【国際人のグローバル・リテラシー 2.欧米 自由について(ギリシャ、ローマ、ゲルマン)】
この稿は、授業中に取られたメモをベースに多少字句は変えたが、授業中の議論の
雰囲気を再現するために、編集自体は最小限にしている。
従って、議論のなかには、認識や事実との食い違いがあるかもしれないが、とりあえ
ずクラスで議論していた様子をほぼそのまま再現して、提示している。
*************************
モデレーター:セネカ3世(SA)
パネリスト:
P1: パープル(文・1)
P2: ブルー(文・1)
P3: レッド(文・1)
P:パネリストの発言を要約
A:オーディエンスの発言を要約
「」:モデレーターの発言を要約
『』:著書名(もしくは発言中で注目すべきところ)
():筆者注釈
「物事を理解するには、中心軸(口語的にいうと『キモ』)をきっちりと把握しておく必要がある。
例えば日本であれば、神道のキモとは何か?」
P1:自然のものにはすべて神が宿っている。
P2:穢れを非常に嫌う。
P3:自然と一体となる。
(SA)「神道のキモは穢れを極端に嫌う、という点にあると考えられる。
それと比較した場合、ヨーロッパのキモは、『自由』である。
過去からずっと現在に至るまでこのキモの重要性は変わっていない。
『歴史』ポリヴィウス、ヘロドトス、トゥキディデス
…2000年以来のキモが『自由』である。
ところで先にあげた人の一部はローマ人である。ローマは前6世紀からの国であるが、
建国以来、600年の間にもずっと、『自由』を求める記述が、例えばLiviusの『ローマの歴史』
に書かれている。
『ガリア戦記』(カエサル著)
「何の目的でカエサルはこの本を書いたか?」
A:自分が実際にガリアに出かけた、見たことをかいた。
「カエサルは、ガリアやブリタニカにまで戦争をしにいった。そしてその戦捷のレポルタージュ
をローマに送り続けた。
ゲルマン人のもつ『強烈に自由を求める心』が書かれている。
ユダヤの話…ユダヤ人は、紀元後1世紀にローマに敗れてボロボロになった。
『ユダヤ戦記』ヨセフス著・・・ユダヤ人である著者はなぜギリシャ語で書かなければいけなかったか?」
P3:ヘブライ語で書いたら読めない人が多い。
(SA)読者のことを考えるまえに、著者自身が、書けるためにはギリシャ語を知っていないといけない。
当時の知識人の間の共通語が、ギリシャ語であった。
ユダヤ・ローマ・ギリシャ、三者三様だが、自由に対する意識は共通する。
リヴィウスの『ローマの歴史』がリバイバルしたのは…フランス革命のころ。
Loebの本を見せつつ: 『ローマ建国史』リヴィウス…ラテン語と英語の対訳本であるので、
十数冊あるが、全部読めば英語は上手くなる」
『十八世紀パリ生活史』には革命意識の高揚にリヴィウスの『ローマの歴史』がベースに
なっているとの記述がある。つまり、ローマをもう一度理解すること=フランス革命の精神に直結
しているといえる。
『ガリア戦記』
「この本をどう思ったか?」
P3:名前だけは聞いていたけど、やっぱり本が存在していたんだ、と思った。
(SA)「名前だけ知ってそれで良しとせず、本は手にとって読むべし。
このガリア戦記は、文庫本でたかだか300ページぐらいの本。頑張れば半日で読み終わる」
Q1:ギリシャにおける自由とは?
P1:共同体において自分の生き方を決める。ポリス=人々の集まり?
「ポリスは人の集まりか?」
A:人々が集まって、共同作業をして、ネットワークを作っている。
「じゃあ、ポリスは世界中どこにでもあったの?」==>(SA)この質問はポリスというものの定義
が不完全であったのでさらに説明をもとめた
A:そもそもポリスとは何語?
「ポリス=警察…?関係あるの?」
ポリス・・・一つの町としてどういう風に統制されていたか?」
P2:役割を決めることで、成り立っていく。
「ではその役割の決め方は?」
P2:話し合いで決める。
P3:話し合い。
「決裂したら?」
P3:決められないと思う。
「じゃあどうするの?自由競争?
論を詰めていくことは重要。高校までは『この一文を覚えなさい』の繰り返し。論をつめていくためには、いろいろなバラエティに富んだことを覚えていくことが必要」
P3:話し合いで一番適した人間を決めていく。ダメだったらあきらめる。
「ということは、ギリシャではあきらめることが多かったのか?」
P3:多かったのでは?
