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大江戸余話可笑白草紙

お江戸で繰り広げられる人間模様。不定期更新のフィクション小説集です。

水波の如し~忠臣蔵余話~ 89 寒雷(かんらい)

2012年11月16日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 左兵衛の合図で一学が急ぎ戻ると、既にこと切れた芳造の変わり果てた姿と、その傍らには、それまで何処にいたのか中屋の娘が、芳造の胸を貫いた刃を両の手で握り締めたまま、腰を抜かして座敷にしゃがみ込む姿があった。
 左兵衛は取って返すともはや罪人も亡き今、中屋のみに罪を問うても致し方あるまいと語ると、
 「本来であれば、庄屋の称号を返上し蟄居しても足りぬところであるが、娘を思うあまりの親心としてこの度だけは許すとしよう。じゃが、変わりにその方に新田開発を命ずる。私財を投げ打っても百姓のために尽くせ。娘御は如何に相手が極悪人とはいえ、人を殺めた罪は免れぬ。覚悟せよ」。
 だが、金目当てと薄々は分かっていても、それでも心のどこかでは男を信じたかった娘の、外れた箍が元に戻ることはなく、その目は宙を彷徨い夢うつつの中で生きているかのようでもある。
 本来であれば磔獄門は否めないが、心を煩った娘に、格別の配慮を願う左兵衛は、岡山陣屋城代の鈴井源吾に、「身体に受けた傷は何時かは癒えようが、心の傷は時を経ても癒えることはない」。そう嘆願を残し江戸へと旅経つのであった。
 
 「余も父上を見習い、新田開発や塩のための水路を作らなければのう」。
 左兵衛たちを乗せた菱垣廻船はすでに三浦半島に迫っていた。 
 「しかし若様には参ったぜ。あんな捕り物やっちまうとはさ」。
 心太は驚きを隠せない。
 「なあに、毎度のことさ。お前もそのうちに慣れるだろうよ。なあ新八郎」。
 「左様」。
 「毎度って何だよ。若様、毎度って…」。
 新八郎、弥七郎はただ笑っているだけである。
 「ですが、幾ら親の仇とはいえ、あそこまで惨いことができるなど、到底信じられませぬな」。
 「薬の知識は確かな様子。あの者も道を誤らねば、薬種のいい商いができましたでしょうに」。
 一同は、これもまた、運命に翻弄された者の哀れと嘆くのだった。
 「罪を犯す者も善良なる者も、元は水波であったというに」。
 ほんのわずかな掛け違いが、人を悪しき者へと変えてゆく。左兵衛は人の弱さを改めて知る思いだった。
 元禄十三年晦日。
 左兵衛は月を愛でていた。だがこの月も直に雲に隠れよう。遠くの闇にかすかに寒雷が聞こえている。
 「寒雷とは風流じゃ」。
 稲妻の閃光が光る。
 「新八郎、弥七郎。もう直ぐ年が明けるのう。次はどのような年になるであろう」。
 「この年は若様のお陰で、いささか忙しゅうございました故、静かに過ごしたいものです」。
 「それがしも、平穏無事に過ごしたいと思います」。
 「その方らは夢がないのう。余はまだまだ見たいものや、やりたいことなどあり過ぎて困る程じゃ」。
 三人はいつか必ず、「米沢で初日の出を見よう」と、誓うのだった。
 明けて元禄十四年。この年、左兵衛の耳に飛び込んできた最初の事件は、江戸城中に於いて、浅野内匠頭長矩による吉良上野介義央への刃傷。三月十四日のことである。
 そしてこれより二年足らずの元禄十五年十二月十五日未明。旧赤穂藩士により、吉良家は襲撃されるのである。 完


※「水波の如し~忠臣蔵余話~」本編はこれにて完結です。明日よりは、「水波の如し~外伝 風光る~」が始まります。
 運命の元禄十五年十二月十五日。その時…。吉良左兵衛義周、山吉新八郎盛侍、新貝弥七郎安村、清水一学義久始め、吉良家の人々は如何に戦ったのか。後に幕府が下した裁定は。上杉家の人々のその後は。
 そして、裏門隊に名まで連ねながら直前にて脱落。未だ真意は明らかでない、赤穂浪士最後の脱落者とされる毛利小平太元義のその謎とは…。
 左兵衛の朋友・心太の目を通して、討入りそしてその後を最期まで描きます。泉岳寺までの赤穂浪士の足跡や、彼らの切腹で終演を迎えたとお思いの方に、是非知って頂きたい討入り事件の結末です。
 本編を読んでいなくても、独立した物語になっておりますので、是非、吉良左兵衛義周の生涯を知ってください。

 注・左兵衛は、元服後、家督を相続してからの呼称であり、本編中は、左兵衛ではありませんが、外伝にあたり、混乱を避ける為に、敢えて左兵衛で統一させて頂きました。

 



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 88 寒雷(かんらい)

2012年11月15日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「芳造、その方の父御は町医者だったと聞くが」。
 これまで淡々としていた芳造の顔が急に曇る。
 (おや、父御のことには触れられたくないようじゃ)。
 左兵衛は、両の親が自刃して果てた訳を話せと、芳造に迫るが、芳造の重い口はまたもしっかりと結ばれたままである。
 「では話を変えよう。医者が薬を間違うことは良くあることなのか」。
 その時であった。膝の上でぎゅっと結んだ芳造の拳が、小刻みに震え出すと同時に、
 「ある訳がない」。
 大声と共に、芳造は思わず立ち上がっていた。寸の間、座敷には静寂が走る。すると、我に帰った芳造は、辺りを見回した後、ゆっくりと座すと、ついに観念したのか話し出したのだった。
 「父は慎重なお人でした。薬の調合を間違えるようなことはあろう筈もない」。
 芳造の父が名主に渡した薬は、沢井屋で求めたものだった。吉良庄の沢井屋には西国からの良い薬があると聞き、わざわざ足を運んで買い求めた品。
 だがその薬は、買い求めた物と中身が違い、使い方では劇薬となる代物だったのである。
 「それで沢井屋を恨んでおったのか」。
 左兵衛の言葉に、幾分青ざめた顔色の芳造は、ただ頷く。
 「その薬の中身が違うておったのは、沢井屋の手違い屋も知れぬが、それを確かめなんだその方の父とて」。
 左兵衛が言い掛けたその言葉を遮るかのように、
 「沢井屋は、その薬のことを闇に葬ったのだ」。
 薬の出所を調べるため、役人が沢井屋に出向いた時には、すでに件の薬は跡形もなく、芳造の父は責任を取るため、妻と共に、その薬を煽っていたのだった。
 ここまでを一気に話し、がっくりとうな垂れる芳造に、中屋が声を掛けた。
 「では端から沢井屋さんを殺めようとして、ここに来たのか。それで恨みを晴らした後は、店を自分の物にしようとしたのか」。
 頷く芳造だが、
 「だが、それは私利私欲からじゃねえ。間違った薬でもう人が不幸にならないためにだ。その証に沢井屋の金子には手を付けちゃいねえ」。
 左兵衛の片眉がぴくりと動く。
 「芳造、その方は親の仇を取ったつもりやも知れぬが、それは逆恨みにほかならぬ。一体幾人を殺めたと思うておる」。
 雷神の放つ稲妻のような怒声であった。
 左兵衛は、鈴井に芳造と中屋の身柄を渡すと、新八郎らに福太郎を伴い陣屋へと戻ろうと玄関先に向かった。
 「己のみが正しいとの思い上がりにございますな」。
 一学の言葉が漏れたその時だった。先刻まで座していたひと間から、低いうめき声が上がったのである。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 87 寒雷(かんらい)

