぐに食い詰め途方に暮れ、寺社の軒下で寝泊まりしていたところを目の前の女に声を掛けられ、言われるがままにこうして金子を稼いでいたとのことだった。
 「悪りごどだどは分かってたが、腹が減って腹が減って仕方がながった」。
 そう言うなり、大きな身体を小刻みに振るわせ涙を零すのだ。
 「命まで奪うはんではね。ただ言われたごどばすれば金子が貰えらんだ言われますたぁ」。
 「さて、そちらのお女中。そろそろ訳を話してもらおう」。
 三人組の男にそう問われると、顔を横に向け中々に太々しい。男は、女の顔を片手で掴み前を向かせるが、見るからに口を割らせるのは至難の業と思わせる顔付である。
 「なれば、こちちらから申そうではないか。桔梗殿」。
 桔梗、そう呼ばれた瞬間、女の顔は屈もった。男は、桔梗が年寄・瀬山の部屋子であることを述べた後、木島を陥れる策であろうだろうと詰め寄る。
 「当初は、平川御門前で騒動を起こし、木島様の到着を遅れさせ、門限を破らせる魂胆であったのであろう」。 
 だが、そう巧く行列にかち合うようにはいかず、平川御門近くで女子の悲鳴を上げさせ、巧くいけばその女子が御門番に助けを求める。そして御門が手薄になった隙に木島が戻れば、門限の刻限を破る為の木島の策だと幕閣に思い込ませることができる。
 それが男の見解だった。
 「随分と手の込んだ話でございますな。されど長持ちの件とは重なりますまい」。
 左兵衛の申し出に、男は面倒なといった表情を見せた。左兵衛は男に代わり桔梗に、
 「木島様が、長持ちに役者を忍ばせて城内で密会をしているとの噂を広めるためか」。
 それとて、今正に御門前で騒ぎが起きているとなれば、御門での改めは通常よりは甘くなる。
 「御改めの役人が見れば、中を改めずとも空だということが分かってしまう故であろう。そして、もう一つ気が付いたのだが、騒動が起きた日なれば、誰もがしっかりと記憶をしていようというものだ」。
 事件は木島の代参の日、木島の長持ちが運び込まれた日と左兵衛も聞いていた。
 「桔梗とやら、どうじゃ。ここで洗いざらい話し、罪を認められては」。
 左兵衛は穏やかな口調で諭すが、桔梗は頑として唇を固く噛んだままである。ようやくその口が開いたかと思うと、
 「何を証に」。
 とだけ吐き捨てるのだった。
 「証ならここに」。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 70 霜降(そうこう)

2012年10月28日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 木島が代参に出たその夕刻。左兵衛たちは平川御門近くに潜んで待った。
 すると、見慣れぬ侍三名が同じように松の陰に潜んでいる。
 「若様、怪しゅうございますな」。
 新八郎も弥七郎も先刻からその男たちに気付いていた。
 「間もなく門限の暮れ六つにございます」。
 それより寸の間の後、左兵衛たちの前方の三名の男が動いた。見れば、大きな男の背がある。そしてその男に隠れ全く姿は見えないが、前に何かを抱え込んでいるかのようでもある。
 三人の男は大男の背後から迫り、大刀を抜くと、ここで初めて声を上げた。
 「その方が髪切りの下手人であるか」。
 後ろから刃を突き付けられた大男は、右手の合口を、そのまま抱え込んでいた女中の髪から喉元にずらすと、双方寸の狂いも刃傷沙汰になる状況に陥った。
 「これは一体」。
 状況が良く読めない弥七郎に、
 「弥七郎、左じゃ。左の女を取り押さえよ」。
 左兵衛に言われるまま弥七郎が左前方に目をやると、お高祖頭巾の女が走り去ろうとするところである。女子の足とでは比べ物にならず、程なくして弥七郎は女の前に立ちはだかり、守り刀を抜こうとするその右手を払うと後ろ手に腕を捩じ上げた。
 一方の三名の男に刃を突き付けられた大男は、当初こそ抵抗を見せようとしたものの、それも続かず直ぐに合口を放り投げると抱え込んでいた女を放し、「お許しけろ」と、その図体に似合わない情けない声を上げる。
 逃げたお高祖頭巾の女を同道した左兵衛たちに、三名の男たちは刃を向けるが、
 「待たれよ。御心配召されるな。怪しい者ではない。まずはその男に話を伺いたい。こちらの話はそれからじゃ。如何であろう」。
 左兵衛の堂々とした態度に、中の一人が、
 「見れば、こやつの仲間を捕らえてくださった由。左様、まずはこやつに詳細を聞くとしよう」。
 そのやり取りの最中、平川御門が開き木島一行が帰着を果たす。すると、お高祖頭巾の女は片方の唇を上げ、ちっと舌を鳴らすのだった。
 「どうやら失敗したようじゃ」。
 「どういうことだ」。
 弥七郎の問いには答えず、女は黙り込んでしまった。だが、大男へのきつい眼差しは変わらない。その目で見見詰められすっかり萎縮した大男もまた口を開くことができないでいるのだった。
 「言わぬなら番所に引き渡すまで。ささ、参ろう」。
 三人組の一人がそう言い、歩き出そうと大男を促す。
 「待ってけろ。何だば話しますはんで、役人さ引き渡すのだげは勘弁すてけろ」。
 大男の懇願に、
 「黙りゃ、この役立たずが」。
 女の一喝が静かな堀の外に響き渡った。