「デマゴーグとは?」
A:煽動。
A:民衆をたきつけてひとつの意見に集約させる。
A:感情で振り回す。それで説得させる。
A:自分の行きたい方向に相手を導く。
A:人をあおりたてて、自分のやりたい方向に導く。欲など、人の弱みに付け込む。
A:煽動したい人が、させたい人たちを盛り上げて、反対者を出させないようにする。
「デモス(demos、民衆)+アゴーゴス(agogos、引っ張る)。論理よりも感情で人を自分の味方につける。
ヒトラーの演説…。手を振り上げながらしゃべる=煽り立てる。
もともと悪い意味ではなかった。例えばペリクレスはデマゴーグ(民衆の指導者)と呼ばれていた。
しかし、次第に、国政を歪めていく人が増えてきたので、悪い意味で使われるようになった。
「自由の価値はいつわかる?」
P1:自分の価値を失った時。自分の意見が集団で受け入れられなかったとき。
「意見は集団によって失われた?」
P1:いつの時代にも集団の意思にそぐわなければ意見は通らない。
「自由の反対語は?」
P2:規律
P3:奴隷(⇔自由人)、社会主義(⇔資本主義的自由)
「自由人は?」
P3:ギリシャでは市民が自由人。生産活動等が可能。
「自由人はどうやって決まる?生まれつき?」
P3:親の身分、金で多少は変わるかも。
「じゃあ変更は可能?」
P3:基本的には無理である。
P1:身分は生まれつきのもの。能力が高い人間が身分的にも高くなった。
身分が高かった生まれの人でも、子供は能力が低ければ奴隷になる。
P2:ギリシャ時代は、民族によって分かれていた。民族が同じなら自由。異民族なら奴隷。
A:戦争で勝てば自由民、負ければ奴隷。
A:土地を持っていれば、奴隷をたくさん持っていれば身分が上がっていく。土地を獲得出来れば奴隷を脱却できる
A:金で決まる。
A:移動の自由があるか否か。土地があったら自由人。奴隷はその土地に縛り付けられる。やめられるかどうかは不明。
「奴隷はいつ奴隷の身分から抜け出せる?
P1:能力が高ければ、主人をなんとか出来るので、奴隷から解放される。
「では誰が決めるのか?」
P1:他人、政治団体の判断か?
P2:共同体の崩壊を持って、奴隷から解放される。新しく勝ったところの奴隷になる?
「奴隷の種類は?」
P2:債務奴隷、戦争奴隷。債務奴隷は債務を返せない間、奴隷として働いたら戻れるが、戦争奴隷は一生奴隷。
「戦争奴隷は一生身分から解放されない、というわけね」
P3:認めてもらえればランクアップする。場合によっては市民レベルまで上がる。市民権を得られるとされる。
(SA感想)ここの議論はいろいろな意見がでた。歴史の教科書をみれば数行で片付けられること
でも自分のもっている知識をフルに使って考えると、いろいろな理屈がなりたつことが分かる。
一つの正解を求めるのではないく、このような活発な議論が私のこの講義の眼目であるので、
今後ともこのような活発な雰囲気を醸成するようにしたい。
「ローマ、ギリシャには市民権という考えがある。
日本には市民権、という考えはあったか?」
A:昔はなかったが、明治維新の際に受動的に得られたと思われる。
A:江戸時代の士農工商、その下の、には与えられていない。
(そもそも士農工商自体が差別である。市民権という概念を捉える際、重要になってくるのが、市民権は何をもたらすかということである。
一言で言い表すとすれば、市民権≒市民としてその属する市の政策に係わる権利=公民権だろう。
これは近代の国民主権(もしくは人民主権)の考え方から生まれてくる。ある意味憲法上の問題でもありえるのだ。
興味のある方は、憲法学者が出している本を読んでみていただきたい。
(例:大石眞著『憲法講義Ⅰ』:法学部専門授業向けの教科書。少し難解であるが、読んで咀嚼すれば大体私の言いたいことはわかっていただけると思う)
「市民権のメリットは?」
A:生活が制限される。例:居住区制限から、差別につながる。
「市民権を持ってるか否かを判断できる場所はあるのか?」
A:、は他人の嫌がる仕事をしていた。
「ほかの人は市民権があることで守られるものがあるの?」
A:職業選択の自由があったと思う。
(上記の士農工商の差別的内容について書いた注釈を参照してほしい。
