ソビエトが共産主義の失敗を戦争によらず、国際資本主義に屈服して資本主義グループに参加するという形で国家の存続を図ったのに比べて、日本は帝国主義の矛盾を戦争によって先にのばした。この国の無能なる政治家たちは国家の存続を考えることなく、常に問題の解決を先のばしして保身を計ったからである。
このことを、モスクワ大学教授のガブリール・ポポフは、
「革命は新しい体制をつくり出すが、本来、革命が目指すものとは無縁の体制が革命の担い手になることは、フランス革命の歴史が証明している。しかも革命後の新制度は旧体制の制度の中から生まれてきたもので、過去にあったものとの妥協の産物だ。社会主義の七〇年余の歴史を振り返ると、社会主義理論が目指した社会主義を実現できなかった現在の社会主義は行政的社会主義、全般的国家社会主義とでも呼ぶべきもので、旧体制の破壊には有効だったが新体制の創設では有効ではなかった。我々は現在の社会主義を克服せねばならない。社会主義の基本理念は過去七〇年間に大きく傷ついた」と主張した(「朝日新聞」89/11/8)。
ポポフが「革命後の新制度は旧体制の制度の中から生まれてくる」といったことは、明治革命による新政府が旧体制の北朝官僚に依存し、その過去の手法によって情報を独占し、国民には必要な情報をー切与えず、ただただ官僚の命ずるままに諾々として奉仕するという、あたかも奴隷制のごとき封建制の不法を復活させたことで明らかであろう。吉田松陰が叫んだ解放の大義は捨てられて、朝鮮人やシナ人がおのれの系図を偽造し、歴史をデッチアゲた「倭の大乱」以降の大侵略時代が、その本国に向って侵略者の姿となって出現したのである。
(鹿島曻『裏切られた三人の天皇』新国民社、1997年)