日本では冬は冷たい北風が吹き、コタツのなかで、みかんをむきながらテレビを見るもの、と相場が決まっていますが、世の中はそんなに固定化されたものではない、というのが今回のお話です。
その昔、私の冒険心がまだ健在だったころのお話です。アメリカのピッツバーグに留学していた時、最後の冬休みに、クリスマスと正月休みに合わせて6週間の休みをつくり、当時同じくロサンゼルスに留学していた弟と南米旅行する計画を立てました。
皆さんは、南米って聞いて何かイメージが湧きますか?コンドル、インカ帝国、フォルクローレ、アマゾン。いずれも単語は知っていてもどうもいまいちピンときませんよね。日本からだと南米は最も遠いところ、つまり地球の反対側にあるので、地理的な距離が心理的距離に反映して、縁が薄い場所ですね。
しかし、逆にそういった無知が冒険心を煽り立て、ついに未知の国々へ突入することになりました。その無知が立証されるに、時間はかかりませんでした。マイアミで弟と待ち合わせ、さていよいよ南米行きの飛行機に乗るため、空港へ行き、カウンターで切符を買おうとしました。私は始めブラジルへ飛ぶつもりでしたがカウンターの人が『ビザはおもちでしょうか?』と聞いてくるんで『No!』と元気よく答えると、『それはいけませんね』と言うではありませんか。(この外人さんしゃれが上手などと思ってはいけません。)そうなんです、ブラジルは当時(今はどうか知りませんが)はビザが必要だったんです。『そんな!この場で言われても!』と思ったものの、ビザなしでは、どうしようもありません。そこで急遽その場で旅行のプランを考え直して、行きと帰りを逆にして、ビザなしでいけるペルーに先に行くことにしました。
しょっぱなから、どじを踏んだのですが、その後は無事に(とは言ってもペルーの首都のリマでは危うく時計を取られそうになったのですが)ボリビアの首都のラパスまでやってきました。
その途中、チチカカ湖畔のプノという地でクリスマス・イブを迎えました。たまたまそこで知り合ったアメリカの若者数人とレストランでメリークリスマス、と祝っていたのですが、そこに来た小学生らしき兄弟の流しのギター弾きには、生きるためには、クリスマスも盆もなく働く姿をみて、哀感が胸に迫ってきました。
さて、ラパスの街は、言ってみれば、あり地獄のような地形の底にあります。標高3600メートルの高原地帯ですから回りには樹木がほとんど自生していないので、風景もまったく赤茶けた土だらけです。崖の縁に沿って、ラパスの中心地へと降りて行くバスに乗っていると、まるであり地獄に突っ込んで落ちていく獲物にでもなったような錯覚を覚えました。
さて、北半球で真冬というのは南半球では真夏、つまり夏至の時に該当するのです。が、このラパスではさすがに標高の関係からか、灼熱の太陽がカーと照るのですが、ちょっとでも雲で翳るや、途端に秋風がヒューと吹くのです。
私はそこで一句
『ボリビヤや、女ごころと、ありじごく』
そのあり地獄のラパスから、同じくボリビアのサンタクルスに飛びました。これはアマゾンの源流近くの街ですが、標高がラパスに比べていっきょに3300メートルも下る所です。その時の飛行は、掛け値なしで、富士山から落下傘で急降下するような感じで、飛んでいるというより落ちていってました。無事に着地して、飛行機のタラップを降りると、ムーとする高温多湿のまんまん中。まさにそこは熱帯アマゾン!という厚ぼったい湿気を帯びた空気が肌にひたひたとくっついてくるのがわかりました。それと同時に汗がどどっーと噴きだしてきました。『こりゃーかなわん』と私たちは早速トイレに入って短パンとTシャツに着替えて、空港のカウンターの冷たいジュースでほっと一息いれたのでした。
真夏にクリスマスを迎えた、1983年、冬の南米旅行でした。
その昔、私の冒険心がまだ健在だったころのお話です。アメリカのピッツバーグに留学していた時、最後の冬休みに、クリスマスと正月休みに合わせて6週間の休みをつくり、当時同じくロサンゼルスに留学していた弟と南米旅行する計画を立てました。
皆さんは、南米って聞いて何かイメージが湧きますか?コンドル、インカ帝国、フォルクローレ、アマゾン。いずれも単語は知っていてもどうもいまいちピンときませんよね。日本からだと南米は最も遠いところ、つまり地球の反対側にあるので、地理的な距離が心理的距離に反映して、縁が薄い場所ですね。
しかし、逆にそういった無知が冒険心を煽り立て、ついに未知の国々へ突入することになりました。その無知が立証されるに、時間はかかりませんでした。マイアミで弟と待ち合わせ、さていよいよ南米行きの飛行機に乗るため、空港へ行き、カウンターで切符を買おうとしました。私は始めブラジルへ飛ぶつもりでしたがカウンターの人が『ビザはおもちでしょうか?』と聞いてくるんで『No!』と元気よく答えると、『それはいけませんね』と言うではありませんか。(この外人さんしゃれが上手などと思ってはいけません。)そうなんです、ブラジルは当時(今はどうか知りませんが)はビザが必要だったんです。『そんな!この場で言われても!』と思ったものの、ビザなしでは、どうしようもありません。そこで急遽その場で旅行のプランを考え直して、行きと帰りを逆にして、ビザなしでいけるペルーに先に行くことにしました。
しょっぱなから、どじを踏んだのですが、その後は無事に(とは言ってもペルーの首都のリマでは危うく時計を取られそうになったのですが)ボリビアの首都のラパスまでやってきました。
その途中、チチカカ湖畔のプノという地でクリスマス・イブを迎えました。たまたまそこで知り合ったアメリカの若者数人とレストランでメリークリスマス、と祝っていたのですが、そこに来た小学生らしき兄弟の流しのギター弾きには、生きるためには、クリスマスも盆もなく働く姿をみて、哀感が胸に迫ってきました。
さて、ラパスの街は、言ってみれば、あり地獄のような地形の底にあります。標高3600メートルの高原地帯ですから回りには樹木がほとんど自生していないので、風景もまったく赤茶けた土だらけです。崖の縁に沿って、ラパスの中心地へと降りて行くバスに乗っていると、まるであり地獄に突っ込んで落ちていく獲物にでもなったような錯覚を覚えました。
さて、北半球で真冬というのは南半球では真夏、つまり夏至の時に該当するのです。が、このラパスではさすがに標高の関係からか、灼熱の太陽がカーと照るのですが、ちょっとでも雲で翳るや、途端に秋風がヒューと吹くのです。
私はそこで一句
『ボリビヤや、女ごころと、ありじごく』
そのあり地獄のラパスから、同じくボリビアのサンタクルスに飛びました。これはアマゾンの源流近くの街ですが、標高がラパスに比べていっきょに3300メートルも下る所です。その時の飛行は、掛け値なしで、富士山から落下傘で急降下するような感じで、飛んでいるというより落ちていってました。無事に着地して、飛行機のタラップを降りると、ムーとする高温多湿のまんまん中。まさにそこは熱帯アマゾン!という厚ぼったい湿気を帯びた空気が肌にひたひたとくっついてくるのがわかりました。それと同時に汗がどどっーと噴きだしてきました。『こりゃーかなわん』と私たちは早速トイレに入って短パンとTシャツに着替えて、空港のカウンターの冷たいジュースでほっと一息いれたのでした。
真夏にクリスマスを迎えた、1983年、冬の南米旅行でした。
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