2012年11月14日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「じゃが、毒草を育てていたとなると、思い付きではなく、随分前からの目論みのようでもあるが…その方に問うてみても、これも証がないのであろうのう」。
 左兵衛は、芳造の口を割らせるのは至難の業と、中屋に目を向ける。
 「では、中屋に尋ねよう。その方が認めた沽券の名義は誰ぞ」。
 中屋は河内の薬酒問屋の名を口にする。
 「そうであろう。じゃが、そのような者はこの世にはおらぬのじゃ」。
 一学が、己が河内まで出向き調べた旨、また近々その縁者は船問屋を営んではいるが、薬酒問屋の出先にしようなど、思いもよらぬ話であったことを伝えると、芳造は剣呑な表情を浮かべ、薄い口端はかすかに上がり笑みを作っているかのように太々しい。
 「中屋、沽券の名義は、芳造から聞いたに偽わりないか。所在を確かめず沽券を書いた旨は見逃せぬぞ。沽券もそうじゃが、沢井屋再建の金子とてその方が用立てたのではないか」。
 「娘の持参金のつもりでした」。
 中屋はただただ頭を下げ、その肩はかすかに震えている。
 左兵衛は、どうにも罪を認めぬ芳造に向かうと、
 「沽券の件は、この中屋が証となろう。その方が、おりもせぬ沢井屋の縁者の名で沽券を書かせたに違いなかろう」。
 「さて、お言葉にございますが、沢井屋の旦那様から、河内の親類のことは聞き及んでおりました。沽券の名義が違うとあれば旦那様の間違いか、はてはわっちの聞き間違い」。
 芳造は怯むどころか口も立つ。口利けぬ亡き沢井屋を引き出してくるのだった。
 見れば新八郎も弥七郎も、膝の上に置いた拳が小刻みに震えている。今にも立ち上がり、芳造に掴み掛からん勢いである。
 左兵衛は暫し目を閉じると、見落としていることはないか。経緯を追うのだった。
 そこに息せき切った福太郎が走り込んで来た。陣屋へと左兵衛を訪ねたが、庄屋に行っていると知らされ、相当な距離を走ったため、直ぐには口も聞けぬ程であったが、それでも福太郎は、肩で荒い息をしながら、
 「分かりました。沢井屋さんの菩提寺の御住職が、河内の船問屋・太田屋瀬平に文を出したが、何の音沙汰もなく、沢井屋さんも縁者の手で焼香のひとつもして欲しいだろうにと嘆いておりました」。
 福太郎が一息に言うと、中屋も芳造も顔色を変える。
 「福太郎、よくぞ調べてくれた」。
 左兵衛は福太郎を労うと直ぐに、中屋に、
 「どうじゃ、その方が認めた沽券の名義は太田屋瀬平であるのか」。
 「申し訳ございませぬ」。
 中屋は平伏し、顔を上げることも侭ならない。
 「芳造、確かに証は全て消失したのやも知れぬな。だが、その方聞き間違いと申したが、聞き間違いの主が何故、沢井屋再建の金子を用立てるのであろうのう。大工に沢井屋の縁者が店を再建し、その方が任されたと申したのではなかったであろうか」。
 ついに綻びができ芳造も観念するかと思われたのだが、
 「どこでどう行き違ったのやら。思うに、あの死んだ飛脚の企てではないでしょうか。良からぬ噂もある者ですので」。
 沢井屋殺しと火付けを決して認めない。
 このようなやり取りが一時にも及ぶと、さすがに左兵衛も疲れ果てていた。
 (このようにしぶとい者は初めてじゃ。良心の欠片も持ち合わせてはおらぬのか)。
 然りとて、ここで終わらせる訳にはいかず、深く息を吸うと左兵衛だった。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 86 寒雷(かんらい)

