クロワッサンの唇に貼り付く文化の日 俳句結社の主宰文化の日はゴロ寝 猫とゐる時間文化の日と信ず 動物にたとえれば何ですか文化の日 開戦の日終戦の日そして文化の日 頬杖はつかない文化の日とは限らない 渋谷センター街ボーイズ・アンド・ガールズ文化の日 矢立初めの顔抜き看板文化の日(千住大橋脇) 人間コントロール技術文化の日 文化の日赤旗祭りの八代亜紀
今日は土曜の句会の選句で始まり終わる一日であった。いつもは選句表が郵送され、結果をメールで返信するのが、3連休のため時間短縮のためコンビニでFAXを受け取る方式であった。それがアダとなって1枚目がサイズが合わず、20句ほどが読み取れなかった。結局電話で補填しやっと全句揃った。7句選のうち特選に取ったのは前頁の通り 秋澄むやクロワッサンはひかりの束 である。私の選を加え全体の成績は後日郵送される。自分の句よりこの特選句の方が気になる。作者名だけでも知りたいと編集長に問い合わせるとKさんであった。納得のゆく作者名であった。それにしても『クロワッサンはひかりの束』とクロワッサンを主語(「は」)としたところが優れている。これで「や」で切れた大きな「秋澄む」の空間のなかでクロワサンが生き生きとしてくる。その上でクロワッサンが【ひかりの束】に変貌する。それを見届けるのはもちろん作者である。・・《続く》
昨日の句会の選句表はさきほど送られて来た。新結社とあって人数は少ないがいずれ劣らぬ名手揃いである。当然全員基本は出来ている。あとは各人の句作に対するスタンスのみである。私は無季容認派で自由律、破調、口語・・と何でもありである。すなはち俳句とは言語による普遍的な自己表現であり一行の定型詩である。近代俳句の21世紀のいまになっても死に切れず醜態を晒すアナグロニズムには用は無い。とは言っても人間とは弱い生き物で知の厳しさより既存の季語季題に自己を任せた方が当面の精神の慰安を得やすい。所謂季題趣味や盆栽俳句である。とりあえずここではそういった趣味性の希薄な定型表現による自己更新を志向するものを選んだ。 秋澄むやクロワッサンはひかりの束 結社句会のため作者名は公表しないが実に見事な季語の斡旋とそれに見合った適確なことばの配置と言える。クロワッサンのあの味や視覚イメージは【ひかりの束】と言うに相応しく、それの重なり合った『束』という表現も安定的で美しい。今回も良い句に出合ったものだ。次回は必ず出席して作者にエールを送るつもりである。きっと突き抜けた魂のかがやきを希求する作者であるはずである。・・《続く》
今日は昨日の疲れで先ほどやっと起き上がれた。今夜も明日の仕事に備えて早めに就寝しなければならない。今はかなり曇って来ているが気温は予想外に高くなっている。3時には出て土曜の欠席投句分のファクスをコンビニで受け取りマックで選句に入る。今回はどんな句に特選を打てるか大いに楽しみである。先月は 一の酉夢見るような面を買う であった。目にした瞬間【夢見るような】が胸に突き刺さった。祭りや縁日で見かけるお面はどれも突き抜けた明るさが共通している。句会の選句表は手書きのコピーなので一句々々の客観性が削がれるため読み手の想像力がものを言う。この新結社は伝統改革派である以上作者の感性や感覚が前面に出ているべきだ。主宰作品がその典型である。さらに季題の斬新な解釈をも期待したいところだがそこまでは見られない。また贅沢な望みかもしれないが写生(写実)句が少ないことも目立つ。写生には客観と主観のものに分類出来るだろうが、現代では両者が渾然一体となったスーパリアルなものでなければ価値は無い。さてどうなるか・・。 どこから来てどこへ行くのか秋枯葉 まほろば
鉄塔のてっぺん冬鳥の落下せり 鴨無数高速道路の捩れけり 秋思果つ東京の空に双子星 けらつつき鉄砲柱の大揺れに 老蝶の背負ふ巨大な巌かな 草の王はじけて我も無かりけり ファクスの君恋しゆえ君殺め 恋空とは春の泥なり再生す 太陽に溶けて大海冬ざるる 月まつる天国と地獄うすれけり