ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

2010-01-13 | パパ
われわれの眼は、ものをどのように認識しているのだろうか?
17世紀、アイザック・ニュートンは、光をプリズムに通す事によって虹色に分光する事を発見し、色が光であることをつきとめます。

  


そして物体は、物体にあたった光の反射光が眼の網膜で反応することによりわれわれの脳で認識されます。では物体によってなぜ色が異なるかというと、物体が光を吸収するからであり、物体を構成している原子や分子の種類と構造によって吸収する色が異なるからです。例えば照明の光(蛍光灯は白色光が主流ですが、白色とはすべての光の色を含んだ光のことです。)を物体(赤色の光を吸収しやすいとする)に照らすと、反射されてくるのは赤色以外の光なので青っぽく見えます。
もう少し話を厳密にすると、光は電磁波です。電磁波は波長の長さによって以下のようなスペクトル図になります。われわれに馴染みの深い電波も波長は違えど、実は光と同じものなのです。赤色は波長が長く、青色は波長が短いので、特徴が正反対の色なのです。よって、赤い光を吸収しやすいものは、青い光を反射しやすくなります。真っ赤なりんごは、青色付近の波長の光を吸収しやすい物体であると物理的にはいえます。



このスペクトル図を理解できたら、もうひとつの物理法則(というか量子力学と電磁気学から導き出せますが・・・)を知っておくことでいろいろな日常のことが説明できます。

レイリー散乱の法則
散乱の量は粒子の大きさと光の波長による。散乱係数は波長の4乗に反比例する。

つまり、波長が長いほうが、散乱係数小さい、すなわち散乱されにくいというもの。
だから、光を遠くまで飛ばそうとすると散乱されにくい電磁波を使えばよいので、電波には波長が長いものが使われています。
また車のブレーキランプが赤いのは、色の中で一番赤色が波長が長く、遠くまで光がとどき、警告灯の役目にぴったりだからです。
このスペクトル図には、右端に参考で音の波長長さが示してありますが、音は電磁波ではなく、空気の振動の伝播です。電磁波の速度は波長によらずすべて同じ速度なので、もし音も電磁波なら、雷のときピカッと光ったあとに遅れてドカーンと音が伝わらず同時のはずです。(音速は光速に比べて遅い。)

以上のことから、われわれは、もの自体を見ているのではなく、光を見ているのだといってもいい。

そして、この現実を究極まで追い求めて2次元平面に表現したのが、印象派の画家モネであった。
印象派の時代は、写真機が登場する時代に重なる。絵画的リアリズムを追求するアカデミーが体制であった時代において、写真機が生み出す細部の表情は、画家にわれわれは何故描いているのかという問いを自問させずにはいられなかった。
しかし、モネは考える。写真機が切り取るのは、一瞬の世界であり、それは時間の停止だと。われわれの眼は対象をそのような時間の切断として捉えず、動きをともなう時間の凝縮されたものとして見る。ならば、ものを偏見をすて解釈せず純粋に見ることができたならば、写真機とは違う画像を生み出すことができるのではないか。
これが、モネの出発点である。そして彼は、ものの解釈を捨てただひたすら眼に入ってくる光をキャンバスに落としこむ。その結果、物は色の中に融解し最後には、形態と色が溶け合った抽象絵画のようになっていく。



  

モネが眼を酷使してまで追い求めたリアリズムは結果的に、われわれを驚かせるほどに色彩の抽象化という逆の方向に行っているように思える。しかし、彼は、視覚のリアリティの極限というものを、われわれに見せてくれたのだ。そして、鋭い感性をもった芸術家たちの手によって、20世紀の抽象絵画へと導かれるのである。

晩年セザンヌは言っている。
「モネは眼に過ぎない。しかし、なんという眼だろう」と。









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