士農工商は職業選択の自由を否定していた。但し、養子を使うことで若干の階級上昇はありえた)
A:市民権があったという考えはないと思う。町人意識、商人意識の下に・があったのではないか。
(特に武士の下におかれた農民や町人たちにとって、・がいることで、自分たちは最下層ではないと感じてモラル維持をできていたのではないだろうか)
「市民という概念は存在していなかっただろう。
市民であることによる権利は、奴隷には無関係。その権利・義務とは?」
P2:民会に参加すること
P3:兵役・納税
P1:兵役
「兵役についていない人は?」
P1:成人男性のみ(15歳)が参加していた。女子、子供はついていない。
「市民だと、攻め込まれてきたら戦争しなければならない。では、奴隷は?」
A:脱出する。
A:逃げ惑う。防具、武器がないから何も出来ない。
A:後方支援を無理やりやらされる。
A:危険な場所に追い込まれる。
A:素手で戦う。
A:敵に寝返って主人に仕返し
A:奴隷は奴隷のまま。勝ったほうの奴隷となる。
A:戦争中の市民の家族のために働く。
A:家族の身代わりになって守る。
A:物資を運んでいった。
A:どさくさにまぎれて自由民になる。
P3:勝てそうな間は使うが、負けが必至になると、殺される。
(SA)「ポリスによって扱いは違う。あるところでは、奴隷が逃げ出さないように足を鎖でつながれることも。
スパルタの奴隷:自由人=9:1。奴隷が反乱すると危険→動かないようにつながれることもあったが
別のポリスでは、非常手段として戦争に協力すれば、戦争終了後に解放を約束して戦線に投入した
例もあった。
(SA感想)ここの議論も、上と同様、いろいろな意見がでた。
トゥキディデス『戦史』…ペロポネソス戦争当時、アテネのメロス島攻撃の話がでている。
メロス島の人は結局無条件降伏した。そしたら、どうなった?」
P1:皆殺しにした。反乱をしたとしたら全員。
P2:奴隷よりは地位を高めにした。
P3:自由人は反乱の首謀者として殺害。奴隷は自分たちのものとして収容。
A:自由民も奴隷も全員奴隷。
A:主導的な者を殺し、後の市民を奴隷。
A:奴隷だけ解放。自由人を殺させた。
「成人男子は皆殺し。女子供は奴隷。奴隷も奴隷として収容された。」
「しかし、戦争に勝てば勝つほど、奴隷は増えるばかりだと、食糧などに困らないか?処理しない?」
P3:必要のない奴隷は殺す。
P2:一定の人数を市民に格上げ。
P1:餓死させる。
「売ればいい。買う人がいる。当時、地中海地域には国際売買のブローカーがいたし、大規模な奴隷市場があった。
たくさん売れば儲かる。
日本の場合は、戦争をすると武士は殺されてしまう。
ヨーロッパの場合は、なるべく殺さずに捕虜にする。
では、奴隷は一人当たりどれぐらいで売っていたのか?」
P1:100円くらい?
P2:5000円くらい
P3:数千円
1万以下…
50万以下…学生の多数意見
200万以下…
以上…
(SA)「一人、大体300万~500万円。
勝てば勝つほど、奴隷がもらえる。だから戦争にみんな参加する。
奴隷一人300万円。その他、略奪」
A:奴隷の捕まえ方は?
「降参して逃げない奴がいる。引っ張ってきて、勝った人の中で分配する。
戦争一日、1ドラクマが給料としてもらえる。これで一日過ごすためには、5000円~1万円と見るのが妥当。
そこで奴隷は300ドラクマぐらいで売られていることを考えると、300万円ぐらい。
奴隷は足に鎖をつけられる。
アテネがシシリー島(当時ギリシャ)を攻めたが、逆に大敗北して1万人弱の人が降参し、捕らえられた。
石切り場に連れて行かれ、そのまま閉じ込められた。排便、食事全部そこでやらせた。そういうのが奴隷としての待遇なのだ。
そういうものだから、みんな、自由を求めた。その対義語は、『不自由』ではなくもっと過酷な運命の『奴隷』。
ヨーロッパでこういう精神が脈々と受け継がれてきた。
(奴隷は完全に「物」である。殺しても対価を支払えば許される時代があった。
したがって自由などというものはまったくと言っていいほど存在していなかったと考えるのが妥当だろう)
Q10.ローマ人からみたゲルマン人の自由への渇望とは?
