畑倉山の忘備録

日々気ままに

明治維新の謎(3)

2016年09月24日 | 鹿島曻

アメリカ合衆国憲法の父と呼ばれたジェームス・マディソンは、「人民が情報をもたず、情報を入手する手段をもたないような人民の政府は、喜劇ヘの序章か悲劇ヘの序章か、あるい双方ヘの序章にしかすぎない。知識をもつ者が無知な者を永久に支配する・・・・・」と述べている。

この言葉は敗戦という日本国の悲劇を、天皇ヒロヒトの「御聖断」が国を救ったとする日本国の喜劇を、明確に予言したものであった。だから、ありていにいえばのちに天皇ヒロヒトを作り出した明治維新は失敗以外のなにものでもない。

明治天皇は自ら南朝の末孫であるのにその事実をかくすことを求められた。すなわち自分が政治を委託した人びとに裏切られて、一生涯鉄仮面をつけていつわりの人生を強要されたのである。それは格子なき牢獄の人というべく、家族と絶縁させられ、全く自由がないという意味ではさながら囚人と変わらないものでもあった。

天皇が自らの出自をかくし、家族や旧友たちと絶縁したら南朝革命は存在しなかったことになる。兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川は、夢となって老いたる天皇の枕頭に現れたであろう。天皇もついにそんな人生にたえられず、その晩年には、南朝正系論によって自ら出自を明かそうとしたが、このときー人の側近も天皇を助けようとはしなかった。

時に側近の学奴たちは多くいたもののすべて虎の威を借りる狐ばかりで、自分が権力の分け前にあずかれば余計なことはしないというのである。孝明天皇と睦仁が臣下に裏切られたのと同じように、明治天皇もまた、いやそれ以上に臣下から裏切られたのである。

それゆえに、明治天皇を完全なる手本としてそれを修正できなかった天皇ヒロヒトの治政は、ゴマスリ東条や長い間北朝に仕えた家柄の近衛などにかこまれて、敗戦という悲劇によって「聖戦」を終了せざるをえなかったのである。

(鹿島曻『裏切られた三人の天皇』新国民社、1997年)