限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・123】『Ducunt volentem fata, nolentem trahunt』

2020-07-12 18:35:04 | 日記
紀元前後のローマではストア派の哲学が栄えた。上は皇帝(例:マルクス・アウレリウス)から下は、奴隷の身分(エピクテトス)に至るまで、質実剛健を旨とする厳しい教えを熱狂的に慕う人達が続出した。ストア派の巨匠のセネカの道徳書簡には、ストア派の信条が雄弁に語られている。その中の一節 (107, 11, 5) を紹介しよう。元来、ギリシャの哲人クレアンテス(Cleanthes)のギリシャ語の文句であるが、セネカがラテン語に訳したのだそうだ。

 【原文】Ducunt volentem fata, nolentem trahunt.
 【私訳】運命は抵抗しないものは(優しく)導くが、逆らうものは(容赦なく)引きずっていく。
 【英訳】The willing soul fate leads, but the unwilling drags along.
 【独訳】Den Willigen führt das Schicksal, den Widerstrebenden schleppt es fort.
 【仏訳】Le sage en est conduit, le rebelle entrainé.


【出典】 Stoa Gallica


運命には逆らうな、不平を言わずに従順に従え(sine murmuratione comitari)と説く。この言葉の背景に、ストア派の基本コンセプトの宿命論が見える。ただ、宿命論といっても一切の努力を放棄するのではなく、自分に与えられた職分は精一杯に果たすべきという義務感まで否定しない。セネカにしろ、エピクテトスにしろ、マルクス・アウレリウスにしろ、どのストア派の哲人たちも、精一杯の努力をしながら人生を生き抜いた。

ただ、この言葉は現在はすこしニュアンスが異なって「長いものには巻かれろ」という意味で用いられるという。この文句は、今なお続く日本の封建的な性格をよく表しているが、やはり西洋にも同じ感情は存在しているということであろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 想溢筆翔:(第428回目)『資... | トップ | 想溢筆翔:(第429回目)『資... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事