2012年11月13日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 中屋は、その芳造が何を仕出かしたのかを頻りに知りたがるが、まずは芳造を呼ぶのが先決とばかり、左兵衛が再度、芳造を召し出すよう強く言うと、中屋は、呼びにくために腰を浮かすが、その肩を抑え、新八郎が座らせた。
 「そのまま、それがしが呼びに参ろう」。
 芳造は、左兵衛の訪問に気付くと直ぐに屋敷を抜け出そうと試みたが、屋敷をぐるりと囲まれて身動きが取れずにいた。
 左兵衛は、城代の鈴井源吾を先導させ、岡山陣屋の家臣十五名に中屋の屋敷を囲ませていたのだった。
 新八郎に襟を掴まれるようにして、左兵衛の前に召し出された芳造は、不貞腐れているのであろう挨拶どころか平伏もしない。
 「さて芳造とやら、沢井屋の火付けと飛脚殺しを話して貰おうか」。
 これには中屋も目を白黒させる。
 「芳造、どういうことや」。
 中屋は芳造の襟ぐりを掴むと、その身体を前後に揺さぶりながら詰問するが、芳造はそっぽを向いたままである。
 「芳造、その方が口を割らぬなら、余が説明しよう」。
 左兵衛は語り出すのだった。
 「まず、沢井屋の身代を我が者にしようと一家を殺害。証が残らぬように付け火をしたのであろう。いや、証が残らぬと同時に金子も焼け失せたことにすれば己がものとなるでのう」。
 その沢井屋の惨事を誰かが…菩提寺の住職であろう。もしくは陣屋の右筆あたりではないか。河内の縁者に知らせる文を届ける飛脚を襲い、文を取り返す。
 そして、芳造に文を奪われたことを知った飛脚に逆に脅され、金子を巻き上げられることになると、今度は飛脚に一服毒を盛ったのだった。
 「さて、芳造どうじゃ。ここまでに相違ないか。飛脚は、金子の出所を周りに悟られないよう、富くじに当たったと言いふらしていたのであろう。薬種問屋の手代であれば毒の知識もあろうのう」。
 だが芳造は、口を固く結び、うな垂れた顔はかすかに横を向いたままである。
 左兵衛は話を続ける。神社で飛脚に金子を手渡した折り、言葉巧みに毒を飲ませたが飛脚が町中で倒れたことは誤算であり、それで渡した金子は取り戻せなかった。
 だが、後のことを考えれば如何程の損でもない。
 その後は、庄屋の中屋に巧みに取り入り、架空の縁者の名で沽券を作らせた。娘を嫁に欲しいと言えば、中家が甘くなるのも承知の上である。
 「どうじゃ、何か言うことはあるか芳造」。
 この時、初めて芳造が顔を上げ、左兵衛を睨むように見据えると、低くくぐもるような声で一言だけ発した。
 「証がねえ、それにわっちには、旦那様を殺める言われもありやしません」。
 軽く口元に笑みを讃えた左兵衛。
 「証か。これは失礼致した。証がなければその方の罪もないのと同じであった。そのために火を付け全てを灰にしたのであろう。ただの殺しでは、役人の詮議が厳しいでのう」。
 恐らく毒を持って家中の者を殺害した後、証を消すための放火と、左兵衛は睨んでいた。
 「その方、大層花を愛でておったそうよのう。じゃが、その水仙、彼岸花、福寿草と毒を持つ花ばかりなのもおかしな話よ。そうは思わぬか芳造」。
 芳造のこめかみがぴくりと波打ち、眉が吊り上がるが、それでも芳造は知らぬ存ぜぬを押し通す。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 85 寒雷(かんらい)

2012年11月12日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 庄屋の中屋半兵衛は、領主の跡目である吉良左兵衛義周の訪問と聞くと慌てて紋付に着替え、左兵衛に挨拶をする。
 「その方が庄屋であるか。ちと聞きたいことがあって参った」。
 「何なりと」。
 「沢井屋の沽券のことじゃが、その方が見知っておることを全て話されよ」。
 すると中屋は、沢井屋の沽券は火災で焼失した為、唯一の縁者である河内の薬種問屋を地主に沽券を書いた旨を述べる。
 「では、その沽券はその縁者の元にあるのじゃな」。
 「いえ、手代の芳造が任されたと申しますので、芳造から縁者にお渡し願いました」。
 「なれば、その方は縁者を知らぬのじゃな」。
 「はい」。
 中屋は吹き出る汗を、拭い拭いながらの質疑応答である。
 「話を変えるが、その芳造と娘御の縁組みが整ったと聞き及ぶが」。
 「はい。芳造が、店を任されたが上は身を固めたいが、己は人付き合いが少なく心当たりがないので、丁度いい年頃の娘をとの仲人して欲しいと申しますので、我が娘をどうかと聞きましたところ、嫁にすると申しました」。
 娘の縁組みの話になると、俄に嬉しそうな笑みを讃える中屋であった。
 「御存じだとは思いますが、娘は縁遠くこれまで嫁の貰い手がありませんでした。ですが芳造は、器量よりも店を守ってくれる嫁であればそれで良いと申しまして」。
 「それは良おござった。して、芳造は何処におる」。
 「芳造にどのような御用にございましょう」。
 事情を知らない中家はそう尋ねる。
 「庇立てするとそなたも罪に問われるが良いのであるな」。
 「庇立てとは異なこと。焼け出された者を庄屋であるわたしが、預かっているまでにございますが」。
 沢井屋に口を利き、芳造を沢井屋に奉公に出したのは自分だと言う。
 「何でも十五、十六の時分にふらりとこの地にやって参り、身寄りもないということでしたので、沢井屋さんに口利きを致しました」。
 それは庄屋として当然の努めと中屋は言う。
 「身寄りがないとな」。
 「はい。芳造は口数も多くありませんし、愛想もありませんので、商人よりも職人の方が良いだろうと申しましたが、本人が父親が町医者だったので、薬の知識があると申しまして」。
 「薬の知識か」。
 そして中屋は顔をしかめながら、「芳造は不憫な子でして」。と話を続けるのだった。
 芳造は、三河鳥羽の町医者の子として育つも、父親が薬を誤り、名主を死に至らしめたことから、責任感の強い父母は自刃して果てたと言う。
 「そしてこの吉良庄にひと人で辿り着いたのでございます」。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 84 寒雷(かんらい)

