(前回)
【283.接見 】P.4060、AD462年
『接見』とは「身近に会うこと」をいうが、特に「地位の高い人」の行為を指すことが多い。この場合の「接」とは辞源(1987年版)には「会」と説く。また、辞海(1978年版)には「接見」を「人と会見するなり」(与人会見也)と説明する。これらから考えるに日本語に現れる「地位の高い人」というニュアンスは本質的ではないように思える。
「接見」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると下表のようになる。初出が三国志なので、かなり新しい単語のように思われるが、史書以外では儀礼[ぎらい]にすでに使われているので、前漢時代以前の単語であることが分かる。

資治通鑑には一回しか使われていない。その場面を見てみよう。
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以前、晋の庾氷が仏教の僧侶に王を拝礼するよう強制しようとし、桓玄がまた同じことをさせようと提議したが、どちらもうまくいかなかった。それで、帝は官僚に次のような奏上文を書かせた。「儒家と、法家は考え方は異なるし、名家と墨家も主張する所は違うが、どの派も親をたっとび、王を敬うことにおいては差はない。それなのに仏教徒だけはこれらの教えに反し、勝手に解釈して、自分たちの考えに固執して人の道に逆らっている。そもそも仏教は謙遜を旨とし身を律し、真心をもって仕えることを標榜している。そして四輩(仏、菩薩、縁覚、声聞)には膝をついて礼拝するのに、二親(父母)への礼は簡略にしている。老僧や高僧にはお辞儀をするのに、皇帝には頭すら下げないのは何たることだ!私ども(官僚)が議論し、今後、僧侶が皇帝に接見するときには、真心を尽くすべきだという結論に至った。皇帝への礼に関しては、本来のしきたりに従うべしと考える。」
初、晋庾氷議使沙門敬王者、桓玄復述其議、並不果行。至是、上使有司奏曰:「儒、法枝派、名、墨条分、至於崇親厳上、厥猷靡爽。唯浮図為教、反経提伝、拘文蔽道、在末弥扇。夫仏以謙卑自牧、忠虔為道、寧有屈膝四輩而簡礼二親、稽顙耆臘而直体万乗者哉!臣等參議、以為沙門接見、比当尽虔;礼敬之容、依其本俗。」
+++++++++++++++++++++++++++
先に「接見」に「身分の高い人」というニュアンスはないようだと述べたが、この部分を読むと「身分の高い人」と会う意味が暗に含まれている。
ところで、上の文では中国の仏教徒から皇帝に対する礼儀が伝来の慣習からかなり外れているという批判が儒者(つまり官僚)たちから出されている。皇帝も、推測するに、前々仏教徒のやり方を苦々しく思っていたので、チャンスだとばかり、官僚をたきつけて、「仏教徒にも儒教徒と同じ礼させるべきだ」との奏上文を提出させた。中国だけでなく、ヨーロッパにおいても、当初はキリスト教徒がローマ皇帝に従順でないとの非難を受けたことと、全く相似形の話だと感じる。
(続く。。。)
【283.接見 】P.4060、AD462年
『接見』とは「身近に会うこと」をいうが、特に「地位の高い人」の行為を指すことが多い。この場合の「接」とは辞源(1987年版)には「会」と説く。また、辞海(1978年版)には「接見」を「人と会見するなり」(与人会見也)と説明する。これらから考えるに日本語に現れる「地位の高い人」というニュアンスは本質的ではないように思える。
「接見」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると下表のようになる。初出が三国志なので、かなり新しい単語のように思われるが、史書以外では儀礼[ぎらい]にすでに使われているので、前漢時代以前の単語であることが分かる。

資治通鑑には一回しか使われていない。その場面を見てみよう。
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以前、晋の庾氷が仏教の僧侶に王を拝礼するよう強制しようとし、桓玄がまた同じことをさせようと提議したが、どちらもうまくいかなかった。それで、帝は官僚に次のような奏上文を書かせた。「儒家と、法家は考え方は異なるし、名家と墨家も主張する所は違うが、どの派も親をたっとび、王を敬うことにおいては差はない。それなのに仏教徒だけはこれらの教えに反し、勝手に解釈して、自分たちの考えに固執して人の道に逆らっている。そもそも仏教は謙遜を旨とし身を律し、真心をもって仕えることを標榜している。そして四輩(仏、菩薩、縁覚、声聞)には膝をついて礼拝するのに、二親(父母)への礼は簡略にしている。老僧や高僧にはお辞儀をするのに、皇帝には頭すら下げないのは何たることだ!私ども(官僚)が議論し、今後、僧侶が皇帝に接見するときには、真心を尽くすべきだという結論に至った。皇帝への礼に関しては、本来のしきたりに従うべしと考える。」
初、晋庾氷議使沙門敬王者、桓玄復述其議、並不果行。至是、上使有司奏曰:「儒、法枝派、名、墨条分、至於崇親厳上、厥猷靡爽。唯浮図為教、反経提伝、拘文蔽道、在末弥扇。夫仏以謙卑自牧、忠虔為道、寧有屈膝四輩而簡礼二親、稽顙耆臘而直体万乗者哉!臣等參議、以為沙門接見、比当尽虔;礼敬之容、依其本俗。」
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先に「接見」に「身分の高い人」というニュアンスはないようだと述べたが、この部分を読むと「身分の高い人」と会う意味が暗に含まれている。
ところで、上の文では中国の仏教徒から皇帝に対する礼儀が伝来の慣習からかなり外れているという批判が儒者(つまり官僚)たちから出されている。皇帝も、推測するに、前々仏教徒のやり方を苦々しく思っていたので、チャンスだとばかり、官僚をたきつけて、「仏教徒にも儒教徒と同じ礼させるべきだ」との奏上文を提出させた。中国だけでなく、ヨーロッパにおいても、当初はキリスト教徒がローマ皇帝に従順でないとの非難を受けたことと、全く相似形の話だと感じる。
(続く。。。)
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