先週(3月1日~3月5日)はまるまる一週間もポーランドに滞在していた。
どこで読んだのか忘れたが、ポーランド人を貶めたジョークに次のようなのがあった。
二人のポーランド人が家を建てていた。一人が板を打ち付けるために一本の釘を取り出し、金槌で打ち付けた。次に釘を取り出したが、捨てた。また釘を取り出した、これは打ち付けた。そしてまた一本を取り出したが捨てた。見ていると、二本に一本ぐらいは捨てている。もう一人が堪らなくなり、聞いた。「おい、相棒、どうして釘を捨てるんだね?」「だって、先が尖ってないので打てないんだぞ!」「お前さんも馬鹿だな、先が尖ってないのは、反対側の板を打ち付ける釘なんだぞ!」
これだけでなく、大抵ポーランド人の登場するジョークではポーランド人は魯鈍(うすのろ)と相場が決まっている。ついでに言うと、フランス人は女たらし、オランダ人はけち、ドイツ人は無愛想。。。
と、このような先入観を抱いて、ポーランドに行ったのであるが、現地の人を見ていると、どうやらこの先入観は多少なりとも訂正しなければならないと感じた。
中国の諺:『相馬失之痩,相士失之貧』(馬を相するに、これを痩に失し、士を相するに、これを貧に失す)。
意味は、馬は痩せていると、駄馬だと思われ、人は貧乏していると、馬鹿かうすのろだと思われてしまう、と言うのである。ポーランドは率直なところ確かに貧しいが、彼らはうすのろ、ではなく質朴なのであった。質朴というのは、決して貶めた意味ではなく、ましてや粗野などではない。非常にポジティブに私自身はポーランドを評価している。
その結論に至った経験を話してみよう。
私はワルシャワ空港から市バスで市内に入ったのだが、切符の買い方が分からなかったので、運転手にお金を出して切符を買いたい旨、伝えた。ところが、どうやら切符が売り切れ(?!)で販売できないのでお金を受け取れない、と判明した。切符が売り切れというにも驚いたが、お金を受け取らない律儀な態度にも感服した。イギリスなど、明治以降、日本では紳士の国と思われているが、私が実際に経験した所では、半分はそうだが、あとの半分はバイキングの子孫らしき連中が、徘徊しているような国だった。このような場合お金を出せば必ず受け取って自分の懐にいれてしまうのは目に見えている。また、そのイギリス人が移民したアメリカでは、自販機などは、象をも繋ぐことのできるような太いチェーンで柱に2重にも3重にも頑丈にくくりつけられていた。そうでもないと夜中にごっそりと持っていかれるらしい。一体紳士の国とはどこの話だ!と言いたくなる。
さて、数日して今度は帰国のため、同じく市バスで夕方にワルシャワ空港に向かったのだが、勤めを終えた工員やサラリーマンが帰宅する途上であったようだ。彼らは市内から離れた、公団住宅のような所で、次々と降りていった。見ると例の無機質なアパート群向かって無言で歩いている。私がそれを見て感じたのは、この人たちは与えられた仕事に黙々といそしむ善良な市民であるに違いないということであった。
さて、以前から、孟子の中の次の言葉がどうも私には気にかかっていた。
『鶏鳴而起,孳孳為善者,舜之徒也。鶏鳴而起,孳孳為利者,蹠之徒也』(鶏、鳴きて起き,孳孳(しし)として善をなすは、舜の徒なり。鶏、鳴きて起き,孳孳(しし)として利をなすは、蹠の徒なり)
つまり、朝早くから善行に励むのは、聖人、舜と同類であり、逆に朝早くから利益を追求するのは、極悪人、盗跖と同類である、と言うのだ。私自身は朝早くから利益を追求するでもなく、かと言って善行に励むタイプでもない。しかし、ポーランド人の質朴な態度をみていると、こういう人達こそが『舜之徒也』と言うのではないだろうか、と感じた次第であった。
それにしても、ポーランドは If Winter comes, can Spring be far behind? (冬来りなば春遠からじ)どころではなく、『春来たりと雖も、なお春遠し』だ。どうりでポーランド人は我慢づよいはずだ、と納得した次第であった。