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水波の如し~忠臣蔵余話~ 69 霜降(そうこう)

2012年10月27日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 心太の住まいは表店である。店先の土間と板の間。その奥には六畳の座敷、二階にも座敷が二間あった。下長屋の庶民の暮らしを初めて目の当たりにしたのだ。 
 娘の骸の側の、酒臭い息の父親らしき男が嗚咽しながらも、左兵衛たちに剣呑な表情を向け、
 「お前らもあいつの仲間か」。
 しわがれた声でそう言い放つのだった。
 「あいつとは如何に」。
 新八郎が問い質すと、娘は昨晩、大奥勤めに際し養女となった御徒衆に、宿下がりの詫びを言いに行くと言って長屋を出た切り、こうして骸となって戻って来た。これはその御徒衆に殺されたに違いないと言うのだった。
 新八郎は、己らは決してその者とは関わりない身。娘の死の真相を調べていると告げ、父親を納得させようとするも、「役人だってろくに調べちゃいねえ」。と新八郎たちを追い返そうとする。
 拉致が開かぬとばかりに左兵衛は、弥七郎に娘の父親を動けぬように押さえ付けさせると、ずかずかと骸に近付き、その首筋を改めるのだった。
 「これは人の手によって絞められた後に、木に吊るされたと見える」。
 案の定、娘が首を括ったとされる寺社の銀杏の木の下には、幾人かの草履のあとが残っていた。
 左兵衛は心太に弥平を通し、娘が最後に会ったと思われる件の御徒衆を探させていた。
 「若様、中村ってえ侍だそうです。あのお女中のおとっつあんってえのが、酒癖が悪くてちっとも働かねえんで、娘が大奥に上がったらしいんですが、そんでも大工の娘じゃ身分が低いってんで、その中村様の養女の身分になったそうですが」。
 「だが、養女となるにしては、御徒衆とはまたこちらも身分が低過ぎはせぬか」。
 「左様。だが、あの父では養女となる支度金も払えまい」。
 「するとやはり恋仲というのが妥当であるな」。
 新八郎と弥七郎の会話に、左兵衛はただただ聞き入っていた。
 「大奥の女中になるにはそのような絡繰りがあるのか。では、高禄の者の養女となった方が出世も早いのか」。
 「左様にございます。本来なれば旗本か御家人の娘に限られておりますため、町屋の娘は金子を払い、養女となった上で参ります。ですが、御徒衆の養女とあっては、最下級の御末から。せいぜい出世しても御三之間辺りまで、とうてい上様のお目見えは適いませぬ」。
 「弥七郎待て、大奥とはそのように位があるものなのか。同じ女中ではないのか」。
 「若様、大奥のお女中には二十以上ものお役目ってもんがあるんですぜい。おいらだって知ってらあ」。
 「では木島様のように御年寄になるお方とは、全く違うのか」。
 「はい。端から違っております。木島様辺りですれば、御鍵口辺りからだと」。
 左兵衛には頭の中に、白塗り化粧の大奥の女たちが渦を巻き出したくらいに、複雑な構成で、とうてい覚え切れるものではなかった。
 「世の中、金次第ってことさ」。
 心太が言うが、
 「いや、大奥に限っては、いちに引き、二に運、三に器量と言うてな」。
 妙に詳しい弥七郎に、左兵衛は脇息にもたれ掛かり呆気に取られるのだった。
 「ところで、その中村と申す御徒衆と娘は、如何にして知り合ったのであろう」。
 「あっ若様。それも調べてありますぜ」。
 中村家の屋敷の手直しに娘の父親が出向いた折り、何かの拍子で娘と知り合ったが、中村が娘を見初めたということだった。
 「その中村と申す者に話を聞かぬことには始まらぬな。そうであろう、新八郎。のう弥七郎」。
 だが二人は俯きながら、鋭い視線を心太に向け、返事をしようとはしないのだった。ようやく口を開いた弥七郎は、
 「木島様失脚の台本なれば、やはり危のうございます」。
 「そのことは心得ておる。大奥の権力争いに関わるつもりはない。じゃが、髪切りの犯人を見付け出すことは城の御門外のこと」。
 左兵衛はそうだけ言うと固く唇を噛み締めた。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 68 霜降(そうこう)