P1:まったくわからない
P2:ゲルマン人は個人に興味なし。部族的には広い土地が欲しいけど、その中では首領様といえ、皆と平等。
P3:傭兵、奴隷として受け入れてきたので、そういう人々に意識はない。
P1:封建制の半分は「従士制」にしたがっていた。ある程度そこにヨーロッパ人は自由を見つけていたのではないか。
ローマは将軍によるので「集団戦法」
『ゲルマニア』タキトゥス著
「ゲルマン人内では2つのクラスが有力であった。1:僧侶。2:馬を持ってる人。
この2つは、一般人からかけ離れていて、権力を持っていた。
ヨーロッパでは未だに馬を大切にしている。
日本では古来からはそういう考えはなかった。
居酒屋にヨーロッパ人を連れていって、馬刺しを頼むとヨーロッパ人は驚愕する。馬を神聖なものと
見なしているので。
インドも僧侶、騎士が社会の上層部を形成している。
ローマでも1.貴族、2.騎士というように、騎士は重要とされた。
タキトゥスによると、ゲルマン人の自由への思いは、ローマ人以上に熱烈なものだった」
【雑談】
その1:ギリシャ語、ラテン語の勧め
英語に上達しようと思ったら、ギリシャ語とラテン語はすべし。この2つをやらない限り、
いつまでも英語は外国語である。英単語は、難しい単語になると丸暗記するしかないと思うかも
しれないが、ギリシャ語とラテン語を学ぶと、難しい英単語でも瞬時に覚えられる。
我々が例えば、松、桜、杉を一瞬で覚えられるのは、木へん→「木」のカテゴリーを覚えているため。
それと同じ理屈だ。
偏100個と旁100個で1万通りの組み合わせがある。すなわち、単純に100+100=200語より、
理論上は50倍は多く覚えられる。漢字はベーシックな字を覚えると、後は爆発的に覚えられることを
我々は経験上知っている。それと同じことが英単語についても言えるのだ。
その2:中国人のマナー
「上海万博。行列を作る中国人は体をくっつける。どう思う?」
A:前の人との間を少しでも開けていると隙を見て横から割り込みしてくる。
「中国人のマナーの悪さを『人口が多いから』と言ったコメンテーターがいたが、
それは、誤った推測だ。もしそれが正しいなら、ほかの人口密集地域や国だってマナーが悪くなる
という結論にならないとおかしいが、そうなってはいないではないか。
A:供給にありつくために競争が増える。
A:人口が多いのとは関係ない。実際は悪いことだと思っていない。昔からの風習である。
A:需要、供給は日本でも同じではないか。中国では昔から発生していた。
「需要、供給から見て、割り込みの原因を需要の増大と見ることは出来る。
でも、本当に必要なことを見ていないのは良くない。
その3:一面的な考えの危険性
国際弁護士石角完爾氏のブログの2010.04.15 に、
『Harvard大学で今一番人気のある授業は?』という記事が掲載されていた。
http://www.kanjiishizumi.com/
タイタニック号で他の人をかきわけて助かった日本人に対する意見。
1:割り込んだ日本人の行為を卑劣とみなす意見。
2:ユダヤの神様はどっちを助けたかったのかと問う意見
この二つの考えに留まらず、本当はどうすべきであったのか?と問うことが大切。正解はいくつもある
はず、従って、自分でいろいろな前提条件にたって回答を考えるべき。単に一つの『世間常識』だけで
判断すべきでない。ある条件下ではこの案を選ぶ、しかし別の条件下では別の案を選ぶという柔軟性が
あってしかるべき。 すべて考えて、ある条件では、いいと評価されるかも、悪いと評価されるかもし
れないのである。
その4:武士道について
新渡戸稲造の『武士道』…武士道精神というのは、本当に日本にしかないのか?
リヴィウスの『ローマの歴史』を全編読むと、当時(紀元前)のローマにも新渡戸がいう武士道精神
と同じ行動原理を持っていた人が何人もいたことがわかる。
『遼東の豕』(ある村に白豚が出来た。普段は灰色・黒色の豚しか見ていなかったので、白豚は珍しい
ので、皇帝に捧げようと考えた。白豚を連れて、てくてくと都まであるいて行く途中で
白豚がたくさんいたのをみて、引き返した。
結局、『武士道』は世界中に存在する。それを知った上で、日本の武士道は違うんだ、と
思って発言するのは良いが、それを知らずにやみくもに『日本精神の武士道』と強調するのは
『遼東の豕』の愚を犯すことになる。
(SA)『遼東の豕』の話をした時に、この語を知っているか?と聞いたところ、40数人の学生の
