ドイツの作家、フランツ・カフカが哲学者・ショーペンハウアー(Schopenhauer)について次のように言っている。
『Schopenhauer ist ein Sprachkuenstler. Wegen seiner Sprache allein muss man ihn unbedingt lesen.』
(ショーペンハウアーは言葉の芸術家である。内容はともかく、表現だけでも彼は読む価値のある作家だ。)
私は学生の頃、ドイツ語に熱中していた。その時、たまたまショーペンハウアーの文章に出会い、その簡明で、警句に満ち、それでいて核心をついた物の言い方にすっかり感心してしまった。
例えば、『読書と本』では本に書かれた思想と著者の関係について次のように言っている。
『Zu diesem Allen kommt, dass zu Papier gebrachte Gedanken ueberhaupt nichts weiter sind, als die Spur eines Fussgaengers im Sande: man sieht wohl den Weg, welchen er genommen hat; aber um zu wissen, was er auf dem Wege gesehn, muss man seine eigenen Augen gebrauchen.』
(大意:紙に書かれた思想というのは、砂の上の足跡に過ぎない。つまりどの道を通ったかわかるが、作者がその途上でどのような景色を見たかを知るには、読者が自分で考えないといけない。)
彼の本を何冊か読み進むうちに、ショーペンハウアーが大変な女嫌いであることを知った。生まれつき女が嫌いというのではなく、若い頃には、人並みに恋をしたというのだが、生涯でただ一回の片思いが破れてからは独身を通した。その上、『Ueber die Weiber』(女について)という本を出版したために、世間では、彼を極め付きの女嫌い(misogyne)と認めた。この原因の一つは、派手好みで多少軽薄な言動で知られる彼の母親に対する軽蔑心があるといわれている。
さて、misogyne と言うのは、ギリシャ語源で、miso- (憎む)と gyne(女)が合成された言葉である。 gyne がついた言葉に、gynecology(産婦人科)がある。この言葉に限らず、ギリシャ語源の単語は英語になると途端に難しく聞こえるのであるが、ギリシャ語では gyne など至って平凡の言葉(女、woman)なのである。
調べてみると、gyne(女)に関するギリシャの諺がいろいろあるが、どうやら功罪相半ばするようだ。
例えば、女を非難する言葉としては:
gyne esti dapaneron physei.
(女は性質上、浪費的なり)
逆に女を讃える言葉としては:
gyne de chreste pedalion est oikias.
(善き女は家の舵なり。)
などなど。。。
さて、冒頭にショーペンハウアーを持ってきたわりには、このような月並みなことばで終わるのは甚だ申し訳ないので、警句でこの稿を締めくくることにしたい。
先ずは、女の恥じらいに関して、ヘロドトスの『歴史』(1.8)に出てくる、有名(?)な言葉を紹介しよう。
hama de kithoni ekduomeno synekdyetai kai ten aido gyne
(女は、着物を脱ぐとともに、恥も脱ぎ捨てる。)
これを聞いて憤慨する淑女もいるだろうから、ソフォクレス(Sophocles)の次の言葉で埋め合わせをしたい。
gynaiki kosmon he sige pherei.
(沈黙は女の美を引き立てる。)
『Schopenhauer ist ein Sprachkuenstler. Wegen seiner Sprache allein muss man ihn unbedingt lesen.』
(ショーペンハウアーは言葉の芸術家である。内容はともかく、表現だけでも彼は読む価値のある作家だ。)
私は学生の頃、ドイツ語に熱中していた。その時、たまたまショーペンハウアーの文章に出会い、その簡明で、警句に満ち、それでいて核心をついた物の言い方にすっかり感心してしまった。
例えば、『読書と本』では本に書かれた思想と著者の関係について次のように言っている。
『Zu diesem Allen kommt, dass zu Papier gebrachte Gedanken ueberhaupt nichts weiter sind, als die Spur eines Fussgaengers im Sande: man sieht wohl den Weg, welchen er genommen hat; aber um zu wissen, was er auf dem Wege gesehn, muss man seine eigenen Augen gebrauchen.』
(大意:紙に書かれた思想というのは、砂の上の足跡に過ぎない。つまりどの道を通ったかわかるが、作者がその途上でどのような景色を見たかを知るには、読者が自分で考えないといけない。)
彼の本を何冊か読み進むうちに、ショーペンハウアーが大変な女嫌いであることを知った。生まれつき女が嫌いというのではなく、若い頃には、人並みに恋をしたというのだが、生涯でただ一回の片思いが破れてからは独身を通した。その上、『Ueber die Weiber』(女について)という本を出版したために、世間では、彼を極め付きの女嫌い(misogyne)と認めた。この原因の一つは、派手好みで多少軽薄な言動で知られる彼の母親に対する軽蔑心があるといわれている。
さて、misogyne と言うのは、ギリシャ語源で、miso- (憎む)と gyne(女)が合成された言葉である。 gyne がついた言葉に、gynecology(産婦人科)がある。この言葉に限らず、ギリシャ語源の単語は英語になると途端に難しく聞こえるのであるが、ギリシャ語では gyne など至って平凡の言葉(女、woman)なのである。
調べてみると、gyne(女)に関するギリシャの諺がいろいろあるが、どうやら功罪相半ばするようだ。
例えば、女を非難する言葉としては:
gyne esti dapaneron physei.
(女は性質上、浪費的なり)
逆に女を讃える言葉としては:
gyne de chreste pedalion est oikias.
(善き女は家の舵なり。)
などなど。。。
さて、冒頭にショーペンハウアーを持ってきたわりには、このような月並みなことばで終わるのは甚だ申し訳ないので、警句でこの稿を締めくくることにしたい。
先ずは、女の恥じらいに関して、ヘロドトスの『歴史』(1.8)に出てくる、有名(?)な言葉を紹介しよう。
hama de kithoni ekduomeno synekdyetai kai ten aido gyne
(女は、着物を脱ぐとともに、恥も脱ぎ捨てる。)
これを聞いて憤慨する淑女もいるだろうから、ソフォクレス(Sophocles)の次の言葉で埋め合わせをしたい。
gynaiki kosmon he sige pherei.
(沈黙は女の美を引き立てる。)
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