2012年10月26日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「髪を切った者は、後ろからそなたを押さえ込んだのであったな」。
 「はい」。
 「その折りに気が付かれたことはあるか」。
 「特には…」。
 左兵衛は新八郎に絹の後ろに立ち、羽交い締めにするように命じた。
 「御免」。
 新八郎は戸惑いながらも絹を後ろから抱き抱える。すると、新八郎の刀の柄が絹の腰に当たる。
 「いえ、大小は差しておらなんだと思いまするが、大層力が強く、片手で口を塞がれました」。
 少なくとも、二人は関与している。だがそれが誰なのか、何故なのかが課題となった左兵衛である。
 (だが、金子や命を奪わぬことや、気を失わせぬところをみると、騒ぎを起こすのが目当てではなかろうか)。
 
 「若様、大変だ」。
 「なんだ心太、騒がしい」。
 「それが、例の勾引しにあったってえお女中が首を括ったってさ」。
 「一夜行く方知れずとなり、縁の下から現れた時には記憶が消えていた女中か」。
 弥七郎はそう言いながらも、「どうして心太が知っている」。と結んでいた。
 「日本橋近くの元大工町の大工の娘でさ。おいらの棒手振り仲間の弥平が話してたんだが、宿下がりをして帰って来たその晩に、首を括ったんだってさ」。
 奥女中の中でも最下級のお末であった娘は、身分卑しさから、御家人御徒衆の養女としての奉公だった。
 その手配をした御徒衆と恋仲だったとも心太は言う。
 「それが、わざわざ常磐稲荷まで行って銀杏の木にぶら下がったんだってさ」。
 「それは何時のことじゃ」。
 「今朝、弥平が話してたから、昨夜じゃないかな。昨日は何も言ってなかったし」。
 心太が話し終えるや否や、新八郎と弥七郎が危惧することとなった。
 「参るぞ」。
 左兵衛の鶴の一声である。
 そこは、これまで見たことのない裏長屋。わずか半間の間口の家には一間の土間に四畳半の座敷のみ。吉良邸の厠くらいな所に幾人もが住んでいることが、左兵衛には理解でき兼ねるほどの貧相さ。
 「新八郎、弥七郎。余は世の中を未だ知らなんだ。町屋の暮らしとはこのようなものなのか」。
 左兵衛は眉間に皺を寄せ悲痛な面持ちである。
 「江戸のほとんどの者は、このような暮らし向きにございます」。
 「御政道は間違ってはおらぬのであろうか」。
 「若様、お言葉が過ぎまする」。
 「されど、余は我が身が恥ずかしい。余は産まれながらに大名の子であった故、衣食住に難儀を感じたことはないが、もしやこのように町屋に産まれていたやも知れぬ。人は勤めや役割が違っても、もっと等しくなくてはならぬのではないか」。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 67 霜降(そうこう)

2012年10月25日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「淡路守様、代参とはそう頻繁に行われるものでございましょうか」。
 すると脇坂は更に言いづらそうに重い口調になる。
 「それがのう、実は…代参のほかに城に長持ちが運び込まれる時にも髪切りが起こるのじゃ…」。
 「長持ちですと」。
 左兵衛、脇坂共に延命寺の一件で大奥女中が長持の中に身を隠し、寺に入り込んでの淫蕩が未だ記憶に新しい。
 「その長持ちはどなた様のお道具でしょう」。
 「お年寄の木島様じゃ」。
 「では木島様の関与があると」。
 「それは分からぬが、髪切りも木島様の代参の折りのみ。ほかのお年寄や中臈の時には何事もないのじゃ」。
 左兵衛も脇坂も心の奥で、大奥内の政治が関与しているのではないか。そう感じていた。
 左兵衛が脇坂から聞いた大奥の政治力は、将軍最愛の側室だったお美智の方が先の延命寺の一件で失脚し、そのお美智の方側近の年寄が瀬山、中臈の新村。長持に忍んで延命寺で淫蕩を尽くした者である。そしてお美智の方の後ろ盾には綱吉気に入りの大老格・柳沢出羽守保明(後の美濃守吉保)。
 一方の年寄・木島は、世継ぎを産んだ側室・お喜久の方に長年仕え、大奥総取締役の最高権力者であること。そしてこちらは老中主席の土屋相模守政直が後見人であった。
 「木島様のお道具とは何でございましょう」。
 左兵衛は脇坂に問うていたが、
 「さすがに木島様のお道具を改めることは憚られるとみえる。更に不可思議なのは、当の木島様は長持ちなど知らぬとお認めにならぬのじゃ」。
 「何ですと」。
 左兵衛の身体が前のめりになる。
 「木島様が、おとぼけになっていらっしゃるのであろうと噂されておるが、どうにも…」。
 脇坂もこの謎解きには難儀しているようだ。
 「そちたちはいかが思う」。
 脇坂の屋敷を後にし、左兵衛は新八郎、弥七郎の尋ねた。
 「確かに、木島様の代参の時にのみというのは妙にございますな」。
 新八郎は即答する。
 「誰ぞが木島様に罪を着せようとしておるかと思われます」。
 弥七郎も同調する。もちろん、左兵衛の考えも同じだ。だが、髪切りには結び付かないのだ。
 そこで左兵衛は被害を受けた絹を召した。
 未だ総髪のまま、まるで出家したかのような絹が若いだけに気の毒でならない。
 「その方を襲うたのは、如何なる者であったか覚えておろうか」。
 絹は大きく首を振り、
 「いきなり後ろから押さえ込まれまして、気が付きましたら元取りを落とされておりました」。
 唇を噛み締め、今にも涙が溢れそうである。
 「嫌なことを思い出せて相済まぬ」。
 左兵衛は、あまりにも痛々しい絹の姿にそう前置きをしながら、何か気が付いたことはないのかと問うていた。絹は遠い目をし思いを巡らせたのだろうか、
 「陽が暮れた時分にございました。帰りが遅うなりました故、わたくしも怖くて小走りに歩いておりました。するとお女中と声がしたような気がいたし、振り向いたところを後ろから切られたのでございます」。
 「すると呼んだ者の方を見た時に、ほかの者に切られたのじゃな。してその声の主は男か女か」。
 「低い声にございました。くぐもって聞き取り辛い」。
 絹は、「男のようでもあり、女のようでもあり」と、はっきりとはしなかったが、次第に思い出したのか、
 「女子にございましょうか。思うに声色を使い年寄りのような声ではありました」。
 これでははっきりとはしない。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 66 霜降(そうこう)