中で一人も知らなかった。故事成句を学ばず、知らない、こういった点で現在の高校までの
国語教育にある種のいびつな欠陥を私は強く感じる。
この稿は、授業中に取られたメモをベースに多少字句は変えたが、授業中の議論の
雰囲気を再現するために、編集自体は最小限にしている。
従って、議論のなかには、認識や事実との食い違いがあるかもしれないが、とりあえ
ずクラスで議論していた様子をほぼそのまま再現して、提示している。
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モデレーター:セネカ3世(SA)
パネリスト:
P1: パープル(文・1)
P2: ブルー(文・1)
P3: レッド(文・1)
P:パネリストの発言を要約
A:オーディエンスの発言を要約
「」:モデレーターの発言を要約
『』:著書名(もしくは発言中で注目すべきところ)
():筆者注釈
「物事を理解するには、中心軸(口語的にいうと『キモ』)をきっちりと把握しておく必要がある。
例えば日本であれば、神道のキモとは何か?」
P1:自然のものにはすべて神が宿っている。
P2:穢れを非常に嫌う。
P3:自然と一体となる。
(SA)「神道のキモは穢れを極端に嫌う、という点にあると考えられる。
それと比較した場合、ヨーロッパのキモは、『自由』である。
過去からずっと現在に至るまでこのキモの重要性は変わっていない。
『歴史』ポリヴィウス、ヘロドトス、トゥキディデス
…2000年以来のキモが『自由』である。
ところで先にあげた人の一部はローマ人である。ローマは前6世紀からの国であるが、
建国以来、600年の間にもずっと、『自由』を求める記述が、例えばLiviusの『ローマの歴史』
に書かれている。
『ガリア戦記』(カエサル著)
「何の目的でカエサルはこの本を書いたか?」
A:自分が実際にガリアに出かけた、見たことをかいた。
「カエサルは、ガリアやブリタニカにまで戦争をしにいった。そしてその戦捷のレポルタージュ
をローマに送り続けた。
ゲルマン人のもつ『強烈に自由を求める心』が書かれている。
ユダヤの話…ユダヤ人は、紀元後1世紀にローマに敗れてボロボロになった。
『ユダヤ戦記』ヨセフス著・・・ユダヤ人である著者はなぜギリシャ語で書かなければいけなかったか?」
P3:ヘブライ語で書いたら読めない人が多い。
(SA)読者のことを考えるまえに、著者自身が、書けるためにはギリシャ語を知っていないといけない。
当時の知識人の間の共通語が、ギリシャ語であった。
ユダヤ・ローマ・ギリシャ、三者三様だが、自由に対する意識は共通する。
リヴィウスの『ローマの歴史』がリバイバルしたのは…フランス革命のころ。
Loebの本を見せつつ: 『ローマ建国史』リヴィウス…ラテン語と英語の対訳本であるので、
十数冊あるが、全部読めば英語は上手くなる」
『十八世紀パリ生活史』には革命意識の高揚にリヴィウスの『ローマの歴史』がベースに
なっているとの記述がある。つまり、ローマをもう一度理解すること=フランス革命の精神に直結
しているといえる。
『ガリア戦記』
「この本をどう思ったか?」
P3:名前だけは聞いていたけど、やっぱり本が存在していたんだ、と思った。
(SA)「名前だけ知ってそれで良しとせず、本は手にとって読むべし。
このガリア戦記は、文庫本でたかだか300ページぐらいの本。頑張れば半日で読み終わる」
Q1:ギリシャにおける自由とは?
P1:共同体において自分の生き方を決める。ポリス=人々の集まり?
「ポリスは人の集まりか?」
A:人々が集まって、共同作業をして、ネットワークを作っている。
「じゃあ、ポリスは世界中どこにでもあったの?」==>(SA)この質問はポリスというものの定義
が不完全であったのでさらに説明をもとめた
A:そもそもポリスとは何語?
「ポリス=警察…?関係あるの?」
ポリス・・・一つの町としてどういう風に統制されていたか?」
P2:役割を決めることで、成り立っていく。
「ではその役割の決め方は?」
P2:話し合いで決める。
P3:話し合い。
「決裂したら?」
P3:決められないと思う。
「じゃあどうするの?自由競争?
論を詰めていくことは重要。高校までは『この一文を覚えなさい』の繰り返し。論をつめていくためには、いろいろなバラエティに富んだことを覚えていくことが必要」
P3:話し合いで一番適した人間を決めていく。ダメだったらあきらめる。
「ということは、ギリシャではあきらめることが多かったのか?」
P3:多かったのでは?