2012年11月11日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 しばし、無言の重苦しい空気が流れる。四半時も過ぎたであろうか、突然左兵衛は両の目を開けると、
 「そうじゃ。心太、でかした。文じゃ」。
 「文ですかい」。
 「一学、河内の縁者は文を出しても返事がないと語っておったのであったな」。
 「御意にございます」。
 「それに沢井屋の不幸を知らせる文も受け取っていないと」。
 左兵衛は、芳造と飛脚が組んで沢井屋への文を差し止めたか、もしくは沢井屋の不幸を知らせる文を奪い取るために、芳造が飛脚を殺めたのではないかと考えていた。
 「では、富くじが当たったのは偶然でしょうか」。
 「いや、芳造から金子を巻き上げたと考えるのが妥当じゃが、そうなると、芳造を脅していたころになるだが、何を脅していたのかが分からぬ」。
 芳造が、沢井屋を乗っ取るために火付けをし殺害をした。沽券は庄屋が新たに出した。その見返りに娘を嫁にする。飛脚は芳造から金子を巻き上げていた。その出所がばれないように富くじを隠れ蓑としたが、最後は芳造に口を封じられた。繋がったようだが、芳造が脅されていたその訳が分からないことには、どうにもならない。
歯がゆい思いの左兵衛であった。
 「大方、飛脚を取り込んで、沢井屋から河内の縁者への文を差し止めたにございましょう」。
 新八郎の意見に皆も頭を縦に振る。
 「して、沢井屋が殺されたとなれば、芳造が下手人であると飛脚は思いましょう」。
 弥七郎である。
 「そこで芳造が、飛脚の口を封じたと考えるのが自然じゃな」。
 左兵衛が纏めるが、「安易じゃ」。己から案を引き下げる。
 「そうじゃ、見落としておったが、芳造と庄屋の繋がりはどのようなものか分からぬか」。
 すると一学は、陣屋に努める実兄の藤兵衛を呼ぶ。左兵衛の前で恐縮する藤兵衛であるが、芳造と庄屋の関係を聞かれると、芳造は人付き合いがなく顔を見知っている程度だが、庄屋はひとかどの人物で人望も厚いと言う。
 「じゃが、その程度の男に娘御を嫁がせるのであるか」。
 「それが嫁の貰い手のない、大層器量の悪い娘でして。すでに年増にございます。親として、嫁に貰ってもらえるなら、誰でも有り難いと思うのも必然にございます」。
 「左様か。なれば娘御を嫁にすると言えば、沽券くらいは容易いものであろうのう」。
 だが藤兵衛は首を横に振ると、
 「滅相もございません。幾ら娘が可愛くても不正を働くようなお人ではございません」。
 「左様か」。
 (では芳造が策を講じたことになるのだが)。
 左兵衛は、「こうして我らで話しておっても拉致が開かぬ。庄屋の元に参ろうぞ」。
 言うなり、腰を上げるのだった。
 ことを荒立てぬよう、この日は新八郎、弥七郎、一学のみが伴をする。だが手筈は忘れずにいた。
 



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 83 寒雷(かんらい)

2012年11月10日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 町医者によれば、差し出された文の届け先が大店や武家となると、中を読んでは内容次第で脅しにかかり小遣い銭をせしめていたと言う。
 「薬酒問屋なれば、毒草の知識もあろうのう」。
 「若様、それでは芳造を疑っておいでで」。
 新八郎、弥七郎もこの二つの事件には、何か繋がりを感じずにはいられないのだが、
 「証がなさ過ぎる」。
 またも行き詰まりである。左兵衛は腕組みをし目を閉じる。だが、今回ばかりは先が見えてこない。そして一学が戻ったのは一両日の後のことであった。
 まだ息を弾ませたままの一学は随分と疲れている様子であったが、
 「河内に行って参りました。大工に聞いた沢井屋縁者の薬種問屋などはどこにも見当たりませんでした。ですが、大店の集まる界隈で沢井屋のことを聞いて回っていたことが耳に入ったのでしょう。本当の縁者が名乗り出ましてございます」。
 だがその縁者は薬種問屋ではなく、船問屋であった。そこの主人は、沢井屋が火事になり家族が死んだことも、縁者を名乗る薬種問屋が店を再建していることも知らずにいたのだ。
 ただ、沢井屋には大坂、京、そして更にそれよりも西国から薬を卸しているのだが、このところ薬を送っても全く返信がないことは気にはなっていたらしい。
 文を送っても返事もない。だが船問屋の仕事も多忙を際め、様子を見に足を運ぶことができなかったのだった。
 「もちろん、芳造とは面識があるどころか名も知りませなんだ」。
 一学の報告を聞き、
 「なれば芳造を引き立てましょう」。
 新八郎が息巻くが、
 「待て。証がないのじゃ」。
 「証などなくとも、口を割らせれば良いかと」。
 「仮に、芳造が沢井屋を乗っ取らんがために火付け、殺しを行っておったとしても、飛脚を殺す必要があったのかが解せぬのじゃ」。
 左兵衛が言うように、新八郎、弥七郎、そして一学にもこの関連性が見えてはこない。何より、証もなしに口を割らせるなぞ、左兵衛は良しとはしない。
 「あのさ、若様。その芳造ってのは飛脚に脅されてたんじゃないかい」。
 深刻な話に、先刻から口を挟めずにいた心太が思い切って口を開くのだった。
 「それがしも考えたが、火付けのあった晩、飛脚はこの吉良荘にはおらなんだ」。
 弥七郎が予め、死んだ飛脚のことは調べていた。
 「だから、ほかに何か、その…弱味を握っていたとか」。
 「そう言えば、町医者が妙なことを申しておりましたな」。
 新八郎は先刻の町医者が語った、飛脚が差し出された文を読み脅しをしていたことを思い起こしていた。左兵衛もそれには気付いていたが、心太が言うように、火付けの現場を目撃したならいざ知らず、脅される事柄が、思い浮かばないでいた。
 


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 82 寒雷(かんらい)