2012年10月24日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 吉良左兵衛義周が近習の山吉新八郎盛侍、新貝弥七郎安村を伴ったのは汐留の寺社奉行・脇坂淡路守安禎の上屋敷である。
 「これはまた左兵衛殿、お珍しい」。
 脇坂と左兵衛は先の延命寺の一件から、互いに深い信頼を寄せている。
 「寺社奉行の淡路守様におかれましては、お役目違いは重々承知の上ではございますが、巷を騒がせております、髪切りのことで何か御存じないかと、参上致しました次第にございます」。
 左兵衛の口上を全て聞くまでもなく、脇坂は左兵衛の訪問の目的をそう予想していた。
 だが、役目柄口は固い。のらりくらりとはぐらかすのに業を煮やした左兵衛が、
 「先日、当家の者が髪を切られもうした。捨て置く訳には参りませぬ。お教えいただけぬとあれば、我が手で下手人を探すといたします」。
 延命寺の件では左兵衛に借りのある脇坂である。ここまで言われたら話さない訳にはいかず、気まずそうに小声で語り出すのだった。
 「それがのう、事件が起きるのは決まって将軍家御側室の代参の日なのじゃ」。
 「代参にございますか」。
 御台所、側室に変わり奥女中が芝増上寺もしくは上野東叡山寛永寺の将軍家墓所への参詣である。その折り、普段は城外へ出ることができない奥女中の芝居見物などが大目に見られていたが、このところその派手さが江戸市中でも話題にあるほどであり、また延命寺の事件など風紀の乱れに表の役人も頭を悩ませていると言う。
 だが、相手は大奥年寄。表の老中にも勝る権力を握っている者も折り、そうそう改めさせることもできず、まずもって門限だけを厳しくしたのだが、それでも門限を破る者は後を絶たない。
 「淡路守様、その代参と髪切りとどのように繋がるのでしょう」。
 「まあ、左兵衛殿。先をお聞きなされ」。
 ある代参の日に、年寄・木島が門限を破ったとして入城を阻まれ、門外で一夜を明かすことを余儀なくされた。時の最高権力者である木島がこの仕打ちに黙って甘んじる訳もなく、早々に老中主席の土屋相模守政直に訴え出たことにより、木島の怒り収めるため土屋は、当日平川御門の門番だった足軽三名が家禄召し上げの上放逐された。
 「その者たちが、お役目を果たしたにも関わらず処罰を受けたことに異を唱え、平川御門前にて一死を持って抗議をしたのじゃ」。
 脇坂は深い溜め息を付つくと、眉間に深い皺を寄せた。
 「では、切腹騒動は片がついておるのでございますか」。
 「左様。髪切りの件とは別だと思うておる」。
 「代参の日に限ってとは、妙にございますね」。
 さすがに脇坂の前で腕を組んでの思案は憚られ、左兵衛は軽く握った拳を膝に乗せていたが、どうにもむずむずしていけない。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 65 待宵(よいまち)

