日本国民は1941年、アメリカの経済制裁(日本にたいする全面的な石油の禁輪など *)にあって止むなく開戦し、その後、本土大空襲、原爆投下、ソ連軍の侵攻などによってひどい目にあった。そうした被害者としての感情をもっている。その「被害」の面と、日本国家や将兵らが実際に行なった「加害」の面とを歴史的に関係づけて、しっかりと認識することをしていない。(中略)
こうした被害者感覚は、敗戦のときの国家指導者の中に、その原形が早くもはっきりとあらわれている。興味深い史料がある。
1945年8月14日、日本降伏の発表(玉音放送)の前日、当時の内閣情報局総裁の下村海南が、報道機関の代表を集め、「大東亜戦争終結交渉に伴う国民世論をどう指導するか」指示したものである。そこには、次のようにある。「この未曾有(みぞう)の国難を招来したことについては、国民ことごとくが責任を分かち、上(かみ)陛下に対し奉り深く謝し奉」らなくてはならないと。また、「この敗戦の混乱に伴って、共産主義的・社会主義的言論は厳重に取り締まるべし。軍及び政府の指導者に対する批判はー切不可とする」と。
そして、敗戦の理由について、下村総裁は次のように明確に断じていたのである。「敗戦は残虐な原子爆弾の使用とソ連のー方的条約破棄という、敵の理不尽によってもたらされた民族の悲運である」と。
この考えこそ日本を被害者、受難者とするものであり、そこには「侵略」ヘの反省などかけらもない。こうした考え方は日本軍国主義の徹底的除去を指示したポツダム宣言に反するので、占領下ではきびしく否定された。だが、講和成立(占領統治の終了)後はたちまち保守勢力によって復活され、今でも生き残っている。国家の戦争責任の公認拒否、戦犯追放者の復権、旧軍人らヘの恩給復活(その総支払い額は20兆円に達する)もそのー例である。
敗戦の受けとめ方がドイツなどとたいへん違うのはこの点である。その結果、日本は天皇制の国体を残し、本土や官僚機構や主要産業の壊滅的な破壊をまぬがれ、天皇家をはじめ旧支配勢力を温存することになった。日本の軍部や大政翼賛会も、ドイツにおけるナチスのような徹底的な処罰をまぬがれた。また天皇は開戦責任も敗戦責任も問われることなく、かえって国民が「一億総懺悔(ざんげ)」して、天皇に敗戦の罪を詫(わ)びるという逆立ちした意識を残した。
「一億総懺悔」といったのは、敗戦時の内閣の東久邇宮(ひがしくにのみや)首相であったが、国民すべてが天皇にたいしてお詫びせよといっているのであって、その逆ではない。また、日本がしかけた戦争の犠牲となった中国人民やアジアの民衆に詫びているのでもない。
色川大吉『近代日本の戦争』(岩波ジュニア新書、1998年)
* 実は石油や軍需物資は裏で供給されていた。
こうした被害者感覚は、敗戦のときの国家指導者の中に、その原形が早くもはっきりとあらわれている。興味深い史料がある。
1945年8月14日、日本降伏の発表(玉音放送)の前日、当時の内閣情報局総裁の下村海南が、報道機関の代表を集め、「大東亜戦争終結交渉に伴う国民世論をどう指導するか」指示したものである。そこには、次のようにある。「この未曾有(みぞう)の国難を招来したことについては、国民ことごとくが責任を分かち、上(かみ)陛下に対し奉り深く謝し奉」らなくてはならないと。また、「この敗戦の混乱に伴って、共産主義的・社会主義的言論は厳重に取り締まるべし。軍及び政府の指導者に対する批判はー切不可とする」と。
そして、敗戦の理由について、下村総裁は次のように明確に断じていたのである。「敗戦は残虐な原子爆弾の使用とソ連のー方的条約破棄という、敵の理不尽によってもたらされた民族の悲運である」と。
この考えこそ日本を被害者、受難者とするものであり、そこには「侵略」ヘの反省などかけらもない。こうした考え方は日本軍国主義の徹底的除去を指示したポツダム宣言に反するので、占領下ではきびしく否定された。だが、講和成立(占領統治の終了)後はたちまち保守勢力によって復活され、今でも生き残っている。国家の戦争責任の公認拒否、戦犯追放者の復権、旧軍人らヘの恩給復活(その総支払い額は20兆円に達する)もそのー例である。
敗戦の受けとめ方がドイツなどとたいへん違うのはこの点である。その結果、日本は天皇制の国体を残し、本土や官僚機構や主要産業の壊滅的な破壊をまぬがれ、天皇家をはじめ旧支配勢力を温存することになった。日本の軍部や大政翼賛会も、ドイツにおけるナチスのような徹底的な処罰をまぬがれた。また天皇は開戦責任も敗戦責任も問われることなく、かえって国民が「一億総懺悔(ざんげ)」して、天皇に敗戦の罪を詫(わ)びるという逆立ちした意識を残した。
「一億総懺悔」といったのは、敗戦時の内閣の東久邇宮(ひがしくにのみや)首相であったが、国民すべてが天皇にたいしてお詫びせよといっているのであって、その逆ではない。また、日本がしかけた戦争の犠牲となった中国人民やアジアの民衆に詫びているのでもない。
色川大吉『近代日本の戦争』(岩波ジュニア新書、1998年)
* 実は石油や軍需物資は裏で供給されていた。