2012年11月09日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 左兵衛らが陣屋に戻ると、見知らぬ町屋の男が丁度門を出て行く所であった。
 「庄屋だがねん。娘の祝言が決まったと挨拶に来たがね。相手は、あの沢井屋の芳造だほうじゃ」。
 門番に告げられ、左兵衛は呆気に取られるのだった。 奉公先が不幸に見舞われた矢先に、祝言を挙げるとはとうてい考えられない。仮に決まっていた祝言であっても先延ばしにするものだろうと左兵衛は考える。
 「ほいだけど、よーもまあ、あの娘御をなあ」。
 門番は、これまで嫁の貰い手がつかなかったくらいに、不器量な娘と陰気な芳造の組み合わせが不思議でならないと頻りに不思議がるのだった。
 この話が広まると、吉良庄は噂話に花が咲き、庄屋としてはようやく決まった婿殿である。気持ちが変わらないうちにと急いでいるのだろうと、口さがない者も出る始末。
 「沢井屋の沽券は焼けたのであろう。するとやはり縁者の土地となるか」。
 左兵衛の脳裏にはある疑問があった。
 「ですが、沽券は庄屋が新たに作ることもありまする」。
 「なれば一学。庄屋が芳造名義で沽券を書くこともあると申すか」。
 「これは出過ぎたことを申し上げました。お忘れください」。
 どうやら一学は、芳造を疑っているらしい。
 「なれば河内の縁者が黙っておるまい」。
 うむと頷く左兵衛に、一学が、「それでは調べて参りましょう」と座を離れる。
 ならばと左兵衛は、新八郎、弥七郎に声を掛け、死んだ飛脚を看取った医者の元へと馬を走らせるのだった。  
 この時左兵衛が選んだのは赤毛の馬。「あれ、見栄えのいい男さんが赤毛で走ってる」。「義経様の再来かのう」。この時の疾走が、後に吉良庄での赤い馬伝説として伝えられることなど左兵衛は知る由もない。
 町医者によれば、飛脚の口元には赤い水膿ができ、それに嘔吐の痕。どうやら心の臓の発作が死因ではなく、毒を盛られて心の臓が止まったに間違いないとのことだ。
 「しかし、調べでは心の臓の発作とだけで不問に処されたのであろう」。
 「はい。わたしはこのように診たてましたが、その飛脚は身寄りもなく、お役人も死因を突き詰めるよりも早くことを終わらせたかったのでしょう」。
 「その毒の正体は分からぬのか」。
 「確かではございませんが、鳥兜か一位か…。または美しき花なれど根に毒を持つものもございます」。
 幸いに富くじに当たった金子が懐にあったため、寺が引き取り葬儀も無事済ませたのだった。
 毒殺は分かったが、それだけでは納得できない左兵衛は、更に飛脚のことを知りうる限り聞いていた。
 「その飛脚は、どうやら質のよくない男のようでした」。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 81 寒雷(かんらい)

2012年11月08日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「その方らは、何を申しておるのじゃ。我が領内でのことじゃ。参るとしよう」。
 左兵衛たちは早々、沢井屋の跡地へと出向くが、店跡には既に新たな木材が組み始められていた。作業をする大工に新八郎が尋ねると、沢井屋の縁者が新たにここで商いを始めるということだ。
 「その縁者は何処におられる」。
 「何でも河内で大きな薬種問屋をやっておるとかで、こっちの方はその出先にしようってな話や」。
 「河内か。されど、店を建て直すに際してはこちらに参ったであろう」。
 「いいや。ほれ沢井屋さんで手代だった芳造から頼まれたがね」。
 呆気らかんとした大工に弥七郎は、
 「では、沢井屋の縁者には会ったことはないのか」。
 「あれへん」。
 「あれへん。って、依頼主を知らぬとは妙ではないか」。
 すると、大工は何を言っているのだという表情で、
 「わっちらは、賃金が貰えれば問題ないや」。
 どうにも話が噛み合ないことに新八郎、弥七郎は苛つくが、
 「江戸とは違い、皆のんびりしております。ただ金銭には多少細かいですが」。
 一学が一笑に付す。
 「ではその芳造とやらには、何処に行けば会えるのじゃ」。
 これまでのやり取りを黙って聞いていた左兵衛がようやく口を開いた。
 「さて。住まいは知れへんね。元々、沢井屋に住み込みやったんや。焼けてしまって仮住まいやろうな」。
 やはりこののんびりぶりには、いささか勝手が違うようで、
 「依頼の主の住まいも知らず、それでその方らは不安はないのか」。
 「元々、無駄話をするような人じゃありゃせんし、わっちらは銭さえ貰えりゃ問題ないや。すでに前金で全額いただいておるのでね」。
 (縁者が葬儀は愚か、一度も顔を見せぬまま、店を建て直すなど。増してや、手代に一任するのも妙である)。
 誰もがそう思っていた。
 「芳造は愛想はないが、そんでも花は好きなようだったねん」。
 棟梁らしき男がぽつりと言った言葉に、左兵衛は引き付けられた。
 「ほう、花を愛でていたと」。
 「みんな焼けてしまおったが、庭先は、水仙、彼岸花、福寿草なんぞで見事だったわ。ほれを褒めたら旦那が、芳造が世話をしてると言っておった」。
 左兵衛は、近くで芳造の行方を知っている者を探すが、誰もが口を揃えたかのように、「愛想がない」。「無駄口を利かない」。「陰気である」と、商人らしくない人柄を述べるのだった。
 「どうやら評判は芳しくないようだ」。
 「だが扱う物が薬種なれば、愛想のないほうが返って良いやも知れぬ。しかし、そのような者に店がやっていけるのであろうか」。
 新八郎と弥七郎が話し合っていると、
 「沢井屋が死んで、その跡を河内の縁者が継ぐのは自然な流れでしょう。手代の芳造とその縁者の繋がりは分かりませぬが、商いも三河を見知った者に任せるというのは、良くあることかと」。 
 一学が言うが、左兵衛は黙ったままである。このような左兵衛は珍しい。
 (余は、何を見落としておるのじゃ)。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 80 寒雷(かんらい)

2012年11月07日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 驚いたのは中間、小者である。このような場に主君が現れることなど到底あり得ないことだ。目を見開きながらも我に帰り平伏する。
 「藤兵衛はおるか」。
 左兵衛の一言に、ひと人の男が身を振るわせながら名乗り出た。
 「わっちが藤兵衛にございます。何ぞ手抜かりがありましたでしょうか」。
 「その方が、藤兵衛か」。
 左兵衛は藤兵衛の前に座ると、「顔を上げよ。それでは話ができぬ」と、お辞儀したままの姿勢を止めさせ、
 「一学には世話になっておる。ささ、参られよ」。
 自ら藤兵衛を奥へと招き入れるのだった。突然の兄の出現に、戸惑う一学であった。
 「兄じゃ…。若様、これは」。
 「こうでもせぬと一学は遠慮をして兄に会わぬでな。今宵は水入らずで語られよ」。
 そう言い渡すと、部屋を後にする。
 「それで若様、今宵はどうなされるのですか」。
 追い掛けるように後に続く新八郎、弥七郎に、
 「決まっておるではないか。そなたたちと共に寝るのじゃ」。
 「若様、幾ら何でも。ただ今部屋を設えさせます」。
 「いらぬ。これも旅の醍醐味であろう。のう新八郎、弥七郎」。
 一夜明けるや、左兵衛が中間部屋に踏み入ったことは陣屋の隅々にまで知れ渡り、城代の鈴井にこってりと叱られるのだが、反面、誰もが左兵衛に親しみを覚え、世間話なども重ねいった。その中に左兵衛の関心を強く刺激する話が含まれていた。
 「沢井屋の跡からは、手代の芳造だけが無事だっただだわ」。
 沢井屋家族のほか、番頭や丁稚も含む奉公人みんなが焼け死ぬくらいに大規模な火災であったにも関わらず、手代の芳造のみが生き残ったと言う。
 「その日、宿下がりをしとったと言っておった」。
 芳造は、沢井屋家族と奉公人全ての葬儀を一手に行い、沢井屋の菩提樹には永大供養の金子を納めた後、姿を見せなくなった。 
 左兵衛が黙って腕組みをし出し、視線は空を仰いでいる。
 「若様、できた手代ではありませぬか。のう新八郎」。
 「左様。何もおかしなことはござませぬ」。
 新八郎と弥七郎が必死になり、左兵衛が剣呑なことに顔を突っ込まないようにと牽制するが、既に左兵衛の気持ちは決まっていた。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 79 寒雷(かんらい)