2012年10月23日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 そんな時、風はひとつの悲鳴をも運んできた。大急ぎ声に向かい新八郎が走ると、奥女中の絹が中臈・高野の腕の中で泣き崩れている。目を凝らせば、なんと元結の辺りからすぱりと切れ、髷がなくなっている。
 「これは」。
 新八郎は側でおろおろする侍女の浅尾に聞いてみる。
 「上杉様へ使いに出しましたところ、桜田御門の辺りで何者かに切られた由」。
 「では、噂に聞く髪切りでありましょうか」。
 高野が無言で頷く。
 「屋敷が騒がしいようじゃが、何かあったのであろうか」。
 左兵衛に今しがた目にしたことを告げる新八郎である。
 このところ江戸城の周りでは、女の髪切りや原因不明の切腹が相次いでいると噂されていた。
 「何故の所存であろう」。
 左兵衛はいつものように目を瞑ると腕を組み、寸の間そのまま何も耳に入らなくなるのだった。
 そして目を開くと、
 「髪を切られるのは武家の女子だけか」。
 「そのように聞いております」。
 「して、腹を召すのはどのような者なのであろう」。
 切腹に関しては全く噂でしかなく、どこの家中の者なのか浪人なのかは元より、名も伝わっていないが、既に三名はいると噂されている。
 「腹を召した所も伝わっておらぬのか」。
 「確か平川御門近くだったかと」。
 新八郎は確かではないがと付け加えるが、
 「平川御門であれば、本丸大奥に近いのう」。
 左兵衛の声に反応するかのように、
 「大奥なら、つい先達てお女中がひと人が行方不明になったって話だぜ」。
 いつの間に座敷にまで上がり込んだのか心太だった。
 「大奥内での出来事は他出不問であろう。そのようなことをなぜ知っておるのだ」。
 弥七郎が少し怒ったかの口調なのは、「いい加減なことを若様の耳に入れるな」との思いからだ。
 「江戸っ子の口に、戸は立てられねえってね」。
 へへへと、鼻の下を右手の人差し指でこする。 
 「それでその女中は行方が知れぬのか」。
 「若様、それが妙なんで。次の日に縁の下からひょっこり現れたんだが、丸一日の記憶が飛んでたって話ですぜ」。
 「おいおい、心太。それは百物語の話であろう。まさか今頃、怪談もあるまい」。
 弥七郎の言葉に、「そう言えば、そんな気もする」と、心太は大笑い。
 「髪切り、切腹、かどわかしであるか。繋がらぬな」。
 「若様、繋げなくてもよろしいかと存じます」。
 新八郎は、左兵衛に躙り寄るが、
 「当家の者が髪を切られたのじゃ。捨て置けぬ」。
 左兵衛は口を固く結ぶのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 64 待宵(よいまち)

2012年10月22日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「我ら三名、何があろうと若様をお守りすると固く誓い合うたではないか。それをそなたは、我らにさえ何も告げず姿を隠したのだ。今更、今更…何をしに参った」。
 新八郎は、如何に出奔を余儀なくされたとはいえ、七年もの間、己にさえ消息を知らせなんだことが口惜しくて仕方ないのである。
 それでも朋友の元気な姿を見れば、込み上げる涙は押さえ切れず、涙を見せまいと顔を不自然に上に向けている。
 「だが、それでも良かった。良かったではないか新八郎。甚五右衛門がこうして無事なのだ」。
 一時は怒りもあったが、旧友との再会を素直に喜ぶ弥七郎は、膝にしっかりと置いた甚五右衛門の拳を握るのだった。
 「若様に一言お詫びを申したく、まかり通りましてございます」。
 「ん。良う参ってくれた。新八郎、村山甚五右衛門は死んだと申したな。さればここにおるのは毛利小平太じゃ。それだけのことじゃ。毛利小平太、ひとつだけ余と約定を交わしてはくれぬか。余は、その方がいのうなり悲しい思いをしたものじゃ。されど浅野様に仕官されたとなれば、再び主家を離れることはならぬ。生涯浅野様にお仕えせよ」。
 「若様。肝に銘じて」。
 甚五右衛門の去り際、新八郎は、甚五右衛門の両の親が健在であること、富子の尽力により親族に咎が及ばなんだことを告げた。
 ただひと人、取り次ぎの清水だけが、「どこかで見たような…」。と首を傾げていたが、左兵衛に、「御老体故、目も遠くなったのでありましょう」と一笑に付されるのだった。
 「やっぱり甚五右衛門さんだったのか」。
 「そうだ。だが今は播州赤穂藩浅野家に仕官なった毛利小平太元義だ。誰にも言うなよ、いいな心太」。
 「ああ、分かったよ弥七郎。だけど、勝手に若様のお側を離れたのに、どうしてみんな嬉しそうなんだい」。
 甚五右衛門の出奔の秘密は、心太も知らないくらいに、固く守られているのだった。
 弥七郎、心太も甚五右衛門の無事を喜んでいた。表向きには怒りを露にした新八郎さえもひと人になると、心の底からほっとした安堵の思いが押し寄せる。
 再会の際には、浅野家への仕官の経緯まで及ばず、かといい今後も気軽に会える間柄ではない。甚五右衛門の素性を恐らくは知らないであろう浅野家家中。そして小平太が甚五右衛門であると知られては拙い吉良家家中。
 (それでも無事が何よりだ)。
 新八郎は、雲ひとつない空を見上げ、頬を撫でる風に、
 (風とは木々の香りだけでなく、大切な思いも運んでくるものだ)。
 目を瞑り風を肌で感じ入っていた。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 63 待宵(よいまち)