「デマゴーグとは?」
A:煽動。
A:民衆をたきつけてひとつの意見に集約させる。
A:感情で振り回す。それで説得させる。
A:自分の行きたい方向に相手を導く。
A:人をあおりたてて、自分のやりたい方向に導く。欲など、人の弱みに付け込む。
A:煽動したい人が、させたい人たちを盛り上げて、反対者を出させないようにする。
「デモス(demos、民衆)+アゴーゴス(agogos、引っ張る)。論理よりも感情で人を自分の味方につける。
ヒトラーの演説…。手を振り上げながらしゃべる=煽り立てる。
もともと悪い意味ではなかった。例えばペリクレスはデマゴーグ(民衆の指導者)と呼ばれていた。
しかし、次第に、国政を歪めていく人が増えてきたので、悪い意味で使われるようになった。
「自由の価値はいつわかる?」
P1:自分の価値を失った時。自分の意見が集団で受け入れられなかったとき。
「意見は集団によって失われた?」
P1:いつの時代にも集団の意思にそぐわなければ意見は通らない。
「自由の反対語は?」
P2:規律
P3:奴隷(⇔自由人)、社会主義(⇔資本主義的自由)
「自由人は?」
P3:ギリシャでは市民が自由人。生産活動等が可能。
「自由人はどうやって決まる?生まれつき?」
P3:親の身分、金で多少は変わるかも。
「じゃあ変更は可能?」
P3:基本的には無理である。
P1:身分は生まれつきのもの。能力が高い人間が身分的にも高くなった。
身分が高かった生まれの人でも、子供は能力が低ければ奴隷になる。
P2:ギリシャ時代は、民族によって分かれていた。民族が同じなら自由。異民族なら奴隷。
A:戦争で勝てば自由民、負ければ奴隷。
A:土地を持っていれば、奴隷をたくさん持っていれば身分が上がっていく。土地を獲得出来れば奴隷を脱却できる
A:金で決まる。
A:移動の自由があるか否か。土地があったら自由人。奴隷はその土地に縛り付けられる。やめられるかどうかは不明。
「奴隷はいつ奴隷の身分から抜け出せる?
P1:能力が高ければ、主人をなんとか出来るので、奴隷から解放される。
「では誰が決めるのか?」
P1:他人、政治団体の判断か?
P2:共同体の崩壊を持って、奴隷から解放される。新しく勝ったところの奴隷になる?
「奴隷の種類は?」
P2:債務奴隷、戦争奴隷。債務奴隷は債務を返せない間、奴隷として働いたら戻れるが、戦争奴隷は一生奴隷。
「戦争奴隷は一生身分から解放されない、というわけね」
P3:認めてもらえればランクアップする。場合によっては市民レベルまで上がる。市民権を得られるとされる。
(SA感想)ここの議論はいろいろな意見がでた。歴史の教科書をみれば数行で片付けられること
でも自分のもっている知識をフルに使って考えると、いろいろな理屈がなりたつことが分かる。
一つの正解を求めるのではないく、このような活発な議論が私のこの講義の眼目であるので、
今後ともこのような活発な雰囲気を醸成するようにしたい。
「ローマ、ギリシャには市民権という考えがある。
日本には市民権、という考えはあったか?」
A:昔はなかったが、明治維新の際に受動的に得られたと思われる。
A:江戸時代の士農工商、その下の、には与えられていない。
(そもそも士農工商自体が差別である。市民権という概念を捉える際、重要になってくるのが、市民権は何をもたらすかということである。
一言で言い表すとすれば、市民権≒市民としてその属する市の政策に係わる権利=公民権だろう。
これは近代の国民主権(もしくは人民主権)の考え方から生まれてくる。ある意味憲法上の問題でもありえるのだ。
興味のある方は、憲法学者が出している本を読んでみていただきたい。
(例:大石眞著『憲法講義Ⅰ』:法学部専門授業向けの教科書。少し難解であるが、読んで咀嚼すれば大体私の言いたいことはわかっていただけると思う)
「市民権のメリットは?」
A:生活が制限される。例:居住区制限から、差別につながる。
「市民権を持ってるか否かを判断できる場所はあるのか?」
A:、は他人の嫌がる仕事をしていた。
「ほかの人は市民権があることで守られるものがあるの?」
A:職業選択の自由があったと思う。
(上記の士農工商の差別的内容について書いた注釈を参照してほしい。
