八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

糸島昔話 瓊瓊杵尊 その2

2009-05-20 23:29:00 | 今宿

 

本日は!

本日も、

日本神話 の話。

 
高祖山に天降った

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) は

 

 「この地は韓国(からくに)に向かい、

 笠沙(かささ)の岬まで

 真っ直ぐに道が通じていて、

 朝日のよく射す国、

 夕日のよく照る国である。

 ここはとても良い土地である」

 

と言って、宮殿を建てて住むことにしたという。

 

 

今宿には 笠掛 という地名がある。

笠沙=笠掛 と仮定して、

この物語を今宿の地図上で読み解くと、

いろいろなことが符合する。

 

 

まず 「韓国に向かい・・・」 とは、

笠掛 から真西方向を向くと、

可也(伽耶)山 があり、

古代朝鮮までの道程(航路)と重なる。

 

 

「笠沙の岬・・・」 とは

古代の海岸線がもっと内陸だったことから

笠掛 から今宿上町方向に伸びる

岬だったと思われる。

 

 

「朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。」

とは 志登神社 を基点とした、

一年を通した太陽の動きを

計れる地であることを表しているのでろう。 

 

太陽が、

どの位置から太陽が昇り、

どの位置に太陽が沈むのかを観測すれば

 

最も強まる 夏至の日 と

最も弱まる 冬至の日 が判り、

1年の暦ができる。

 

農耕社会において

季節を知る術は必須条件である。

 

 

また、

可也山 から 志登神社 を通る東西の軸線には

 

 伊覩神社

 丸隈山古墳

 今宿笠掛(笠沙の岬)

 大塚古墳

 二宮神社(旧)

 

などが不思議と一直線上に並ぶ。

 

04a

 

たぶん、

一年を分ける春分・秋分の太陽のラインと

関係があるのだろう。

 

 

瓊瓊杵尊 が建てたとされる宮殿とは

今宿五郎江遺跡 なのかもしれない。

 

 

 
その後、

瓊瓊杵尊 は 笠沙の岬 で、

木花之開耶姫(このはなのさくやひめ) という

美しい女性と出会い結ばれる。

 

木花之開耶姫 はやがて、

彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) を産む。

 

彦火火出見尊 は 山幸彦 のことで、

今宿今山(夷魔山) に残る

山幸彦 が弓で 夷魔 を射平らげたと

伝えられる話につながってゆく。 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。