2012年10月21日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 今から七年前。十七歳だった甚五右衛門は、去る旗本の嫡男と道場での手合わせから諍いとなり、待ち伏せをされた挙げ句に数名に襲い掛かられ、刃にて相手に手傷を負わせてしまっていた。
 「命に別状はございませなんだが、相手が旗本とあり、甚五右衛門はお家に迷惑を掛けられまいと、切腹を覚悟いたしました」。
 左兵衛は、無念そうに首を左右に振るとそもまま項垂れる。
 「評定所の裁定はいかがであったのじゃ」。
 「待ち伏せを良しとしなかった件の旗本が、届け出をせずに、甚五右衛門を差し出すようにを要求して参ったのでございます」。
 「それは無体な」。
 左兵衛の思いは、無念から歯痒さに代わり、その眉間には深い皺が刻まれる。
 「そこで奥方様が、甚五右衛門を出奔させました」。
 「義母上がか」。
 富子は、甚五右衛門切腹の書を件の旗本家へ届けさせると、その日の未明に甚五右衛門を屋敷から出したというのだった。
 「だが、そのような謀がまかり通ったのか」。
 「それがしが思うには、上杉様からの御助力もあったかと」。
 ようやく左兵衛は安堵の思いに胸を撫で下ろすが、まだ気になることがあった。
 「甚五右衛門はその後如何したのじゃ」。
 「奥方様に於かれましては、甚五右衛門には先行きの御心配もされておられましたが、甚五右衛門がこれ以上の御迷惑は掛けられまいと、その後は分からず仕舞いにございます」。
 「国元の親族は如何なったのじゃ」。
 「それは奥方様の広い御心にて、このことは我ら二名と奥方様、そしてごくわずかの奥方様がご信頼を寄せられます方々にのみしか知らぬことにございます。国元へは病死とのみ伝えました故、親族への咎めはございません」。
 「左様か。それは良かった。その者が浅野様に召し抱えられているとはのう。いずれにしても今は名も代えておるのじゃ。詮索は無用じゃ」。
 (甚五右衛門の涙の記憶はいつのものであったのか)。
 左兵衛は考えあぐねていた。
 「若様、表に若様を尋ねて毛利小平太元義と名乗る者が参っております。いくら身分を尋ねても答えませぬ。ただ若様にお目通り適えば分かると。いかがいたしましょう」。
 取り次ぎの清水団右衛門だった。
 「毛利小平太か。構わぬ通せ」。
 小平太は昨晩のことが気に掛かって眠れなかったのか、はたまた懺悔の涙のためか目を真っ赤に腫らせていた。その瞬間、左兵衛は、甚五右衛門が屋敷を去る朝、甚五右衛門に向かい、「何処に行くのじゃ。行っては嫌じゃ」と、泣きすがり、甚五右衛門もまた涙をぽろぽろと零しながら、抱き締められたことを思い出していた。
 「若様、お久しゅうございます。昨晩の御無礼お許しくださいませ」。
 そう言うのが精一杯で、後は言葉にならないくらいに嗚咽が続く。
 「甚五右衛門、屋敷に顔を出すなど危のうではないか」。
 新八郎は、懐かしさと共に富子への無礼になると言う。あまりにも厳しい物言いに、弥七郎が止める一幕もあった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 62 待宵(よいまち)

2012年10月20日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 そして二人は甚五右衛門と呼んだ男の前に走り寄り、両肩に手を置き、肩を揺するが、
 「人違いにござろう。それがしは毛利小平太元義と申す」。
 俯き正面を見せようとはしないその態度を訝しく感じるが、当人が違うと言うのなれば致し方ない。だがその名前にいささかの聞き覚えもあったのだった。
 「新八郎、弥七郎、止めよ。困られておるではないか。人違いのようじゃ」。
 二人を留めた左兵衛は、
 「されど、我が家中の者が見間違ごうほどに、甚五右衛門と申す者に似ておられる由。よろしければどちらの御家中かお教え願えませぬか」。
 そう甚五右衛門に目をやると、闇の中にも目が潤んで見える。
 (何故じゃ。この男は何者であるのか)。
 左兵衛の脳裏に遠い遠い昔の、泣き顔が重なった。
 (あれは確か余が七つか八つの頃か)。
 「これは名も名乗らず失礼申した」。
 その場の空気を察したのか、先ほどの男が一歩前に出て、
 「それがしは、播州赤穂藩浅野家家臣・礒貝十郎左衛門正久。この者は、同藩の毛利小平太元義にございます。して名乗りました上はそちらのお名前もお聞かせ願いたい」。
 左兵衛が名乗ろうとすると、
 「これは失礼いたしました。こちらは、吉良左兵衛義周様にございます。してそれがしは、臣下の山吉新八郎盛侍」。
 「同じく新貝弥七郎安村」。
 「吉良様でございましたか。これは失礼つかまつった」。
 礒貝の詫びに、同時に甚五右衛門も頭を下げ、双方が己が道へと別れて行った。
 (待宵やも知れぬな)。
 左兵衛はえも言われぬ懐かしさを感じていた。