士農工商は職業選択の自由を否定していた。但し、養子を使うことで若干の階級上昇はありえた)
A:市民権があったという考えはないと思う。町人意識、商人意識の下に・があったのではないか。
(特に武士の下におかれた農民や町人たちにとって、・がいることで、自分たちは最下層ではないと感じてモラル維持をできていたのではないだろうか)
「市民という概念は存在していなかっただろう。
市民であることによる権利は、奴隷には無関係。その権利・義務とは?」
P2:民会に参加すること
P3:兵役・納税
P1:兵役
「兵役についていない人は?」
P1:成人男性のみ(15歳)が参加していた。女子、子供はついていない。
「市民だと、攻め込まれてきたら戦争しなければならない。では、奴隷は?」
A:脱出する。
A:逃げ惑う。防具、武器がないから何も出来ない。
A:後方支援を無理やりやらされる。
A:危険な場所に追い込まれる。
A:素手で戦う。
A:敵に寝返って主人に仕返し
A:奴隷は奴隷のまま。勝ったほうの奴隷となる。
A:戦争中の市民の家族のために働く。
A:家族の身代わりになって守る。
A:物資を運んでいった。
A:どさくさにまぎれて自由民になる。
P3:勝てそうな間は使うが、負けが必至になると、殺される。
(SA)「ポリスによって扱いは違う。あるところでは、奴隷が逃げ出さないように足を鎖でつながれることも。
スパルタの奴隷:自由人=9:1。奴隷が反乱すると危険→動かないようにつながれることもあったが
別のポリスでは、非常手段として戦争に協力すれば、戦争終了後に解放を約束して戦線に投入した
例もあった。
(SA感想)ここの議論も、上と同様、いろいろな意見がでた。
トゥキディデス『戦史』…ペロポネソス戦争当時、アテネのメロス島攻撃の話がでている。
メロス島の人は結局無条件降伏した。そしたら、どうなった?」
P1:皆殺しにした。反乱をしたとしたら全員。
P2:奴隷よりは地位を高めにした。
P3:自由人は反乱の首謀者として殺害。奴隷は自分たちのものとして収容。
A:自由民も奴隷も全員奴隷。
A:主導的な者を殺し、後の市民を奴隷。
A:奴隷だけ解放。自由人を殺させた。
「成人男子は皆殺し。女子供は奴隷。奴隷も奴隷として収容された。」
「しかし、戦争に勝てば勝つほど、奴隷は増えるばかりだと、食糧などに困らないか?処理しない?」
P3:必要のない奴隷は殺す。
P2:一定の人数を市民に格上げ。
P1:餓死させる。
「売ればいい。買う人がいる。当時、地中海地域には国際売買のブローカーがいたし、大規模な奴隷市場があった。
たくさん売れば儲かる。
日本の場合は、戦争をすると武士は殺されてしまう。
ヨーロッパの場合は、なるべく殺さずに捕虜にする。
では、奴隷は一人当たりどれぐらいで売っていたのか?」
P1:100円くらい?
P2:5000円くらい
P3:数千円
1万以下…
50万以下…学生の多数意見
200万以下…
以上…
(SA)「一人、大体300万~500万円。
勝てば勝つほど、奴隷がもらえる。だから戦争にみんな参加する。
奴隷一人300万円。その他、略奪」
A:奴隷の捕まえ方は?
「降参して逃げない奴がいる。引っ張ってきて、勝った人の中で分配する。
戦争一日、1ドラクマが給料としてもらえる。これで一日過ごすためには、5000円~1万円と見るのが妥当。
そこで奴隷は300ドラクマぐらいで売られていることを考えると、300万円ぐらい。
奴隷は足に鎖をつけられる。
アテネがシシリー島(当時ギリシャ)を攻めたが、逆に大敗北して1万人弱の人が降参し、捕らえられた。
石切り場に連れて行かれ、そのまま閉じ込められた。排便、食事全部そこでやらせた。そういうのが奴隷としての待遇なのだ。
そういうものだから、みんな、自由を求めた。その対義語は、『不自由』ではなくもっと過酷な運命の『奴隷』。
ヨーロッパでこういう精神が脈々と受け継がれてきた。
(奴隷は完全に「物」である。殺しても対価を支払えば許される時代があった。
したがって自由などというものはまったくと言っていいほど存在していなかったと考えるのが妥当だろう)
Q10.ローマ人からみたゲルマン人の自由への渇望とは?