2012年11月06日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 晩になり、膳を囲みながら左兵衛が話を切り出したものだから新八郎、弥七郎の箸が止まる。だが、左兵衛はそんな二人に我関せずとばかりに、ぽっくり病への興味を募らせるのだった。
 左兵衛、新八郎、弥七郎、一学がずらりと並ぶと、福太郎はもちろん、弟二人も身を固くするが、
 「無礼講じゃ。気楽にされよ」。
 「そもそも我ら家臣とて、若様と膳を囲むなど尋常なことではないのだが、こちらの若様はそこのところを分かってはおられぬ」。
 「本当なら、おいらなんぞお手討ちもんでもおかしかねえが、若様ときたら気に留めやしねえ」。
 新八郎、弥七郎、心太に言葉を掛けられ、一学に促されると福太郎と弟たちはようやく膳の前に座るのだった。
 「福太郎、その方、ぽっくり病の話を知っておるか」。
 「はい。飛脚が、富くじが当たって大喜びしていた数日後に道端で倒れて、そのままぽっくりとという話です」。
 「ぽっくりと。とは本当にぽっくりと死んじまったのかい」。
 この話に左兵衛のほかに乗り気な心太である。
 「ああ。まだ二十歳を少し出たばかりの若さだってえのに」。
 当たった富くじの金子を受け取った帰りの出ことだったと言う。突然、町中で心の臓を掻きむしりそのまま息絶えたのだった。
 「それで金子はどうなったのだ」。
 新八郎が乗ってきた。
 「それが、そのまんま手つかずに残っていたそうです」。
 「すると金子目当ての殺しではないな」。
 弥七郎もここにきて口を挟み出す。
 「殺しも何も、幾人もが見ている前で突然倒れたそうです」。
 「その者は、元々心の臓が弱かったのか」。
 「とんでもない。飛脚だったくらいです。それに働き盛りだったようです」。
 「ほかに変わったことはなかったか」と、聞かれた福太郎は寸の間考えた末、飛脚が死ぬ少し前に薬種問屋の沢井屋が火事になり、主人一家と奉公人が焼け死んだことを告げる。
 飛脚が富くじに当たり、死んだ。薬種問屋の火事。病いと火事など江戸では良くある話であった。だが、ここは三河の田舎町。のんびりとした人々には、町中で胸を掻きむしり倒れることが、かなりの衝撃だったのだろう。
 しかも、富くじに当たり大金を手にした直後である。人の噂となり、尾ひれが付くのも致し方ないと思う左兵衛であった。だが、何やら胸につかえるものを同時に感じて止まない。
 喜びの再会とは、失っていた時を忘れさせるものである。福太郎に伴い、「泊まりに行く」と言う心太を送り出すと、左兵衛は忘れていたことを思い出した。
 「そうじゃ、一学。そなたも実家へ戻られよ」。
 「若様、とんでもございませぬ。それがしは若様の護衛にございます。お側を離れるなどできませぬ」。
 すると左兵衛は、笑いながら、
 「このような田舎町で護衛の必要もないかろう。それに新八郎、弥七郎がおる。そなたも久方ぶりに家の者の顔を見たいであろう。構わぬ」。
 それでも頑として首を縦に降らない一学に左兵衛は、
 「そうであった、余は忘れておった。この陣屋にはその方の兄がおるではないか。もう会うたか」。
 「いえ、未だにございます」。
 「一学は律儀者故。なれば会うて来られよ」。
 それでも一学は、「この度はお勤めにございますれば」と遠慮する。仕方ないとばかりに立ち上がった左兵衛は、新八郎、弥七郎の呼び掛けに、「屋敷内じゃ。心配要らぬ」と一笑すると、すたすたと歩き出すのだった。



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水波の如し~忠臣蔵余話~ 78 寒雷(かんらい)

