限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・47】『電光影裡斬春風』

2010-11-04 06:25:23 | 日記
ある頼み事があって、政治家に賄賂を贈ることを考えてみよう。賄賂の金額が、100万円の時は『いやー、これは法律違反なので、できる相談ではないですな』と言ったとしよう。それで、増額し、1000万円を見せると、『これはなかなか厄介なことでして。。。』と多少傾いたとしよう。最後に1億円を積むと、『そうですな、ちょっと当たってみましょう。』と言って、頼み事を聞いてくれたとしよう。この政治家には、確固たる政治的信条や遵法精神がなく、賄賂の金額の多寡よって、いくらでも政治的良心を変える事が出来る人である、ということが分かる。一方、固い政治的信条を持っている政治家であれば、たとえ何兆円積まれようと、あるいは、国権を委ねられようともその主張は一貫しているであろう。

以前のブログで、『1000億年+1000億年の時間による人生観』という【麻生川語録】を書いた。要点は、我々の住む地球は高々 100億年しか生きられない運命にある。そういったとてつもない長期の時間スケールで考えたとき、神はどういった意図で、この地球を創造したのか?またその上に住む我々人間はどういった価値を持つのだろうか?という疑問が私にはある。

またまた話は飛ぶが:
元の僧で、日本に渡来し鎌倉仏教、特に禅宗に大きな影響力を与えた人に無学祖元がいる。その彼がまだ中国本土にいたころ、宋が滅びようとしていた混乱のなか、元の軍隊が彼の寺に押しかけてきた。その時に彼は次の詩を元の兵士に示したといわれる。

 乾坤無地卓孤杖   乾坤、孤杖卓つる地無く
 喜得人空法亦空   喜び得たり、人空にして、法もまた空
 珍重大元三尺劍   珍重す、大元三尺の剣
 電光影裡斬春風   電光影裡、春風を斬る

この最後の『電光影裡(でんこうえいり)春風を斬る』は夏目漱石の『我輩は猫である』にも取り上げられている有名な句である。この句の言わんとしているのは、『我が身を斬らば、斬れ。それは稲妻の轟く瞬間に、風を斬るが如くの、(はかない)所作に過ぎない』



さて、あちこちと引き回してきたが、ここでこの稿の趣旨を説明すると:

私は学生時代から『人生の意義とは何ぞや?』いうテーマをずっと抱いている。上で述べたように、2000億年のスケールで考えると我々の存在意義というのは、あたかも『電光影裡春風を斬る』が如く価値のないものであろうが、日々生活している我々にとっては、苦労もあるが、生きていることの有り難味も感じているはずだ。つまり、時間スケールによって人生の意義・価値にたいする意見をころころと変えていることになる。これでは冒頭で述べた悪徳政治家の無節操とまるで変わる所がない。

果たして、時間スケールにかかわりなく、この問題『人生の意義とは何ぞや』に対する、普遍的な回答はあるのだろうか?無学祖元のこの句、『電光影裡斬春風』、は私にこういった事を改めて考えさせてくれる。
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