 「若様、申し訳ありませんでした」。
 「心太、いやに神妙じゃのう」。
 「でも良いお侍で助かった。無礼討ちなんてことになったらどうしたもんかと、おいら震えちまった。だけど、あの小平太って侍、どう見ても甚五右衛門さんだよな。なっ、弥七郎もそう思うだろう」。
 弥七郎は何も答えなかった。
 「村山甚五右衛門とは、確か米沢から余の供として参った者ではなかったか」。
 一晩が明けると左兵衛は、村山甚五右衛門を確実に記憶の中に探り当てていた。
 「左様にございます」。
 新八郎、弥七郎が憮然と答える。
 「確かその方ら三名で、余の守りをしてくれていた筈であったが、いつ屋敷を下がったのやら覚えがないのじゃ」。
 「若様は幼うございました故、覚えがありませんでしょうが下がったのではありません。出奔にございます」。
 「出奔とな。それはいつのことじゃ」。
 「七年ほど前になります」。
 「何故、出奔するほどに我慢のならぬことがあったのであろうか」。
 新八郎、弥七郎共にこの時ばかりは大層口が重い。
 「話せ」。
 左兵衛にこう言われれば、黙っている訳にはいかないのだが、それでも、
 「若様のお耳に入れるようなことにございませぬ」。
 と、固く口を閉ざすのだった。こうなると気になるのが人の常である。
 「なれば義母上に聞いて参る」。
 左兵衛は二人の黙りに業を煮やし、苛立っている風を装う為に、わざと脇息を蹴飛ばし部屋を出ようとする。
 「分かり申した。御話致します故、お座りください」。
 新八郎は重い口を開くのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 61 待宵(よいまち)

2012年10月19日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 その男はひょいとこちらの舟を覗き込むと、
 「お連れの皆様、奈良屋茂左衛門にございます。手前の花火を楽しんでいただけましたでしょうか」。
 奈良屋も幕府の御用商人の材木商。紀伊国屋と並ぶ豪商である。
 「おお、見事であった」。
 「おや、淡路守様でございましたか。先の延命寺の一件お見事にございました」。
 脇坂は、大奥に手を付けられなかったことに満足はしていなかった。渚という犠牲を払っただけの結果を得られなかったのである。いささか困惑の表情を浮かべながらも、奈良屋に笑みを返すと紀伊国屋が口を挟んだ。
 「おい、奈良屋。お前さん、あの一発のために鍵屋の花火を買い占めたね」。
 「さすが、紀伊国屋さんだ。お見通しだねえ。一度切りの花火だからこそ綺麗だってことさね。何度も打たれちまったら価値も半減しちまうよ。さあ、やっとくれ」。
 奈良屋は「してやったり」とばかりに片眉を上げてにやりと笑うと、芸者や太鼓持ちの鳴らす三味線の音賑やかに舟を遠ざけて行った。
 と同時に船内に大きな笑い声が沸き起こる。
 「これは愉快。巷で名高い紀伊国屋と、奈良屋の放蕩合戦をこの目で見ることができるとは。のう左兵衛殿」。
 紀伊国屋は気まずそうに鬢に手をやり苦笑い。
 「お大尽ってのは、とてつもねえことを考えるもんだ」。
 心太の呟きが、更に笑いを誘った。 
 「左兵衛様、毎度とんでもないことになってしまいまして」と恐縮する紀伊国屋に、「いや、淡路守様同様、楽しゅうござった」。左兵衛は丁重に礼を述べると、「風に当たって帰りたい」と、紀伊国屋の見送りを辞し、新八郎、弥七郎、心太と歩き出した。
 「船遊びもいいけど、やっぱ若様とこうしてた方が気楽で良いや」。
 心太はようやく緊張が解けたのだろう。急にはしゃぎ出し、「若様、早く」と振り向いたところを、後方から来た侍に尻を当てる形でぶつかってしまった。
 どうやら心太には侍の刀の鞘が当たったらしく、「武士の命にぶつかった」と凄まれれば、手討ちも否めない。見る間に心太の顔色は血の気を引いていくのだった。
 「も、申し訳ござらぬ」。
 男と心太の間に割って入ろうとする弥七郎を左手で制した左兵衛は、ゆっくりと男に近付くと頭を下げた。
 「連れの者が失礼つかまつりました」。
 無言で男は刀の鍔に手を充てがう。左兵衛にも緊張が走った。
 「これのことにござろうか」。
 男が鍔に手を掛けたのは、単に刀を確認する為だったようである。
 「なれば気に止むことはない。こちらも話をしながら歩いておった。のう小平太」。
 男は別段怒った風もなく、穏やかな笑みを浮かべながら、「己にも非がある」と言うのだった。小平太と名前を呼ばれた男の方は、それまで一歩下がった暗がりにいたせいか誰も気に止めていなかったが、名を呼ばれ視線がそちらに向くと、急ぎ俯きがちに顔を伏せるが、それよりも早く、新八郎、弥七郎の声が飛んだ。
 「甚五右衛門、お主、甚五右衛門ではないか」。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 60 待宵(よいまち)