どこで読んだのか忘れたが、ポーランド人を貶めたジョークに次のようなのがあった。
二人のポーランド人が家を建てていた。一人が板を打ち付けるために一本の釘を取り出し、金槌で打ち付けた。次に釘を取り出したが、捨てた。また釘を取り出した、これは打ち付けた。そしてまた一本を取り出したが捨てた。見ていると、二本に一本ぐらいは捨てている。もう一人が堪らなくなり、聞いた。「おい、相棒、どうして釘を捨てるんだね?」「だって、先が尖ってないので打てないんだぞ!」「お前さんも馬鹿だな、先が尖ってないのは、反対側の板を打ち付ける釘なんだぞ!」
これだけでなく、大抵ポーランド人の登場するジョークではポーランド人は魯鈍(うすのろ)と相場が決まっている。ついでに言うと、フランス人は女たらし、オランダ人はけち、ドイツ人は無愛想。。。
と、このような先入観を抱いて、ポーランドに行ったのであるが、現地の人を見ていると、どうやらこの先入観は多少なりとも訂正しなければならないと感じた。
中国の諺:『相馬失之痩,相士失之貧』(馬を相するに、これを痩に失し、士を相するに、これを貧に失す)。
意味は、馬は痩せていると、駄馬だと思われ、人は貧乏していると、馬鹿かうすのろだと思われてしまう、と言うのである。ポーランドは率直なところ確かに貧しいが、彼らはうすのろ、ではなく質朴なのであった。質朴というのは、決して貶めた意味ではなく、ましてや粗野などではない。非常にポジティブに私自身はポーランドを評価している。
その結論に至った経験を話してみよう。
私はワルシャワ空港から市バスで市内に入ったのだが、切符の買い方が分からなかったので、運転手にお金を出して切符を買いたい旨、伝えた。ところが、どうやら切符が売り切れ(?!)で販売できないのでお金を受け取れない、と判明した。切符が売り切れというにも驚いたが、お金を受け取らない律儀な態度にも感服した。イギリスなど、明治以降、日本では紳士の国と思われているが、私が実際に経験した所では、半分はそうだが、あとの半分はバイキングの子孫らしき連中が、徘徊しているような国だった。このような場合お金を出せば必ず受け取って自分の懐にいれてしまうのは目に見えている。また、そのイギリス人が移民したアメリカでは、自販機などは、象をも繋ぐことのできるような太いチェーンで柱に2重にも3重にも頑丈にくくりつけられていた。そうでもないと夜中にごっそりと持っていかれるらしい。一体紳士の国とはどこの話だ!と言いたくなる。
さて、数日して今度は帰国のため、同じく市バスで夕方にワルシャワ空港に向かったのだが、勤めを終えた工員やサラリーマンが帰宅する途上であったようだ。彼らは市内から離れた、公団住宅のような所で、次々と降りていった。見ると例の無機質なアパート群向かって無言で歩いている。私がそれを見て感じたのは、この人たちは与えられた仕事に黙々といそしむ善良な市民であるに違いないということであった。
さて、以前から、孟子の中の次の言葉がどうも私には気にかかっていた。
『鶏鳴而起,孳孳為善者,舜之徒也。鶏鳴而起,孳孳為利者,蹠之徒也』(鶏、鳴きて起き,孳孳(しし)として善をなすは、舜の徒なり。鶏、鳴きて起き,孳孳(しし)として利をなすは、蹠の徒なり)
つまり、朝早くから善行に励むのは、聖人、舜と同類であり、逆に朝早くから利益を追求するのは、極悪人、盗跖と同類である、と言うのだ。私自身は朝早くから利益を追求するでもなく、かと言って善行に励むタイプでもない。しかし、ポーランド人の質朴な態度をみていると、こういう人達こそが『舜之徒也』と言うのではないだろうか、と感じた次第であった。
それにしても、ポーランドは If Winter comes, can Spring be far behind? (冬来りなば春遠からじ)どころではなく、『春来たりと雖も、なお春遠し』だ。どうりでポーランド人は我慢づよいはずだ、と納得した次第であった。
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