2012年11月05日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 すると、鈴井の表情が一瞬にして曇るのが手に取るように分かっていった。
 書院に案内された左兵衛は、休む間もなく鈴井に先程の返答を迫っていた。
 「飛脚が町中で呆気なく死にもうし、ぽっくり病じゃないかと皆、ああして御祈祷に参ります」。
 「ぽっくり病とな」。
 屈強な飛脚が突然、泡を吹いて倒れそのまま息を引き取ったと言う。
 「不思議なことがあるものです」。
 鈴井は、身の置き場がないくらいにすっかり恐縮している。
 「若様、大方心の臓の発作か何かでございましょう」。
 弥七郎もぽっくり病などは、端から信じてはいないのだ。
 「して鈴井、民は信じておるのか」。
 「はい」。
 翌朝、左兵衛にはどうしても尋ねたい者がいた。以前、屋敷に忍び込んだ賊の福太郎である。武門政治に異を唱え武家屋敷ばかりを荒し、庶民からは義賊と呼ばれていた七福神と名乗る盗賊の首領だった福太郎。左兵衛は、その罪一等に目を瞑りこの地に送っていたのだ。
 「若様、あそこにございます」。
 一学の指の先には、福太郎とその弟であろう良く似た三名が塩釜に茅や葦を大量に焼べている最中だった。突然の左兵衛の訪問に、福太郎は、寸の間事を把握できずに立ちすくし両の目を袖でこする。
 それでも左兵衛をじっと見詰めようやく満面の笑みで走り寄っるのだが、左兵衛の目前に立った時には既に目は涙で潤んでいた。
 「福太郎。久しいのう。息災であったか」。
 「左兵衛様」。
 後は声にならない。そんな様子を後ろからじっと見ていた心太だったが、
 「何でい、福太郎。幼馴染みのおいらよりも若様かい」。
 ふてくされ、膨れっ面の心太だ。
 「こいつはすまねえ。心太、お前さんが目に入らなかった。だけどお前さんも一緒で嬉しいぜ」。
 そう言うと、固く抱き合ったのだった。
 「福太郎。おいらも会いたかった」。
 「むさ苦し所だから」と、辞する福太郎に構わず左兵衛は福太郎の家に上がろうとするが、さすがに五人連れでは座ることも侭ならず、晩に弟たちと共に岡山陣屋に尋ねてくることを約束し、左兵衛たちは黄金堤へと足を向けるのだった。
 黄金堤は、幾度とない洪水を防ぐための堤防である。
 「一学、その方が余に見せたかったと申すのはこの堤防のことであるか。何か変わった仕掛けでもあるのか」。
 「若様、そうではございません。この辺りは度重なる水害で作物も家も流されておりました。この堤防は殿が十四年前に参られました折り、私財を投じて作らせたものにございます」。
 「義父上が」。
 上野介がほかにも治水事業や、富好新田を始めとする新田開拓にも力を注いでいることを左兵衛はこの時初めて知った。
 「余も義父上を見習い、是非とも何かしたいものじゃ」。
 そう言うと左兵衛は静かに目を閉じるのだった。ぽっくり病といい塩の開拓といい、またことを起こし兼ねない左兵衛に傍らの新八郎、弥七郎は肝を冷やしているのだが、その横では愉快そうに一学が薄っすらと笑みを浮かべている。
 「一学さん、何がおかしいんで」。
 産まれて初めて江戸から外に出た心太にとっても、見るもの聞くこと全てが目新しく楽しくてならないが、笑みが溢れる程のことはない。一学のそれが不思議でならないのだ。
 「いや、そのうちに分かるであろう」。
 笑みよりも難解な言葉で心太を煙に撒く一学である。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 77 寒雷(かんらい)

2012年11月04日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 江戸から三河へは東海道で十日余りだが、陸路を不安がる富子を安心させるため、紀州へ向かう紀伊国屋の菱垣廻船で三河の平坂港まで向かい、そこから領地の幡豆郡吉良庄は地廻り船に乗り継げば、目と鼻の先である。
 「海に面した美しい所にございますよ」。
 一学は久し振りの帰郷に、誰よりも心が弾んでいるようで、普段口数の少ないこの男の口も緩みがちである。
 「一学、あれは何をしておるのじゃ」。
 砂浜の一角に板が敷き詰められていた。
 「塩を作っております」。
 板の上に砂を敷きその上に海水を散布し、攪拌しながら天日と風力で水分を蒸発させる。それを何度も繰り返し、水分が蒸発した後の砂を集めて海水で洗い、濃い塩水を作る方法である。その後、製塩釜で煮詰めて塩を取り出すのである。
 「この土地は海面より多少高いために、満潮を利用して海水を引き入れることができず、ああやって全て手作業なのです。海水を引く水路がありましたら随分と作業も楽になりましょう」。
 「満潮時の水面よりも低い土地まで水路を作る。もしくはここを低くすれば良いのではないか。義父上は御存じではないのであるか」。
 「言うは容易いことにございます」。
 これまでにも何度か水路を引く図面まではできたが実際の工事は図面とは違い、上手くことが運ばなかったと一学は言う。
 「工事ともなれば民が人足に駆り出されましょう。そうなれば、元来の田畑を耕すことも難儀」。
 「難しい問題であるな。じゃが、後のためにも策は打ちたいものよ」。
 左兵衛は潮風に吹かれ、己の無力さを感じていた。
 「ですが若様、同じような地形ながら備前や播磨では潮の干満を利用する方法を会得し、海水を散布する必要が無くなったと聞き及んでおります」。
 「左様であるか」。
 左兵衛の顔に赤みが戻った。
 「さ、若様。明日は黄金堤に案ない致します故、本日は陣屋まで急ぎませぬと」。
 一行が宿とするのは一学の兄・藤兵衛が勤める吉良家の陣家のひとつ岡山陣屋である。
 左兵衛たちが岡山陣屋の門前に差し掛かると、数名の農民が華蔵寺へ向かい傾れ込むように走って行く。
 「何事であろう」。
 「血相を変えてましたな」。
 すると門番のひと人が、
 「またやか。近頃物騒であかん」。
 「物騒とはただごとではないな」。
 「ほんでなも、おめえさん方はどなたやか」。
 「これ、無礼を申すでない。こちらは左兵衛様だ」。
 門番は名を聞くと、「これは失礼しました」と屋敷内に、「左兵衛様のお着きにございます」と叫びながら走り込んだ。
 「どうにも田舎者のこと故、若様。お許しくださいませ」。
 自分のことのように頭を下げる一学だった。門番に急かされ、草履も履かずに走り出て来たのは城代の鈴井源吾ほか数名。
 「左兵衛様、お出迎えもせず…」。
 あたふたとする鈴井に左兵衛は、「こちらも到着の詳しい刻限を知らせなんだ。気に止むでない」と軽く笑みを見せる。
 「それよりも何の騒ぎなのじゃ」。




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水波の如し~忠臣蔵余話~ 76 寒雷(かんらい)

