畑倉山の忘備録

日々気ままに

明治維新の謎(2)

2016年09月24日 | 鹿島曻

このように過去を作りかえて合理性を否定した国家が、啓蒙主義の洗礼を受け、異なった歴史によって異なった文明を築いた欧米国家と接触したとき、あたかも今日の我々がUFOUの侵略を受けたかのごとく、異常極まるショックを感じたことは当然であろう。

今にして思えば、戦国時代と明治維新とはともに異なった二つの文化、文明の対決であった。それが戦国時代には鎖国によって日本の文化を守ろうとし、明治維新には日本の文化が独自性を捨てて西欧文明の中に埋没するという形で終わったのである。

しかし、ひとくちに文化といい文明といってもそれにはウラとオモテがある。日本側に優れた指導者がいれば、日本が受容した西欧文明はオモテの部分の優れたものだけが対象となったはずであろうが、維新の指導者は酒と女に溺れて革命の大義を放棄し、自分たちが孝明天皇父子を殺し天皇をすりかえた犯罪をひたかくしにして、日本的な腐敗の源泉であった北朝系官僚システムと妥協したため、日本が受容した西欧文明は奴隷主義、帝国主義、植民地主義などによって腐敗したヨーロッパの裏文化、すなわち差別イデオロギーそのものであった。

あえていうならば、日本は欧米という吸血鬼ドラキュラに血を吸われて、自らも吸血鬼と化したのである。そしてこのことを可能にしたのは情報を独占して国民に何も知らせないという手法であった。

(鹿島曻『裏切られた三人の天皇』新国民社、1997年)