P1:まったくわからない
P2:ゲルマン人は個人に興味なし。部族的には広い土地が欲しいけど、その中では首領様といえ、皆と平等。
P3:傭兵、奴隷として受け入れてきたので、そういう人々に意識はない。
P1:封建制の半分は「従士制」にしたがっていた。ある程度そこにヨーロッパ人は自由を見つけていたのではないか。
ローマは将軍によるので「集団戦法」
『ゲルマニア』タキトゥス著
「ゲルマン人内では2つのクラスが有力であった。1:僧侶。2:馬を持ってる人。
この2つは、一般人からかけ離れていて、権力を持っていた。
ヨーロッパでは未だに馬を大切にしている。
日本では古来からはそういう考えはなかった。
居酒屋にヨーロッパ人を連れていって、馬刺しを頼むとヨーロッパ人は驚愕する。馬を神聖なものと
見なしているので。
インドも僧侶、騎士が社会の上層部を形成している。
ローマでも1.貴族、2.騎士というように、騎士は重要とされた。
タキトゥスによると、ゲルマン人の自由への思いは、ローマ人以上に熱烈なものだった」
【雑談】
その1:ギリシャ語、ラテン語の勧め
英語に上達しようと思ったら、ギリシャ語とラテン語はすべし。この2つをやらない限り、
いつまでも英語は外国語である。英単語は、難しい単語になると丸暗記するしかないと思うかも
しれないが、ギリシャ語とラテン語を学ぶと、難しい英単語でも瞬時に覚えられる。
我々が例えば、松、桜、杉を一瞬で覚えられるのは、木へん→「木」のカテゴリーを覚えているため。
それと同じ理屈だ。
偏100個と旁100個で1万通りの組み合わせがある。すなわち、単純に100+100=200語より、
理論上は50倍は多く覚えられる。漢字はベーシックな字を覚えると、後は爆発的に覚えられることを
我々は経験上知っている。それと同じことが英単語についても言えるのだ。
その2:中国人のマナー
「上海万博。行列を作る中国人は体をくっつける。どう思う?」
A:前の人との間を少しでも開けていると隙を見て横から割り込みしてくる。
「中国人のマナーの悪さを『人口が多いから』と言ったコメンテーターがいたが、
それは、誤った推測だ。もしそれが正しいなら、ほかの人口密集地域や国だってマナーが悪くなる
という結論にならないとおかしいが、そうなってはいないではないか。
A:供給にありつくために競争が増える。
A:人口が多いのとは関係ない。実際は悪いことだと思っていない。昔からの風習である。
A:需要、供給は日本でも同じではないか。中国では昔から発生していた。
「需要、供給から見て、割り込みの原因を需要の増大と見ることは出来る。
でも、本当に必要なことを見ていないのは良くない。
その3:一面的な考えの危険性
国際弁護士石角完爾氏のブログの2010.04.15 に、
『Harvard大学で今一番人気のある授業は?』という記事が掲載されていた。
http://www.kanjiishizumi.com/
タイタニック号で他の人をかきわけて助かった日本人に対する意見。
1:割り込んだ日本人の行為を卑劣とみなす意見。
2:ユダヤの神様はどっちを助けたかったのかと問う意見
この二つの考えに留まらず、本当はどうすべきであったのか?と問うことが大切。正解はいくつもある
はず、従って、自分でいろいろな前提条件にたって回答を考えるべき。単に一つの『世間常識』だけで
判断すべきでない。ある条件下ではこの案を選ぶ、しかし別の条件下では別の案を選ぶという柔軟性が
あってしかるべき。 すべて考えて、ある条件では、いいと評価されるかも、悪いと評価されるかもし
れないのである。
その4:武士道について
新渡戸稲造の『武士道』…武士道精神というのは、本当に日本にしかないのか?
リヴィウスの『ローマの歴史』を全編読むと、当時(紀元前)のローマにも新渡戸がいう武士道精神
と同じ行動原理を持っていた人が何人もいたことがわかる。
『遼東の豕』(ある村に白豚が出来た。普段は灰色・黒色の豚しか見ていなかったので、白豚は珍しい
ので、皇帝に捧げようと考えた。白豚を連れて、てくてくと都まであるいて行く途中で
白豚がたくさんいたのをみて、引き返した。
結局、『武士道』は世界中に存在する。それを知った上で、日本の武士道は違うんだ、と
思って発言するのは良いが、それを知らずにやみくもに『日本精神の武士道』と強調するのは
『遼東の豕』の愚を犯すことになる。
(SA)『遼東の豕』の話をした時に、この語を知っているか?と聞いたところ、40数人の学生の
中で一人も知らなかった。故事成句を学ばず、知らない、こういった点で現在の高校までの
国語教育にある種のいびつな欠陥を私は強く感じる。
それから、授業中に発言しそびれたのですが、「自由」の反対語は「制約」だと思います。規律から解放されているか、規律に縛られているかという違いです。
しかし、パネラーの方の「自由のとらえ方によって反対語は変わる」という意見には説得力を感じました。
「自由」は、社会的自由や精神的自由などさまざま考えられるからです。
暴力をふるい、命の危機をちらつかせることで確かに理論、思想の統制は行えるだろう。
しかし、そうやって強烈に押さえ込まれた人間の感情はその人の中でループしながら増幅されるもので、それがやがて別の暴力を呼ぶことになり、今度は暴力をふるって統制することに成功した者が危機に晒される。
そういうことが過去にはあったのではないか。
そしてその過去を鑑み、出来る限り暴力に訴えることはしなかったのではないだろうか。
但し、その暴力の時代が、その後の歴史を語り継ぐ中で恣意的に削除されていったということもありえるだろう。