探 三州街道 

伊奈備前守、高遠保科家、信濃国など室町時代・戦国期の歴史。とりわけ諏訪湖と天竜川流域の歴史の探索。探索者 押田庄次郎。

研究ノート 伊奈備前守熊蔵忠次の祖・戸賀崎・荒川家の頃 鎌倉・室町時代

2014-07-27 12:43:16 | 歴史

研究ノート 伊奈備前守熊蔵忠次の祖の系譜

伊奈備前守熊蔵忠次の祖・戸賀崎・荒川家の頃 鎌倉・室町時代

『足利家家臣系譜』より

足利家家臣系譜

○荒川詮頼頼直子頼清孫満氏曾孫戸賀崎義宗玄孫広沢義実耳孫三河 石見守護
詮長詮頼子治部 石見守護代
詮宣詮長子遠江
  満頼
  政宗宮内
  三河
  太郎三郎
  澄宣治部
晴宣澄宣子治部時宣?宮内
輝宗晴宣子与三菅野勝兵衛

民部仕畠山政長延徳頃
珍国民部仕足利義維
直定善兵衛
宗直直定弟市助
頼俊助左衛門仕毛利元就
氏俊瀬兵衛寛永頃

易氏戸賀崎氏元裔?四郎
易次易氏子太郎熊蔵

書き直し
1:広沢義実 (足利義実)
2:戸賀崎義宗
・・・・足利義実の子:仁木実国、戸賀崎義宗、細川義季(細川氏へ)。
足利氏(下野源氏)一門の矢田義清の孫、広沢義実の子、仁木実国・細川義季の弟、宗氏・満氏の父、満義(満氏の子)の祖父。建久元年(1190)に、下野国安蘇郡赤見郷(現栃木県佐野市赤見大字)に赴任して、赤見城(佐野城)を築城した。
・・・・足利一門の支流。栃木・佐野辺りに拠点。足利一門として鎌倉幕府の御家人として勢力を張る。
3:荒川満氏
4:荒川頼清
5:荒川頼直
6:荒川詮頼 三河(守) 石見守護 (丹後守護)
・・・・正慶二年/元弘三年(1333)、足利尊氏(義詮の父)の九州からの上洛作戦に従って各地を転戦した。その功によって建武四年/延元二年(1337)頃、丹後国守護職に任ぜられた。貞和五年/正平四年(1349)から始まる観応の擾乱では、父と共に足利直義方に味方するが、直義の横死後は室町幕府に帰順した。文和元年/正平七年(1352)、石見国守護。益田、周布、大内、山名氏等の有力国人を統治できず守護罷免。管領の細川頼之に石見守護職への再任を求め、石見守護職に再任。康暦の政変で頼之が失脚すると、石見守護職を罷免された。
7:荒川詮長 詮頼子 治部 石見守護代
8:荒川詮宣 詮長子 遠江(守)
     子:満頼
       政宗 宮内
       三河
       太郎 三郎
       澄宣 治部
9:荒川晴宣 澄宣子 治部 時宣? 宮内
・・・・8:-12:の間、幕府閣僚の治部、石見守護代、宮内、治部などの役職を勤めた。この被官は、仮名ではなく実際の被官の可能性が高い。
10:荒川輝宗 晴宣子 与三 菅野勝兵衛


11:荒川民部 仕畠山政長 延徳頃
・・・・畠山政長(1442-1493)応仁の乱起こす
12:荒川珍国 民部 仕足利義維
・・・・足利義維(1509-1573)十一代将軍・足利義澄の次男。荒川珍国の系流は、徳島へ渡り「荒井家」として存続されたことが確認されているが、荒川家支流であると思われる。
13:荒川直定 善兵衛
14:荒川宗直 直定弟 市助
15:荒川頼俊 助左衛門 仕毛利元就


16:荒川易氏 戸賀崎氏元裔? 四郎(神)
・・・・「常徳院義尚より信濃国伊奈郡(伊那郡)を賜って住む」を前提にするなら、年代的に、11:荒川民部かその子息が荒川易氏の可能性が高い。子息の場合、将軍義尚の奉公衆に荒川の姓のものがあること(義尚の蹴鞠の相手)が確認されている。しかし氏名の比定は出来ていない。
17:荒川易次 易氏子 太郎 熊蔵

上記のように、この系譜自体信頼性は60%であり、これが伊奈家からの提示でなければ、仮冒の可能性が薄らぎ、精度は70%に上がるのだが。

「11:荒川民部 仕畠山政長 延徳頃」のところ・・・point。実態のない管領であった畠山政長と家臣のこと・・深掘りが必要。