2012年10月18日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 幾分暑さも収まった夕刻。
 左兵衛たちは紀伊国屋が手配した屋形船で隅田川に出ていた。
 「おや、上野介様はお越しになりませなんだか」。
 紀伊国屋の言葉に、左兵衛は先刻での屋敷でのことを思い起こした。
 「義父上、お支度が整いました故、出立の御準備を」。
 左兵衛が声を掛かけると、
 「左兵衛殿か、それがのう。今し方綱憲殿よりお召しがあっての」。
 「上杉様からですか」。
 米沢上杉四代藩主・綱憲は、上野介、富子夫妻の実子であり左兵衛の実の親でもある。
 上野介は眉を八の字に下げ、いかにも残念そうである。
 「殿、綱憲殿が折角お招きくださいましたのですぞ」。
 富子はこう言いながら、左兵衛を見てくすりと笑みをこぼすのだった。そして、
 「殿が上杉に参ります故、一学を付けてやることはできぬ。左兵衛殿の供はその方ら二人じゃ。くれぐれも左兵衛殿を甘やかされるでないぞ」。
 新八郎、弥七郎を見た目は悪戯っぽく笑っていた。
 (義母上が、義父上を上杉に招かせる策を練ったのであろうか)。
 左兵衛は富子の心配りに、久し振りにお目付なしに羽を伸ばせるとほくそ笑むのだった。
 明暦の大火の後、両国橋が架けられたことにより隅田川の納涼はぐっと身近になり、特に新大橋と永代橋の丁度間から少し日本橋寄りの、三股から両国橋の間は庶民の憩の場ともいえる賑わいを見せていた。
 そして豪商や大名などは屋形船で隅田川に繰り出し、涼を得たことから、その屋形船目当てに餅、酒、冷やし瓜などを売る、うろうろ船と呼ばれる物売り舟も多く隅田川に浮かび、岸からの景観に華を添えるのだった。
 そんなうろうろ船の目玉は花火売りである。度重なる火災のため、幕府は隅田川以外での花火を禁じていたため、この花火だけが江戸の夏を彩る。
 紀伊国屋が仕立てた屋形船には、左兵衛、新八郎、弥七郎、心太。脇坂に、その供は渚の兄・慎之介ほか数名。そして紀伊国屋と手代が乗り込んでいた。ほかの舟のように芸者や遊女、太鼓持ちなどを乗せないのは、誰が言うでもなしに渚の死を思いやり、派手な遊びは控えたい思いからである。
 だが左兵衛は、目の前で酒を勧める紀伊国屋が、小判でも撒きだすのではと気が気ではない。紀伊国屋もまた別の意味で気が気ではないのだが、それは是非とも見せたかった今江戸で評判の鍵屋の花火を一向に売りに来ないことだった。 
 紀伊国屋は花火売りのうろうろ船を見付けると、身を乗り出し、
 「おい、鍵屋の花火を見せてくれないか」。
 大声で叫ぶが、
 「旦那、申し訳ねえ。鍵屋の花火は売り切れだ」。
 「何をお言いだい。まだ宵の口。しかも鍵屋の花火をついと見掛けないがねえ」。
 紀伊国屋は、「おかしなことだ」と、頻りに首を傾げる。
 「申し訳ございません。評判の鍵屋の花火を見ていただきたかったのですが」。
 鍵屋とはこの前年に、大和国から江戸に出て、葦の中に星を入れた玩具花火を売り出し、一躍名を馳せた花火職人の鍵屋弥兵衛のことである。打ち上げ花火までは後十五年待たなくてはならないが、それでもこの玩具花火はほかとは一線を画していた。
 そこへ、件の星の入った花火が煙や炎と共に闇を照らすと、両国橋の上からも、「鍵屋」と威勢の良い掛け声が続く。
 「おお、あれが鍵屋か。見事であるのう」。
 脇坂も満面の笑みで満悦だが、どうにも紀伊国屋は金子を出すことに関して負けたことがないだけに、唇の端を歪めた苦笑い。
 そして花火よりも、そちらの方が愉快な左兵衛だった。
 そこへ、芸者や遊女を屋根にまで乗せた派手な一艘が横付けするのだった。
 「これはこれは紀伊国屋さん。鍵屋の花火はいかがでしたかな」。
 紀伊国屋も金満家の顔付だが、こちらも負けずとも劣らない金満振り。そして紀伊国屋の顔から、さっと血の気が引くのが見ている側にも手に取るように分かるほど、互いの仲の悪さが伺えた。



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