2012年11月03日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「左兵衛殿、近う」。
 富子にこう言われて、固くなりながら側に寄ると真新しい肌着や下帯が用意されていた。
 「左兵衛殿、道中見苦しいお姿ではいけませぬ故、こちらをお持ちくだされ。それと、こちらが道中安泰の御利益があられます飛不動尊様。こちらは十番稲荷神社。こちらは災難から御身をお守りする神田明神様に浅草寺。そしてこちらが…」。
 富子は幾つの御守を集めたのだろう。数多の守り札が左兵衛の両の手に乗せられた。
 「奥方様におかれましては、御自身で寛永寺まで参られたのですよ」。
 「義母上、忝のうございます。別れではありませぬ。左兵衛は直ぐに戻ります故。御心配召されませぬよう」。
 「左様であった。じゃが、左兵衛殿のお顔が見えぬのは寂しいのじゃ」。
 左兵衛は義母の愛を痛い程に感じていた。しばし瞳が潤む富子だったが、すぐに新八郎、弥七郎に厳しい表情を向ける。
 「その方ら、身を呈して左兵衛殿をお守りするのじゃ。良いな」。
 「心得ております」。
 新八郎、弥七郎の献身ぶりは、誰の目にも明らかである。富子は藤波を促すと、
 「新八郎、弥七郎。こちらは奥方様よりの、そなたたちの着替えとお札じゃ」。
 新八郎、弥七郎の前に左兵衛同様の肌着などの包みを差し出した。呆気にとられる新八郎、弥七郎は、
 「お心遣い痛み入ります」。
 こちらは感涙にむせぶ。左兵衛はそっと振り向いてにこりと嬉しそうな表情を新八郎、弥七郎に送った。

 元禄十三年も間もなく冬に入ろうとしているが、まるで春のような陽気に包まれての出立の朝。左兵衛たちが呉服橋御門を渡ると、そこに見慣れた男が旅姿で立っていた。
 「心太ではないか。如何したのじゃ」。
 「酷でえや、おいらをおいてけぼりなんてさ」。
 左兵衛が三河へ旅立つことは内々の話であったが、つい吉良家の台所で耳にした心太の父・平次が、「旅には町屋の者がいた方が何かと便利」と、中臈・藤波から富子に進言して貰っていたのだった。
 「だが、豆腐屋はどうするのだ」。
 「おいらもそれが心配で一度は断ったんだ。そしたらよ、御家来の笠原長右衛門様が、おいらが留守の間、朝の仕込みのを手伝ってくださるってんで」。
 「笠原がか」。
 左兵衛はにやりとした。
 「幾ら何でもお侍に豆腐が作れるかってんで、おとっつあんも半信半疑だったんだがよ。店に来られて見事な手捌きで豆腐を作っちまったって目を丸くしてた」。
 「それはそうであろう」と、左兵衛たちが愉快そうに笑うが心太には何がなんだか分からず、「どうしてなんだろう」と頻りに首を捻る。
 「おいら、笠原様とどこかでお会いしたような気もするんだけどな」。
 この年三月、心太の豆腐屋を脅かした京の豆腐屋こと、豆腐屋から召し抱え笠原長右衛門と名を改めた村上和之進である。


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水波の如し~忠臣蔵余話~ 75 寒雷(かんらい)

2012年11月02日 | 水波の如し~忠臣蔵余話~
 「若様、あのような無茶を如何なる所存で申し上げられたのでしょう」。
 上野介、富子の元を下がり三人だけになると、直ぐさま新八郎の小言が飛ぶ。
 「新八郎、そう怒るでない。余はこの年、思いも掛けずこれまで知らなんだ者たちと接することになった。その方たちもそうであろう」。
 左兵衛は、上野寛永寺での宮内和之進、俊海。仇討ちに翻弄された村上和之進。義族と噂されたが仇討ちのための盗賊だった福太郎。豪商の紀伊国屋文左衛門。吉原の高尾太夫。儒学者の荻生徂徠。大奥年寄の木島。延命寺の日啓、日詮。そして渚。奥女中の桔梗や飢饉のために解雇された相撲取りなど、運命に翻弄された者たちを思うにつけ、まだ出会ったこともない領民の支えで成り立つ己の暮らしを思い知るのだった。同時に、その領民の暮らしぶりも気になるのだった。
 「こうして江戸で安穏と暮らしておると、民百姓に無理を強いていないか、皆が不自由のない暮らしをしているのか気になって仕方がないのじゃ」。
 これには、新八郎、弥七郎も感銘する。そして左兵衛の成長振りが誇らしくもあった。
 「相分かりましてございます。ですが、そう急かずとも、御領地へ赴く機会はこの後もありましょう」。
 「左様であるな。余が浅はかであった」。
 左兵衛が己の思慮の浅さを恥じ入る思いでいたその時、縁側に面した廊下から声がする。
 「左様にございますよ」。
 声の主は富子の中臈を務める藤波。
 「若様の無茶には、この藤波呆れるばかりでございます」。
 藤波は左兵衛の前に正座すると、得々と説教の構えを見せる。
 「ええい、説教なら聞かぬ」。
 そんな左兵衛を厳しい眼差しで見詰めた藤波は、大きくひと呼吸をすると畏まる新八郎、弥七郎にも厳しい目を走らせた後、左兵衛に向き直りこう告げるのだった。
 「殿のお許しが出ました故、お知らせに参りましたが、聞かぬのでありますな」。
 藤波が悪戯っぽく言うと、
 「義父上が良いと申されたのか」。
 左兵衛は意外な話に思わず身を乗り出し、大きな声を張り上げていた。
 「殿が申されますには…」。
 藤波の話は、上野介は大名と違い、国元に住まう必要もなく参勤がないことにかまけ領地には一度しか赴いたことがない。
 それを悔やんではいるが、老齢となった今ではそれも侭ならず、左兵衛の気持ちを汲み取ったのだった。
 「されば余は三河に参れるのじゃな」。
 「新八郎、弥七郎。そして一学を供にとのことにございます」。
 「一学もよろしいのか。それは心強い」。
 三河は清水一学の国元。そもそもは百姓であったが、その資質を富子に見出され、士分に取り立てられた上で上野介の用人を務めている。
 「ですが、殿がお許しになられたことで、奥方様は殿までもお怒りにございます。お覚悟召されませ」。
 富子が本当に怒った時とは、どのようなものか想像もつかないが、上野介のそれとは比べようも亡い事だけは容易に理解するのであった。
 「どうした新八郎、弥七郎、三河じゃぞ。嬉しゅうはないのか」。
 数日の後、どうにも浮かない顔の新八郎、弥七郎である。
 「若様、我らは若様の御身が気掛かりでならぬのです」。
 「左様にございます。道中どのようなことが起きるやも知れませぬ」。
 「心配性よのう、新八郎も弥七郎も。今時は女子でも伊勢に参る御時世。男四人で何が怖いのじゃ」。
 そう笑う左兵衛の顔が一瞬にして凍り付いたのは、富子からの呼び出しがあってのことだ。



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