畑倉山の忘備録

日々気ままに

リアリティの世界

2016年09月06日 | 鬼塚英昭

井田正孝中佐の著書『雄誥(おたけび)』(1982年、西田雅との共著)がある。どうも『日本のいちばん長い日』を中心に、ほとんどの終戦史はこの本や井田が残した「手記」や「談話」に影響されている。

この井田中佐の手記に、吉田釣は『責任は死よりも重し』の中で反論している。貴重な意見である。

「然し乍ら、指揮権のない一少佐や中佐が最古参大佐の芳賀に撤兵措置を命ずることが出来るか、それは不可能な事である。また、正門の司令室までの乾門から銃前哨に到る五個所の歩哨線を、どのようにして突破して行ったのか、然も乾門から車で入ったということなのでそれは通常皇族並みではないか。

また、守衛隊司令官や大隊長などの巡察の目をどのように潜り抜けて、惟崎、畑中、井田の三人が会談出来たのか、守衛を経験した近衛兵の実情から理解出来ない疑問である。なお、指揮権のないものが撤兵を命ずることは出来ない。然も、恰(あたか)も近衛歩兵第二連隊を宮城占拠軍の如くに表現しているが、それは事実に全く反するものである。故意に畑中らの妄想を補強しているにすぎない。軍旗を奉じて守衛隊の指揮に当っている連隊長が、若い少佐や中佐に頤使されるようなことは、日本の軍隊では到底考えられないことである。」

「日本の軍隊では到底考えられないこと」が起こったのである。(略)『責任は死よりも重し』のような事態が十四日から十五日にかけての「日本のいちばん長い日」に起きたのである。私はこれを一人の演出家が創造したフィクションならぬ、リアリティの世界であったと書いているのである。日本という国は、このような想像をはるかに超えたリアリティを演出されて永らえてきた国家ではなかったかと言いたいのである。バーチャル・リアリティが本当のリアリティに変貌する国、それが日本の姿なのではないだろうか。

(鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』成甲書房、2007年)